小説家たらんとする青年に与う作家名:菊池寛
菊池寛アーカイブに依ると、大正12年(1923年)12月、著者34歳の時の文章。
著者の小説観、創作手法の一端が解る。
僕は先ず、「二十五歳未満の者、小説を書くべからず」という規則を拵えたい。全く、十七、十八乃至二十歳で、小説を書いたって、しようがないと思う。
中略
僕なんかも、始めて小説というものを書いたのは、二十八の年だ。それまでは、小説といったものは全く一つも書いたことはない。紙に向って小説を書く練習なんか、少しも要らないのだ。
小手先の技法に捕らわれず、人生修行に励んでから書きなさい、ということらしい。
底本:
半自叙伝 (講談社学術文庫) 初版発行日: 1987(昭和62)年7月10日
セメント樽の中の手紙作家名:葉山 嘉樹
私が何故か小学生の頃に読んでしまって、色々トラウマを負っちゃった掌編。
僅か7枚ほどの短い文章で過酷な環境で働く労働者たちを描いた、プロレタリア文芸の異色作。
恵那山の麓、大井ダム発電所工事の現場。
コンクリートミキサーにセメントを投入する作業を黙々と行う労働者・松戸与三は、全身セメントまみれになりながら働いていた。
その日の作業も終わりに近くなった頃に明けたセメント樽の中から、小さな木箱が出てきた。
金目の物への僅かな期待から、与三はこれを持ち帰る。
作業員宿舎の長屋には身重の妻と六人の子供がいる。
苦しい生活を嘆き、やけを起こした与三は、彼は件の箱を床にたたきつけ、踏みつけにして壊した。
箱の中からはボロ切れに包まれた紙が出てきた。
紙には、
――私はNセメント会社の、セメント袋を縫う女工です。私の恋人は破砕器へ石を入れることを仕事にしていました。そして十月の七日の朝、大きな石を入れる時に、その石と一緒に、クラッシャーの中へ嵌りました。――
と言う書き出しの、女の筆跡があった。
女工は手紙の中で、セメント工場の青年は石の海に沈み、その肉体は砕かれ、焼かれ、「立派なセメント」になったという。
セメントとなった恋人が、劇場の廊下や屋敷の壁になるのを思うと忍びない。
それでもきっと彼は何処に埋められたところで、立派に働くだろう。
自分は日本中に送られてしまった彼を葬送することができない。
できればこのセメントが何処に使われたのか、教えて欲しい……。
手紙は、
あなたも御用心なさいませ。さようなら。
と締められていた。
手紙に没頭していた与三は、子供たちの声で現実に引き戻される。
言い様のない焦燥感に襲われ、酒をあおるった彼だったが、妻の冷静な言葉に沈黙せざるを得ないのだった。
本編を読む初出:1926・1『文芸戦線』
底本:
全集・現代文学の発見〈第1巻〉最初の衝撃 (1968年)