長野県長野市松代(海津城周辺)小旅行

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真田信之公墓所。
逆光で(号泣)

真田 信之 
永禄9年(1566年)−万治元年10月17日(1658年11月12日)享年93。
豆知識。
実は前田慶次郎利益と知己だったという逸話有り。
本能寺の変(天正10年6月2日/1582年7月1日)により滝川一益軍は関東から撤退することとなった。
当時真田昌幸は一益に娘・於菊を人質に入れており、また名目上滝川の与力であった。
しかし滝川一益が神流川の戦いで北条氏直に破れると知るや、昌幸は万一織田家が滅びた場合を考えて、北条氏と通じた。
まだこの時点では信長の生死の確実な情報は彼の元には入っていない。
趨勢がはっきりとしない中で、生き残りを懸けた「日和見」であった。
昌幸は佐久・小県をおさえるため信幸(当時16歳)を大将に軍を派遣した。
このとき、信幸軍は上野から信濃へ入る軍勢を発見。様子を窺っていると、その軍勢の中に見知った顔を見つける。
「なんと、この軍勢を率いるのは前田慶次郎殿か。慶次郎殿ならば昵懇の仲。心配はない」
すると慶次郎(当時41歳。ただし年齢には諸説有り)も信幸の軍勢に気付いた。
慶次郎はにこやかに、
「なんだ真田の若か。珍しいところであったものだ。
 わしらの道中警護でもしてくれるのかや?
 折角だが軍は引いてくれぬか。
 わしらは例え一揆が道をふさごうとも蹴散らして進む所存じゃ。
 何しろ先だってお屋形様(信長)がお亡くなりになられたとか。
 上方は真っ暗闇じゃ」
現時点で敵とも味方とも知れぬ真田の軍勢に対し、慶次郎は真実を告げた。
その豪放な言葉に、信幸は感じ入り、兵を引いたのであった。

ファイル名 P9120100.JPG データ更新日 2010/09/12 13:38:22
メーカー OLYMPUS OPTICAL CO.,LTD 機種名 C730UZ
レンズ F 値 F5.6 露光制御モード 低速プログラム
ISO 感度 64 撮影日時 2010:09:12 13:38:23
露光補正値 EV0.0 測光モード マルチセグメント
フラッシュ フラッシュ強制オフ 焦点距離 5.90 (mm)
露光時間 10/800 (秒)

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