ラマ塔の秘密

宮原晃一郎




    一 白馬はくばの姫君

「ニナール、ちよつとお待ち」と、お父様のキャラ侯がよびとめました。ニナール姫は金銀の糸で、ぬひとりした、まつ赤な支那服しなふくをきて、ブレツといふ名のついたまつ白な馬にのつて、今出かけようとするところでした。
「なんですの、お父様」と、ニナール姫はふりかへりました。
 まだ十五になつたばかりですから、顔はほんの子供ですけれど、身体からだはなか/\大きくて、まるで大人のやうでした。
「今日は、お前、ジウラをつれて、山へあそびに出かけるはずだつたぢやないか。それだのにどうして、ひとりで、馬にのつて出かけるの」
 ニナール姫は、赤い花が咲いたやうにパツと朗らかに笑つて、金の拍車をチャラ/\と鳴らしました。
「だつてお父様、ジウラさんは男のくせに、お馬にのることが下手で、落ちるのがこはいからいやですつて行かうといひませんもの」
 キャラ侯は八の字を額によせました。
「フム、蒙古もうこの王子が馬にのることが下手では困つたものだね。よし/\、わしに考へがあるから、ぢや、今日はお前ひとりで行つてもよろしい。だが近頃ちかごろ、馬賊がこのへんの山にはいつて来たといふことだから、よく気をつけなさいよ」
「大丈夫よ。ブレツに一むちあてれば、馬賊なんか追ひ付きつこありやしませんわ」
 ニナール姫は、さういふが早いか、足で一つ、ブレツのおなかをポンとけると、矢のやうに、向ふに高くそびえるギンガンれいの方をさして、せ去りました。

 ニナール姫はこのギンガン嶺のふもとに、お城をかまへてゐる、満洲まんしう貴族の一人子でした。お母様は蒙古の王様からお嫁に来てゐらつしたのですが、さき程、病気でお亡くなりになりました。お父様とうさんのアイチャンキャラ侯は、たつたひとりぽつちのニナール姫が、さびしいだらうと、従兄いとこに当るジウラ王子を蒙古から呼びよせ、そのお相手になさつたのです。ジウラ王子は蒙古の王様のうちでも、成吉斯汗ジンギスカンのすゑだとよばれる名家の子でした。が、不幸にして早く、お父様になくなられ、それから又、近頃、お母様も死んで、孤児みなしごになつてゐました。だから、キャラ侯は王子のためにもよからうと思つたのです。
 ところが、ジウラ王子は年こそニナール姫よりも一つ上でしたけれど、身体からだもやせて、小さく、青い顔をして、いつもすみの方へ引つ込み、だまつてばかりゐるのでした。しかも、そのくせ、ゐばりやさんで、どうかすると「おれは蒙古の王子だぞ」といふやうに、高慢な顔をしますから、大勢の召使ひたちから、軽蔑けいべつされたり、いやがられたりするだけで、一向、ニナール姫のさびしさを慰める役にはたちません。
 もつとも、ニナール姫の方だけでは、ジウラ王子がゐやうがゐまいが、そんなことはどうでもいゝので、以前とかはりなく、朗らかで、活溌くわつぱつで、勇ましい男もかなはないほど大胆で、馬に乗り、鉄砲をうち、せい一ぱいにあばれてをりました。
 しかし、うはべはさうでも、やはり女のことですから、心の底では、亡くなつたお母様のやさしい言葉や、美しかつた姿を、始終思ひ出して、人知れず涙をながすことがありました。つまり、はげしい運動や、勇ましい武術をするのも、それに心をまぎらして、こんな悲しい思ひを、なるべく、少なくしようといふのでした。


    二 ラマ塔の燈火

 それから一週間ほどつた、美しい、晴れた夜でした。ニナール姫と、ジウラ王子とは、お城の庭に出て、新鮮な空気を吸つてゐました。このあたりは、満洲まんしうでも、ずつと北によつてゐるので、夏は日のくれるのが、大へんおそいので、人はよく夜ふかしをするのでした。
 バラに似た花の香りがして、時鳥ほととぎすのやうな鳥の声が聞えました。と、お城の広間の時計が、地の底まで沈むやうな深い音をたゝて、ヂーン/\と十一時を打ちました。この時計はずつと昔、支那しながまだ清国しんこくといつたころ北京ペキンの宮城の万寿山まんじゆさんの御殿にかけてあつたもので、その頃、皇帝よりも勢ひをもつた西太后せいたいごう(皇太后)の御機嫌ごきげんとりに、外国から贈つたものを、ニナール姫のお祖父様ぢいさまがいたゞいたものでした。
 時計が、十一時を打ちきつたとき、ジウラ王子はどうしたのか、にはかにニナール姫の腕にすがりつくやうにして、恐ろしさうに、さゝやきました。
「ニナール、あれ何、んの光?」
 ジウラ王子の指は、向ふに、怪物のやうに、黒々とそびえてゐる、ラマ塔をさしてゐました。
 まつたく、平生、人のゐないラマ塔の下のきざはしから、小さな火の光りがちらちらと見えました。ふつと消えたかと思へば、また黄色く光り出して、丁度草の中のほたるかなぞのやうでした。
 それを見ると、ニナール姫も、胸がドキ/\しました。
 ラマ塔は昔、このお城がラマ仏教のお寺であつたとき、建つた、ずゐぶんるいものですが、アイチャンキャラ侯の先祖が、これを取つてからのち、或時あるとき、外敵にせめられて、一時これを占領されたことがありました。そのとき、タクマールといふ勇敢な娘が、わづか十八歳の身で、その年下の弟や妹たちを助けて、この塔に立てこもり、最後まで敵と戦つて、とう/\切り死にしました。それでラマ塔には、タクマールの幽霊が出るといふうはさがあつてだれもそばへは寄らないのでした。
「さうね。タクマールの幽霊がでるといふから、さうかも知れないわ。ジウラさん、ひとつ、行つて、正体を見届けちやどう」と、ニナール姫は笑ひながら言ひました。
「いやだ! ぼく、こわい。もう内へ帰つて、ねませう。おそいぢやないの、今夜は!」
 ジウラ王子はさういふと、もう立ち上がつて、うちへ帰りかけました。すると、ニナール姫は、からかつてやりたい気持が一そう加はつて、ジウラ王子を捕へて放しません。
「何んですね、将来、蒙古もうこの王様になる人が、そんないくぢなしで、どうしますか。さあ、わたしが、あの入口まで送つてあげますから、一つ探見していらつしやい」
「いやだ/\、僕、こわい。」
 ジウラ王子はなか/\行かうとはしません。けれども、ニナール姫は、お父様が、さきに言つたことを想出おもひだしてゐたので、むりにジウラ王子をひきずるやうにして、黒いラマ塔のところへつれて行つたのでした。ニナール姫がさうしたのは、丁度、その日、お父様が、ジウラ王子のきもをねるために、ひとりで、あの幽霊塔に行かしてみようと言はれたのを、おぼえてゐたからでした。だから、そのあかりも、あるひはお父様のいひつけで、だれかゞとぼしてゐるかも知れないと、そんなふうにも思つたのです。

 ラマ塔はぢきそこにあるやうでしたが、実は雑木の小さな森を通つて、谷のふちへ出て、それからそこにある橋をわたつて、小さな山のふもとまで、三百メートルも行かなければならないのでした。塔の上には、青黒い空に、星がきら/\と光つてゐました。
「さあ、これから先きはジウラさんひとりで行くのよ」と、ニナール姫は言ひました。「あの塔の光りが何んだか、見届けていらつしやい。もしる者でもゐたら、これで打つておしまひなさい」
 ニナール姫はやみにも光るピストルを、ふるへてゐるジウラ王子の手に渡しました。
「私、こゝで待つてゐますからね。勇気をふるつて行くんですよ」
 けれどもジウラ王子はまだぐづ/\してゐるので、ニナール姫は、その背をポンと一つつきました。ジウラ王子はフラ/\とたふれさうな足取りで、高くしげつた夏草の中を、がさ/\と分けて行きました。そして間もなくすぐ目の前に小山のやうにそびえ立つ、まつ黒なラマ塔は、小さなジウラ王子の姿を呑んでしまひました。


    三 悪事の相談

 それから十五六分もちましたらうか。ニナール姫も、さすがに心配しながら、ジウラ王子が無事で早く帰つてくるやうに祈つてをりましたが、どうしたことか、待てども待てども帰つて来ません。ニナール姫は心配で、もうぢつとしてゐられなくなりました。で、自分も、ラマ塔をめざして行きました。一足々々、ジウラ王子が、そこにたふれてはゐないかと、危ぶみながら進みました。
 いよ/\ラマ塔の入口に来ると、さすがに勇気のある姫もちよつと躊躇ちうちよしました。といふのは塔の根のところは、なか/\宏大なもので、その入口はお城の門ほど高くて、広くて、しかも、すばらしく大きな、仁王様にわうさまのやうな石像が、門の両側の柱や、壁に立つてゐるので、勇気のあるニナール姫でもぞつとするほどこはいのですから、ジウラ王子のやうな弱い人は、とても、その前を通れやうはずがない。あるひはこゝらで気絶してゐはしなからうかと、思ひながら、あたりをよく見まはしても、そんなふうもないので、ニナール姫は断然、塔の中へはいりました。ひやりとした空気が顔をなで、かびつ臭いにほひが鼻をうちました。しかし、何分、まつくらなので、足元があぶないからちよつと立ちすくんでゐましたが、フト前の方に、かすかにあかりが見えて来ました。
「あゝ、やつぱりお父様が、だれかにいひつけて、燈火あかりをおつけさせになつたんだわ。ジウラさんも、きつと、あすこにゐるでせう」
 ニナール姫は、足元をさぐり/\、そつと奥へすゝみました。すると、二三人の男の声で、何やら話してゐるのが聞えました。それがこゝらへんの言葉でないらしいので、賢い姫ははて、変だと感づいて、いよ/\そつと進んで行きますと、燈明あかりは塔の北側の部屋からもれてくることが分りました。そつと忍寄しのびよつてのぞくと、その中には、三人の、馬賊らしい、ひげモジャの男たちが、あぐらをかいて、すわつてゐました。そのうちの二人だけは入口に向かつて坐り、そばに馬のくらやら、馬具の類やら、宝石をちりばめた短剣やら、美しい手箱などが置いてありました。
「もう少し負けねえか」
と、そのうちの一人が、こちらへ後ろを向けてゐる男に言ひました。
「一銭も負からねえ」とこつちの男が、答へました。それが土地の言葉である上、何んだか声にも聞き覚えがあるやうでした。
「考えて見ろ。ブレツといや、キャラ侯のうまやのうちばかりでねえ、北満洲きたまんしう蒙古もうこきつての名馬だぞ」
「さうや、さうだが――すると、馬を渡すのはいつだい」
「明日、渡してやる」
「間違ひないな。それぢや、手附金てつけきん五十両やつて置く」
 長い赤鬚の馬賊は、ピカ/\光つた銀貨をかぞへて、そこに出しました。それを、こつちへ後ろを向けてゐる男が、受取る拍子に、ふとその横顔を見せました。
「あツ!」
 ニナール姫は思はず、小さな驚きの声をあげました。それはニナール姫の馬の世話をしてゐる馬丁のアルライだつたからです。
 アルライはニナール姫の小さな叫びをきゝつけて、すぐに戸を開けて、炬火あかりをつけました。けれども、ニナール姫はすばやく、すみの方の壁にピタリと身を押し付けましたから、見付かりませんでした。
「何んだい」と、馬賊の一人が声をかけました。
「何んだか声がしたので、又だれか来やがつたと思つたんだが、空耳だつた」
と、アルライが答へました。すると、赤鬚の馬賊が、
「あの餓鬼はどうするんだ」と、訊きました。
「あすこにはふり込んどきや、ねずみになるか、飢ゑ死にするか、どつちみちおれの秘密がもれることはない。おれも、ブレツをお前たちに渡しや、もう仕事もないから、いゝ加減、見切りをつけて、の城を立退たちのくんだ」
「だが、ただ、くたばらせるのは惜しいな。どうだ人質にして、五十でも百でも金にするからおれに売らねえか」と、その馬賊が言ひました。
「うん、そいつはいゝ考へだ。ぢや、いくらに買ふ?」
「五両ぢやどうだ」
 アルライはせゝら笑つて
「そんな金ぢあ渡せねえよ、あれでも未来は蒙古は伽什爾カジウルの王様になるのだぜ、やがては大蒙古の王様だ。それを人質にとるんだ。どんなに安くつもつても、万両の価はあるんだぞ」
「まあ話は半分と聞いて置かう。とにかく、いくらなら手放す」
「千両といひたいが、うんとまけて百両」
「高い/\五十両にしとけ!」
「さうはならねえ。いやならせ」
 ニナール姫はこの話を聞いて歯ぎしりしました。悪馬丁のアルライはニナール姫の愛馬ブレツを盗み出して、馬賊に売る約束した上、うつかり塔に入つたジウラ王子をつかまへて人質として売らうとしてゐるのでした。
「あゝ、ジウラさんに、あのピストルを渡してゐなかつたなら、アルライも二人の馬賊も、すぐ射殺して、ジウラさんを助けてあげられるのに」
 ニナール姫は、思はず懐をさぐると、短剣のつかに手がふれました。
「タクマールがしたやうに、入口に待受けて、一人づつ、これで胸を刺してやらうか」と、思ひました。けれども、相手は大の男が三人で、こちらは小さな女の児一人です。やりそこなつたら、それこそ大へんです。勇気ばかりでなく、智恵ちゑもすぐれてゐるニナール姫は、そんなぶないことをする代りに、別に安全な方法を考へ出して、アルライや、馬賊たちのすることをこつそりと見てゐました。
 悪者どもはさうとも知らず、ジウラ王子の値段を押問答してゐましたが、とう/\五十両で約束がきまつて、アルライはそのお金を受取り、馬賊の一人はあとに残つて、番をし、ほかの一人は、外の仲間をつれて来て、此処ここで買つた品物やら、ジウラ王子やらを受取つて行くことにきまりました。


    四 不敵の馬丁

 ニナール姫はアルライと一人の馬賊とが塔から出て行つたあとで、自分もこつそりと、塔を出て、走つてお城へ帰りました。
 お城ではニナール姫と、ジウラ王子との姿が見えなくなつたといふので、大騒ぎをしてゐるところだつたので、ニナール姫がひよつこりと帰つてくると、お父様は大悦おほよろこびで
「まあ、ニナール?」と、たしなめるやうに言ひました。「お前はこの夜中、何処どこへ行つたの。心配させるぢやないか。お転婆てんばもいゝ加減にするものだよ。そしてジウラは何処に、」
 ニナール姫はわざと落着いて、
「お父様、それについて大事なお話がありますの。ちよつと、お広間へ来てちやうだい」お広間へ来ると、ニナール姫は声をひそめて「あのね、とても大へんなことよ」
「何が大へんなのかい。」
「ジウラさんが、馬賊にさらはれるところよ」
「えッ、何をいふ」
「それにわたしのブレツも盗みだして、明日は売られてしまふところよ」
だれが売るのか」
「アルライが」
「お前、どうかしてゐやしないか」
「いゝえ」と、いつて、ニナール姫は今までの話を手短かにしました。するとキャラ侯はかん/\に怒つて、すぐアルライをよばうとしましたが、ニナール姫はとめました。
「まづ塔に兵隊をやつて、内からも外からも、馬賊が出入りのならぬやうにして下さい。それも中の馬賊に知られると、ジウラさんを殺すやうなことになるといけませんから、ジウラさんは、あとで、わたしたちがいつて、うまく、けいりやくで、内の馬賊を押へて置いて、それから助け出しませう。それよりもさきに、此処ここへ、守備隊長をよんで、このことを話して兵隊を二三人つれて来させ、それから厩頭うまやがしらのウラップに、アルライを此処へつれて来るやうに言付けて下さい」
 ニナール姫の手配はまるで、りつぱな警察署長のやうに、よく行きとゞいたものでした。で、お父様もすつかり感心して、そのいふとほりにしました。
 アルライは、まさか自分の悪事がつゝぬけに御主人の耳にはいつてゐるとは知りませんが、たつた今、るいことをして、帰つて来たばかりのところへ、こんな夜更けによび出されるのを不審に思つた、不安心な様子でした。
 アイチャンキャラ侯はアルライが広間へはいつてくると、まゆをつり上げて雷のやうな声でしかりつけました。
「貴様はふらちな奴だ。主人の馬を馬賊に売る約束をしたり、ジウラをかどわかして、人質にやらうとしたり、悪いことばかりをしてゐるな、こちらには一々分つとるぞ!」
 アルライはさすがに驚いて顔の色を変へました。でもくまでづう/\しく、にや/\笑ひながら
「何をおつしやるんです。そんな馬鹿ばかげたことを! だれわたしをねたむものが言つたことでせう」
「馬鹿およし」と、わきから、ニナール姫が言ひました。「わたし、お前たちが塔のなかでしてゐたことや、言つてたことを見たり、聞いたりしてゐたんですよ」
「へへへ、お姫様は夢を見ていらつしやるんでせう」
 アルライはさう言ひながら、戸口の方へそろ/\と歩るいて行きました。
「黙れ!」と、どなつたキャラ侯は、いきなり壁からむちをとり下ろして、ピシリ/\と、二度、アルライの頭を打ちました。
「畜生!」と、アルライが叫んだかと思ふと、ぴかりと何やらその手に光りました。かくしてゐた短剣をぬいたのでした。そしてキャラ侯にとびかゝりました。
「どつこい、さうは問屋で下ろさない」と、うしろから、ウラップがその手をしつかりと押へつけました。
「ハハハ、じたばたするない。手前てまいわしでもまだ羽の生えそろはない子供だ。そんな大それた真似まねをするのは、早いぞ!」
 アルライはまつかな顔をして、一生懸命にその手をもぎ放さうとしましたが、なか/\放れません。その額には、今打たれた鞭のあとが、醜くついてゐました。
 その途端、戸が開いて、守備隊長が、二人の兵をつれて、はいつて来ました。それを見ると、アルライはありつたけの力を出してウラップの手をふりきつて、みんながアツといふ間に、窓にとびのり、すぐその張り出しの上に、すつくと立ちました。下は、二十メートルばかりの高い断崖がけで、その下は底知れぬ深いふちです。けれども大胆不敵のアルライは、こつちを見返つて、そのきら/\する短剣をふりまはし、
「親も子も、よく覚えてをれ。アルライ様の仕返しが、どんなに恐ろしいかつてことを!」
 守備隊長はすぐ腰のサツクから、短銃を取り出しました。が、ドンといふ物凄ものすごい音がその手から起つた瞬間には、アルライの姿はもう深い淵へザンブととび込んでゐました。
「ちえツ! がしたか。まさか、あんなところから飛び込みはしないと思つたのは、油断だ。しかし、流れが早いから、助かりやしまい」
 守備隊長は自分で自分を慰めて、それからキャラ侯に向つて、
「閣下、鞭など使はずに、あんな悪魔は、すぐくびたたつきつておしまひなされば、ようございましたのに!」
「いや/\、あんな者を切つちや、刀の汚れだ」
と、侯は言ひながら、鞭を二つにへし折つて、別々になげすてました。


    五 袋の鼠

 塔の中では馬賊が一人、番に残つてゐました。首領が二三人手下をつれて迎へにくるのを待つてゐるのでした。
 すると、少時しばらくたつて、外で、何やら人のけはひがしたやうで、草やぶの鳴る音も聞えたやうでした。
「ハテな、迎へに来たのにしちや、少し早いぞ」と、馬賊は首をかしげました。
「ことによつたら、あの子供をお城の者がさがしにでも来たかしら」
 馬賊は目じるしにならないやうに、急いであかりを吹き消しました。このときは、実はニナール姫の指図で、武装兵がこつそりと塔を囲んだときでした。
 それから、またしばらくして、今度は、はつきり二三人の足音が聞えました。
「来た/\、いよ/\親分が来た」
 馬賊はよろこんで、また燈火あかりをつけました。そして「親分ですか」と低い声でいてみました。そのときには、足音はもう、ごく近くに来てゐました。
「うん、待たせたね」と、やみの中で、太い声が答へました。それは変でしたけれど、中の馬賊は気がつきませんでした。
「ちよつと、入口まで出てくれ」と、その声は言ひました。
「ヘイ/\。あの人質もつれて行きますか」
「いや、お前だけでいゝ」
 賊は火のついた蝋燭らふそくを手にもつて、戸口を一歩踏み出すと、たちまち、何者にか足をさらはれて、バツタリとそこにたふれました。
 そのとき、懐中電気の光りが、まばゆく目をいました。そして、しまつたと思つたときには、もうきり/\と、後ろ手にしばり上げられてゐました。
「ハハハ、うまくつり出されたな。うして置けば、ジウラ殿下はもう大丈夫です」と、守備隊長が言ひました。「いや、どうもニナール姫さまの、何から何までお気づかれるのには、恐ろしいくらゐでございます。外の方も網が張つてありますから、馬賊がくれば、すぐ捕へます」
 その言葉が終るか終らぬうちに、塔の外で、烈しい銃声が起つて、人の叫びのゝしる声や、走りはる足音がしました。それからまた二三発銃声がして、それがやむと、塔をさして、四五人の黒い人影が走つて来ました。
たれか!」
 守備隊長は入口に出て、どなりました。
「味方!」と、声がしました。つゞいて「隊長殿。賊は抵抗するので、みんな射殺いころしました」と、言ひました。
「よろしい。此処ここで取押へたやつしろいて行け。あとでしらべるから」


    六 仏像のからくり

 ニナール姫は懐中電気をつけ、まつ先きに立つて、先程、アルライや馬賊たちが、悪事の取引きをしてゐた部屋に入りました。けれども、ジウラ王子の姿は見えません。王子どころか、生きたものは、ねずみぴきもゐません。そして可なり広い室の向ふの壁に、たゞ大きなラマ仏の木像が三つ立つてゐるつきりでした。
「おや、ジウラ殿下はお見えになりませんね」と、守備隊長が、失望したやうに言ひました、
「うん、ゐないね。どうしたのだらう」と、キャラ侯も心配さうに言ひました。「ニナールの見ちがひぢやないかね」
「いゝえ、悪者どもは、たしかにの部屋にゐました。見違ひぢやありませんね。もつとも、ジウラさんの姿は見やしないんですが、どこかにかくしてあるやうに、アルライが言つてゐましたから、さがしてみませう」
「でも、隠すところがないぢやないか。別な部屋に押しこめてあるんだらう」
「いや、一時押へて置くのにまつ暗な別な部屋へ、わざ/\面倒な思ひをして、入れに行くはずがありませんわ。きつと、この部屋に、何か秘密の戸口があるのよ。あたし呼んでみませう――ジウラさん、ジウラさん!」
 ニナール姫はしきりに呼んでみますけれど、何んの答へもありません。ただ井戸の中で物を言つてゐるやうに、高い天井に反響するつきりでした。
 みんなは懐中電気やら、炬火たいまつやら、蝋燭らふそくやらを壁だの天井だのにさしつけて、秘密の出入口でもありはしないかと、しきりにさがしましたけれど、一向それらしいものが見当りません。でみんな困つてゐました。
 と、そのとき、ニナール姫が、突然叫びました。
「分つたわ。あれよ! あすこよ!」
 姫の指はゆかをさしてゐました。そこには二三寸も高く積つたほこりの上に、大きな支那靴しなぐつの跡がポタリ/\とついて、ラマ仏像の横の方へ走つてゐました。
「あの仏像が怪しいわ!」
 ニナール姫は、向つて右端の仏像をゆびさしながら、その足跡をつけて行きました。
「怪しいといつて、この仏像の中にでも、ジウラがかくしてあるといふのかい」と、キャラ侯もニナール姫について行つて、その仏像を見上げました。
 そこへ、守備隊長が来て、仏像の台坐のまはりを、手で押してみたり、たたいてみたりしましたが、ビクともしません。
「どうも、お姫様、今度はお考へがちがつたやうですね」
「いゝえ」と、ニナール姫は強く首を横に振りました。「間違ひありません。ほら、この仏像を外のとらべて御覧なさい。一目で、ちがつてゐることが分りませう」
 然し、隊長の目にも、キャラ侯の目にも、それは、外のと同じ、奇怪な、醜い、恐ろしいやうなラマ仏でしかありませんでした。
「分りませんか。これを御覧なさい」と、ニナール姫は仏像のひざのあたりから、台坐の下まで、なで下ろすやうな手附てつきをしました。「それね、あすこだけ埃がとれて、しまになつてゐるでせう。ほかの仏像は埃を一めんにかぶつて、そんな縞がないぢやないの。だから、この仏像には人がさはつた証拠よ」
「やあ、すつかり感心しました」と、守備隊長は頭を下げました。「お姫様のお目はするどいですなあ」
「なるほど、ニナール、お前はえらい。だが、仏像のどこにジウラがかくしてあるのかい」
「さあ、仏像の中か、どこか分りません。でも、あの縞が終つてゐるおなかの横に光つた小さな石が見えるでせう。多分、あれを押すと、どこか秘密の戸口があくんぢやないか知らと思ひますわ。お母様が、ラマ仏には、そんな仕掛のしたのがあるつて、お話をなさつたことをおぼえてゐますもの」
 守備隊長はすぐ仏像の台坐にのり、その光つた石を押すと、ぎつと音がして、仏像は前の方へ動き出して、あとには人のはいれるやうな穴が一つ、ゆかにあきました。
「ジウラさん!」と、叫びながら、ニナール姫はその穴に電気をさしこみのぞきました。「ジウラさん、しつかりなさいよ! 私達わたしたち、助けに来たのよ!」
 ジウラ王子は、穴の中に、ぐつたりとなつて、たふれてゐましたので、守備隊長がすぐそれを抱き上げて、牀の上にねかすと、ニナール姫はその口に手を当てがつて、息があるかを確めてみながら、
「ジウラさん、ジウラさん、しつかりしてよ! あたしよ、ニナールよ!」
と、心配さうに叫びました。けれども、ジウラ王子は目も開けなければ、動きもしません。勇敢で賢いニナール姫も、やつぱり少女です。かうなると、もう泣声になつて、
「お父様、どうしませう。ジウラさんがこのまゝ死にでもしたら、あたしが殺したやうなものですわ。どうかして頂戴ちようだいよ。早く/\」
「いや、ジウラを死なしちや、お前ばかりか、わしの責任ぢや。早く城へつれて行つて、松本まつもと先生に手当をしてもらはなけりや」
 ジウラ王子はすぐお城へ運ばれ、侯の侍医をしてゐる日本人の松本氏に診察して貰ひました。別にどうしたといふわけでもなく、ただ驚きの余り気絶してゐたのでしたから、間もなく息を吹き返しました。
 枕元まくらもとにすわつて、心配してゐたニナール姫はやつと安心しましたが、それでも、目には涙をためて、言ひました。
「ジウラさん、御免なさいね。もう、きもためしだなんて、あんな危ない目に貴方あなたを、あはしませんわ。あたし本当に馬鹿ばかだつたのねえ。でも、貴方、これから強く/\なつて、成吉斯汗ジンギスカンのやうな英雄になつて下さいね」
 ジウラ王子はそのせて、あを白い顔に熱心の紅味あかみをあらはして、うなづきました。





底本:「日本児童文学大系 第一一巻 楠山正雄 沖野岩三郎 宮原晃一郎集」ほるぷ出版
   1978(昭和53)年11月30日初刷発行
入力:鈴木厚司
校正:noriko saito
2004年8月13日作成
青空文庫作成ファイル:
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●表記について

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