登場人名
エスカラス、ローナの領主。
パーリス、領主の親族、年若き貴公子。
キャピューレット┐
├相確執せる二名族の長者。
モンタギュー ┘
キャピューレットが一族の一老人(叔父)。
ローミオー、モンタギューの息。
マーキューシオー、領主の親族にしてローミオーの友。
ベンーリオー、モンタギューの甥にしてローミオーの友。
チッバルト、キャピューレットが妻の甥。
ロレンス法師、フランシス派の僧。
ヂョン、同じ派の僧。
バルターザー、ローミオーの下人。
サンプソン(或ひはサムソン)┐
├キャピューレット家の下人。
グレゴリー ┘
ピーター、ヂューリエットが乳母の下人。
エーブラハム、モンタギューの下人。
藥種屋の老人。
樂人甲、乙、丙。
パーリスの侍童 。他の侍童 。警吏一人。
モンタギュー夫人、モンタギューの妻。
キャピューレット夫人、キャピューレットの妻。
ヂューリエット、キャピューレットの女。
ヂューリエットの乳母。
エスカラス、ローナの領主。
パーリス、領主の親族、年若き貴公子。
キャピューレット┐
├相確執せる二名族の長者。
モンタギュー ┘
キャピューレットが一族の一老人(叔父)。
ローミオー、モンタギューの息。
マーキューシオー、領主の親族にしてローミオーの友。
ベンーリオー、モンタギューの甥にしてローミオーの友。
チッバルト、キャピューレットが妻の甥。
ロレンス法師、フランシス派の僧。
ヂョン、同じ派の僧。
バルターザー、ローミオーの下人。
サンプソン(或ひはサムソン)┐
├キャピューレット家の下人。
グレゴリー ┘
ピーター、ヂューリエットが乳母の下人。
エーブラハム、モンタギューの下人。
藥種屋の老人。
樂人甲、乙、丙。
パーリスの
モンタギュー夫人、モンタギューの妻。
キャピューレット夫人、キャピューレットの妻。
ヂューリエット、キャピューレットの女。
ヂューリエットの乳母。
其他ローナの市民。兩家の親族。假裝舞踏者、門衞、
番衆、侍者等。
番衆、侍者等。
序詞役。
場所 ローナ。マンチュア。
(本文は、譯詞との釣合ひ上、固有名詞の發音に手心を加へたる部分あり。但し爰に録したるものが最も正しきに近しと知られたし。)
[#改丁]ロミオとヂュリエット
序詞役 威權 相如 く二名族 が、
かゝる
カピューレット家 の下人 サンプソンとグレゴリーとが劍 と楯 とを持 って出 る。
サン やい、グレゴリー、誓言 ぢゃ、こちとらは石炭 なんぞは擔 ぐまいぞよ、假 にも。(不面目な賤しい仕事 なんぞはすまいぞよ)。
グレ さうとも/\、そんな事 をすりゃ、奴隷 も同然 ぢゃわい。
サン いやさ、俺 が癇 に障 るが最後 、すぐにも引 ッこ拔 いてくれようといふンぢゃ。
グレ さうよなァ、頸根 ッ子 は、成 ろうなら、頸輪 (首枷 )から引 ッこ拔 いてゐるがよいてや。(罪人にはならぬがよいてや)。
サン 俺 が腹 を立 ったとなりゃ、忽 ち(敵手 をば)眞二 つにしてくれる。
(以下、口合 は邦語 に直譯 しては通 ぜざれば、意 を取 りて義譯 す。後段 にも斯 かる例 しば/\あるべし。)
グレ ところが、其 立 つまでが手間 が取 れうて。
サン 何 の、すぐ立 つわい、モンタギュー家 の飼犬 を見 たゞけでも。
グレ はて、立 つと言 へば不動 ぢゃがや。不動 は立往生 ぢゃ。出向 うて往 かけんけりゃ鬪爭 にァならぬわい。
サン はて、飼犬 を見 たゞけでも向 うてゆくわい。モンタギューの奴等 と見 りゃ、男 でも女 でも關 うたことァない。
グレ へッ、關 はいで放任 っておくのでがな、それが汝 の弱蟲 の證據 ぢゃ。
サン したり。そこで、とかく弱蟲 の女子 ばかりが玩弄 はれまするとけつかる。いや、俺 は、野郎 をば抛 り出 し、女郎 をば制裁 はう。
グレ 鬪戰 は、主人衆 や吾等 男共 のすることぢゃ。
サン いざ鬪爭 となりゃ、そんな斟酌 は要 らんこっちゃ。男共 を叩 きみじいたら、女共 をもやっつけてくれう。
グレ やっつける?
サン それ、彼奴等 の「額 」を打破 ってくれうわい。意味 は如何樣 にも取 らっせいよ。
グレ それは先方 の感 じ次第 ぢゃ。
サン はて、身 に沁々 と感 じようわい、俺 も隨分 と評判 の女 たらしぢゃに依 って。
グレ へん、魚 でなうて幸福 ぢゃわい、汝 が魚 なら、女 たらしでは無 うて總菜 の鹽大口魚 と來 てけつからう。……(一方を見て)拔 けよ(劍を)、モンタギューの奴等 が來 たわい。
サン さ、拔 いたわ、鬪爭 を買 はっせい、尻押 をせう。
グレ 何 ぢゃ! 尻 に帆 を掛 ける?
サン 心配 すない。
グレ 何 の、汝 を!
サン 此方 の非分 にならぬやうに、先方 から發端 けさせい。
グレ 行違 ふ途端 に睨 みつけてくれう、如何 思 やがらうと關 ふものかえ。
サン うんにゃ、如何 爲 やがらうと關 ふものかえ。俺 は指 の爪 を噛 んでくれう、それで默 ってゐりゃ恥 さらしぢゃ。
エブラ お手前 は吾等 に對 うて指 の爪 を噛 まっしゃったな?
サン 如何 にも爪 を噛 みまする。
エブラ 吾等 に對 うて噛 まっしゃるのか?
サン (グレゴリーを顧みて)然 と言 うても、理分 か?
グレ いゝや。
サン (エブラに對ひて)いゝや、足下 たちに對 うて噛 みはせんが、噛 む。
グレ こりゃ鬪爭 を賣 らっしゃるのぢゃな?
エブラ 鬪爭 ! いや、決 して。
サン 鬪爭 なら敵手 にならう。汝等 には負 けんぞ。
エブラ 勝 ちもすまい。
サン むゝ。……
と詰 る。此時 上手 よりモンタギューの親族 ベンーリオー出 る。
グレ (サンプソンに對ひ、小聲にて)勝 つわいと言 はっせい。(下手を見やりて)あそこへ殿 の親族 の一人 が來 せた。
サン うんにゃ、勝 つわい。
エブラ を吐 け。
サン 拔 け、男 なら。グレゴリー、えいか、頼 むぞよ、しっかり。
サンプソンとエブラハムと劍 を拔 いて戰 ふ。ベンーリオー此 體 を見 て駈 け來 り、劍 を拔 き、割 って入 る。
ベン 待 った/\! 藏 めい劍 を。こゝな向不見 が。
カピューレット長者 の甥 チッバルト下手 より出 る。
チッバ やア、下司 下郎 を敵手 にして汝 は劍 を拔 かうでな? ベンーリオー、こちを向 け、命 を取 ってくれう。
と劍 を拔 く。
ベン いや、これは和睦 させうためにしたことぢゃ。劍 を藏 めい、でなくば、其 劍 を以 て予 と共 に、こいつらを引分 けておくりゃれ。
チッバ 何 ぢゃ、拔 いてゐながら、和睦 ぢゃ! 和睦 といふ語 は大嫌 ひぢゃ、地獄 ほどに、モンタギューの奴等 ほどに、汝 ほどにぢゃ。卑怯者 め、覺悟 せい!
警吏長 棍棒組 よ、戟組 よ! 打 て/\! 打据 ゑいカピューレットを! モンタギューを打据 ゑい!
カピューレット長者 寢衣 のまゝにて、其 妻 カピューレット夫人 はそれを止 めつゝ、出 る。
カピ長 此 騷動 は何事 ぢゃ? やア/\、予 が長 い劍 を持 て、長 い劍 を。
カピ妻 杖 をば、杖 をば! 何 の爲 に長 い劍 を?
カピ長 えい、劍 ぢゃといふに。見 いあれを、モンタギューの長者 めが來 をって、俺 に見 よがしに刃 を揮 りをる。
モンタギュー長者 白刃 を堤 げ、其 妻 モンタギュー夫人 それを止 めつゝ、出 る。
モン長 おのれ、カピューレットめ!……とめるな、放 せ。
モン妻 鬪 はう爲 になら、一歩 でも出 させますな。
領主 やア、平和 を亂 す暴人 ども、同胞 の血 を以 て刃金 を穢 す不埓奴 ……聽 きをらぬな?……やア/\、汝等 、邪 まなる嗔恚 の炎 を己 が血管 より流 れ出 る紫 の泉 を以 て消 さうと試 むる獸類 ども、嚴罰 を怖 るゝならば、其 血腥 い手 から兇暴 の劍 を抛 ち、怒 れる領主 が宣言 を聽 け。カピューレットよ、モンタギューよ、汝等 二人 の由 も無 き爭論 が原 となって、同胞 の鬪諍 既 に三度 に及 び、市内 の騷擾 一方 ならぬによって、當 ローナの故老共 、其身 にふさはしき老實 の飾 を脱棄 て、何 十年 と用 ひざりしため、古 び錆 びついたる戟共 を同 じく年老 いたる手々 に把 り、汝等 が心 に錆 びつきし意趣 の中裁 に力 を費 す。爾後 再 び公安 を亂 るに於 ては汝等 が命 は無 いぞよ。今日 は餘 の者共 は皆 立退 れ、カピューレットは予 に從 ひ參 れ。モンタギュー、其方 は、此 午後 に、尚 ほ申 し聞 かすこともあれば、裁判所 フリータウンへ參向 せい。更 めて申 すぞ、命 が惜 しくば、皆 立退 れ。
モンタギュー夫婦 とベンーリオーだけ殘 りて皆 入 る。
モン長 此 舊 い爭端 をば何者 が新 しう發 きをったか? 甥 よ、おぬしは最初 から傍 にゐたか?
ベン いや、私 が參 った頃 には、敵 の下人 と御家來衆 とがもう既 に戰 うてをりました。それを引分 けうとて拔劍 きましたる途端 に、彼 のチッバルトの我武者 めが劍 を拔 いて駈付 け、鬪戰 を挑 み、白刃 を揮 し、徒 らに虚空 をば斫 りまする程 に、風 は習々 と音 を立 てゝ彼 れが不覺 を嘲 る風情 。かくて互 ひに衝 いつ撃 っつの折 から、おひ/\多人數 馳加 はり、左右 に別 れて戰 ふ處 へ、領主 が見 えさせられ、左右 なく引別 と相成 りました。
モン妻 おゝ、ロミオは何處 に?(ベンーリオーに)今日 そなた逢 はしましたか? 此 騷動 に關係 うてゐなんだは、ま、何 よりも喜 ばしい。
ベン さア、今朝 、東 の金 の窓 から朝日影 のまだ覗 きませぬ頃 、胸 の悶 を慰 めませうと、郊外 に出 ましたところ、市 からは西 に當 る、とある楓 の杜蔭 に、見 れば、其樣 な早朝 に、御子息 が歩 いてござる、近 づけば、それと見 て取 り、忽 ちのうちに杜 の繁 みへ。人目 を避 くるは相身互 ひ、浮世 を煩 う思 ふ折 には、身一 つでさへも多 いくらゐ、強 ち同志 を追 はずともと、只 もう己 が心 の後 をのみ追 うて、人目 を避 くる其人 をば此方 からも避 けました。
モン長 げに、幾朝 も/\、未 乾 ぬ露 に涙 を置添 へ、雲 には吐息 の雲 を加 へて、彷徨 いてゐるのを見掛 けたとか。されども遠 い東方 の、曙姫 の寢所 から、あの活々 した太陽 が小昏 い帳 を開 けかくれば、重 い心 の倅 めは其 明 るさから迯戻 り、窓 を閉 ぢ、日 を嫌 うて、我 れから夜 をば製 りをる。良 い分別 をして此 病 の根 を絶 たねば、一定 、忌 はしい不祥 の基 。
ベン で叔父上 には其 根 を御 ぞんじでござりますか?
モン長 いや、知 りもせねば、知 らせもせぬわい。
ベン 質問 して御覽 じたことがござりますか?
モン長 予 はもとより、親 しい誰 れ彼 れにも探 らせたれども、倅 めは、只 もう其 胸 の内 に、何事 をも祕 し隱 して、いっかな餘人 には知 らせぬゆゑ、探 ることも發見 すことも出來 ぬ有樣 ――それが身 の爲 にならぬのは知 れてあれど――可憐 けな蕾 の其 うるはしい花瓣 が、風 にも開 かず、日光 にもまだ照映 えぬうちに、意地惡 の螟蛉 めにあさましう食 まれてしまふやうに。彼 れが愁歎 の源 さへ知 れゝば、直 にも療治 したう思 ふのぢゃが。
ベン あれ、あそこへロミオどのが。お避 しなされませ。私 が聞質 して見 ませう。どうしても拒 まッしゃらうかも知 れぬが。
モン長 それが首尾 よう自白 けさせる役 に立 てばよいが。……奧 、さ、參 らう。
モンタギュー夫婦 入 る。ロミオ近 づく。
ベン や、お早 うござる。
ロミオ そんなに早 うござるか?
ベン 今 九時 を打 ったばかり。
ロミオ あゝ/\、味氣無 い時間 は長 い。……今 急 いで去 んだは予 の父 でござったか?
ベン いかにも。どういふ味氣 ない事 があって、時 を長 いとは被言 る?
ロミオ 得 れば時 が短 うなるが、其物 が得 られぬゆゑ。
ベン 戀 ぢゃな?
(此 あたりも、一問 、一答 こと/″\く口合式 の警句 にして、到底 、原語通 りには譯 しがたきゆゑ、義譯 とす。)
ロミオ 人 の爲 に……
ベン 戀人 の爲 に?
ロミオ 戀 ひ焦 るゝ效 もなく、其人 の爲 に蔑視 まれて。
ベン やれ/\、柔和 しらしう見 ゆる彼 の戀 めが、そんな酷 いことや手荒 いことをしますか?
ロミオ あゝ/\! 戀 めは始終 目隱 しをしてゐて、目 は無 けれども存分 其 的 をば射 とめをる!……え、何處 で食事 をしようぞ?……(四下 を見して)あゝ/\! こりゃまア何 といふ淺 ましい騷擾 ? いや、其 仔細 はお言 やるには及 ばぬ、殘 らず聞 いた。是 れ皆 憎 いが原 とは言 へ、可愛 いにも深 い/\縁 がある……すれば是 りゃ憎 みながらの可愛 さ! 可愛 いながらの憎 さといふもの! 無 から出 た有 ぢゃ! 悲 しい戲 れ、沈 んだ浮氣 、目易 い醜 さ、重 い羽毛 、白 い煤 、冷 い火 、健康 な病體 、醒 めた眠 ! あゝ、有 りのまゝとは同 じでない物 ! 恰 ど其樣 な切 ない戀 を感 じながら、戀 の誠 をば感 ぜぬ切 なさ!……何 で笑 ふンぢゃ?
(斯 くの如 き對照式 の綺語 ――技巧的 な比喩語 ――を竝 ぶることはシェークスピヤの青年期 にはイギリス文壇 の流行 なりしなり。以下 にも同例 多 し。)
ベン 何 の、泣 いてゐるぢゃ。
ロミオ 泣 くとは、何故 に?
ベン その歎 きを思 ひやって。
ロミオ はて、それは深切 の爲過 し。いっそ迷惑 。おのが心痛 ばかりでも心臟 が痛 うなるのに、足下 までが泣 いてくりゃると、一段 と胸 が迫 る。足下 の同情 は多過 ぎる予 の悲痛 に、只 悲痛 を添 へるばかり。戀 は溜息 の蒸氣 に立 つ濃 い煙 、激 しては眼 の裡 に火花 を散 らし、窮 しては涙 の雨 を以 て大海 の水量 をも増 す。さて其外 では、何 であらうか? 性根 の亂 れぬ亂心 ……息 の根 をも杜 むる苦 い物 。……命 を砂糖漬 にする程 の甘 い物 。さらば。
ベン まったり! 一しょに行 かう。予 を棄 てゝ行 くとはひどい。
ロミオ とうに棄 てゝしまうた身 ぢゃ。予 は爰 にはゐぬ、これはロミオでは無 い、ロミオは何處 か他所 にゐよう。
ベン いや、眞實 の白状 をなされ、こなたが戀 ひ慕 ふ人 とは誰 れぢゃ?
ロミオ 白状 せいとは、予 に拷問 の苦痛 をさせうとてか?
ベン 拷問 ! 何 の、只 まッすぐに自白 なされといふのぢゃ。
ロミオ はて、それは病人 の遺言 を白状 と呼 ぶやうなもの、わるい上 にわるい異名 ! が、白状 せう、予 には戀女 がある。
ベン 戀 と睨 んだ時 に、それ程 は見拔 いてゐた。
ロミオ ても偉 い射手 ぢゃの! そして其 女 は誰 れが目 にも立 つ美人 。
ベン 目 に立 つ的 ならば、射落 すことは容易 からう。
ロミオ はて、其 覘 は外 れた。戀愛神 の弱弓 では射落 されぬ女 ぢゃ。處女神 の徳 を具 へ、貞操 の鐵 の鎧 に身 を固 めて、戀 の稚 い孱弱矢 なぞでは些小 の手創 をも負 はぬ女 。言寄 る語 に圍 まれても、戀 する眼 に襲 はれても、いっかな心 を動 かさぬ、賢人 を墮落 さする黄金 にも前垂 をば擴 げぬ。おゝ、限 りない美 しさには富 みながら、其 美 しさは只 一代限 り、死 ねば種 までも盡 くるとは、貧乏 い/\運命 !
ベン では其 女 は嫁入 はせぬと誓 うたのぢゃな?
ロミオ いかにも。其 物吝 みが甚 い損失 。折角 の美 しさも、其 偏屈 ゆゑに餓死 をして、其 美 しさを子孫 には能 う傳 へぬ。美 しうて、賢 うて、予 を思 ひ死 さする程 に賢過 ぎた美人 ゆゑ、恐 らくは冥利 が盡 き、よもや天國 へは登 れまい。彼女 が戀 はせぬと誓 うたゝめ、予 は斯 うして物 を言 うてゐるものゝ、生 きながら死 んでゐるのぢゃ。
ベン ま、予 の言 ふことを聽 いて、其 女 をばお忘 れなされ。
ロミオ おゝ! 教 へてくれい、どうしたら忘 れられるか?
ベン もッと目 に自由 を與 へて、あちこちの他 の美人 を見 たらよからう。
ロミオ 他 のと較 ぶれば彌 彼女 をば絶美 ぢゃと言 はねばならぬことになる。美人 の額 に觸 るゝ彼 の幸福 な假面 どもは、孰 れも黒々 と製 ってはあれど、それが却 って其 底 の白 い面 を思出 さする。目 を失 した男 が、其 失 した目 といふ寶 をば忘 れぬ例 。如何 な拔群 な美人 をお見 せあっても、それは只 其 拔群 な美 をも拔 く拔群 な美人 を思出 さす備忘帳 に過 ぎぬであらう。さらば。忘 るゝ法 を教 ふることは足下 の力 では出來 ぬ。
ベン 教 へかたの不足 は其中 に償 はう、借 りたまゝでは死 ぬまいぞ。
カピューレット長者 を先 に、年若 き貴公子 パリス(下人 一人 從 いて)出 る。
カピ長 モンタギューとても右 同樣 の懲罰 にて謹愼 を仰附 けられた。したが、吾々 老人 に取 っては、平和 を守 ることはさまで困難 しうはあるまいでござる。
パリス 何 れも名譽 の家柄 であらせらるゝに、久 しう確執 をなされたはお氣 の毒 な儀 でござった。時 に、吾等 が申入 れた事 の御返答 は?
カピ長 先度 申 した通 りを繰返 すまでゞござる。何分 にも世間 知らず、まだ十四度 とは年 の變移目 をば見 ぬ女 、せめてもう二夏 の榮枯 を見 せいでは、適齡 とも思 ひかねます。
パリス 姫 よりも若 うて、見事 、母親 になってゐるのがござるのに。
カピ長 いや、速 う成 るものは速 う壞 るゝ。末 の頼 みを皆 枯 し、只 一粒 だけ殘 った種子 、此土 で頼 もしいは彼兒 ばかりでござる。さりながら、パリスどの、先 づ言寄 って女 の心 をば動 かしめされ。彼女 の諾否 が肝腎 、吾等 の意志 は添物 、女 が諾 く上 は吾等 の承諾 は其 取捨 の外 には出 ませぬ。今宵 、家例 に因 り、宴會 を催 しまして、日頃 別懇 の方々 を多勢 客人 に招 きましたが、貴下 が其 組 に加 はらせらるゝは一段 と吾家 の面目 にござる。今宵 、陋屋 にて、地 を蹈 む明星 が群 れ輝 き、暗天 をさへも明 う照 らすを御覽 あれ。譬 へば、緩漫 い冬 の後 へに華 かな春 めが來 るのを見 て、血氣壯 な若 い手合 が感 ずるやうな樂 しさ、愉快 さを、蕾 の花 の少女 らと立交 らうて、今宵 我家 で領 せられませうず。悉 く聽 き、悉 く視 て、さて後 に最 ち價値 のあるのを取 らッしゃれ。熟 と觀 らるゝと、女 も其 一人 として數 には入 ってゐても、勘定 には入 らぬかも知 れぬ。さゝ、一しょにござれ。……(下人に)やい、汝 はローナ中 を駈 って(書附を渡し)爰 に名前 の書 いてある人達 を見附 けて、今宵 我 邸 で懇 に御入來 をお待 ち申 すと言 へ。
カピューレット長者 とパリスと入 る。
下人 こゝに名前 の書 いてある人達 を見附 けい! えゝと、靴屋 は尺 で稼 げか、裁縫師 は足型 で稼 げ、漁夫 は筆 で稼 げ、畫工 は網 で稼 げと書 いてあるわい。こゝに名前 の書 いてある人達 を見附 けて來 いと言附 かったが、書手 が如何樣 な名前 を書 きをったやら、こりゃ一向 に見附 からぬわい。學者 の處 へ往 かにゃならぬ。……(一方を見て)お、ちょうどよい。
ベンーリオー先 にロミオ從 いて出 る。
ベン 馬鹿 な! そこがそれ、火 は火 で壓 へられ、苦 は苦 で減 ぜられる例 ぢゃ。逆 に囘轉 ると目 が眩 うたのが癒 り、死 ぬる程 の哀愁 も別 の哀愁 があると忘 れらるゝ。新 しい毒 を目 に染 ませて舊 い毒 を拔 くがよい。
ロミオ それには車前草 が一ち好 からう。
ベン それとは?
ロミオ 脛 の傷 には。
ベン ローミオー、貴下 は氣 が狂 うたのか?
ロミオ 氣 は狂 はぬが、狂人 よりも辛 い境界 ……牢獄 に鎖込 められ、食 を斷 たれ、笞 たれ、苛責 せられ……(下人の近づいたのを見て)や、機嫌 よう。
下人 はい、御機嫌 ようござりませ。旦那 は能 う讀 まッしゃりますか?
ロミオ いかにも……不幸 に逢 ふて、身 の不運 を解 むわい。
下人 はて、その樣 な事 は書 が無 くても知 れましょ。いや、眼 で讀 むものをば讀 まッしゃりますかと聞 きますのぢゃ。
ロミオ さア、其 文字 や其 言語 を知 ってをればなう。
下人 正直 なことを言 はっしゃる。御機嫌 ようござらっしゃりませ!
ロミオ まて/\、讀 めるわい。
マーチノー殿 、同じく夫人 及 び令孃方 。アンセルム伯 、同 じく美 しき令妹達 。トルーオー殿 後室 。
プラセンシオー殿 、同 じく可憐 なる姪御達 。マーキューシオー、同 じく舍弟 レンタイン。
叔父御 カピューレット殿 、同 じく夫人 、同 じく令孃達 。麗 しき姪 のローザライン。リヤ。
レンシオー殿 、同 じく令甥 チッバルト。リューシオー及 び快活 なるヘレナ。
プラセンシオー
レンシオー
下人 えゝ、あの……
ロミオ え、あの夜會 にか?
下人 手前方 へ。
ロミオ 手前方 とは?
下人 主人方 へ。
ロミオ いかさま、それを眞先 に問 ふべきであった。
下人 問 はっしゃらいでも申 しませう。手前 主人 はカピューレット長者 でござります。若 し貴下 がモンタギュー家 の方 でござらっしゃらぬならば、來 せて酒杯 を取 らッしゃりませ。御機嫌 ようござりませう!
ベン 其 カピューレットの例會 に、足下 の戀 ひ慕 ふローザラインが、此 ローナで評判 のあらゆる美人達 と同席 するは良 い都合 ぢゃ。そこへ往 て、昏 まぬ目 で、予 が見 する或 顏 とローザラインのとをお見比 べあったら、白鳥 と思 うてござったのが鴉 のやうにも見 えうぞ。
ロミオ 信仰 の堅 い此 眼 に、假 にも其樣 な不信心 が起 るならば、涙 は炎 とも變 りをれ! 何度 溺 れても死 にをらぬ此 明透 る異端 め、 を言 うた科 で火刑 にせられをれ! 何 ぢゃ、予 の戀人 よりも美 しい! 何 もかも見通 しの太陽 でも、現世 創 って以來 、又 とは彼女程 の女 をば見 なんだのぢゃ。
ベン さ、傍 に誰 れも居 ず、右 の目 にも左 の目 にもローザラインばかりを懸較 べておゐやった時 には、美 しうも見 えつらうが、其 水晶 の秤皿 に、今宵 予 が見 する或 目 ざましい美人 を懸 けて、さて後 に、其 戀姫 どのと貫目 を較 べて御覽 じたなら、今 は最 ち善 う見 ゆるのが最早 善 うは見 えまいぞや。
ロミオ それを見 たうは無 けれど、自分 のゝ美麗 さを見 ようために、一しょに往 かう。
カピューレット夫人 を先 に、乳母 從 いて出 る。
カピ妻 乳母 よ、女 は何處 にゐます? 呼 んでくりゃれ。
乳母 はれま、十二の年 の清淨潔白 を賭 けますがな、ござれと善 う言 うておいたに。……(奧に向ひて)もしえ、羊兒 さん! もしえ、姫鳥 さん!……鶴龜々々 !……あのお兒 は何處 へ往 かッしゃったか!……もしえ、ヂュリエットさま!
ヂュリエット出 る。
ヂュリ 何 え! 呼 びゃるのは誰 れぢゃ?
乳母 お母 さまぢゃ。
ヂュリ はい、母 さま。何御用 ?
カピ妻 用 とは斯 うぢゃ。乳母 や、ちっとの間 退席 してたも、内密 の話 ぢゃによって。……いや/\、乳母 、戻 りゃ、一通 り聽 いておいて貰 うたはうがよかった。知 っての通 り、女 の齡 も喃 、既 おひ/\適齡 ぢゃ。
乳母 はい/\、存 じてをりますとも、孃 さまの年齡 なら、何時間 と言 ふことまで。
カピ妻 まだ眞實 の十四にはなりませぬ。
乳母 ならっしゃりませぬとも、此 齒 を十四本 賭 けますがな……と言 うても、其 十四本 が、ほんに/\、もう只 四本 しかござりませぬわい。……初穗節 (八朔)までは最早 幾日 でござりますえ?
カピ妻 二週間 と零餘 が幾 らか。
乳母 零餘 が如何 あらうと、一年 三百六十日 の中 で、初穗節 の夜 になれば、恰 どお十四にならッしゃります。スーザンと孃 とは……南無 あみだぶ……同 い齡 でござりました。スーザンは神樣 のお傍 に居 りまする、私 には過 ぎた奴 でござりましたが。……それはさうと、只今 申 しました通 り、初穗節 の夜 になると、恰 どお十四にならッしゃります、大丈夫 でござります、はい、善 う記 えて居 りまする。地震 があってから恰 ど最早 十一年目 ……忘 れもしませぬ……一年 三百六十日 の中 で、はい、其日 に乳離 れをなされました。妾 が乳首 へ苦艾 を塗 って鳩小舍 の壁際 で日向 ぼっこりをして……殿樣 と貴下 はマンチュアにござらしゃりました……いや、まだ/\耄 きゃしませぬ。それはさうと、只今 も申 しました通 り、妾 の乳 の尖所 の苦艾 を嘗 めさっしゃると、苦 いので、阿呆 どのがむづかって、乳 をなァ憎 がって! すると鳩小舍 が、がた/\/\。わしに出 て行 けといふにゃ及 ばんと思 うてゐたのに。……それから既 十一年 、其時 になァ單身立 をさっしゃりましたぢゃ、いや、眞 の事 、彼方此方 と駈 らッしゃって、恰 ど其 前 の日 に小額 に怪我 さッしゃって……其時 亡夫 が……南無安養界 ! 面白 い人 でなァ……孃 を抱起 して「これ、俯向 に轉倒 ばしゃったな? 今 に一段 怜悧者 にならッしゃると、仰向 に轉倒 ばっしゃらう、なァ、孃 ?」と言 ふとな、ま、いかなこと、此 お兒 がいの、ふいと啼止 っしゃって、「唯 」ぢゃといの。(笑ふ)戲談 が今 となって眞 の事 になったと思 ふと! ほんに/\、千年 生 きたとても、これが忘 れられることかいな。「仰向 に轉倒 ばっしゃらう、なァ、孃 」と言 ふと、阿呆 どのが啼止 って、「唯 」ぢゃといの。(笑ふ)
カピ妻 もうよう、もうよい、お默 り。
乳母 はい/\、默 りまする、でもな、笑 はいではをられませぬ、啼 くのを止 めて、「唯 」と言 はッしゃったと思 ふと。でもな、眞實 に小額 の處 に雛鷄 のお睾丸程 の大 きな腫瘤 が出來 ましたぞや、危 いことよの、それで甚 う啼入 らッしゃった。亡夫 が「これ、俯向 に轉倒 ばしゃったか? 今 に適齡 にならッしゃると仰向 に轉倒 ばッしゃらう、なァ、孃 ?」といふとな、啼止 って「唯 」ぢゃといの。(笑ふ)。
ヂュリ そして汝 も默 りゃ。默 ってたも、と言 へば。
乳母 はい/\、もうしまひました。南無冥加 あらせたまへ! 多勢 育 てた嬰兒 の中 で最 ち可憐 であったはお前 ぢゃ。其 お前 の御婚禮 を見 ることが出來 れば、予 の本望 でござります。
カピ妻 さ、其 婚禮 の事 を話 さうとしたのぢゃ。むすめよ、そもじは婚禮 がしたいか、どうぢゃ?
ヂュリ 其樣 な名譽事 は、わしゃまだ夢 にも思 ふてゐぬ。
乳母 ま、名譽事 といの! わしばかりが乳 を献 げたので無 かったなら、其 智慧 は乳 から入 ったとも言 ひませうずに。
カピ妻 ならば、今 、よう思 ふて見 や、そもじよりも年下 の姫御前 で、とうに、此 ローナで、母親 におなりゃったのもある。わしも、今 思 へば、そもじと同 じ程 の年齡 に嫁入 って、そもじを生 けました。摘 まんで言 へば、斯 うぢゃ、あのパリス殿 がそもじを内室 にしたいといの。
乳母 ま、あのよな! 姫 さまえ、あのよなお方 、世界中 の女衆 が……ほんに奇麗 な、蝋細工 見 たやうな。
カピ妻 此 ローナに夏 が來 ても、あのやうな花 は咲 かぬ。
乳母 ほんとに花 ぢゃ、眞實 の活 きた花 ぢゃ。
夫人 どうぞいの、あのやうなお方 を可愛 しいと思 はぬか? 今宵 の宴會 には彼方 も見 ゆる筈 、パリス殿 の顏 といふ一卷 の書 を善 う讀 んで、美 の筆 で物 してある懷 しい意味 をば味 はや。顏中 のどこも/\釣合 が善 う取 れて、何一 つ不足 はないが、萬 一にも、呑込 めぬ不審 があったら、傍註 ほどに物 を言 ふ眼附 を見 や。したが、此 戀 の一卷 に只一 つ足 らはぬことゝいふは、表紙 がまだ附 かず、美 しう綴 ぢても無 い。魚 はまだ沖中 にぢゃ。總 じて内 の美 を韜 むは外 の美 の身 の譽 れ、金玉 の物語 を金 の鈎子 に抱 かすれば、誰 が目 にも立派 な寶物 。彼君 の有 たせます限 りの物 がそもじのとなることゆゑ、嫁入 しやればとて、其方 に何 の損 も無 いのぢゃ。
乳母 損 どころかいな! 女子 は男 ゆゑに肥 りますわいの。
カピ妻 さ、ちゃッと言 や、パリス殿 をお好 きゃることが出來 るか?
ヂュリ さア、好 いても見 ませう、見 て好 かるゝものなら。とはいへ、わたしの目 の矢頃 は、母 さまのお許 しをば限 りにして、それより強 うは射込 まぬやうにいたしませう。
下人 お方 さま、お客人 も渡 らせられ、御膳部 も出 ました、貴下 をばお召 、姫 さまをばお尋 ね、乳母 どのはお庖厨 で大小言 、何 もかも大紛亂 。小僕 めはこれからお給仕 に參 らにゃなりませぬ。すぐにいらせられませい。
カピ妻 すぐ行 こ。(下人入 る)……ヂュリエットや、さ、若伯 が待 ってぢゃ。
乳母 さ、早 う往 て、嬉 しい晝 に嬉 しい夜 をば添 へさっしゃれ。
ロミオ 何 と、例 の通 りに斷口上 を言 うて入場 ったものか、但 しは無 しにせうか?
ベン あのやうな冗繁 いことは最早 流行 らぬ。肩飾 で目飾 をしたキューピッドに彩色 した韃靼形 の小弓 を持 たせて、案山子 のやうに、娘達 を追 さするのは最早 陳 い。それから後見 に附 けて貰 うて、覺束無 げに例 の入場 の長白 を述 べるのも嬉 しう無 い。先方 が如何 思 はうとも、此方 は此方 で、思 ふ存分 に踊 りぬいて還 らう。
ロミオ (炬火持に對ひ)俺 に炬火 を與 れい。俺 には迚 も浮 かれた眞似 は出來 ぬ。餘 り氣 が重 いによって、寧 そ明 いものを持 たう。
マーキュ いや/\、ロミオどん、是非 とも足下 を踊 らせねばならぬ。
ロミオ いや/\、滅相 な。足下 の舞踏靴 の底 は輕 いが、予 の心 の底 は鉛 のやうに重 いによって、踊 ることはおろか、歩 きたうもない。
マーキュ はて、足下 は戀人 ではないか? すればキューピッドの翼 でも借 りて、鴉 や鳶 のやうに翔 ったがよからう。
ロミオ 彼奴 の箭先 かゝってゐるゆゑ、翼 を借 りたとても翔 られぬわい、鳶 や鴉 のやうにも飛 べず、悲 しい思 ひに繋 がれてゐるゆゑ、鷹 のやうに高 うも飛 べぬ。戀 の重荷 に壓伏 けらるゝばかりぢゃ。
マーキュ 何 ぢゃ、壓伏 ける? あの戀 に重荷 を? さりとは温柔 しい者 を慘酷 しう扱 うたものぢゃ。
ロミオ なに、戀 を温柔 しい? 温柔 しいどころか、粗暴 な殘忍 い者 ぢゃ。荊棘 のやうに人 の心 を刺 すわい。
マーキュ はて、戀 めが殘忍 いことをすれば、此方 からも殘忍 うしたがよい。刺 しをったら、此方 からも刺 して、壓倒 したがよい。(從者を顧みて)……面 を隱 す假面 を與 れ。
ベン さア/\、敲戸 いて入 ったり。入 ったらば、直 一しょに踊 り出 さうぞよ。
ロミオ (從者にむかひ)俺 には炬火 を與 れ。氣 の輕 い陽氣 な手合 は、舞踏靴 の踵 で澤山 無感覺 な燈心草 を擽 ったがよい。俺 は、祖父 の訓言通 り、蝋燭持 をして高見 の見物 。「好 い目 が出 た時 、中止 めるは老巧者 」ぢゃ。
(舞踏室 又 は客室 の床上 に刈 り集 めたるばかりの燈心草 (藺 )を敷 きしは當時 の上流 の習 はしなり。)
マーキュ へん「黒 い鼠 」と來 りゃ夜警吏 の定文句 ぢゃが、もしも足下 が「黒馬 」なら、「沼 」からではなく、はて、恐惶 ながら、足下 が首 ッたけ沒 ってゐる戀 の淵樣 から引上 げてもやらうに。……(皆々に對ひ)おい、どうした? こりゃ晝 の炬火 ぢゃわ。(むだな費 えぢゃ。)
ロミオ 何 の其樣 なことが。
マーキュ はて、斯 う愚圖 ついてゐるのは、晝間 炬火 を燃 けてゐるも同然 と言 ふのぢゃ。これ、善 い意味 に取 りゃれ。五智 に只 一度 ッきりといふのが分別智 ぢゃが、善 い意味 の事 になら、分別智 が常 に五度 も働 く。
ロミオ さア、會 へ行 かうとはわるい意味 でもなからう、が、行 くのは智慧者 の所爲 ではない。
マーキュ とは何故 に?
ロミオ 昨夜 予 は夢 を見 た。
マーキュ 俺 も見 た。
ロミオ そして足下 の夢 は?
マーキュ 空想家 は囈言 や空言 を言 ふのが癖 ぢゃといふことを。
ロミオ 囈言 や空言 の中 にも動 かぬ眞理 が籠 ってゐる。
マーキュ おゝ、それならば、あの、足下 は昨夜 はマブ媛 (夢妖精)とお臥 やったな! 彼奴 は妄想 を産 まする産婆 ぢゃ、町年寄 の指輪 に光 る瑪瑙玉 よりも小 さい姿 で、芥子粒 の一群 に車 を牽 せて、眠 ってゐる人間 の鼻柱 を横切 りをる。其 車 の輻 は手長蜘蛛 の脛 、天蓋 は蝗蟲 の翼 、※ [#「革+引」、40-5]は姫蜘蛛 の絲 、頸輪 は水 のやうな月 の光線 、鞭 は蟋蟀 の骨 、其 革紐 は豆 の薄膜 、御者 は懶惰 な婢 の指頭 から發掘 す彼 の圓蟲 といふ奴 の半分 がたも無 い鼠裝束 の小 さい羽蟲 、車體 は榛 の實 の殼 、それをば太古 から妖精 の車工 と定 ってゐる栗鼠 と とが製 りをった。さて、此樣 な行裝 で、彼奴 が毎夜々々 、戀人共 の頭腦 の中 を馳 ると、それが忽 ち種々 の夢 となる。廷臣 の膝 を走 れば平身低頭 の夢 となり、代言人 の指 を走 れば忽 ち謝金 の夢 となり、美人 の唇 を走 れば忽 ち接吻 の夢 となる。……其 唇 を、時 とすると、マブめ、腹 を立 って水腫 に爛 れさせをる、息 が香菓子 で臭 いからぢゃ。或 ひはまた廷臣 の鼻 の上 を走 る、と叙任 を嗅出 す夢 を見 る、或 ひは獻納豚 の尻尾 の毛 で牧師 の鼻 を擽 ると、僧 め、寺領 が殖 えたと見 る。或 ひは兵卒 の頸筋元 を駈 る、すると敵 の首 を取 る夢 やら、攻略 やら、伏兵 やら、西班牙 の名劍 やら、底拔 の祝盃 やら、途端 に耳元 で陣太鼓 、飛上 る、目 を覺 す、おびえ駭 いて、一言二言 祈 をする、又 就眠 る。乃至 は眞夜中 に馬 の鬣 を紛糾 らせ、又 は懶惰女 の頭髮 を滅茶滅茶 に縺 れさせて、解 けたら不幸 の前兆 ぢゃ、なぞと氣 を揉 まするもマブが惡戲 。或 ひは娘共 が仰向 に臥 てゐる時分 に、上 から無上 に壓迫 けて、つい忍耐 する癖 を附 け、難 なく強者 にしてのくるも彼奴 の業 。乃至 は……
ロミオ しッ/\、もう止 めた、止 めた! 足下 は意義 もないことをばかりお言 やる。
マーキュ さもさうず、夢 の話 ぢゃ。夢 は空想 の兒 で、役 に立 たぬ腦 から生 るゝ。そも/\空想 は、空氣 よりも仄 なもので、今 は北國 の結氷 に言寄 るかと思 へば、忽 ち腹 を立 てゝ吹變 って、南 の露 に心 を寄 するといふ其 風 よりも浮氣 なものぢゃ。
ベン 其 風 に似 た浮 れ話 に、大分 の時 が潰 れた。ようせぬと、夜會 が果 てゝ、時後 れになってしまはう。
ロミオ (獨語のやうに)俺 はまた早 まりはせぬかと思 ふ。運 の星 に懸 ってある或 怖 しい宿命 が、今宵 の宴 に端 を開 いて、世 に倦 み果 てた我 命數 を、非業無慚 の最期 によって、絶 たうとするのではないか知 らぬ。とはいへ、一生 の航路 をば一 へに神 に任 した此身 !……(一同に對ひ)さ、さ、元氣 な人達 。
ベン 打 て、太鼓 を。
一同 揃 うて入 る。
甲給仕 ポトパンは何處 へ往 せた? かたづける手傳 ひをしをらぬ。かたづけ役 の癖 に! 拭役 の癖 に!
乙給仕 饗應 の式作法 一切 を、一人 や二人 の、洗 ひもせぬ手 でしてのくるやうでは、穢 いことぢゃ。
甲給仕 疊椅子 を彼方 へ、膳棚 もかたづけて。よしか、其 皿 も頼 んだ。おいおい、杏菓子 を一片 だけ取除 いてくりゃ。それから足下 、深切 があるなら、門番 にさう言 うて、スーザンとネルを入 らせてくりゃ。(奧に向つて[#「向つて」はママ])……アントニー! ポトパン!
丙(ポトパン)と丁(アントニー)と出 で來 る。
丙 唯 、こゝにゐるわい。
甲給仕 足下 をば、大廣間 で、最前 から呼ばってぢゃ、探 してぢゃ、尋 してぢゃ。
丁 さう彼方此方 に居 ることは出來 んわ。(一同に對ひ)ささ、働 いた働 いた。暫時 ぢゃ、働 いた/\。さうして長生 すりゃ持丸長者 ぢゃ。
一同 かたづけながら入 る。
カピューレット長者 を先 に、ヂュリエット及 び同族 の者 多勢 一方 より出 で、他方 より出 で來 る賓客 の男女 及 びロミオ、マーキューシオー等 假裝者 の一群 を迎 ふる。
カピューレット
カピ長 (ロミオの一群に)ようこそ、方々 ! 肉刺 で患 んで居 らん婦人 は、何 れも喜 んで舞踏敵手 になりませうわい。……(婦人連に對ひ)あァ、はァ、姫御前 たち! 舞踏 るを否 ぢゃと被言 る仁 があるか? 品取 って舞踏 らッしゃらぬ仁 は、誓文 、肉刺 が出來 てゐるンぢゃらう。何 と圖星 であらうが?……(ロミオらに對ひ)ようこそ! 吾等 とても假面 を被 けて、美人 の耳 へ氣 に入 りさうな話 を囁 いたこともござったが、あゝ、それは既 う過去 ぢゃ、遠 い/\過去 ぢゃ。……方々 、ようこそ來 せられた……(樂人を顧みて)さゝ、樂人共 、はじめい。……(一同に對ひ)開 いた/\! つゝと開 いて、さゝ、舞踏 ったり、娘達 。
もっと燭火 を持 て、家來共 ! 食卓 を疊 んでしまうて、爐 の火 を消 せ、餘 り室内 が熱 うなったわ。……あゝ、こりゃ思 ひがけん好 い慰樂 であったわい。……(同族の一老人に對ひて)いや、叔父御 、まま腰 を下 しめされ、貴下 も予 も最早 舞踏時代 を過 してしまうた。お互 ひに假面 を着 けて以來 、もう何年 にならうかの?
カピ叔 大丈夫 、三十年 ぢゃ。
カピ長 何 と被言 る! まさかに然程 ではない、まさかに。リューセンシオーの婚禮以來 ぢゃによって、すぐ鼻 の先 にペンテコスト(祭日)が來 たとして、二十五年 、あの時 に被假面 ったのぢゃ。
カピ叔 いや、もそっと經 つ、もそっと。彼 れの倅 がもそっと年 を取 ってをる。もう三十ぢゃ。
カピ長 確 とさやうか? あの倅 には、つい二年程前 かたまでは、後見人 が附 いてをった。
ロミオ (傍の給仕に對ひて)あの武家 と手 を取 りあうてござる彼 姫 は何誰 ぢゃ?
給仕 小僕 は存 じませぬ。
ロミオ おゝ、あの姫 の美麗 さで、輝 く燭火 が又 一段 と輝 くわい! 夜 の頬 に照映 ゆる彼 の姫 が風情 は、宛然 黒人種 の耳元 に希代 の寶玉 が懸 ったやう、使 はうには餘 り勿體無 く、下界 の物 としては餘 り靈妙 じい! あゝ、あの姫 が餘 の女共 に立交 らうてゐるのは、雪 はづかしい白鳩 が鴉 の群 に降 りたやう。此 一舞踏 が濟 んだなら、姫 の居處 に目 を着 け、此 賤 しい手 を、彼 の君 の玉手 に觸 れ、せめてもの男冥利 にせう。あゝ、俺 は今 までに戀 をしたか? やい、眼 よ、せなんだと誓言 せい! 今夜 といふ今夜 までは、眞 の美人 をば見 なんだわい。
チッバ あの聲音 はモンタギュー家 の奴 に相違 ない。……(從者に對ひ)予 が細刃劍 を持 て。……何 ぢゃ? 下司奴 めが、道外假面 に面 を隱 して、此 祝典 を蹈附 にしようとは不埓 ぢゃ! カピューレットの正統 たる權利 を以 て、彼奴 めをば打殺 しても、俺 ゃ罪惡 とは思 はぬわい。
カピ長 はて、甥 よ、何 としたのぢゃ! おぬしは何 で其樣 に息卷 くのぢゃ?
チッバ 叔父上 、あれは敵方 のモンタギューでござる。今夜 の祝典 を辱 めん惡意 を抱 いて來 をったのでござる。
カピ長 年若 のロミオではないか?
チッバ でござる、そのロミオ奴 でござる。
カピ長 まゝ、堪忍 して、放任 てゝおきゃれ、立派 な紳士 らしう立振舞 うてをる上 に、實 を言 へば、日頃 ローナが、徳 もあり行状 もよい若者 と自慢 の種 にしてゐるロミオぢゃ。全市 の富 に易 へても、我家 で危害 を加 へたうない。ぢゃによって、堪忍 して見 ぬ介 をしてゐやれ。これは予 の意志 ぢゃ、予 を重 んじておくりゃらば、顏色 を麗 しうし、其 むづかしい貌 を止 めておくりゃれ。祝宴最中 に不似合 ぢゃわい。
チッバ いや、不似合 でござらん、あんな奴 が居 るからは。堪忍 はなりませぬ。
カピ長 はて、堪忍 せにゃなりませぬ。これさ、どうしたもの! せにゃならぬといふに。これさ/\、こゝの主長 は乃公 では無 いか? 汝 か? さゝゝ。汝 が堪忍 ならん! はれやれ、汝 は來賓中 に大鬪爭 を起 させうぞよ! 大騷動 を爲出來 さうわい! えゝ、汝 のやうなのが、その!
チッバ でも、これは耻辱 でござる。
カピ長 さゝゝ、沒分曉漢 ぢゃ。確 と然樣 か? 其樣 なことをすれば身爲 になるまい。……すれば、何 ぢゃな、では乃公 の命令 を聽 かぬ! はて、今 が時 ぢゃ。……(來賓の方に向ひて)よう/\、出來 た!(又チッバルトに對ひ)向不見 にも程 があるわさ、さゝ。はて、靜 かに、若 し……(從者を顧みて)もそっと燭火 を持 て、燭火 を!……(又チッバルトに對ひ)どうしたものぢゃ! 是非 とも靜 かにして貰 はう。……(來賓 に對 ひ)陽氣 に/\!
チッバ 無理往生 の堪忍 と持前 の癇癪 との出逢 ひがしらで、挨拶 の反 が合 ぬゆゑ、肉體中 が顫動 るわい。引退 らう。併 し今 こそ甘 ったるう見 えてをる汝 が今夜 の推參 に、やがて苦 い味 を見 せてくれうぞ。
チッバルト入 る。
此間 にロミオは假面 のまゝ、巡禮姿 のまゝにてヂュリエットに近 づき、膝 まづきて恭 しく其 手 を取 る。
ロミオ 此 賤 しい手 で尊 い御堂 を汚 したを罪 とあらば、面 を赧 うした二人 の巡禮 、此 唇 めの接觸 を以 て、粗 い手 の穢 した痕 を滑 かに淨 めませう。
ヂュリ 巡禮 どの、作法 に善 う合 うた御信仰 ぢゃに、其樣 におッしゃッては、其 お手 に甚 ァい氣 の毒 。聖者 がたにも御手 はある、其 御手 に觸 るゝのが巡禮 の接吻禮 とやら。
ロミオ でも聖者 にも唇 があり、巡禮 にも唇 がござりまする。
ヂュリ さア、それはお祈願 だけに用 ふるもの。
ロミオ おゝ、いでさらば、我 聖者 よ、手 の爲 す所爲 を唇 に爲 さしめたまへ。唇 が祈 りまする、聽 したまへ、さもなくば、信心 も破 れ、心 も亂 れまする。
ヂュリ 切 なる祈願 の心 は酌 んでも、動 かぬのが聖者 の心 。
ロミオ では、お動 きなされな、祈願 の御報 をいたゞきます。
と接吻 する。
ヂュリ では、其 罪 は妾 の唇 へ移 りましたのかえ?
ロミオ 何 、わたしの罪 が移 った? おゝ、嬉 しうもお咎 めなされた! では、其 罪 を戻 して下 され。
と又 接吻 する。
ヂュリ ても、まア、御均等 な。
乳母 姫 さま、お母 さまがお話 がありますといな。
これにてヂュリエット離 るゝ。
ロミオ あの方 の母御 とは、何誰 ぢゃ?
乳母 はて、お若 い方 、母御樣 は此 お邸 の内室 さまぢゃがな、よいお仁 で、御發明 な、御貞節 な。わしは、今 貴下 が話 してござらしゃった孃 さまを育 てました。もしえ、あの子 を手 に入 れさッしゃるお仁 は、澤山々々 貨幣 にありつきますぞや。
ロミオ ではカピューレットの女 か? おゝ、怖 しい勘定狂 はせ! 俺 の命 はこりゃもう敵 からの借物 ぢゃわ。
ベン さア、歸 らう/\。娯樂 はもう頂點 ぢゃ。
ロミオ なるほど、さうらしい。(獨語のやうに)なりゃこそ彌 心 が不安 になる。
カピ長 あ、いや、方々 、お歸 り支度 をなされな。粗末 な點心 ながら、只今 準備中 でござる。(皆々代る/″\長者に近づきて、小聲に挨拶して歸りゆく)……でござるか? はて、然 らば、何 れも忝 なうござった。かたじけなうござる。御機嫌 ようござりませ。……(從者に向ひ)もそっと燭火 を持 て、こゝへ!……(賓客を送り果てゝ、家人の方に向ひ)さゝ、此上 は、寢 やう/\。あゝ、こりゃ、とんと夜 が更 けたわ。どりゃ俺 も休 まう。
ヂュリ 乳母 、こゝへ來 や。あのお方 は誰 れ?
乳母 タイビリオーさまのお嗣子 でござります。
ヂュリ 今 戸口 から出 てゆかうとしてゐるのは誰 れ?
乳母 さいな、ペトルーチオーさまの若樣 でござりましょ。
ヂュリ あの方 は、ありゃ誰 れ? その後 から行 かッしゃる……ありゃ踊 らなんだ人 ぢゃ。
乳母 存 じませぬ。
ヂュリ さ、往 て、問 うて來 や。……
もしも婚禮 が濟 んだお方 なら、墓 が予 の新床 とならうも知 れぬ。
乳母 名 はロミオと言 うて、お邸 とは敵 どうしのモンタギュー家 の若 ぢゃといな。
ヂュリ (獨語的に)類無 いわが戀 が、類 ないわが憎怨 から生 れるとは! とも知 らで早 う見知 り、然 うと知 った時 はもう晩蒔 ! あさましい因果 な戀 、憎 い敵 をば可愛 いと思 はにゃならぬ。
乳母 何 ぢゃいな、それは? 何 を言 うてござる?
ヂュリ 歌 ぢゃ……今 がた一しょに舞踏 った人 に教 へて貰 うた歌 ぢゃ。
乳母 はい/\、只今 !……さゝ、參 りましょ。お客人 は皆 もう歸 ってしまはッしゃれた。
ヂュリエットを促 して入 る。
[#改ページ]序詞役 扨 も老 いにたる情慾 は方 に最期 の床 に眠 りて、
うら若 き戀情 が其跡 を襲 ぐべく起出 づる。
曾 ては憧 れて、爲 に死 なんとまで呻 きつる其 美女 も
今 の目 には美 しとも見 えず、ヂュリエット姫 に比 べては。
かくて戀 ひつ戀 はれつ、二人 は一樣 に色 に迷 へり、
然 はあれど、歎顏 に、敵 の子 に言寄 る辛 さ、
女 もまた鉤 より戀 の甘餌 を盜 む怖 しさ。
敵 どしなれば誓約 をも世 の人並 には告 げがたく、
姫 も同 じ思 ひながら、逢 ふべき傳手 は更 に少 なし。
さもあれ、情火 は力 を、時 は便宜 を與 へければ、
限 なき危 さの中 に、二人 は限 なく嬉 しく逢 へり。
かくて
さもあれ、
ロミオ出 る。
ロミオ 心臟 が此處 に殘 ってゐるのに、何 で歸 ることが出來 ようぞい? 鈍 な土塊 め、引返 して、おのが中心 を搜 しをれ。
ベンーリオーとマーキューシオーと出る。
ベン ローミオー! ロミオどの! ローミオー!
マーキュ 彼奴 めは怜悧者 ぢゃ、一定 とうに拔駈 して、今頃 は(家 に)臥 てゐるのであらう。
ベン いや/\、此方 へ走 って來 て、此 石垣 を飛越 えた。マーキューシオーどの、呼 んで見 さっしゃい。
マーキュ いや、序 に祈 り出 して見 よう。……(呪文の口眞似にて)ローミオーよ! 浮氣 よ! 狂人 よ! 煩惱 よ! 戀人 よ! 溜息 の姿 にて出現 めされ。たッた一句 をでも宣言 せられたならば、小生 は滿足 いたす。只 「嗚呼 」とだけ叫 ばっしゃい、たッた一言 、戀 とか、鳩 とか宣言 せられい。此方 の昔馴染 のーナス殿 を美 めさっしゃい、乃至 は盲目 の息子殿 、例 のコーフェーチュアの王 さんが乞食娘 に惚 れた時分 に、見事 圖星 を射中 てたといふ彼 の弓取 りのキューピッドに何 とか綽號 でも附 けさっしゃい。……聞 えぬな、動 かぬな、出 て來 ぬな。はて、お猿 どのは亡 くなられたさうな。こりゃ彌 祈 らねばならぬ。……(又祈祷の口眞似)あはれ、ローザラインの彼 の星 のやうな眼附 、あの高々 とした額 、あの眞紅 の唇 、あの可憐 しい足 、あの眞直 な脛 、あのぶる/\と顫 へる太股 乃至 其 近邊 にある處々 に掛 けて祈 りまするぞ。速 かに御正體 を現 せられい。
ベン 聞 えたら、腹 を立 たうぞ。
マーキュ 何 の腹 を立 たう。若 し戀女 の魔 の輪近 くへ奇異 な魔物 を祈 り出 して、彼女 が調伏 してしまふまで、それを突立 たせておいたならば、それこそ惡戲 でもあらうけれど、今 のは正直正當 な呪文 ぢゃ、彼女 の名 を借 りて、ロミオめを祈 り出 さうとしたまでの事 ぢゃ。
ベン こりゃ何 でも、木 の間 に隱 れて、夜露 と濡 れの幕 という洒落 であらう。戀 は盲 といふから、闇 は恰 どお誂 へぢゃ。
マーキュ はて、戀 が盲 なら的 を射中 てることは出來 まい。今頃 はロミオめ、枇杷 の木蔭 に蹲踞 んで、あゝ、予 の戀人 が、あの娘共 が内密 で笑 ふ此 枇杷 のやうならば、何 のかのと念 じて居 よう。おゝ、ロミオ、若 し足下 の戀人 が、な、それ、開放 しの何 とやらで、そして足下 が彼女 の細長林檎 であつたなら![#「あつたなら!」はママ] ロミオ、さらば。野天 の床 では寒 うて寢 られぬ、下司床 で臥 よう。さ、往 かうか?
ベン では、去 う。見附 けられまいと爲 てゐるものを搜 すのは無要 ぢゃ。
ロミオ前 に出 る。
ロミオ 人 の痛手 を嘲 りをる、自身 で創 を負 うたことの無 い奴 は。……
や、待 てよ! あの窓 から洩 るゝ光明 は? あれは、東方 、なればヂュリエットは太陽 ぢゃ!……あゝ、昇 れ、麗 しい太陽 よ、そして嫉妬深 い月 を殺 せ、彼奴 は腰元 の卿 の方 が美 しいのを恨 しがって、あの通 り、蒼 ざめて居 る。あの嫉妬家 に奉公 するのはよしゃれ。彼奴 の制服 は青白 い可嫌 な色 ぢゃゆゑ、阿呆 の外 は誰 れも着 ぬ、脱 いでしまや。……おゝ、ありゃ姫 ぢゃ。戀人 ぢゃ! あゝ、此 情 を知 らせたいなア!……何 やら言 うてゐる。いや、何 も言 うてはゐぬ。言 はいでもかまはぬ、あの目 が物 を言 ふ。あの目 へ返答 をせふ。……あゝ、こりゃあんまり厚顏 しかった。俺 に言 うてゐるのでは無 い。大空中 で最 ち美 しい二箇 の星 が、何 か用 があって餘所 へ行 くとて、其間 代 って光 ってくれと姫 の眼 に頼 んだのぢゃな。若 し眼 が星 の座 に直 り、星 が姫 の頭 に宿 ったら、何 とあらう! 姫 の頬 の美 しさには星 も羞耻 まうぞ、日光 の前 の燈 のやうに。然 るに天 へ上 った姫 の眼 は、大空中 を殘 る隈 もなう照 らさうによって、鳥 どもが晝 かと思 うて、嘸 啼立 つることであらう。あれ、頬 を掌 へもたせてゐる! おゝ、あの頬 に觸 れようために、あの手袋 になりたいなア!
ヂュリ あゝ/\!
ロミオ 物 を言 うた。おゝ、今 一度 物 言 うて下 され、天人 どの! さうして高 い處 に光 り輝 いておゐやる姿 は、驚 き異 んで、後 へ退 って、目 を白 うして見上 げてゐる人間共 の頭上 を、翼 のある天 の使 が、徐 かに漂 ふ雲 に騎 って、虚空 の中心 を渡 ってゐるやう!
ヂュリ おゝ、ロミオ、ロミオ! 何故 卿 はロミオぢゃ! 父御 をも、自身 の名 をも棄 てゝしまや。それが否 ならば、せめても予 の戀人 ぢゃと誓言 して下 され。すれば、予 ゃ最早 カピューレットではない。
ロミオ (傍を向きて)もっと聞 かうか? すぐ物 を言 はうか?
ヂュリ 名前 だけが予 の敵 ぢゃ。モンタギューでなうても立派 な卿 。モンタギューが何 ぢゃ! 手 でも、足 でも、腕 でも、面 でも無 い、人 の身 に附 いた物 ではない。おゝ、何 か他 の名前 にしや。名 が何 ぢゃ? 薔薇 の花 は、他 の名 で呼 んでも、同 じやうに善 い香 がする。ロミオとても其通 り、ロミオでなうても、名 は棄 てゝも、其 持前 のいみじい、貴 い徳 は殘 らう。……ロミオどの、おのが有 でもない名 を棄 てゝ、其代 りに、予 の身 をも、心 をも取 って下 され。
ロミオ (前へ進みて)おゝ、取 りませう。言葉 を其儘 。一言 、戀人 ぢゃと言 うて下 され、直 にも洗禮 を受 けませう。今日 からは最早 ロミオで無 い。
ヂュリ や、誰 れぢゃ、夜 の闇 に包 まれて、内密事 を聞 きゃった其方 は?
ロミオ 名 は何 と言 うたものか予 は知 らぬ。なう、我 聖者 よ、わが名 は君 の敵 ぢゃとあるゆゑ、自分 ながら憎 うて/\、紙 に書 いてあるものなら、引破 ってしまひたい。
ヂュリ お前 の言葉 はまだ百言 とは聞 かなんだが、其 聲 には記憶 がある。ロミオどのでは無 いか、モンタギューの?
ロミオ 孰 らでもない、卿 が嫌 ひぢゃと言 やるならば。
ヂュリ ま、どうして此處 へ? して、まア何 の爲 に? あの石垣 は高 いゆゑ容易 うは攀 られぬに、それにお前 の身分 は、若 し家 の者 が見附 くれば、忽 ちお命 が無 からうずに。
ロミオ あの石垣 は、戀 の輕 い翼 で踰 えた。如何 な鐵壁 も戀 を遮 ることは出來 ぬ。戀 は欲 すれば如何樣 な事 をも敢 てするもの。卿 の家 の人達 とても予 を止 むる力 は有 たぬ。
ヂュリ でも見附 くれば殺 しませうぞえ。
ロミオ あゝ、彼等 十人 、二十人 の劍 よりも、それ、その卿 の眼 にこそ人 を殺 す力 はあれ。唯 もう可愛 い目 をして下 され、彼等 に憎 まれうと何 の厭 はう。
ヂュリ 予 ゃ何樣 な事 があっても、お前 をば見附 けさせたうない。
ロミオ 幸 ひ夜 の衣 を被 てゐる、見附 けらるゝ筈 はない。とはいへ卿 に愛 せられずば、立地 に見附 けられ、憎 まれて、殺 されたい、愛 されぬ苦 みを延 さうより。
ヂュリ 誰 が案内 をしておいでなされた?
ロミオ 戀 が案内 ぢゃ。尋 ねて見 い、と眞先 に促進 めたも戀 なれば、智慧 を借 したも戀 、目 を借 したも戀 、予 は舵取 ではないけれども、此樣 な貨 を得 ようためなら、千里 萬里 の荒海 の、其先 の濱 へでも冐險 しよう。
ヂュリ 夜 といふ假面 を附 けてゐればこそ、でなくば恥 かしさに此 頬 が眞赤 にならう、今宵 言 うたことをついお前 に聽 かれたゆゑ。予 とても、體裁 つくり、そなことを言 ひはせぬ、と言 ひたいは山々 なれど、式 や作法 は、もうおさらば! もし、予 を可愛 しう思 うて下 さるか?「唯 」と被言 るであらうがな。そして、それをまた實 と思 はう。でも誓言 などなされると(却 って)心元 ない、戀人 が誓言 を破 るのはヂョーヴ神 も只 笑 うてお濟 ましなさるといふゆゑ。おゝ、ロミオどの、可愛 しう思 うて下 さるが實 なら、其通 り誠實 に言 うて下 され。それとも、餘 まり手輕 う手 に入 ったとお思 ひなさるやうならば、故 と怖 い貌 をして、憎 さうに否 と言 はう、たとひお言寄 りなされても。さもなくば、世界 かけて否 とは言 はぬ。あゝ、モンタギューどの、このやうに愚 からしう言 うたなら、わしを蓮葉 なともお思 ひなさらうが、巧妙 に餘所々々 しう作 りすます人達 より、もそッと眞實 な女子 になって見 せう。いゝえ、わしとても、若 し戀 の祕密 を聽 かれなんだら、もッと餘所々々 しうしたであらう。ぢゃによって、お恕 しなされ、斯 う速 う靡 いたをば浮氣 ゆゑと思 うて下 さるな、夜 の暗 に油斷 して、つい下心 を知 られたゝめぢゃ。
ロミオ 姫 よ、あの實 を結 ぶ樹々 の梢 の尖々 をば白銀色 に彩 ってゐるあの月 を誓語 に懸 け……
ヂュリ おゝ、 る夜毎 に位置 の變 る不貞節 な月 なんぞを誓言 にお懸 けなさるな。お前 の心 が月 のやうに變 るとわるい。
ロミオ では、何 を誓語 に懸 けよう?
ヂュリ 誓言 には及 びませぬ。若 し又 、誓言 なさるなら、わたしが神樣 とも思 ふお前 の身 をお懸 けなされ、すればお言葉 を信 じませう。
ロミオ 予 の眞心 が眞實 戀 ひ慕 ふ……
ヂュリ あゝ、もし、誓言 は、およしなされ。嬉 しいとは思 へども、今宵 すぐに約束 するのは、粗忽 らしうて、無分別 で、早急 で、あッといふ間 に消 える稻妻 のやうで、嬉 しうない。戀 しいお人 、さよなら! 此 戀 の莟 は、皐月 の風 に育 てられて、又 逢 ふまでには美 しう咲 くであらう。さよなら/\! お前 の胸 にも予 の胸 にも、なつかしい安息 の宿 りますやう!
ロミオ すりゃ、これぎりで別 れようといふのか?
ヂュリ では、どうせいと被言 るのぢゃ?
ロミオ 予 の誓言 と取換 に、卿 の眞實 の誓言 が聽 きたい。
ヂュリ わしの誓言 は、さう言 はれぬ前 に、献 げてしまうた。もう一度 献 げらるゝやうであって欲 しい。
ロミオ では、取戻 したいか? 何 の爲 に?
ヂュリ 有 る限 りを改 めて獻 げうために。とはいへ、それも、畢竟 は、戀 しいからのこと、献 げたいと思 ふ心 も海 、戀 しいと思 ふ心 も海 の、其 底 は測 り知 られぬ。献 ぐれば献 ぐる程 、尚 戀 しさの増 すばかりで、どちらにも限 は無 い。
ヂュリエット入 る。
ロミオ おゝ、有難 い、かたじけない、何 といふ嬉 しい夜 ! が、夜 ぢゃによって、もしや夢 ではないか知 らぬ。現 にしては、餘 り嬉 し過 ぎて らしい。
ヂュリエット再 び階上 に現 はるゝ。
ヂュリ ロミオどの、もう三言 だけ、それで今宵 は別 れませう。これ、お前 の心 に虚僞 がなく、まこと夫婦 にならう氣 なら、明日 才覺 して使者 をば上 げませうほどに、何日 、何處 で式 を擧 ぐるといふ返辭 をして下 され、すれば、一生 の運命 をばお前 の足下 に抛出 して、世界 の如何 な端 までも、わしの殿御 として隨 いてゆきませう。
乳母 (奧にて)姫 さま!
ヂュリ あい、今 すぐに。……したが、萬 一にも正 しうないお心 を有 ってござらば、どうぞ……
乳母 (奧にて)姫 さま!
ヂュリ 今 すぐに行 くわいの。……縁談 を斷然 止 め、予 をば勝手 に泣 かして下 され。明日 使 ひを送 げませうぞ。
ロミオ 後 の生 をも誓言 にかけて……
ヂュリ 千 たびも萬 たびも御機嫌 よう。
ヂュリエット入 る。
ロミオ 千 たびも萬 たびも俺 は機嫌 がわるうなったわ、卿 といふ光明 が消 えたによって。戀人 に逢 ふ嬉 しさは、寺子共 が書物 に離 るゝ心持 と同 じぢゃが、別 るゝ時 の切 なさは、澁面 つくる寺屋通 ひぢゃ。
ロミオそろ/\と退 る。
ヂュリエット又 階上 に現 れて、窃 と口笛 を鳴 らす。
ヂュリエット
ヂュリ hist ! ローミオー! hist !……おゝ、こちの雄鷹 をば呼返 す鷹匠 の聲 が欲 しいなア、囚人 の身 ゆゑ聲 が嗄 れて、高々 とは能 う呼 ばぬ。さもなかったなら、木魂姫 が臥 てゐる其 洞穴 が裂 くる程 に、また、あの姫 の空 な聲 が予 の聲 よりも嗄 るゝ程 に、ロミオ/\と呼 ばうものを。
ロミオ や、俺 の名 を呼 ぶは戀人 ぢゃ。あゝ、戀人 の夜 の聲音 は、白銀 の鈴 のやうにやさしうて、聞 けば聞 くほどなつかしい!
ヂュリ ローミオー!
ロミオ 戀人 か?
ヂュリ 明日 、何時頃 に使 ひを送 げうぞ?
ロミオ 九時 に。
ヂュリ あい、ちがへはせぬ。あゝ、その時 までが二十年 ! あれ、忘 れた、何 でお前 を呼返 したのやら?
ロミオ 思 ひ出 しなさるまで、斯 うして此處 に立 ってゐよう。
ヂュリ さうしてゐて欲 しいから、わたしゃ尚 と忘 れませう。一しょにゐたい、といふ事 ばかりは忘 れずに。
ロミオ 予 は又 いつまでも斯 うして此處 に立 ってゐよう、卿 にも忘 れさせ、自分 も此家 の事 の外 は皆 忘 れて。
ヂュリ もう夜 が明 くる。往 んで欲 しいとは思 へども、小鳥 の脚 に、氣儘少女 が、囚人 の鎖 のやうに絲 を附 けて、ちょと放 しては引戻 し、又 飛 ばしては引戻 すがやうに、お前 を往 なしたうもあるが、惜 しうもある。
ロミオ 卿 の小鳥 になりたいなア!
ヂュリ お前 を小鳥 にしたいなア! したが、餘 り可愛 がって、つい殺 してはならぬゆゑ、もうこれで、さよなら! さよなら! あゝ、別 れといふものは悲 し懷 しいものぢゃ。夜 が明 くるまで、斯 うしてさよならを言 うてゐたい。
ヂュリエット入 る。
ロミオ 卿 の目 には安眠 が、卿 の胸 には安心 の宿 るやう! あゝ、其 安眠 とも安心 ともなって、君 の美 しい胸 や目 に宿 りたいなア!……これから上人 の庵 へ往 て、今宵 の仕合 せを話 した上 、何 かと助力 を求 めよう。
ロミオ入 る。
ロレンス法師 提籃 を携 へて出 る。
ロレ 灰色目 の旦 が顰縮面 の夜 に對 うて笑 めば、光明 の縞 が東方 の雲 を彩 り、剥 げかゝる暗 は、日 の神 の火 の輪 の前 に、さながら醉人 のやうに蹣跚 く。どりゃ、太陽 が其 燃 ゆるやうな眼 を擧 げて今日 の晝 を慰 め、昨夜 の濕氣 を乾 す前 に、毒 ある草 や貴 い液 を出 す花 どもを摘 んで、吾等 の此 籃 を一杯 にせねばならぬ。萬有 の母 たる大地 は其 墓所 でもあり、又 其 埋葬地 たるものが其 子宮 でもある、さて其 子宮 より千差 萬別 の兒供 が生 れ、其 胸 をまさぐりて乳 を吸 ふやうに、更 に何 か一種宛 靈妙 じい殊 なる效能 のある千種 萬種 を吸出 だす。あゝ、夥 しいは草 や木 や金石 どもの其 本質 に籠 れる奇特 ぢゃ。地上 に存 する物 たる限 り、如何 な惡 しい品 も何等 かの益 を供 せざるは無 く、又 如何 な善 いものも用法 正 しからざれば其 性 に悖 り、圖 らざる弊 を生 ずる習 ひ。美徳 も法 を誤 れば惡徳 と化 し、惡徳 も用處 を得 て威嚴 を生 ず。此 孱弱 い、幼稚 い蕚 の裡 に毒 も宿 れば藥力 もある、嗅 いでは身體中 を慰 むれども、嘗 むるときは心臟 と共 に五官 を殺 す。かゝる敵 が、植物界 にも、人間界 にも、常 に陣 どって相鬪 ふ……仁心 と害心 とが……而 して惡 しい方 が勝 つときは、忽 ち毒蟲 に取附 かれて、其 植物 は枯果 つる。
ロミオ出 る。
ロミオ お早 うござります。
ロレ 冥加 あらせたまへ! 誰 れぢゃ、此 早朝 に、なつかしい其 聲音 は? ほう、若 い癖 に早起 は、心 に煩悶 のある證據 ぢゃ。老 の目 は苦勞 に覺 め勝 ち、苦勞 の宿 る處 には兎角 睡眠 の宿 らぬものぢゃが、心 に創 が無 く腦 に蟠 りのない若 い者 は、手足 を横 にするや否 や、好 い心持 に眠 らるゝ筈 ぢゃに、かう早 う起 きさしゃったは、こりゃ何 か煩悶 が無 うてはならぬ。さうでなくば、こちのロミオは、昨夜 は床 に就 かなんだのぢゃな。
ロミオ 其通 りでござる、眠 なんだ故 にこそ嬉 しい安心 。
ロレ 神 よ、罪 を赦 させられい! さてはローザラインと一しょぢゃな!
ロミオ ローザラインと一しょぢゃと被言 るか? 其 名前 も、其 名前 に伴 ふ悲痛 も、予 ゃ最早 みんな忘 れてしまうた。
ロレ それでこそ好 い子 ぢゃ。すれば、何處 におゐやったのぢゃ?
ロミオ 二度 と問 はれいでも話 しませう。仇敵 の家 で酒宴 の最中 、だまし撃 に予 に創 を負 はした者 があったを、此方 からも手 を負 はした。二人 の受 けた創 は貴僧 の藥力 を借 れば治 る。なう、上人 、予 は其 敵 を憎 みはせぬ、かうして頼 みに來 たのも、互 ひの身 の爲 を思 ふからぢゃ。
ロレ はて、明白 と素直 に被言 れ。懺悔 が謎 のやうであると、赦免 も謎 のやうなことにならう。
ロミオ されば明白 と言 はうが、予 はカピューレット家 のあの美 しい娘 を又 と無 い戀人 と定 めてしまうた。予 が定 めたれば先方 もまた其通 りに定 めたのでござる。手筈 は皆 濟 んだ、殘 るは貴僧 に行 うて貰 ふ神聖 な式 ばかり。何時 、何處 で、如何 して逢 うて、如何 言寄 って、如何 な誓言 をしたかは、歩 きながら話 しませうほどに、先 づ承引 して下 され、今日 婚禮 さすることを。
ロレ 祖師 フランシス上人 ! こりゃまた何 たる變 りやうぢゃ! あれほどに戀 ひ焦 れておゐやつた[#「おゐやつた」はママ]ローザラインを最早 棄 てゝおしまやったか? されば若 い手合 の戀 は其 心 には宿 らいで其 眼中 に宿 ると見 えた。Jesu Maria ! どれほど苦 い水 が其 蒼白 い頬 をローザラインの爲 に洗 うたことやら? 幾何 の鹽辛水 を無用 にしたことやら、今 は餘波 さへもない其 戀 を味 つけうために! 卿 の溜息 はまだ大空 に湯氣 と立昇 り、卿 の先頃 の呻吟聲 はまだ此 老 の耳 に鳴 ってゐる。それ、まだ其 頬 に古 い涙 の汚 れが拭 はれいで殘 ってある。卿 はやはり卿 で、あの愁歎 は卿 の愁歎 であったなら、それは皆 ローザラインの爲 であったに、なりゃ、其 心 が變 ったか? すれば、此 一語 を唱 へしめ……女 は心 の移 る筈 、男心 さへも堅固 にあらず。
ロミオ 貴僧 はローザラインに戀 をすなというて、幾 たびもお叱 りゃったぞよ。
ロレ 戀 をすなではない、溺 るなと言 うたのぢゃ。
ロミオ そして戀 を葬 れと被言 ったぞよ。
ロレ 前 のを墓 に葬 って、別 のを掘出 せとは曾 ぞ言 はぬ。
ロミオ なう、叱 って下 さるな。此度 の女 は、此方 で思 へば、彼方 でも思 ひ、此方 で慕 へば、彼方 でも慕 ふ。以前 のはさうで無 かった。
ロレ おゝ、それは、卿 の戀 をば、能 う會得 してもゐぬことを、只 口頭 で誦 む類 ぢゃと見拔 いてゐた爲 でもあらう。したが、こゝな浮氣者 、ま、予 と一しょに來 やれ、仔細 あって助力 せう、……此 縁組 が原 で兩家 の確執 を和睦 に變 へまいものでもない。
ロミオ おゝ、速 う。早急 に濟 まさにゃならぬ。
ロレ いや、賢 う徐 うぢゃ。馳出 す者 は蹉躓 くわい。
ロレンス先 に、ロミオ從 ひて入 る。
ベンーリオーとマーキューシオーと出 る。
マーキュ ロミオめは何處 へ往 きをったか? 歸 らなんだか昨夜 は?
ベン うん、父者 の家 へは。家來 に逢 うて聞 いた。
マーキュ はて、あの蒼白 い情無 し女 のローザラインめが散々 に奴 を苦 めるによって、果 は狂人 にもなりかねまいわい。
ベン カピューレットの一族 のチッバルトが、ロミオが父者 へ宛 てゝ、書面 をば送 ったさうな。
マーキュ 誓文 、決鬪状 であらう。
ベン ロミオは返事 をやるであらう。
マーキュ 字 の書 ける程 の者 なら、返事 をせいでか?
ベン いや、しかけられたからは、立合 はうと返事 をせう。
マーキュ あゝ、ロミオの奴 め、奴 は最早 死 んでゐるわい! あの眞白 な小婦 の黒 い目 でしてやられた、耳 は戀歌 で射貫 される、心臟 の眞中央 は例 の盲小僧 の彼 の稽古矢 で打碎 かれる。何 して、あのチッバルトと立合 ふことなぞが出來 うぞい。
ベン え、如何 な男 ぢゃチッバルトは?
マーキュ 昔話 の猫王 ぢゃと思 うたら當 が違 はう。見事 武士道 の式作法 に精通 遊 ばしたお達人 さまぢゃ。譜本 で歌 を唱 ふやうに、時 も距離 も釣合 も違 へず、一 、二 と間 を置 いて、三 つと言 ふ途端 に敵手 の胸元 へ貫通 、絹鈕 をも芋刺 にしようといふ決鬪師 ぢゃ。例 の第 一條 、第 二條 を口癖 にする決鬪師 の嫡々 ぢゃ。あゝ、百發 百中 の進 み突 とござい! 次 は逆突 ? 參 ったか突 とござる!
ベン え、何突 ?
マーキュ 白癩 、あのやうな變妙來 な、異樣 に氣取 った口吻 をしをる奴 は斃 りをれ、陳奮漢 め! 「イエスも照覽 あれ、拔群 な劍士 でござる! いや、拔群 な丈夫 でござる!」 へん、拔群 な淫婦 でござるが聞 いて呆 れるわい。何 と、お祖父 さん、情無 い世 の中 となったではござらぬか、朝 から晩 まで流行 を仕入 って、口 さへ開 けば pardonnez -mois , pardonnez -mois ! 新型 の細袴 を穿 かねば、半時 、片時 も立 ってをられぬ如是 共 に惱 されねばならぬとは? おゝ、又 しても bon ! bon ! ぶん/\!
ロミオ出る。
ベン ロミオが來 せた、ロミオが。
マーキュ を拔 かれた鯡 の干物 といふ面附 ぢゃ。おゝ、にしは、にしは、てもまア憫然 しい魚類 とはなられたな! こりゃ最早 ペトラークが得意 の戀歌 をお手 の物 ともござらう。ローラなどはロミオが愛姫 に比 べては山出 しの下婢 ぢゃ、もっとも、歌 だけはローラが遙 かに上等 のを作 って貰 うた。はて、ダイドーは自墮落女 で、クレオパトラは赤面 の乞食女 、ヘレンやヒーローは賣女 、賤女 で、シスビは碧瞳 ぢゃ何 のかのと申 せども、所詮 は取 るに足 らぬ。……なうなう、ロミオの君 、えへん、bonjour ! これはフランス式 の細袴 に對 してのフランス式 の御挨拶 でござる。昨夜 は、ようも巧々 と贋金 を掴 ませやったの。
ロミオ 二人 ともお早 うござる。なに、贋金 とは?
マーキュ 吾々 の目 をお拔 きゃって。後 は言 はいでもぢゃ。
ロミオ マーキューシオーどの、恕 して下 され、實 は是非 ない所用 があったからぢゃ。あんな際 には、つい、その、禮 を曲 ぐることがある習 ひぢゃ。
マーキュ ふん、あんな際 には、足腰 の曲 げ方 が異 ふといふのぢゃな?
ロミオ といふのは、慇懃 に挨拶 するためといふ意 か?
マーキュ 其通 り、御深切 な解釋 ぢゃ。
ロミオ これはまた御丁寧 なお言葉 ぢゃ。
マーキュ はて、禮法 にかけては一代 の精華 とも崇 められてゐる乃公 ぢゃ。
ロミオ 精華 とは名譽 の異名 か?
マーキュ いかにも。
ロミオ では、予 の舞踏靴 は名譽 なものぢゃ、此通 り孔 だらけぢゃによって。
マーキュ 出來 た。此上 は洒落競 べぢゃぞ。これ、足下 の其 薄 っぺらな靴 の底 は、今 に悉 く磨 り減 って、果 は見苦 しい眞 ッ赤 な足 を出 しゃらうぞよ。
ロミオ はて、見 ぐるしい眞 ッ赤 な恥 を駄洒落 るとは足下 のこと。それ、もう、薄 っぺらな智慧 の底 が見 えるわ!
マーキュ おい、應援 けてくれ、ベンーリオー。智慧 の息 が切 れるわ。
ロミオ 鞭 を加 てい、鞭 を、もっと/\。さうで無 いと「勝 った」と呼 ぶぞよ。
マーキュ いや、こんな阿呆 らしい拔駈 の競爭 は最早 中止 ぢゃ。何故 と言 へ、足下 は最初 からぬけてゐるわ。何 と、頭拔 けた洒落 であらうが。
ロミオ 成程 、愚鈍者事 にかけては、足下 は生得 頭拔 けてゐる。
マーキュ 巧 く脱 けをったな、咬 むぞよ。
ロミオ はて「咬 んでたもるな、阿呆鳥 どのよ」ぢゃ。
マーキュ 足下 の洒落 は橙々酢 といふ格 ぢゃ、藥味 にしたら酸 ぱからう。
ロミオ ぢゃによって、かうした味 の脱 けた代物 に撒布 けてゐるのぢゃ。
マーキュ おゝ、ても善 う るわ、寸 から尺 に伸 びる莫大小口 とは足下 の口 ぢゃ。
ロミオ はて、伸 びると言 へば、その伸 びるとは足下 の鼻 の下 ぢゃ、今 天下 に並 びもない拔作 どのとは足下 のことぢゃ。
マーキュ (笑って)何 と、かう洒落 れのめしてゐるはうが、惚 れたの、腫 れたのと呻吟 いてゐるよりは優 であらうが? 今日 こそは、つッともう人好 のする立派 なロミオぢゃ、今日 こそは正面 、側面 、何處 から見 ても正 めん贋無 しのロミオぢゃ。女 の事 で愁言 言 ふは、例 へば、彼 の弄僕 めが、見 ともない面 をして、例 の棒切 をおったてゝ……
ベン もう止 めた、もう止 めた。
マーキュ しかけた一件 を、止 めいとは如何 ぢゃ?
ベン 默 ってゐたら、尚 ほ其上 に、何 を爲出 さうも知 れぬわい。
マーキュ 大 ちがひぢゃ、何 をしようぞい。事 はとうに終 んだわ。もう何 もする氣 は無 い。
ロミオ やれ/\、お上品 な問答 !
(此 原詞 は“Here's goodly gear.”此 意味 不分明 。乳母 とピーターとの來 るを見附 けての評語 とも、マーキューシオーとベンーリオーの猥雜 な問答 を反語的 に評 したるものと解 せらる。こゝには後者 を正 しと見 て、其義 に譯 しておきたり。)
乳母 が先 に、下人 ピーター大 きな扇子 を持 ちて從 いて出 る。
マーキュ 船 ぢゃ/\!
ベン 二艘 々々 。男襦袢 と女襦袢 ぢゃ。
乳母 ピーター!
ピータ あい/\!
乳母 予 の扇子 を。
マーキュ ピーターどんや、扇子 で面 を隱 さうちふのぢゃ、扇子 の方 が美 しいからなう。
乳母 殿方 、お早 うござります。
マーキュ 御婦人 、お晩 うござります。
乳母 え、晩 うござりますとえ。
マーキュ いかにも。それ、その日時計 の淫亂 な手 が午過 の標 に達 いてゐるわさ。
乳母 はれま、此人 は! 何 たるお人 ぢゃお前 は?
ロミオ 御婦人 、これは事壞 しの爲 に神樣 が造 らせられた男 ぢゃ。
乳母 ほんに、巧 いことを被言 る。事壞 しの爲 に出來 た人 ぢゃといの! あの、殿方 え、ロミオの若樣 には何處 へゐたら逢 はれうかの、御存 じなら教 へて下 され。
ロミオ 予 が教 へう。したが、其 若樣 は彌 逢 はッしゃる時分 には、尋 ねてござる今 よりは老 けてゐませうぞ。はて、最 ち年少 のロミオは予 ぢゃ。これより粗 いのは今 はない。
乳母 てもま、巧 いことを被言 る。
マーキュ 何 ぢゃ、最 ち粗 いのをば甘美 い? はて、巧 い意味 の取 りやうぢゃの。賢女 々々。
乳母 貴下 がロミオさまなら、何處 ぞで改 めて御密會 (御面會)がお願 ひ申 したうござります。
ベン (笑って)今 に、優待といふ積 りで、誘惑をはじめかねまい。
マーキュ 慶庵婆 だ/\! 來 た/\!
ロミオ 來 たとは何 が?
マーキュ はて、兎 ではない、兎 にしても脂肪 の滿 った奴 ではなうて、節肉祭式 の肉饅頭 、食 はぬうちから、陳 びて、萎 びて……
(歌ふ)。やんれ、黴 の生 えた雌兎 、
やんれ、黴 の生 えた雌兎 、
レント祭 には相應 なれど
黴 びた兎 ぢゃ二十人 でも食 へぬ、
食 はぬうちから黴 びたと聞 けば……
やんれ、
レント
ロミオ、父御 の館 へおぢゃれ。あそこで飮 まうぞ。
ロミオ 後 から行 かう。
マーキュ お媼 どん、さらば。さらば/\。
「姫 さん/\/\……」
乳母 はい、御機嫌 よう。……もし/\、あの人 は、ま、何 といふ無作法 な若 い衆 でござるぞ? あくたいもくたいばかり言 うて。
ロミオ あれは自分 の饒舌 るのを聽 くことの好 きな男 、一月 かゝってもやり切 れぬやうな事 を、一分間 で饒舌 り立 てようといふ男 ぢゃ。
乳母 おのれ、わしの事 を何 とでも言 うて見 をれ、目 に物 を見 せうぞい。よしんば見 かけより強 からうと、あんな奴 がまだ別 に二十人 あらうと、大事 ない。自力 で敵 はぬなら、人 を頼 むわいの。碌 でなしの和郎 め! 彼奴 らに阿呆 にされて堪 るかいの。彼奴 らの無頼仲間 ぢゃありゃせぬわい。……(下人に對ひて)汝 も傍 に立 ってゐながら、予 が隨意的 にされてゐるのを、見 てゐるとは何 の事 ちゃい。
ピータ 誰 れもお前 を隨意的 には爲 やせぬがや。若 しも其樣 なことがあれば、此 利劍 を引拔 かいでかいの。こりゃ拔 かんければならん場合 ぢゃとさへ思 うたら、わしゃ人 に負 くるこっちゃない。
乳母 えゝ、ほんに/\、悔 しうて/\、身體中 が顫 へるわいの。碌 でなしの和郎 めが!……(ロミオに對ひて)もし/\、貴下 さまえ、最前 も申 しましたが、妾 の姫 さまが、貴下 を搜 して來 いとの吩咐 でな、其 仔細 は後 にして、先 づ言 うて置 くことがござります、若 しも貴下 が、世間 で言 ふやうに、阿呆 の極樂 へ姫 さまを伴 れて行 かっしゃるやうならば、ほんに/\、世間 で言 ふ通 り、不埓 な事 ぢゃ。何故 と被言 りませ、姫 さまはまだ齡 がゆかッしゃらぬによって、騙 さッしゃるやうであれば、ほんにそれは惡 いこっちゃ、御婦人 を騙 さッしゃるは卑怯 ぢゃ、非道 ぢゃ。
ロミオ お乳母 どの、おぬしのお姫 さんへ慇懃 に傳 へて下 され。予 は飽迄 も言 うておく……
乳母 はれ、善 いお仁 や、ほんに其通 り申 しましょわいな。ほんに、ま、何樣 に喜 ばッしゃらう。
ロミオ 其通 りにとは、何 を? まだ何 も言 やせぬのに。
乳母 飽迄 も言 うて置 く、とおッしゃったと言 や、それが立派 なお言傳手 ぢゃがな。
ロミオ なう、姫 に勸 めて下 され、此 晝過 に、何 とか才覺 して懺悔式 に來 らるゝやう。あのロレンス殿 の庵室 で、懺悔 の式 を濟 まして婚禮 する心 なれば。こりゃ骨折賃 ぢゃ。
乳母 いえ、めっさうな。一錢 も戴 きませぬ。
ロミオ まゝ、是非 とも。
乳母 では、此 晝過 に? む、む、其樣 にいたしましょ。
ロミオ あ、これ、お待 ち。やがて、あの寺 の塀外 へ、おぬしに渡 す爲 に、繩梯子 のやうに編 み合 せたものを家來 に持 たせて遣 りませう。それこそは忍 ぶ夜半 に嬉 しい事 の頂點 へ此身 を運 ぶ縁 の綱 。……さよなら。眞實 を盡 しておくりゃれ、きっと骨折 の報 はせう。さらば。姫 へ宜 しう傳 へて下 され。
乳母 御機嫌 やういらせられませい!……あ、もし/\。
ロミオ 何 とかお言 やったか?
乳母 御家來 は口 の堅 いお人 かいな? 二人 ぎりの祕密 は洩 れぬ、三人目 が居 らねば、と言 ひますぞや。
ロミオ 大丈夫 ぢゃ、鋼鐡 のやうに堅 い男 ぢゃ。
乳母 それならば。こちの姫 さまはな、それは/\憐 しうて……ほんに、ほんに、まだ幼 うて、分別 もないことを言 うてゞあった時分 は……お、あのな、パリス樣 と言 うて、お立派 な方 がな、どうぞして物 にせうと氣 を揉 まっしゃるのぢゃが、あのよな人 に逢 ふよりは、予 ゃ蟾蜍 に逢 うたはうが優 ぢゃ、と言 うてな、あの蟾蜍 に。予 も折々 は腹 を立 っても見 ますのぢゃ、パリスどのゝ方 が、ずっと好 い男 ぢゃと言 うてな。すると、眞 の事 ぢゃ、孃 は眞蒼 な顏 にならっしゃる、圖無 い白布 のやうに。え、ロミオと萬迭香 とは、頭字 が同 じかいな?
ロミオ いかにも。それが、何 としたぞ? 兩方 ともR ぢゃ。
乳母 はれま、人 を! そりゃ、犬 の名 ぢゃがな。R がお前 の……いやいや、何 か他 の字 に相違 ないわいの。……何 でもな、貴下 と萬迭香 とが如何 とやらしたといふ、何 ぢゃ知 らんが、面白 さうな額言 (格言)とやらを作 らしゃってぢゃ、貴下 が聞 かッしゃれば喜 ばッしゃらうやうな。
ロミオ 姫 に宜 しう言 うて下 され。
ロミオ入る。
乳母 はい/\、申 しましょとも。……ピーター!
ピータ あい/\!
乳母 先 へ、そして急歩的 と。
ヂュリエット出る。
ヂュリ 乳母 を出 してやった時 、時計 は九 つを打 ってゐた。半時間 で歸 るといふ約束 。若 しや逢 へなんだかも知 れぬ。いや/\、さうでは無 い。えゝも、乳母 めは跛足 ぢゃ! 戀 の使者 には思念 をこそ、思念 は殘 る夜 の影 を遠山蔭 に追退 ける旭光 の速 さよりも十倍 も速 いといふ。ぢゃによって、戀 の神 の御輦 は翼輕 の鳩 が牽 き、風 のやうに速 いキューピッドにも双 つの翼 がある。あれ、もう太陽 は、今日 の旅路 の峠 までも達 いてゐる。九時 から十二時 までの長 い/\三時間 、それぢゃのに、まだ歸 って來 ぬ。乳母 めに、情 が燃 えてゐたら、若 い温 かい血 があったら、テニスの球 のやうに、予 が吩咐 くるや否 や戀人 の許 へ飛 んで行 き、また戀人 の返辭 と共 に予 の手元 へ飛返 って來 つらうもの。……あゝ、老人 といふものは、死 んでゞもゐるかのやうに、太儀 さうに緩漫 と、重 くるしう、蒼白 う、鉛 のやうに……
おゝ、嬉 しや、歸 って來 た。……なう乳母 いの、如何 ぞいの? あの方 に逢 やったかや?……侶 は彼方 へ。
乳母 ピーター。……入口 に控 へてゐや。
ピーター入る。
ヂュリ さ、乳母 いの。……ま、何 で其樣 な情 ない顏 してゐやる? 悲 しい消息 であらうとも、せめて嬉 しさうに言 うてたも。若 し嬉 しい消息 なら、それを其樣 な顏 をして彈 きゃるのは、床 しい知 らせの琴 の調 べを臺無 しにしてしまふといふもの。
乳母 おゝ、辛度 ! 暫時 まァ休 まして下 され。あゝ/\、骨々 が痛 うて痛 うて! ま、どの位 ほッつきまはったことやら!
ヂュリ 予 の骨々 を其方 に與 っても、速 う其 消息 が此方 へ欲 しい。これ、どうぞ聞 かしてたも。なう、乳母 や、乳母 いなう、如何 ぢゃぞいの?
乳母 ま、氣忙 しい! 暫時 の間 が待 てぬかいな? 息 が切 れて物 が言 はれぬではないかいな?
ヂュリ 息 が切 れて言 はれぬと言 やる程 なら、息 は切 れてゐぬ筈 ぢゃ。何 のかのと言譯 してゐやるのが肝腎 の一言 より長 いわいの。これ、吉 か、凶 か? 速 う言 や。それさへ言 うてたもったら、詳細事 は後 でもよい。速 う安心 さしてたも、吉 か、凶 か?
乳母 はて、お前 は阿呆 らしいお人 ぢゃ、あのやうな男 を選 ばッしゃるとは目 が無 いのぢゃ。ロミオ! ありゃ不可 んわいの。面附 こそは誰 れよりも見 よけれ、脛附 が十人並 以上 ぢゃ、それから手 や足 や胴 やは彼 れ此 れ言 ふが程 も無 いが、外 には、ま、類 が無 い。行儀作法 の生粹 ぢゃありやせん[#「ありやせん」はママ]、でも眞 の事 、仔羊 のやうに、温和 しい人 ぢゃ。さァ/\/\、小女 よ、信心 さっしゃれ。……え、もう終 みましたかえ、お晝 の食事 は?
ヂュリ いゝえ/\。其樣 な事 は、もう夙 に知 ってゐる。婚禮 の事 をば何 と言 うてぢゃ? さ、それを。
乳母 はれ、頭痛 がする! あゝ、何 といふ頭痛 であらう! 頭 が粉 に碎 けてしまひさうに疼 くわいの。脊中 ぢゃ。……そっち/\。……おゝ、脊中 が、脊中 が! ほんに貴孃 が怨 めしいわいの、遠 い遠 い處 へ太儀 な使者 に出 さッしやって[#「出 さッしやって」はママ]、如是 な死 ぬるやうな思 ひをさすとは!
ヂュリ ほんに氣 の毒 ぢゃ、氣分 が惡 うてはなァ。したが、乳母 、乳母 や、乳母 いなう、何卒 言 うてたも、戀人 が何 と被言 った?
乳母 さいな、あの方 の言 はッしゃるには、行儀 もよければ深切 でもあり、男振 はよし、器量人 でもあり、流石 に身分 のある殿方 らしう……お母 さまは何處 にぢゃ?
ヂュリ 母 さまは何處 にぢゃ? 母樣 は家 にぢゃ。何處 に行 かしゃらうぞ? 何 を言 やるぞい!「あの方 が被言 るには、身分 のある殿方 らしう、お母樣 は何處 にぢゃ?」
乳母 はれ、まア! そのやうに熱 くならッしゃるな。これさ、まァ、ほんに/\。それが痛 む節々 の塗藥 になりますかいの? これからは自分 で使 ひ歩 きをばさっしゃったがよい。
ヂュリ まァ、仰山 な騷 ぎぢゃ!……これの、ロミオが何 と被言 った?
乳母 お前 今日 はお參詣 に往 ても可 いといふお許可 が出 ましたかえ?
ヂュリ あいの。
乳母 では、なう、急 いでロレンス樣 の庵室 まで往 かっしゃれ。あそこでお前 を内室 になさるゝ人 が待 ってぢゃ。そりゃこそ頬邊 へ放埓 な血 めが上 るわ、所詮 は何 を聞 いても直 に眞赤 にならッしゃらうぢゃまで。速 うお寺 へ。予 はまた別 の方 へ往 て梯子 を取 って來 ねばならぬ、其 梯子 でお前 の戀人 が、今宵 暗 うなるが最後 、鳥 の巣 へ登 らッしゃるのぢゃ。予 は只 もう齷齬 とお前 を喜 ばさうと念 うて。したが、やがて夜 になると、お前 も骨 が折 れうぞや。さ、予 は食事 をせう。貴孃 は庵室 へ速 うゆかしゃれ。
ヂュリ 速 う其 幸福 に!……乳母 や、きげんよう。
ロレンス法師 が先 に、ロミオ從 いて出る。
ロレ 諸天善神 、願 はくは此 神聖 なる式 に笑 ませられませい、ゆめ後日 悲哀 を降 さしまして御譴責 遊 ばされますな。
ロミオ アーメン、アーメン! 如何 な悲哀 が來 ようとも、姫 の顏 を見 る嬉 しさの其 刹那 には易 られない。神聖 い語 で二人 の手 を結 び合 はして下 されば、戀 を亡 す死 の爲 に此身 が如何樣 にならうとまゝ。妻 と呼 ぶことさへ叶 へば、心殘 りはない。
ロレ さうした過激 の歡樂 は、とかく過激 の終 を遂 ぐる。火 と煙硝 とが抱合 へば忽 ち爆發 するがやうに、勝誇 る最中 にでも滅 び失 せる。上 なう甘 い蜂蜜 は旨過 ぎて厭 らしく、食 うて見 ようといふ氣 が鈍 る。ぢゃによって、戀 も程 よう。程 よい戀 は長 う續 く、速 きに過 ぐるは猶 遲 きに過 ぐるが如 しぢゃ。
ヂュリエット出る。
それ、姫 が來 せた。おゝ、あのやうな輕 い足 では、いつまで蹈 むとも、堅 い石道 は磨 るまいわい。戀人 は、夏 の風 に戲 れ遊 ぶあの埓 もない絲遊 に騎 かっても、落 ちぬであらう。さほどに輕 いものが空 な歡樂 !
ヂュリ (ロレンスを抱きて)教父 さま、ごきげんよろしう!
ロレ其 お返禮 は、二人分 、ロミオの口 から。
ヂュリ (ロミオを抱きて)ではロミオにも。でないとお返禮 が多過 よう。
ロミオ あゝ、ヂュリエット、今日 を嬉 しい、かたじけないと思 ふ心 が予 と同 じに滿腔 なら、しかもそれを現 す力 が予 よりも多 いなら、今日 の出會 で二人 が感 ずる此 夢 のやうな嬉 しさを、床 しい天樂 のやうな卿 の聲 で、四邊 の空氣 も融解 くるばかりに、なつかしう奏 でゝ下 され。
ヂュリ内實 の十分 な思想 は、言葉 の花 で飾 るには及 ばぬ。算 へらるゝ身代 は貧 しいのぢゃ。妾 の戀 は、分量 が大 きう/\なったゆゑに、今 は其 半分 をも計算 することが出來 ぬわいの。
ロレ さゝ、予 と一しょにござれ。速 う濟 してのけう。慮外 ながら、尊 い教會 が二人 を一人 に合體 さするまでは、さし對 ひでゐてはなりませぬのぢゃ。
ヂュリ (ロレンスを抱きて)
ロレ
ヂュリ (ロミオを抱きて)ではロミオにも。でないとお
ロミオ あゝ、ヂュリエット、
ヂュリ
ロレ さゝ、
ロレンスに從 いて二人 とも入る。
[#改ページ]
マーキューシオー先 に、ベンーリオー、侍童 、下人等 從 いて出 る。
ベン マーキューシオーどの、もう歸 らう。暑 くはある、カピューレット家 の奴等 が出歩 いてもゐる、出會 したが最後 、鬪爭 をせねばなるまい。かういふ暑 い日 には、えて氣 ちがひめいた血 が騷 ぐものぢゃ。
マーキュ おい、酒亭 へ入 った當座 には、劍 を食卓 の下 へ叩 きつけて「神 よ、願 はくは此奴 に必要 あらしめたまふな」なぞといってゐながら、忽 ち二杯目 の酒 が利 いて、何 の必要 も無 いのに、給仕人 を敵手 に引 っこぬく手合 があるが、足下 が其 仲間 ぢゃ。
ベン 予 がそんな仲間 か?
マーキュ さゝ、足下 はイタリーで誰 れにも負 を取 らぬ易怒男 ぢゃ、直 に怒 るやうに仕向 けられる、仕向 けらるれば直 怒 る。
ベン して何 にするんぢゃ?
(此 原詞 は“And what to?”「して何 の爲 に?」といふ義 。マーキューシオーはそれをわざと“And what two?”の意味 に取 りて例 の駄洒落 のキッカケとする。)
マーキュ 何人 ? いや、足下 のやうなのが二人 とゐたら、忽 ち殺 しあうてしまはうから、二人 ともゐなくならう。はて、足下 なぞは髭 の毛 一筋 の多 い少 ないが原 でも叩 き合 ふ。或 ひは足下 の目 の色 が榛色 ぢゃによって、そこで相手 が榛 の實 を噛割 ったと言 ふだけの事 で、鬪爭 を買 ひかねぬ。その眼 でなうて、そんな鬪爭 を買 ふ眼 が何處 にあらう? 足下 の頭 には鷄卵 に黄蛋 が充實 ってゐるやうに、鬪爭 が充滿 ぢゃ、しかも度々 打撲 されたので、少許 腐爛氣味 ぢゃわい。足下 は、街中 で咳 をして足下 の飼犬 の日向 ぼこりを驚 かしたと言 うて、或 男 と鬪爭 をした。復活祭前 に新調胴衣 を着 たと言 うて、或 裁縫師 と掴 み合 ひ、新 しい靴 に古 い紐 を附 けをったと言 うて、誰某 とも爭論 み合 うた。それでゐて俺 に鬪爭 をすまいぞと異見 めいたことを被言 ゃるのか?
ベン 予 が足下 ほど鬪爭好 と言 ふことが實 なら、無條件 で此 命 を一時間位 は賣 ってやってもよいわい。
マーキュ ろはぢゃ! ろッはッは! ろッはッは!(と笑ふ)。
チッバルトを先 に、カピューレットの黨人 出る。
ベン や、カピューレットのやつらが來 をった。
マーキュ へん、かまふものかえ。
チッバ 俺 に附着 いて來 う、彼奴等 と談 じてくれう。……(ベンーリオーらに)諸氏 、機嫌 よう。一言 申 したうござる。
マーキュ ただ一言 でござるか? 何 かお添 へなさい。一言 兼 一撃 としたら如何 ぢゃ?
チッバ 機會 さへ與 しゃらば、何時 でも敵手 になり申 さう。
マーキュ 此方 から與 さねば、其方 では機會 が出來 ぬと被言 るか?
チッバ マーキューシオー、足下 は平生 あのロミオと調子 を合 せて……
マーキュ 何 ぢゃ、調子 を合 せて? 吾等 を樂人扱 ひにするのか? 樂人扱 ひに爲 りゃ、耳 を顛覆 らする音樂 を聞 す。準備 せい。(劍に手を掛けて)乃公 の胡弓 は此劍 ぢゃ、今 に足下 を踊 らせて見 せう。畜生 、調子 を合 す!
ベン こゝは往來 ぢゃ、どうぞ閑寂 な處 で冷靜 に談判 をするか、さもなくば別 れたがよい。衆人 が見 るわ。
マーキュ 見 る爲 の眼 ぢゃ、見 るがえいわ。他 が如何 思 はうと介意 ふものかえ。
ロミオ出る。
チッバ 足下 とは中直 りぢゃ。あそこへ奴 が來 をった。
マーキュ 奴 ぢゃ? へん、ロミオが足下 の奴 なものか? 何時 足下 が給服 を着 せた? はて、先 に立 って決鬪場 へ行 きゃれ、ロミオも隨行 をせう。それが奴 の役 なら、ロミオは足下樣 のお抱奴 ぢゃ。
チッバ (ロミオに對ひて)やい、ロミオ、足下 に對 する俺 が情合 からは是限 しか言 へぬ。……汝 は惡漢 ぢゃ。
ロミオ チッバルト、足下 を愛 する仔細 があって、怒 らねばならぬ其 挨拶 をもわるうは取 らぬ。予 は惡漢 ではない。さらば、足下 は予 を知 らぬのぢゃ。
ロミオ行 きかくる。
チッバ 小僧 め、それが無禮 の辨解 にはならぬぞ。戻 って拔劍 け。
ロミオ 予 は無禮 をした覺 えはない、いや、其 仔細 の分 るまでは迚 も會得 のゆかぬ程 に予 は足下 を愛 してゐるのぢゃ。カピューレットどの、予 は今 カピューレットといふ其 名前 を我名 も同樣 に大切 に思 うてゐる、まゝ、堪忍 さっしゃれ。
マーキュ おゝ、柔弱 い、不面目 な、卑劣 な降參 ! 此上 は劍 あるのみぢゃ。(劍を拔く)。チッバルト、いやさ、猫王 どの、お往 きゃらうか?
チッバ 何 ぞ俺 に用 があるか?
マーキュ 猫王 どの、九箇 あるといふ足下 の命 が只 一 つだけ所望 したいが、其後 の擧動次第 で殘 る八箇 も叩 き挫 くまいものでもない。耳形 の を掴 んで其 劍 をお拔 きゃれ、速 うせぬと乃公 の劍 が足下 の耳元 へお見舞 ひ申 すぞ。
チッバ 合點 だ。
ロミオ マーキューシオー君 、まア/\、劍 を。
マーキュ さ、突 いて來 い。
チッバルトとマーキューシオーと鬪 ふ。
ロミオ 拔劍 け、ベンーリオー、二人 の武器 を叩 き落 さう。これさ/\、恥 ぢゃ/\、亂暴 をすな? チッバルト、マーキューシオー、領主 の嚴命 では無 いか、ローナの街頭 で鬪諍 をしてはならぬ筈 ぢゃ。これさ、チッバルト! マーキューシオー!
チッバルト
マーキュ やられた! 畜生 、兩方 の奴等 め! やられたわい。去 にをったか、彼奴 め無創 で?
ベン や、手 を負 うたか足下 は?
マーキュ 唯 、唯 、引掻 かれた/\。はて、これで十分 ぢゃ。侍童 めは何處 にをる? 小奴 、はよ往 って下科醫者 を呼 んで來 い。
ロミオ これ、氣 を確 に。手傷 は決 して重 うはない。
マーキュ さうぢゃ。井戸 ほどに深 くも無 ければ、教會 の入口程 には廣 くもない、が十分 ぢゃ、役 には立 つ。明日 訪 ねてくれい、すれば墓 の中 から御挨拶 ぢゃ。先 づ乃公 の一生 も、誓文 、總仕舞 が澄 んでしまうた。……畜生 、兩方 の奴等 め!……うぬ! 犬 、鼠 、鼠 、猫股 、人間 を引掻 いて殺 しをる! 一二三 で劍 を使 ふ駄法螺吹家 め! 破落戸 、惡黨 ! 何 で眞中 へ飛込 んだんぢゃ足下 は! 足下 の腕 の下 でやられた。
ロミオ みんな爲 を思 うてしたのぢゃ。
マーキュ おい、ベンーリオー、何處 ぞ家 の中 へ伴 れて行 ってくれ、速 うせぬと氣絶 しさうぢゃ。畜生 、兩方 の奴等 ! とう/\俺 を蛆蟲 の餌食 にしてしまひをった。參 った、しっかり參 った。畜生 、兩方 の奴等 !
ベンーリオーに介抱 せられて、マーキューシオー入 る。
ロミオ 領主 には近親 たる信友 のマーキューシオーが俺故 あのやうな重傷 を負 ひ、俺 はまた只 一時程 縁者 となったあのチッバルト故 に汚名 を受 けた。おゝ、ヂュリエット、卿 の艶麗 さが俺 を柔弱 にならせて、日頃 鍛 うておいた勇氣 の鋒 が鈍 ってしまうた。
ベンーリオー又 出る。
ベン おゝ、ロミオ/\、マーキューシオーはお死 にゃったぞよ! あの勇敢 な魂 は氣短 に此世 を厭 うて、雲 の上 へ昇 ってしまうた。
ロミオ けふの此 惡運 は此儘 では濟 むまい。これは只 不幸 の手始 、つゞく不幸 が此 結局 をせねばならぬ。
チッバルト又 出る。
ベン 我武者 のチッバルトめが又 來 をった。
ロミオ なに、無事 で、勝誇 って? マーキューシオーが殺 されたのに! 此上 は禮儀 も寛大 も天外 に抛 った。 を眼 の忿怨神 よ、案内者 となってくれい!……(チッバルトに對ひ)やい、チッバルト、先刻 足下 が俺 にくれた「惡漢 」の名 は今 返 す、受取 れ。マーキューシオーの魂 がつい頭上 に立迷 うて同伴者 を求 めてゐる、足下 か、俺 か、兩人 ながらか、同伴 をせねばならぬぞ。
チッバ 青 二才 どの、最初 同伴 って來 た足下 ぢゃ、冥土 へ行 くも一しょにお往 きゃれ。
ロミオ それは此劍 が決 めるわ。
ベン ロミオ、速 う! 速 う迯 げた! あれ、市人 が騷 ぎはじむる。チッバルトは落命 ぢゃ。狼狽 へてゐるところでない。捕 へられたならば、領主 は死罪 を宣告 せう。速 う落 ちた、速 う/\!
ロミオ おゝ、俺 ゃ運命 の玩弄物 ぢゃわい!
ベン おい、何 をしてゐるのぢゃ?
ロミオ入る。
市人等 出る。
甲市人 マーキューシオーを殺 した奴 は何方 へ逃 げました? 人殺 しのチッバルトは何方 へ逃 げました?
ベン そこにゐるのがチッバルトでござる。
甲市人 ござれ、吾等 と一しょに。御領主 の命 でござる、ござれ。
領主 その不埓 な爭鬪 を始 めた者共 は何方 にをる?
ベン 憚 りながら、此 不運 なる騷擾 のあさましき經緯 は手前 が言上 いたしませう。それに倒 れをりまする男 が御親戚 のマーキューシオーどのを殺害 しましたるをロミオと申 す若人 が討取 ってござります。
カピ妻 なに、チッバルト! おゝ、わしの甥 の、弟 の子 の! おゝ、御領主 ! おゝ、甥 よ! わが夫 ! おゝ、大事 の/\、親族 の血汐 が流 されてゐる! 公平 な御領主 さま、モンタギューの血 を流 して吾等 のを償 うて下 さりませい。おゝ、甥 よ/\!
領主 ベンーリオーよ、此 無慚 な鬪諍 を始 めたのは誰 れぢゃ?
ベン チッバルトにござります、ロミオに殺 されたましたる。ロミオは言葉 穩 かに、此 爭端 の取 に足 らぬ由 を反省 させ、二 つには殿 のお怒 を思 ひやれ、と聲色 を和 らげ、膝 を曲 げて、さま/″\に申 しましたなれども、中裁 には耳 を假 しませぬチッバルト、理不盡 なる怒 の切先 、只 一突 にとマーキューシオー殿 の胸元 をめがけて突 いてかゝりまする、此方 も同 じく血氣 の勇士 、なにを小才覺 なと立向 ひ、氷 の死 の手 をば引外 して右手 に附入 りまする手練 の切先 、それを撥反 すチッバルト。ロミオは其時 聲 高 く「お待 ちゃれ、兩氏 ! 退 いた/\!」といふより速 く劍 を拔 いて、その怖 ろしい切先 をば、叩伏 せ/\、二人 が間 に割 って入 る、腕 の下 よりチッバルトが突出 しましたる毒刃 に、マーキューシオーどのは敢無 い最期 。さて、チッバルトは其儘 一旦 逃去 りましたが、やがて又 取 って返 すを、今 や復讐 の念 に滿 ちたるロミオが見 るよりも、電光 の如 く切 ってかゝり、引分 けまする間 さへもござらぬうちに、チッバルトは突殺 され、倒 るゝ途端 に身 を飜 し、ロミオは逃去 ってござりまする。此儀 相違 あらば、ベンーリオーが命 を召 されませう。
カピ妻 此 仁 はモンタギューの親戚 ゆゑ、贔屓心 がさもない事 を申 させまする。此 不正 な爭鬪 には二十人餘 も關係 うて只 一人 を殺 したに相違 ござりませぬ。殿 さまに願 ひまする、是非 ともお成敗 の下 さりませい。ロミオはチッバルトを殺 したからは、生 してはおかれませぬ。
領主 ロミオはチッバルトを、チッバルトはマーキューシオーを殺 したとすれば、マーキューシオーの血 を償 ふべき者 は誰 れぢゃ?
モン長 それはロミオではござりませぬ、彼 れはマーキューシオーどのゝ親友 でござる。倅 が曲事 は國法 によって絶 たるべきチッバルトの命 を絶 ったまでゝござります。
領主 其 曲事 ゆゑに、即刻 追放 を申附 くる。汝等 の偏執 に予等 までも卷込 まれ、其 粗暴 の鬪諍 によって我 血族 の血汐 を流 した。わが此 不幸 を汝等 にも悔 ます爲 、きびしい科料 を課 さうずるわ。陳辯 も分 も聽 かぬ。涙 も祈祷 も罪 をば贖 はぬぞよ。それゆゑに何 も申 すな。急 ぎロミオを退去 らせい。さもなうて見附 けられなば、其時 が即 て最期 ぢゃ。此 死骸 を荷 ひゆきて、予 が命 を待 て。人殺 しを憫 むは人 を殺 すにひとしいわい。
ヂュリエット出る。
ヂュリ 驅 けよ速 う、火 の脚 の若駒 よ、日 の神 の宿 ります今宵 の宿 へ。フェートンのやうな御者 がゐたなら、西 へ/\と鞭 をあてゝ、すぐにも夜 を將 れて來 うもの、曇 った夜 を。隙間 もなう黒 い帳 を引渡 せ、戀 を助 くる夜 の闇 、其 闇 に町 の者 の目 も閉 がれて、ロミオが、見 られもせず、噂 もされず、予 の此 腕 の中 へ飛込 んでござらうやうに。戀人 は其 麗 しい身 の光明 で、戀路 の闇 をも照 らすといふ。若 し又 戀 が盲 ならば、夜 こそ戀 には一段 と似合 ふ筈 。さア、來 やれ、夜 よ、黒 づくめの服 を被 た、見 るから眞面目 な、嚴格 しい老女 どの、速 う來 て教 へてたも、清淨無垢 の操 を二 つ賭 けた此 勝負 に負 ける工夫 を教 へてたも。汝 の黒 い外套 で頬 に羽 ばたく初心 な血 をすッぽりと包 んでたも、すれば臆病 な此 心 も、見 ぬゆゑに強 うなって、何 するも戀 の自然 と思 ふであらう。夜 よ、來 やれ、速 う來 やれ、ローミオー! あゝ、夜 の晝 とはお前 の事 ぢゃ。夜 の翼 に降 りたお前 は、鴉 の背 に今 降 りかゝる其 雪 の白 う見 ゆるよりも白 いであらう。速 う來 い、やさしい、懷 しい夜 の闇 、さ、予 のロミオを賜 もれ。ロミオがお死 にゃれば、汝 に遣 らう程 に、細截 いて星 にせい、したら大空 が見 かはすばかり美 しうなって、世界中 の者 が夜 に惚 れ、もう誰 れもあの爛々 した太陽 を拜 まぬやうにもなるであらう。おゝ、戀 の屋敷 は買 うたれど、おのが住居 にはまだならぬ、身 は人 に賣 ったれど、まだ賞翫 はして貰 へぬ。あゝ、待 つ間 がもどかしい、祭 の前 の晩 に氣 をいらつ子供 のやうに、製 へて貰 うた晴着 はあっても、被 ることが成 らぬので。……おゝ、あれ、乳母 が。きっと消息 ぢゃ。ロミオの名 をでも告 ぐる舌 は天人 の聲 と聞 ゆる。……これ、乳母 、何 の消息 ぢゃ? 持 ってゐやるは何 ぢゃ? ロミオが取 って來 いと言 やった綱 かや?
乳母 あい/\、綱 ぢゃ。
ヂュリ あゝ、まア! 何事 が起 ったのぢゃ? 何 で其方 は手 を絞 るのぢゃ?
乳母 あゝ、かなしや! 死 なしゃった/\/\! もう無效 でござります、もう無效 でござります。あゝ、かなしや!……逝 なしゃった、殺 されさっしゃった、死 なしゃった!
ヂュリ え、それほどに天 が無慈悲 か!
乳母 天 は如何 あらうと、ロミオは無慈悲 ぢゃ。おゝ、ロミオどのが、ロミオどのが! ……誰 れが思 ひがけうぞい? ロミオどのが!
ヂュリ 何 で予 に氣 を揉 すのぢゃ? 其樣 な怖 しい唸 り聲 は地獄 でなうては聞 かれぬ筈 ぢゃ。ロミオが自害 でもなされたか? これ、唯 と言 って見 や、その唯 といふ一言 が、只 一目 で人 を殺 す毒龍 の目 にもまして、怖 しい憂目 を見 する。其樣 な羽目 とならば、予 の身 は最早 駄目 ぢゃ。これ、お死 にゃったが實 ならば、唯 と言 や。さうでなくば否 と言 や。たった一言 二言 で此身 の生死 が決 るのぢや[#「決 るのぢや」はママ]。
乳母 其 創 を見 ましたが、此眼 で見 ましたが……南無 さんぼう!……ちょうど此 お立派 な胸元 に。いた/\しい、無慚 な、いた/\しい死顏 。蒼白 う、灰 のやうに蒼白 うなって、血 みどろになって、どこもどこも血 が凝 りついて。見 ると其儘 、わしゃ氣 を失 なうてしまひましたわいの。
ヂュリ おゝ、裂 けよ! 此 胸 よ! 破産 した不幸 な心 よ、一思 ひに裂 けてしまうてくれい! 目 も此上 は牢 へ入 れ、もう自由 を見 るな! 穢 しい塵芥 め、元 の土塊 へ歸 りをれ、活 きて働 くには及 ばぬわい、ロミオと一しょに同 じ柩車 の積荷 となりをれ!
乳母 おゝ、チッバルトどの、チッバルトどの、此上 もない頼 もしいお方 であったに! おゝ、お懇 なチッバルトどの! お立派 なお方 ! お前 が亡 くならっしゃるのを生 きてゐて見 ようとは!
ヂュリ や、こりゃ、風向 が變 うたわ、如何 した暴風雨 ぢゃ? ロミオが殺 されて、そしてチッバルトもお死 にゃったか? 大事 な從兄 も、尚 ほ大事 なロミオどのも? もしさうならば、大審判日 の喇叭手 よ、世 は最早 絶滅 ぢゃと宣告 せい! あの二人 が逝 にゃったなら、生 きてゐる甲斐 はない!
乳母 チッバルトどのはお死 にゃって、ロミオどのは追放 ぢゃ。下手人 のロミオどのは追放 にならッしゃったのぢゃ。
ヂュリ おゝ/\!……あのロミオの手 でチッバルトを?
乳母 さよぢゃ/\。あゝ/\、さよぢゃわいの!
ヂュリ おゝ、花 の顏 に潛 む蝮 の心 ! あんな奇麗 な洞穴 にも毒龍 は棲 ふものか? 面 は天使 、心 は夜叉 ! 美 しい虐君 ぢゃ! 鳩 の翼 被 た鴉 ぢゃ! 狼根性 の仔羊 ぢゃ! 見 た目 は神々 しうて心 は卑 しい! 外面 とは裏表 ! いやしい聖僧 、氣高 い惡黨 ! おゝ、造化主 よ、あのやうな可憐 しらしい人間 の肉體 にすら夜叉 の魂 を宿 らせたなら、地獄 の夜叉 の肉體 には何者 を住 ませうとや? あんな内容 にあのやうな表紙 を附 けた書 があらうか? あんな華麗 な宮殿 に虚僞 譎詐 が棲 はうとは!
乳母 さゝ、頼 まれぬ、信 ぜられぬ、不正直 は男 の習 ひぢゃ。どれも/\吐 、誓言破 り、ろくでなしの詐僞者 ぢゃ。あゝ、彼僮 めは何處 へ往 にをったぞ? 火酒 を持 て來 てくりゃ。此 苦 しみ、此 歎 き、此 悲 しみで、わしゃ齡 を取 ってしまふわいの。ロミオの奴 、恥掻 きをれ!
ヂュリ そのやうなことを言 ふ汝 の舌 こそ腐 りをれ! 恥 を掻 かしゃる身分 かいの、彼方 の額 には恥 などは恥 かしがって能 う坐 らぬ。あれこそは此世 の名譽 といふ名譽 が、只 った一人 王樣 となって、坐 る帝座 ぢゃ。おゝ、何 といふ獸物 ぢゃ予 は、かりにも彼 の方 を惡 ういふとは!
乳母 從兄 どのを殺 した人 をお前 は善 う言 はうでな?
ヂュリ 殿御 ぢゃ、惡 う言 うてならうか! あゝ、我 夫 、どの舌 で滑 ッこうせうぞ、つい三時 が程 連添 うた妻 の口 で創 だらけにしたお前 の名 を? とは言 ひながら何故 殺 した汝 は、予 の從兄 を? さア、お前 をば從兄 めが殺 したでもあらうによって。戻 れ、おろかな涙 め、元 の泉 へ戻 りをれ。悲歎 に献 ぐる貢 を間違 へて喜悦 に献上 せをる。チッバルトが殺 したでもあらう我 夫 は生存 へて、我 夫 を殺 したでもあらうチッバルトが死 んだのぢゃ。すれば、嬉 しいことばかり、予 ゃ何 で泣 くのぢゃ? 最前 聞 いた一言 が、その一言 が、チッバルトが死 にゃったよりも悲 しいのぢゃ。辛 い、忘 れたい。おゝ、それが切實 と思 ひ出 さるゝ、怖 しい罪惡 を罪人 が忘 れぬやうに。「チッバルトは死 なしゃれた、そしてロミオは……追放 !」……「追放 」……其 「追放 」といふ一言 がチッバルトを一萬人 も殺 してのけた。チッバルトが死 にゃったばかりでも可 い程 の不幸 であったものを。若 し又 不幸 は同伴 を好 み、是非 とも他 の不幸 を同伴 って來 ねばならぬなら、「チッバルトが死 なしゃれた」というた次 に、父 さまとか、母 さまとか、乃至 お二人 もろともとか、乳母 が何故 言 ひをらぬ。すればまだしも尋常 の憂悲歎 で濟 まうものを。チッバルトがお死 にゃった上 に、殿 りに「ロミオは追放 」。追放 と聞 くからは、父母 もチッバルトもロミオもヂュリエットも皆々 殺 されてしまうたのぢゃ。「ロミオは追放 !」其 一言 が人 を殺 す力 には際 も量 も限 も界 も無 いわいの。言葉 では言 ひ盡 されぬ不幸 ぢゃ。……なう、父樣 や母樣 は何處 にぢゃ。
乳母 チッバルトどのゝ死骸 に取着 いてお泣 きゃってでござります。彼方 へ往 かしゃるなら案内 をしませう。
ヂュリ 涙 で創口 を洗 はしゃるがよい、其 涙 の乾 る頃 にはロミオの追放 を悔 む予 の涙 も大概 盡 う。其 綱 を拾 うてたも。……ても憫然 な綱 よの、汝等 は欺 されたなう、汝等 も予 もぢゃ、ロミオが追放 になりゃったによって。ロミオは汝等 をば寢室 への通路 にせうとお思 やったに、予 は志望 を能 い遂 げいで、處女 のまゝで世 を去 るのぢゃ。さ、綱 よ。さ、乳母 よ。これから婚禮 の床 へ往 かう。ロミオではない死神 よ、予 は此身 を任 さうわいの!
乳母 速 う居間 へゆかしゃれ。お前 を喜 ばす眞實 のロミオを搜 して來 う。其 居處 は知 ってをる。これの、こちのロミオどのは、今宵 こゝへ來 やしゃる筈 ぢゃ。わしが往 て呼 んで來 う。はて、ロレンスさまの庵室 に、ロミオは隱 れてござらッしゃります。
ヂュリ おゝ、速 う逢 うて! そして此 指輪 を予 の勳爵士 どのに手渡 して、訣別 にござるやう傳 へてたも。
ロレンス法師 出る。
ロレ ロミオよ、出 てござれ、出 てござれよ、こりゃ人目 を怕 れ憚 る男 。あゝ、卿 は憂苦勞 に見込 まれて、不幸 と縁組 をお爲 やったのぢゃわ。
ロミオ出る。
ロミオ 師 の御坊 か、消息 は何 とぢゃ? 殿 の宣告 は何 とあったぞ? まだ知 らぬ何樣 な不幸 が、予 と知合 にならうといふのぢゃ?
ロレ されば、其 可厭 友達衆 に和子 は親 しみが多過 ぎるわい。お宣告 を知 らせに來 た。
ロミオ 一定 、命 を召 されうでな?
ロレ いや、寛大 なお宣告 、一命 は召 されいで、追放 にせいとの命令 ぢゃ。
ロミオ なに、追放 ! 慈悲 ぢゃ、死罪 と言 うて下 され。謫竄 の身 となるは死 ぬるよりも怖 しい。追放 と言 うて下 さるな。
ロレ いや、ローナからは追放 ぢゃが、世界 は廣 い、まゝ、落着 いてござれ。
ロミオ ローナの市 を離 れては世界 は無 い、有 るものは只 煉獄 ぢゃ、苛責 ぢゃ、地獄 ぢゃ。此處 から逐 はるゝは世界 から逐 はるゝも同 じ事 、世界 から逐 はるゝは殺 さるゝも同 じ事 、すれば追放 とは死罪 の隱 し名 ぢゃ。死罪 の事 を追放 といはッしゃるは、黄金 の斧鉞 で予 の首 を刎 ねておいて、汝 は幸福 ぢゃと笑 うてござるやうなものぢゃ。
ロレ おゝ、罪深 や/\! おゝ、作法知 らず、恩知 らず! これ、卿 の罪科 は國法 では死罪 とある、然 るに慈悲深 い御領主 が卿 の肩 を持 ち、御法 を曲 げ、怖 しい死罪 の名 を追放 とは變 へさせられた。其 難有 いお慈悲 が分 らぬか!
ロミオ 慈悲 ではなうて、そりゃ苛責 ぢゃ。ヂュリエットがゐやる此處 は天國 、こゝに住 む限 りは猫 も犬 も鼠 も、どのやうな屑々物 も、姫 の顏 が見 らるゝゆゑ天國 にゐるのぢゃが、ロミオにはそれが能 はぬ。腐肉 に集 る蒼蠅 でもロミオには優 す幸福者 ぢゃ、風雅 びた分際 ぢゃ。彼奴等 は可憐 しいヂュリエットの手 の白玉 を掴 むことも出來 る、また姫 の脣 から……其 上下 の脣 が、淨 い温淑 な處女氣 で、互 ひに密接 と合 ふのをさへ惡 いことゝ思 うてか、いつも眞赤 になってゐる……其 姫 の脣 から永劫 死 なぬ天福 を窃 と盜 むことも出來 る、ロミオにはそれが能 はぬ。ロミオは追放 の身 の上 ぢゃ。蒼蠅 でも能 うすることをロミオばかりは能 うせぬ、彼奴等 は自由 の身 、吾等 は追放 ! これでも足下 は追放 を死罪 でないとおしゃるかいの? 調合 した毒 はないか、研 ぎすました刃 はないか、如何 に卑 しうても大事 ない、一思 ひに死 ぬ法 は無 いか?……「追放 」……「追放 」で殺 さるゝのは俺 ゃ否 ぢゃ! おゝ、御坊 よ、追放 とは墮獄 の輩 が用 ふる語 、唸 り聲 が附物 。そのやうな語 を聞 かせて予 を切 りさいなむとは酷 いわい、つれないわい、それでも高僧 か、司悔僧 か、教導師 か、莫逆 と誓 うた信友 か?
ロレ はてさて、愚 な狂人 どの、ま、予 の言 ふことを聽 かっしゃれ。
ロミオ きっとまた追放 といふことを被言 るであらう。
ロレ いや、其 語 の鋭鋒 を防 ぐ甲胄 を與 さう。逆境 の甘 い乳 ぢゃと謂 ふ哲學 こそは人 の心 の慰 め草 ぢゃ、よしや追放 の身 とならうと。
ロミオ それ、また「追放 」と! えゝ、哲學 め、腐 りをれ! 哲學 でヂュリエットが出來 、市 が移 され、領主 の宣告 が取消 さるれば知 らぬこと、哲學 が何 の役 に立 つ、何 にならう? もう聽 かぬ。
ロレ おゝ、すれば狂人 には耳 が無 いと見 える。
ロミオ 無 い筈 ぢゃ、賢 い人 にさへ目 が無 い世 ぢゃ。
ロレ いや、卿 の今 の身 の上 について、談 じたい事 があるのぢゃ。
ロミオ 身 に感 じておゐやらぬ事 を、何 で談 ずることが出來 う。足下 が予程 に齡 が若 うて、あのヂュリエットが戀人 で、婚禮 の式 を擧 げて只 一時 も經 たぬうちにチッバルトをば殺 して、予 のやうに戀 ひ焦 れ、予 のやうにあさましう追放 された上 でなら、予 に談 ずることも出來 うずれ、このやうに頭髮 を掻毟 って、ま此樣 に地上 に倒 れて、まだ掘 らぬ墓穴 の尺 を取 ることも出來 うずれ!
ロミオ頭髮 を掻毟 り仰向 に倒 れて歎 く。此時 奧 にて戸 を叩 く音 。
ロレ 起 ちゃれ。案内 がある。ロミオや、速 う身 を匿 しゃれ。
ロミオ 俺 ゃ匿 れぬ。胸 の惱悶 の唸 きの息 が霧 のやうに立籠 めて追手 の目 を塞 いだら知 らぬこと。
ロレ あれ、あの叩 くことは!……誰 れぢゃな!……速 う起 ちゃ。捕 へられうぞよ。……暫 く/\!……立 ちゃ/\。
けたゝましうお叩 きゃるは何人 ぢゃ? どこから見 えたぞ? 何 の御用 ぢゃ?
乳母 (内にて)用 は入 ってから申 しまする、ヂュリエットさまからでござります。
ロレ なれば、ようこそ。
乳母 おゝ、御坊 さま、御坊 さま、姫 さまの殿御 は何處 にござらッしゃります、ロミオさまは何處 に?
ロレ それ、そこに地上 に、おのが涙 に醉 うて。
乳母 おゝ/\、こちの姫 さまも、ま、ちょうど其通 りぢゃがな!
ロレ ても、いたましい悲哀 の感應 ! 氣 の毒 な境遇 !
乳母 こちのも其通 りに平伏 って、泣面 かいて、哭立 てゝぢゃ。立 たッしゃれ/\。男 なら立 たッしゃりませ。姫 の爲 ぢゃ、ヂュリエットどのの爲 ぢゃ、起 きさッしゃれ、立 たしませ。(此時ロミオ唸 く。)何 で其樣 に歎 かッしゃるのぢゃ、何 で其樣 に大業 に?
ロミオ (俄に起ち上りて)おゝ、乳母 !
乳母 あゝ、もし! これさ、もし! はて、死 ぬれば何 もかも結局 ぢゃがな。
ロミオ 今 ヂュリエットと被言 ったの? 姫 は何 としてぢゃ? 姫 は予 を二人 が中 の歡樂 の其 水子 を姫 の身内 の血 で汚 した怖 しい殺人者 と思 うてはゐやらぬか? 何處 にぢゃ? 何 としてぢゃ? わしの内密妻 は破 れた互 ひの誓文 を何 と言 うてぢゃ?
乳母 おゝ、何 も言 はッしゃらいで、泣 いてばっかり。寢床 の上 に倒 れさっしゃるかと思 ふと、即 て又 飛 び起 きてチッバルトと呼 ばらっしゃる、かと思 ふと、ロミオと呼 ばって、又 横倒 しにならっしゃります。
ロミオ すりゃ、其 名前 に胸板 を射拔 かれたやうに思 うて、其 名前 の持主 が大事 の近親 を殺 したゆゑ。おゝ、御坊 、をしへて下 され、此 肉體 の何 のあたりに、予 の醜穢 しい名 は宿 ってゐるぞ? さ、をしへて下 され、其 憎 い居所 を切裂 いてくれう。
ロレ まゝゝ、滅相 なことをすまい。これ、男 ではないか? 姿 を見 れば男 ぢゃが、其 涙 は宛然 の女子 ぢゃ。狂氣 めいた其 振舞 は理性 のない獸類同然 。男 らしうも女 らしうも見 えて、獸類 らしうも見 ゆる見 ともない振舞 ! はてさて、呆 れ果 てた。誓文 、予 は今少 し立派 な氣質 ぢゃと思 うてゐたに。チッバルトを殺 した上 に、おのが身 をも殺 さうとや? 自 ら墮地獄 の罪 を犯 して、卿 ゆゑにこそ生 きてゐやるあの姫 をも殺 さうとや? 何 で卿 は出生 を呪 ひ、天 を、地 を呪 ふのぢゃ? 生 と天 と地 と此 三 つが相合 うて出來 た身 をば、つい無分別 に棄 てうでな? 馬鹿 な、馬鹿 な! 姿 を、戀 を、分別 を辱 むる振舞 といふものぢゃ。譬 へば、吝嗇者 のやうに貨 は夥 しう有 ってをっても、正 しう用 ふることを知 らぬ、姿 をも、戀 をも、分別 をも、其身 の盛飾 となるやうには。卿 の其 氣高 い姿 は徒 の蝋細工同樣 、男 の勇氣 からは外 れたものぢゃ。卿 の戀 の盟約 は内容 の無 い空誓文 、なりゃこそ養育 まうと誓 うた戀 をも殺 してのけうと爲 やるのぢゃ、卿 の分別 は姿 や戀 の飾 ぢゃが、本體 が善 うないので不具 となり、愚 な卒 が藥筐 の火藥 のやうに、扱 ひかたがわるいので爆發 し、我 れと我 が武器 で身 を滅 す。こりゃ、しっかりとお爲 やらう! つい最前 まで戀 しさに死 ぬる苦 しみを爲 てござった其 戀人 のヂュリエットは恙 ない。すれば、それが先 づ幸福 。またチッバルトは卿 を殺 したでもあらうずに、卿 がチッバルトを殺 した。それもまた一 つの幸福 。次 に死罪 ともあるべき國法 は卿 の身方 となって追放 で事濟 み。それもまた一 つの幸福 。天 の恩惠 は重 ね/″\脊 に下 り、幸福 が餘所行姿 で言寄 りをる。それに何 ぢゃ、意地 くねの曲 った少女 のやうに、口先 を尖 らせて運命 を呪 ひ、戀 を呪 ふ。氣 を附 けゃ、氣 を附 けゃ、さういふ輩 があさましい最期 を遂 ぐる。さゝ、豫定通 り、戀人 の許 へ往 て、居間 へ攀 ぢ登 り、速 う慰 めてやりめされ。したが、夜番 の置 かれぬうちに別 れませうぞ、マンチュアへ往 かれぬやうになってはならぬ。マンチュアに蟄 してゐやる間 に、わしが機 を見 て二人 が内祝言 の顛末 を公 にし、兩家 の確執 を調停 し、御領主 の赦 を乞 ひ、やがて卿 を呼返 すことにせう、其折 の喜悦 は出 て行 く今 の悲痛 の千萬倍 であらうぞよ。……乳母 、先 へ往 きゃれ。姫 によう傳 へたもれ、家内中 を早 う就褥 しめさと被言 れ、歎 きに疲 れたれば眠 むるは定 ぢゃ。ロミオは今直 參 らるゝ。
乳母 はれま、結構 なお教訓 ぢゃ、夜 すがら此處 に居殘 っても、聽聞 がしたいわいの。てもま、學問 は偉 いものぢゃな! 殿 さん、貴方 が來 さしますことを姫 さまに申 しましょ。
ロミオ さういうて、戀人 に、叱 る準備 をさせてたもれ。
乳母 もしえ、この指輪 は姫 さまから、わしに貴下 へ上 げませいと言 うて。さ、速 う、急 がしゃれ、甚 う夜 が深 けたによって。
ロミオ おゝ、これで心 が安 らいだわ!
ロレ さ、速 う往 きゃれ。さらばぢゃ。貴下 の幸運 は只 此 一 つに繋 る、夜番 の置 かれぬうちに出立 するか、さなくば夜明 くる頃 姿 を窶 して此 市 を遠 ざかるか、二 つに一 つぢゃ。マンチュアに蟄 してござれ、忠實 な僕 を求 め、時折 、其 男 して此方 の吉左右 を知 らせう。さ、手 を。もう晩 い。さらばぢゃ、機嫌 よう。
ロミオ 此上 も無 い歡樂 が予 を呼 ぶのでなかったら、斯 う早急 に別 るゝのは悲 しいことであらう。恙 なうござりませ。
カピューレット長者 、同 じく夫人 及 びパリス出る。
カピ長 かやうな珍變 が起 ったによって、女 に説 き聞 す暇 もござらなんだ。女 もチッバルトを甚 う懷 しう思 うてをったに、また吾等 とても同樣 ぢゃに。さりながら人 は皆 死 ぬるやうに生 れたもの。もう今宵 は晩 うござる、女 は降 りては參 るまいぢゃまで。貴下 がござったればこそ、さもなくば吾等 とても、一時 も前 に、臥床 んだでござらう。
パリス かういふ愁傷 の最中 には祝言 の話 も出來 まい。お内 かた、おさらばでござる。娘御 によろしう傳 へて下 され。
カピ妻 心得 ました、女 の心 は明日 早 う質 しましょ。今宵 は悲嘆 に囚 はれて、閉籠 めてのみ居 まする。
パリス行 きかくる。
カピ長 いや、なう、パリスどの、女 は敢 て献 じまする。彼 れめは何事 たりとも吾等 の意志 には背 くまいでござる、いや、其儀 は聊 も疑 ひ申 さぬ。……奧 よ、其許 は寢 る前 に女 に逢 うて、婿 がねパリスどのゝ深 い心入 の程 を知 らせて、よいかの、次 の水曜日 には……いや、待 ちゃれ、けふは何曜日 ぢゃ?
パリス 月曜日 でござる。
カピ長 月曜日 ! はゝア! かうッと、水曜日 はちと急 ぢゃ。木曜日 にせう。……女 に、木曜日 には此 殿 と祝言 さすると被言 れ。ようござるか? 此 早急 に異議 はござらぬか? 業々 しうはすまい、ほんの近 しい輩 一兩名 、はて、何故 と被言 れ、近親 チッバルトが殺 されて間 がないことゆゑ、盛宴 を催 すときは無情 な行爲 とも思 はれうによって。されば、近 しい友達 をば只 五六名 限 り招 くことにしませう。……したが、貴下 、木曜日 でようござるか?
パリス 吾等 は其 木曜日 が明日 であってほしうござる。
カピ長 さらば、先 づお歸 りあれ。なれば木曜日 と定 めまする。……卿 は寢 る前 に女 に逢 うて、當日 の準備 をさせたがよい。……おさらばでござる。予 が居間 へ燭火 を持 て! はれやれ、晩 うなったわい、こりゃ軈 てお早 うと言 はねばなるまい。……さゝ、お休 みなされ。
パリスと夫婦 と左右 に分 れて入る。
ロミオとヂュリエットと樓上 の窓口 に現 るゝ。
ヂュリ 去 うとや? 夜 はまだ明 きゃせぬのに。怖 ってござるお前 の耳 に聞 えたは雲雀 ではなうてナイチンゲールであったもの。夜毎 に彼處 の柘榴 へ來 て、あのやうに囀 りをる。なア、今 のは一定 ナイチンゲールであらうぞ。
ロミオ いや/\、旦 を知 らする雲雀 ぢゃ、ナイチンゲールの聲 ではない。戀人 よ、あれ、お見 やれ、意地 の惡 い横縞 めが東 の空 の雲 の裂目 にあのやうな縁 を附 けをる。夜 の燭火 は燃 え盡 きて、嬉 しげな旦 めが霧立 つ山 の巓 にもう足 を爪立 てゝゐる。速 う往 ぬれば命 助 かり、停 まれば死 なねばならぬ。
ヂュリ あの光明 は朝 ぢゃない、いえ/\、朝日 ではないわいの。ありゃ太陽 がお前 の爲 に、今宵 マンチュアへの道案内 に炬火持 の役 さしょとて、急 に呼出 した光 り物 ぢゃ。ぢゃによって、大事 ない、まだ去 しゃるには及 ばぬ。
ロミオ 捕 はれうと、死罪 にならうと、恨 はない、卿 の望 とあれば。あの灰色 は朝 の眼 で無 いとも言 はう、ありゃ嫦娥 の額 から照返 す白光 ぢゃ。また吾等 の頭 の上 で大空 高 う鳴響 くあの奏樂 も、雲雀 の聲 では無 いと言 はう。去 にたいよりも此處 に居 たいが幾層倍 ぢゃ。さ、死 よ、來 れ、喜 んで迎 へう! それがヂュリエットの望 ぢゃ。さ、戀人 、どうぢゃ? もっと話 さう。朝 ではない。
ヂュリ いや、朝 ぢゃ、朝 ぢゃ。速 う去 しませ、速 う/\! 聞辛 い、蹴立 たましい高調子 で、調子外 れに啼立 つるは、ありゃ雲雀 ぢゃ。雲雀 の聲 は懷 しいとは虚僞 、なつかしい人 を引分 けをる。蟇 と目 を交換 へたとは事實 か? ならば何故 聲 までも交換 へなんだぞ? あの聲 があればこそ、抱 きあうた腕 と腕 を引離 し、朝彦 覺 す歌聲 で、可愛 しいお前 を追立 てをる。おゝ、速 う去 しませ、だん/″\明 るうなって來 る。
ロミオ 明 るうなればなる程 、暗 うなる二人 が身 の上 。
乳母 姫 さま!
ヂュリ 乳母 か?
乳母 御方樣 が只今 お居間 へ入 らせられます。夜 は明 けた、もし、油斷 なう心 を配 って。
ヂュリ なりゃ、窓 よ、日光 を内 へ、命 を外 へ。
ロミオ おさらば、おさらば! これを名殘 に(と接吻して)降 りて去 う。
ヂュリ (樓上より)お前 もう去 しますか? あゝ、戀人 よ、殿御 よ、わが夫 よ、戀人 よ! きっと毎日 消息 して下 され。これ、一時 も百日 なれば、一分 も百日 ぢゃ。おゝ、そんな風 に勘定 したら、また逢 ふまでには予 は老年 になってしまはう!
ロミオ さらばぢゃ! かりそめにも機會 さへあれば消息 を怠 ることではない。
ヂュリ おゝ、また逢 はれうかいの?
ロミオ 念 には及 ばぬ。今 の此 憂苦勞 は、後 の樂 しい昔語 ぢゃ。
ヂュリ おゝ、如何 せうぞ! 心 めが忌 しい取越苦勞 をさせをる。下 にゐやしゃるのを此處 から見 ると、どうやら墓 の底 の死人 のやう。目 の故 か知 らねども、お前 の顏 が蒼 う見 ゆる。
ロミオ 眞實 、予 の目 にも、卿 の顏 が然 う見 ゆる。憂悲愁 が互 ひの血汐 を涸 らしたのぢゃ。おさらば、おさらば!
ロミオ入る。
ヂュリ おゝ、運命神 よ、運命神 よ! 皆 が汝 を浮氣者 ぢゃといふ。いかに汝 が浮氣 であらうと、世 に聞 えた堅實 な人 を何 とすることも出來 まい。いや、やっぱり浮氣 がよい、そしたら彼 の人 を直 いて予 へ返 してたもらうによって。
カピ妻 (内にて)女 や/\! 起 きてかいの?
ヂュリ 誰 れぢゃ呼 ぶは? 母 さまか知 らぬ。晩 うまで眠 らいでか、早 うから目 を覺 してか? 何事 があって、見 えたやら?
カピューレット夫人 出る。
カピ妻 ま、其方 、如何 ぞしやったか?
ヂュリ 心地 がわるうござります。
カピ妻 いつまでも從兄 どのゝのことを悔 んでゐやるか? これの、涙 で洗 うたら墓 から出 て來 やると思 うてか? 出 て來 やったとても生 かすことは出來 まい。ぢゃによって、思 ひ切 りゃ。歎 くは愛情 の深 い證 ぢゃが、餘 りに深 う歎 くは分別 の足 はぬ證 ぢゃ。
ヂュリ でも此樣 な不幸 は存分 に泣 いてのけたい。
カピ妻 存分 にお泣 きゃらうと、不幸 な人 が歸 りはせぬ。
ヂュリ 返 らぬことゝ思 うても、存分 に泣 かいではをられぬ。
カピ妻 では、其方 は、殺 した當 の惡黨 が尚 存 へてゐくさるのを、然程 にはお泣 きゃらぬな?
ヂュリ え、惡黨 とはえ?
カピ妻 あのロミオの惡黨 。
ヂュリ (傍を向き)惡黨 と彼 の人 では大 きな相違 ぢゃ!……神樣 、あの者 を赦 させられませ! わたしは眞實 赦 してゐます。とは言 へ、思 ひ出 すと、悲 しうてなりませぬ。
カピ妻 と言 ふのも、あの二心 の下手人 めが生存 へてをるからぢゃ。
ヂュリ あい、さうぢゃ、わたしの此 手 が能 う達 かぬ遠 い處 に。わたしの手 一 つで從兄 どのゝ敵 が討 ちたい。
カピ妻 敵 は一定 取 ってやります。懸念 には及 ばぬ。すれば、最早 泣 きゃんな。あの追放人 の無頼漢 が住 んでゐるマンチュアに使 を送 り、さる男 に言 ひ含 めて尋常 ならぬ飮物 を彼奴 めに飮 ませませう、すれば即 てチッバルトが冥途 の道伴 。さうなれば其方 の心 も慰 まう。
ヂュリ ほんにロミオの顏 を……死顏 を……見 るまでは、妾 ゃ如何 しても心 が勇 まぬ、從兄 がお死 にゃったのが、それ程 に心 に沁 みて悲 しい。母 さま、其 毒 を持 って行 く使 の男 とやらが定 ったら、藥 は妾 が調合 せう、ロミオがそれを手 に入 れたら、直 にも安眠 しをるやうに。おゝ、彼奴 の名 を聞 くと身 が顫 る。もどかしいなア、チッバルトを殺 しをった彼奴 の肉體 をば掻毟 って、懷 しい/\從兄 への此 眞情 を見 することも出來 ぬか!
カピ妻 方法 は自身 で工夫 しやれ、使者 は予 が搜 しませう。それはさうと、めでたい報道 を持 って來 たぞや。
ヂュリ めでたい事 とは耳寄 りな、此樣 な辛 い時 に。それは何樣 な事 でござります?
カピ妻 はて、其方 は仁情深 い父御 をお有 ちゃってぢゃ。其方 に愁歎 を忘 れさせうとて、俄 にめでたい日 をお定 めなされた、予 も其方 も曾 ぞ思 ひがけぬめでたい日 を。
ヂュリ はれま、母樣 、それはまた何樣 な?
カピ妻 はて、女 よ、次 の木曜日 の朝 早 う、あの風流 な、立派 な若殿 のパリスどのが、セント・ピーターの會堂 で、めでたう其方 を花嫁御 にお爲 やる筈 ぢゃ。
ヂュリ そのセント・ピーターの會堂 懸 けて、いゝや、ピーターどのをも誓言 にかけて、何 のそれがめでたからう! 嫁入 はせぬわいの。何 といふ早急 ぢゃ。申入 も聞 かぬうちに婚禮 とは何事 ぢゃ? 父 さまに言 うて下 され、わたしは嫁入 はまだしませぬ。嫁入 すれば如何 あってもロミオへ往 く、憎 いと思 ふあのロミオへ、パリスどのへ往 くよりは。まア、ほんに、思 ひがけない!
カピ妻 あれ、父御 がわせた。自身 で然 う言 うて、父御 がそれを其方 から聞 いて、何 と思 はしゃるかを見 たがよい。
カピューレット長者 先 に乳母 從 いて出る。
カピ長 日 が沈 むと露 が降 りるは尋常 ぢゃが、甥 の日沒 には如瀧雨 ぢゃ。どうぢゃ! 噴水像 どの! え、まだ泣 いておぢゃるか? え、いつまでも雨天 つゞきか? 其許 は只 一 つの小 さい身體 で、船 にもなれば、海 にも風 にもなりゃる。先 づ目 は海 ぢゃ、終始 涙 の滿干 がある、身體 は船 、其 鹽辛 い浪 を走 る、溜息 は風 ぢゃ、涙 の浪 と共 に荒 り、涙 はまたそれを得 て倍 荒 るゝ、はて、和 が急 に來 なんだら、命 の船 が顛覆 ってしまふわい。……何 とぢゃ、卿 ! 吩咐 けた通 りをお語 りゃったか?
カピ妻 はい、申 しましたなれど、有難 うはござりますが、望 まぬと言 うてゐます。阿呆 めは墓 へ嫁入 したがようござります!
カピ長 ま、待 たしませ! 如何 したと言 はします、いさや、どうしたと被言 るのぢゃ? え! 望 まぬ? 有難 いとは思 はぬか? 其 身 の名譽 ぢゃと思 はぬか? おのれ、嬉 しいとも思 ひをらぬか、あのやうな、分不相應 の貴人 を親 が婿 にしてとらしたをば?
ヂュリ さア、名譽 ぢゃとは思 はねど、嬉 しいとは思 ひまする。嫌 なものを名譽 には能 うせねど、其 嫌 なことも妾 を可愛 さにして下 されたと思 へば嬉 しい。
カピ長 何 ぢゃ、何 ぢゃ! 小理窟屋 が! 何 ぢゃそれは? 「名譽 ぢゃ」、「嬉 しいと思 ひまする」、「嬉 しいと思 ひませぬ」。しかも尚 「名譽 ぢゃとは思 ひませぬ」はて、こゝな我儘 どの、嬉 しがったり名譽 がったりする間 に、其 上等 な脚節 でも調査 べておきゃ、次 の木曜日 にパリスと一しょに會堂 へ行 くために。さうでないと、簀子 の上 へ叩 き伏 せて、引摺 って行 かうぞよ。おのれ、萎黄病 で死 んだやうな面 をしをって! うぬ/\、碌 でなし! おのれ、白蝋面 めが!
カピ妻 あさましい! 貴下 は氣 でも狂 うたか?
ヂュリエット父 の前 に膝 まづく。
ヂュリ もうし、父上 、膝 をついて願 ひまする、たった一言 堪忍 して聽 いて下 され。
カピ長 くたばりをれ、碌 でなしめが! 不孝千萬 な奴 ぢゃ! こりゃやい、次 の木曜日 に教會堂 へ往 きをらう。往 かずば、又 と此 顏 を見 るな。言 ふな、答 へるな、返答 するな。此 指 がむづ/\するわい。……奧 よ、子 をば神 が只 一人 しか賜 らなんだのを不足 らしう思 うたこともあったが、今 となっては此奴 一人 すら多過 ぎる、取 りも直 さず、呪咀 ぢゃ、禍厄 ぢゃ、うぬ/\、賤婢 め!
乳母 はれまア、可愛相 に! 其樣 に叱 らしゃりますは、殿 さま、それは貴下 が無理 でござります。
カピ長 なゝ、なぜぢゃ、賢女 どの! 聰明樣 、まゝ、お默 りなされ。喋々語 きたくば、とっとゝ彼方 へ往 て、冗口仲間 と饒舌 れ。
乳母 お爲 にならぬことは言 ひませぬわいの。
カピ長 はい、さやうなら、御機嫌 よう!
乳母 物言 うては、わるいかいな?
カピ長 默 れ、むが/\むが/\と、阿呆 め! 其許 の御託宣 は、冗口仲間 と酒 でも飮合 ふ時 に被言 れ、こゝには用 は無 いわ。
乳母 貴下 は餘 り逆上 せてござる。
カピ長 はて、氣 ちがひにもなるわさ。晝 も夜 も、季 も節 も、念々刻々 、働 いてゐよが、遊 んでゐよが、只 一人 ゐよが、多勢 と共 にゐよが、女 めが縁邊 を苦勞 にせなんだ時 は無 い。やっとの事 で、門閥家 の、良 い領地有 の、年 の若 い、教育 も立派 な、何樣 才徳 の具足 した男 は斯 うもありたいもの、と望 まるゝ通 りに出來上 ってゐる婿 を搜 して、供給 へば、見 ともない、吠面 さかいて、泣偶人 め、幸福 をば幸福 とも思 ひをらいで、「嫁入 はせぬ」の、「戀 は知 らぬ」の、「まだ年齡 がゆかぬ」の、「赦 して下 されい」の、と吐 しをる。したが、嫁入 をせぬとならば、赦 してもくれう。好 きな處 で草食 みをれ、此處 には住 さぬわい。やい、よう思 へ、よう考 へをれ、戲言 は言 はぬ乃公 ぢゃ。木曜日 は今 の間 、胸 に手 を置 いて思案 せい。我子 ならば親友 の許 へ遣 る、さなくば首 を縊 らうと、乞食 をせうと、餓 ゑて途上死 をしをらうとまゝぢゃ、誓文 、我子 とは思 はぬわい、また何一 つたりと、汝 には與 れまいぞよ。よいか、二言 は無 いぞよ。誓言 は破 らぬぞよ。
ヂュリ 大空 の雲 の中 にも此 悲痛 の底 を見透 す慈悲 は無 いか? おゝ、母 さま、わたしを見棄 てゝ下 さりますな! 此 婚禮 を延 して下 され、せめて一月 、一週間 。それも能 はぬなら、チッバルトが臥 てゐやる薄昏 い廟 の中 に婚禮 の床 を設 けて下 され。
カピ妻 わしに物 を被言 んな、わしは最早 何 も言 ひますまいほどに。好 きにしや、もう其方 には關 ひませぬほどに。
ヂュリ おゝ!……おゝ、乳母 や! 如何 したらよいであらうぞ? 夫 は地上 、誓約 は天上 。何 として其 誓約 が再 び地上 に戻 らうぞ、其 夫 が地 を離 れて天 から取戻 してたもらずば?……慰 めてたも、教 へてたも。……かなしや/\、此身 のやうな孱弱 い者 を天 までが陰謀 んで責 めさいなむ!……これ、乳母 、どうせう? 嬉 しいことを言 うてたも。何 ぞ慰 めはないかいの?
乳母 誓文 、ござります。ロミオどのは追放 の身 ぢゃほどに、世界 が崩 れうと、戻 って來 て何 のかのと言 はッしゃらう筈 は無 い。よしや戻 らッしゃるにせい、ほんの窃々 の内密沙汰 ぢゃ。すれば、かうなってしまうた上 は、あの若殿 へ嫁入 らッしゃるが最 ち良 い分別 ぢゃ。おゝ、ほんに可憐 しいお方 。彼方 に比 べてはロミオどのは雜巾 ぢゃ。萠黄色 の、活々 とした美 しい眼附 、鷲 の目 よりも立派 ぢゃ。ほんに/\、こんどのお配偶 こそ貴孃 のお幸福 であらうぞ、前 のよりはずっと優 ぢゃ。よし然 うでないにせい、前 のは最早 絶滅 ぢゃ、いや、絶滅 も同樣 ぢゃ、離 れて住 んでござって、貴孃 のまゝにならぬによって。
ヂュリ そりや[#「そりや」はママ]其方 本氣 で言 やるか?
乳母 はい、本氣 でも本心 でもござります、でなくば罰 が當 たれ!
ヂュリ 其通 りに!
乳母 えゝ?
ヂュリ なに、あの、其方 の慰 めで不思議 に心 が安堵 いた。奧 へ往 て、母樣 に言 うてたも、父上 の御不興 を受 けたゆゑ、懺悔 をして罪 を赦 して貰 はうとて、ロレンスどのゝ庵室 へわしが往 んだと。
乳母 はい/\、心得 ました。それこそ賢 い御分別 ぢゃ。
ヂュリ 罰當 りの夜叉 め! おゝ、惡魔 め! 予 に誓約 を破 らせうとしをるばかりか、前 には幾千度 も比 べ物 の無 いやうに褒 めちぎった予 の殿御 を其 同 じ舌 で惡口 しをる。……去 ね、相談敵手 にした其方 ぢゃが、其方 と予 とは今 からは心 は別々 。……御坊 の許 へ往 て救 ひを乞 はう。事 が皆 破 れても、死 ぬる力 は此身 に有 る。
ヂュリエット入る。
[#改ページ]
ロレンス法師 とパリスと出る。
ロレ 木曜日 と仰 せらるゝか? では早急 な事 ぢゃ。
パリス 舅 カピューレットどのが其樣 にしたいと被言 る。予 とてもそれを遲 うしたいとは思 ひませぬ。
ロレ 姫 の心 はまだ知 らぬと仰 せらるゝ。すれば段取 が素直 でない、吾等 は好 もしう思 ひませぬ。
パリス チッバルトの落命 をいみじう歎 いてゞあったゆゑ、涙 の宿 には戀神 は笑 まぬものと、縁談 を差控 へてゐたところ、餘 り甚 う歎 いては姫 の身 が心元 ない、獨 でゐれば洪水 のやうに出 る涙 も、交 らふ者 があれば堰止 むることも出來 るものと、舅御 の才覺 にて、急 に婚禮 と事 が決 った。速 うせねばならぬ仔細 を、何 と會得 めされたか?
ロレ (傍を向きて)それは遲 うせねばならぬ仔細 が、此方 に解 ってをらなんだらなア!……あれ、御覽 ぜ、姫 が此庵 にわせられた。
ヂュリエット出る。
パリス 嬉 しう逢 ひました、我妻 。
ヂュリ 妻 とも呼 ばしませ、婚禮 が叶 ふなら。
パリス 叶 はいでならうか、此次 の木曜日 には?
ヂュリ 叶 はいでならぬことは叶 ふ筈 ぢゃ。
ロレ こりゃ格言 ぢゃわい。
パリス 今日 は師 の御坊 に懺悔 をばしよう爲 にわせられたか?
ヂュリ はい、というたなら、貴下 へ自白 をしたことになりませうぞ。
パリス 吾等 を思 うてゐるといふことを、御坊 に打明 けて言 うて下 され。
ヂュリ では、打明 けて申 しませう、わたしは御坊樣 を思 うてゐます。
パリス 吾等 をも同 じやうに思 うてゐる、と言 うて下 されうがな。
ヂュリ さア、言 ふにせい、それは背 で言 うてこそ價値 もあれ、面 を見合 せて言 はうより。
パリス やれ、笑止 や、卿 の面 は涙 で甚 う汚 れてゐる。
ヂュリ 涙 が何程 の事 をしませう、生得 、見 ともない面 ぢゃもの。
パリス 其樣 なことを被言 るのは、われから我面 を讒訴 するのぢゃ。
ヂュリ 眞 の事 は讒訴 とは言 はれぬ、ましてこれは後言 ではない、直 に面 に對 うて言 うてゐるのぢゃもの。
パリス いや、卿 の面 は今 では予 の有 ぢゃに、それをば其樣 に惡 しう被言 るのは讒訴 ぢゃ。
ヂュリ ほんに然 もあらうか、妾 の有 ではないゆゑ。……(ロレンスに)御坊樣 、今 お暇 でござりますか、改 めて晩 のお祈祷頃 に參 りませうか?
ロレ いや、今 でも故障 は無 い。……若殿 、憚 りぢゃが、暫 くの間 、こゝを吾等 に。
パリス おゝ、かりそめにも勤行 のお妨 げをしてはならぬ!……ヂュリエットどの、木曜日 には朝 早 うお迎 に行 きませうぜ。それまでは、おさらば。此 聖 い接吻 を保有 っておいて下 され。
パリス入る。
ヂュリ おゝ、早 う扉 を閉 めて、そしてしめてまうたら、わたしと一しょに泣 いて下 され。もう絶望 ぢゃ! 絶望 ぢゃ、絶望 ぢゃ!
ロレ あゝ、これ、ヂュリエットや、其 の悲歎 は善 う知 ってをる! 何 ぼう搾 っても予 の智慧 には能 はぬ。次 の木曜 には、寸分 の猶豫 もなう、彼 の若 と婚禮 を爲 やらねばならぬと聞 いた。
ヂュリ いゝえ/\、それを中止 にする方便 が無 いなら、聞 いたなぞとおッしゃるな。お前 の智慧 にも能 はぬなら、つい予 の覺悟 をば良 い分別 ぢゃと讃 めて下 され、すれば此 懷劒 で今直 に敢行 けう。ロミオとわしの心 と心 を結 び合 はせたは神樣 、手 と手 を繋 いだはお前 。すれば、お前 がロミオへの封印代 りにした此 手 を、他 し證書 の封印 に使 はうより、又 僞 りの無 い此 心 を操 に背 いて他 し男 に向 けうより、此 懷劒 で手 も心 も突殺 してのけう。ぢゃによって今直 にお前 の長 い年功 で良 い思案 をして下 され。さもなくば、此 怖 しい懷劒 を難儀 の瀬戸際 の行司 にして、年 の功 も智慧 の力 も如何 とも能 うせぬ女一人 の面目 を今 こゝで裁決 かす、見 て下 され。さ、早 う何 となと言 うて下 され。わしゃ早 う死 にたい、お前 の言 ふことが何 の役 にも立 たぬやうなら。
ロレ まア、お待 ちゃれ。助 かる術 を思 ひついたわ。必死 の厄 を脱 れうためゆゑ必死 の振舞 をもせねばならぬ。パリスどのと祝言 するよりも寧 そ自害 せうと程 の逞 しい意志 がおりゃるなら、いゝやさ、恥辱 を免 れうために死 なうとさへお爲 やるならば、同 じ望 のために死 ぬるに似 た一事 をば多分 敢行 くることが出來 う。敢行 けう意 なら救 はるゝ術 を授 けう。
ヂュリ おゝ、パリスどのと祝言 をせう程 なら、あの塔 の上 から飛 んで見 い、山賊 の跳梁 る夜道 を行 け、蛇 の棲 む叢 に身 を潛 めいとも言 はッしゃれ。吼 ゆる荒熊 と一しょにも繋 がれう、墓 の中 にも幽閉 められう、から/\と鳴 る骸骨 や穢 い臭 い向脛 や黄 ばんだ頤 のない髑髏 が夜々 掩 ひ被 らうと。又 昨日 今日 の新墓 で死人 の墓衣 に苞 まって隱 れてゐよとも言 はッしゃれ。聞 いたばかりでも、例 は身毛 が彌立 ったが、大事 の操 を立 つる爲 なら、躊躇 せいで敢行 けう。
ロレ では、待 ちゃれ。先 づ今日 は立歸 って、嬉 しさうにもてなし、パリスどのとの祝言 を承諾 しやれ。明日 は水曜日 ぢゃ。明日 は何 とかして一人 でお臥 やれ、乳母 をも同 じ間 には臥 かさッしゃるな。床 にお入 りゃったら、(小さき藥瓶を取出し)此 瓶 を取 って此 なる藥水 をばお飮 みゃれ。すると、即 て慄然 として眠 たいやうな氣持 が血管中 に行渡 り、脈搏 も例 のやうではなうて、全 く止 み、生 きてをるとは思 はれぬ程 に呼吸 も止 り、體温 も失 する。頬 、唇 の薔薇 も褪 せて、蒼白 い灰 と變 る。目 の窓 もはたと閉 づる、生活 の日 がつい暮 れて行 く時 のやうに。どこも/\硬固 って、冷 うなって、自在 な活動 をば失 うて、死切 ったやうにも見 えう。さて、此 死切 ったらしい相 で四十二時 經 つときは、氣持 の好 い睡 から醒 むるやうに、自然 と起 きさッしゃらう。然 るに、翌朝 、あの新郎殿 が卿 を迎 ひにとて來 するころは、卿 は恰 ど死 んでゐる。すれば、當國 の風習通 りに、顏 は故 と隱 さいで、最 良 い晴衣 を着 せ、柩車 に載 せて、カピューレット家 代々 の古 い廟舍 へ送 られさッしゃらう。其間 に、予 の消息 で、ロミオが此 計畫 を知 り、卿 が覺 めさッしゃる前 に、此方 へ來 ることとならう。予 も共々 目覺 まで番 をして、其夜 の中 にロミオが卿 をばマンチュアへ伴 れて行 う。卿 の心 さへ變 らずば、女々 しい臆病心 の爲 に、敢行 くる勇氣 さへ弛 まなんだら、此度 の耻辱 は脱 れられうぞ。
ヂュリ 下 され、さ、それを。早 うそれを! おゝ、何 の臆病心 !
ロレ まゝ、歸 らしめ。(藥瓶を渡し)さらば、逞 しう覺悟 して、首尾 よう事 を爲遂 げさッしゃれ。予 はまた一 法師 に、卿 の殿御 への書面 を持 たせ、急 いでマンチュアまで遣 りませう。
ヂュリ 戀 よ、予 に力 をくれい! 力 さへあれば事 は成 らう。……御坊 さま、さらば。
カピューレット長者 を先 に、同 じく夫人 、乳母 、并 びに下人 甲 、乙 、從 いて出る。
カピ長 こゝに書 いてあるだけの客人 を招待 せい。……
やい、汝 は料理人 の老練 な奴 を二十人 ばかり雇 うて來 い。
乙下人 御懸念 なされますな、先 づ指 を嘗 めさせて見 て雇 ひまする。
カピ長 それはまた如何 した理由 ぢゃ?
乙下人 はて、うぬが指 を能 う嘗 めぬやうな奴 は不可 ぬ料理人 でござります。それゆゑ指 を能 う嘗 めぬ奴 は採用 げませぬ。
カピ長 往 け/\。……
乳母 さよでござります。
カピ長 うゝ、御坊 の庇 で、ちと料簡 も直 りをらうわい。氣儘 な、沒分曉的 の賤婦 めぢゃ。
ヂュリエット出る。
乳母 あれ、孃 が嬉 しさうな顏 して、お懺悔 から歸 らしゃれた。
カピ長 どうぢゃ、剛情張 が? どこを漫歩 いて? 何處 にゐたのぢゃ?
ヂュリ 父 さまの命令 に省 いた不孝 の罪 を悔 むことを習 うた處 に。(膝まづきて)かうして地 に平伏 して父 さまの赦 を乞 へいと、あのロレンスどのが言 はれました。どうぞ堪忍 して下 され! これからは善 う命令 を聽 きまする。
カピ長 それ、パリスどのを呼 びにやって、速 う此事 を知 らせい。明日 は朝 の間 に此 縁結 びを濟 さうわい。
ヂュリ その若 にロレンスどのゝ庵室 で逢 うたゆゑ、女 の謹愼 に障 らぬ限 りの、ふさはしい會釋 をしておきました。
カピ長 はて、それは重疉々々 。よし/\。起 ちゃ/\。(ヂュリエットを扶け起し)さうなうてはならぬ筈 ぢゃ。……ま、ともかくも若 に逢 はうわ、さうぢゃ、はて、速 う往 て彼 の人 を伴 れて來 いといふに。……さてはや、實 に高徳 のあの上人 、此 市中 の者 で、誰 れ一人 、彼 の人 の庇 を蒙 らぬものはないわい。
ヂュリ 乳母 や、一しょに部屋 へ來 て、明日 被 ねばならぬ最 ち似合 ふ晴衣 を手傳 うて撰 んでくりゃ。
カピ妻 木曜日 までは急 ぐに及 ばぬ。まだ澤山 間 があるがな。
カピ長 乳母 よ、往 け一しょに。……明日 教會 へ往 くことにせう。
ヂュリエットと乳母 と入る。
カピ妻 では、準備 をする暇 もあるまい。もう即 て夜 ぢゃ。
カピ長 なにさ/\、乃公 が馳驅奔走 るわさ、さすれば、大丈夫 、どうにかなるわさ。卿 は、ヂュリエットの許 へ往 て、着 る物 を手傳 うてやりゃ。乃公 は今夜 は寢 むまい。はて、任 せておきゃ。今夜 ほどは女房役 をせうわい。……(奧に向ひて)こりゃ、誰 れかゐぬか!……皆 出拂 うてしまうた。むゝ、自身 でパリスどのゝ邸 へ往 て、明朝 の準備 をさせて來 う。心 がおそろしう輕 うなったわい、あの我儘者 めが改心 しをったによって。
ヂュリエットを先 に乳母 從 いて出る。
ヂュリ あい、其 晴着 が最 ち佳 い。それはさうと、乳母 や、今宵 は予 をどうぞ一人 で寢 かしてくりゃ。知 ってゐやる通 りの、執拗 れた、此 罪深 い心 を、神樣 に赦 して貰 ふため、いろ/\とお祷 をせねばならぬ。
カピューレットの夫人 出る。
カピ妻 え、何 と、忙 しうおぢゃるなら、手傳 ひませうか?
ヂュリ いゝえ、母樣 、明日 の式 に相應 しい入用 な品程 は既 う撰出 しておきました。それゆゑ、妾 にはお介意 なう、乳母 はお傍 で夜中 お使 ひ下 されませ。かうした早急 な取込 ゆゑ、嘸 お手 が足 りますまい。
カピ妻 では、機嫌 よう、床 に就 いてお休 み、それが何 よりも大切 ぢゃほどに。
ヂュリ さやうなら!……又 いつ逢 はるゝやら。……おゝ、總身 が寒 け立 って、血管中 に沁 み徹 る怖 ろしさに、命 の熱 も凍結 えさうな! 寧 そ皆 を呼戻 さうか? 乳母 !……えゝ、乳母 が何 の役 に立 つ? 怖 しい此 一場 は、一人 で如何 あっても勤 めにゃならぬ。……さア、來 い、瓶 よ。
とはいへ、若 し此 藥 に、何 の效力 も無 かったなら? すれば、明日 の朝 となって、結婚 を爲 ようでな? いや/\。……それは此劍 が(と懷劍を取り上げ)させぬ。……やい、其處 にさうしてゐい。(と懷劍を下に置く)。……萬 一、此 藥 が毒藥 であったら? ロミオどのと縁組 させておきながら、此 の婚禮 をさすときは、宗門 の恥 となるによって、それで予 を殺 さうといふ深 い陰謀 の毒藥 ではあるまいものでもない。いや/\、よもや其樣 なこともあるまい、不斷 から上人 と人 に崇 められた彼 法師 ぢゃ。……したが、墓 の中 に臥 てゐる時分 、まだロミオがお來 やらぬうちに、若 し目 が覺 めたら何 とせう? さア、それが怖 しい! 其 窖 で呼吸 が塞 ってはしまやせぬか? 其 穢 い穴 の中 へは清 い空氣 は些程 も通 はぬゆゑ、ロミオどのが來 する頃 には予 ゃ死 んでしまうてゐねばなるまい。若 し生 きてゐるやうなら……時 も時 、處 も處 、墓 も墓 、年 を經 た埋葬所 、何 百年 の其間 の先祖 の骨 が填充 ってあり、まだ此間 埋 めたばかりの彼 のチッバルトも血 まぶれの墓衣 のまゝで、定 めて腐 りかけてゐるであらうし、また眞夜中 の幾時 かは幽靈 も出 るといふ……えゝ、どうしょう、目 が覺 めたら?……厭 らしい其 臭 と、聞 けば必然 狂亂 になるといふ彼 曼陀羅華 を根 びくやうな、凄 い氣味 のわるい聲 を聞 いたら……おゝ、早 まって覺 めた時分 に、其樣 な怖 しい、畏 いものに取卷 かれたら、氣 が違 はいでをられうか? 先祖 の衆 の手 や足 やを偶 と玩具 にはしはすまいか? 手傷 だらけのチッバルトを血 みどろの墓衣 から引出 しゃせぬか? 狂氣 の餘 り、世 に聞 えた或 親族 の骨 を取上 げ、棍棒 のやうに揮 して、我 と我手 で此 腦天 をば摧 きゃせぬか? あれ/\! チッバルトの怨靈 が、細刃 で斫 られた返報 をしようとて、ロミオを追 してゐるのが見 ゆるやうぢゃ! あ、あれ、待 ってたべ、チッバルト!……ロミオ、わしぢゃ! これはお前 を思 うて飮 むのぢゃ。
と藥水 を飮干 すとやがて眩暈 したる思入 にて、寢臺 の上 、帳 の内 へ倒 れ込 む。
カピューレット夫人 と乳母 と出る。
カピ妻 待 ちゃ、乳母 、此 鍵 を持 って往 て、もそっと藥味 を取 って來 てたも。
乳母 お庖厨 では、棗 や榲 を與 れいと呼 んでゐます。
カピューレット長者 出る。
カピ長 さゝゝゝゝ、働 け/\! 二番鷄 が啼 いたぞ、深夜鐘 が鳴 ったわ、もう三時 ぢゃ。こりゃアンヂェリカ、燒饅頭 はよいかの? 費用 は介意 ふな、費用 は。
乳母 またしてもお干渉 を爲 やしゃります、さゝ、お就褥 なされませ。誓文 、明日 は病人 にならしゃりませうぞえ、此夜 寢 やしゃらぬと。
カピ長 うんにゃ、ちょっともぢゃ。はて、其前 には、もそっと些細 な事 で、幾 たびも夜明 しをしたものぢゃが、曾 ぞ病氣 なぞになったことは無 いわい。
カピ妻 さいの、其時分 には甚 い鼠捕 りであったさうな。したが、わたしが不寢 の番 をするゆゑ、今 は其樣 な鼠 をば捕 らすことぢゃない。
カピ長 妬 きをるわい、妬 きをるわい!……
やい/\、そりゃ何 ぢゃ?
甲下人 料理番 のでござります、が、何 ぢゃやら存 じませぬ。
カピ長 急 げ/\。
やい、もそっと枯 れた薪 を取 って來 い。ピーターに聞 け、すると、在處 をば教 へるわい。
乙下人 眼 がござりますから、薪位 は見附 けまする、へい、ピーターには及 びませぬ。
カピ長 南無三 、やりをるわい。おもしろい下司野郎 め! 何 ぢゃ、薪 を見 る眼 ぢゃ? 乃公 ゃまた薪目 くらかと思 うた。……はれやれ、夜 が明 けたわ。今 に彼 の若 が樂人共 を將 て來 するであらう、さうせうと被言 ったによって。
もう來 せたわ、……(奧に向ひて)乳母 ……奧 よ! こりゃ、やい!……こりゃ乳母 、乳母 といへば!
さゝ、ヂュリエットを起 して、着飾 らせい。俺 は往 てパリスどのに挨拶 せう。……さゝ、急 げ/\。婿 どのは最早 來 せたわ。急 げ急 げ。
ヂュリエット前 の場 の儘 に寢床 に倒 れ臥 してゐる。床 には帳 がかけてある。乳母 出る。
乳母 孃 さま! これさ、孃 さま! ヂュリエットさま! ぐっすりと睡入 ってぢゃな、定 ? はて、仔羊 さんえ! はて、姫 さまえ! ま、こゝなお寢坊 さんえ! はて、可憐 さん! これの、お姫 さま! 戀人 さんえ! はてま、花嫁御 さんえ! えゝも、うんとも言 はっしゃらぬ。もう三文 がた眠 ようでな? なりゃ一週間 がたも眠 やっしゃれ、明日 の晩 となると眠 らるゝことではない、あの若 がお前 を眠 かさぬと根 を据 ゑてぢゃ。……南無三寶 、ほんにまア善 う眠込 んでござることぢゃ! でも是非 起 さにゃならぬ。……孃 さま孃 さま/\! 其 床 の中 へあの若 が這入 らしゃってもよいかや? そしたら飛起 きさっしゃらうがな。何 と然 うであらうがな?(寢床の帳を開く)。ま、支度 まで爲 やしゃれて! 着衣 したまゝで! それでまた寢 たのかいな! どうしても起 さにゃなりませぬわい!(ゆすぶりながら)姫 さま! 姫 さま!……あゝ、かなしや! はれ、誰 れぞ來 て下 され、たれぞ! 姫 さまが死 なしゃってぢゃ! おゝ、悲 しや/\、生 れなんだが優 であったものを! 速 う火酒 を持 って來 て下 され! 殿 さまえ、奧 さま!
カピューレット夫人 出る。
カピ妻 ま、何 といふ騷 ぎぢゃ?
乳母 おゝ、かなしや/\!
カピ妻 如何 したのぢゃ?
乳母 あれを、あれを! おゝ、悲 しや/\!
カピ妻 (立寄りて)おゝ、おゝ! 女 よ、我子 よ、これ、生 きてたも、目 を開 いてたも、其方 が死 にゃると、予 も一しょに死 にますわいの。誰 れぞ來 て下 され! 人 を呼 びゃ、人 を。
カピューレット長者 出る。
カピ長 どうしたものぢゃ、さ、速 うヂュリエットを、殿御 が來 せたに。
乳母 姫 さまは亡 くならしゃった、死 なしゃりました、亡 くならッしゃった。あら、かなしや/\!
カピ妻 あら、悲 しや、女 は死 にました、死 にました、死 にましたわいなう!
カピ長 やッ! どれ、どこに。……やれ、悲 しや! こりゃ冷 いわ、血 が沈 んで、節々 が固硬 って、こりゃ此 唇 から息 が離 れてから最早 久 しい。廣 い野邊 にも又 と無 い其 花 に、時 ならぬ霜 が降 りたがやうに、死 んで行 く女 、ヂュリエット!
乳母 おゝ、かなしや/\!
カピ妻 おゝ、なさけなや/\!
カピ長 女 を奪 うて泣 かせをる死神 めに、此 舌 を縛 られて、物 を言 ふことが能 はぬわい。
ロレンス法師 とパリス、樂人 らを引連 れて出る。
ロレ さゝ、嫁御寮 の教會行 の身支度 は整 ひましたかの?
カピ長 いかにも、往 きて再 び還 らぬ支度 が。おゝ、婿 どの、いざ婚禮 の前 の夜 に、死神 めが貴下 の妻 を寢取 りをった。あれ、あのやうに花 の相 の色 も褪 せたわ。死神 が吾等 の婿 、死神 が吾等 の嗣子 、此上 は吾等 も死 んで何 もかも彼奴 に與 れう、命 も財産 も何 もかも死神 めに與 れませうわい。
パリス 今朝 、面 を見 る嬉 しさをば、久 しう待焦 れてをったに、此樣 な樣 を見 ようとは!
カピ妻 憎 や、かなしや、あさましや、怨 めしや! 休 む間 もなう り行 く長 い年月 の間 にも、又 と、こんな情 ない日 があらうかいの! 只 一人 の、可愛 い一人 の、大事 の/\祕藏兒 をば、樂 みとも慰 めとも思 うてゐたを、取 ってゆかれてしまうたと思 へば、もう二度 とは逢 はれぬ處 へ!
乳母 おゝ、悲 しや! おゝ、かなしや/\/\! こんな情 ない、こんなあさましい日 には、わしゃ曾 ぞ遭 うたことがない! おゝ、こんな! こんな! こんな! こんな怨 めしい! こんな忌 はしい惡日 は、わしゃ曾 ぞ/\。おゝ、悲 しや/\!
パリス 欺 されて、中 を裂 かれて、侮辱 されて、賤蔑 まれて、殺 されてしまうたのぢゃ。憎 い死神 めに欺 されたのぢゃ。慘酷 い/\汝 めには滅 されたのぢゃ! おゝ、戀人 よ! 我 命 よ! いや/\、命 とは言 はれぬ、死 んでしまうてゐやる我 戀人 !
カピ長 さげすまれ、困 められ、憎 まれて、何 の罪 もなうて殺 されてしまうたのぢゃ! あさましい惡日 め、何 で汝 は吾家 へは來 をったぞ、此 めでたい式 を殺 さうとて、此 めでたい式 を殺 さうとて! おゝ、女 よ! おゝ、女 よ! 女 どころかい、我 靈魂 よ! 其方 は死 にゃった! あゝ、あゝ! 女 は死 んでしまうた、女 が死 ねば俺 の樂 みも最早 絶 えたわ。
ロレ しづまりめされ! 如何 したものぢゃ! 起 ってしまうた騷 ぎは、騷 げばとて治 るものではない。そも/\此 娘御 は天 と貴下 の兩有 ぢゃ、今 や天 の獨有 となったは娘御 の爲 には幸福 。貴下 の有分 は死 が取 るといへば與 らぬわけにはゆかぬが、天 の分 は永劫 不滅 ぢゃ。娘御 の出世 を願 ひ、其 昇進 をば此世 の天國 とも思 はしゃった貴下 が、只今 娘御 が雲 の上 の眞 の天國 へ昇進 せられたのを、何 として歎 かしゃるぞ! おゝ、安 らかにならしゃれたを、其樣 に取亂 して悲嘆 かしゃるは、正 しう愛 さっしゃる所以 で無 い。婚 して壽 なるは必 ずしも良縁 ならず、婚 して夭折 す、却 って良縁 。さ、涙 を乾 かして、迷迭香 を死骸 に ましゃれ。そして習慣通 り、最 ち佳 い晴衣 を着 せて、教會 へ送 らっしゃれ。涙 を禁 めあへぬは痴 な情 の自然 なれども、理性 の眼 からは笑草 でござるぞよ。
カピ長 婚儀 の爲 にと準備 した一切 が役目 を變 へて葬儀 の用 。祝 ひの樂 は哀 しい鐘 の音 、めでたい盛宴 が法事 の饗應 、樂 しい頌歌 は哀 れな挽歌 、新床 に撒 く花 は葬 る死骸 の用 に立 つ。何事 も、皆 うらはら。
ロレ 先 づ奧 に入 らせられい。……内室 も一しょに入 らせられい。……パリスどのにも。……何 れも亡姫 の隨行 をして墓場 へ行 く準備 をなされ。こりゃ何 か仔細 あって天 のお咎 め、此上 、天意 に逆 うて、ゆめ/\御赫怒 をば招 かせらるゝな。
甲樂人 こりゃ最早 樂器 をしまうて歸 ってもよいであらう。
乳母 ほんに、御苦勞 でござったが、ま、しまはッしゃれ/\。して見 ようもない「事 」になったのぢゃわいの。
甲樂人 成程 、御道理 でござります、したが、今 に如何 にかなる「琴 」でござりませう。
ピーター出 る。
ピータ 樂人 さん、おゝ、樂人 さん、「心 の慰 め、心 の慰 め」。乃公 を陽氣 にさせてくれる氣 なら、頼 む、聽 かせてくれ、例 の「心 の慰 め」を。
甲樂人 何故 「心 の慰 め」をでござります?
ピータ はて、樂人 さん、何故 と言 うて、今 、乃公 の心 の中 では「予 の心 は悲哀 に……」が始 まってゐる最中 ぢゃ。ぢゃによって、何 か可笑 し悲哀 い奴 をば聽 かせてくりゃ、乃公 は怏々 してかなはぬによって。
甲樂人 いや、滅相 な、そんな氣分 ぢゃござりませぬ。
ピータ 否 ぢゃと被言 るか?
甲樂人 さやう。
ピータ よいわ、今 に見 い、身體中 に鳴響 くやうに支拂 うてくれうぞ。
甲樂人 何 を支拂 はッしゃります?
ピータ 金 ぢゃ無 いぞ、輕蔑 をぢゃ。太鼓持扱 ひにしてくれるわ。
甲樂人 すれば、此方 も卿 をば從僕扱 ひにしてくれう。
ピータ すれば、其 從僕 さまのお帶劍 を汝等 の賤頭 へ上 せてくれう。(短き鈍劍を拔いて揮りし)これ、大概 で大言 を止 めぬと、其 太鼓面 をはりまげて地 ん中 へめりこますぞよ、は如何 だ?
甲樂人 それ、そのめったりはったりが音樂 (律呂)と謂 ふものぢゃ。
乙樂人 もし/\、もう好 い加減 に其 鈍劍 を藏 はっしゃれ、駄洒落 も最早 ぬきにさっしゃれ。
ピータ 何 ぢゃ、劍 を藏 うて洒落 を拔 け? よし! すれば、名劍 を藏 うて名洒落 で打挫 いでくれう。さ、男 らしう試合 うて見 い。
(歌ふ)鋭 き悲愁 に心 傷 み
我胸 堪難 く沈 める時 、
其時 音樂 の銀 の調 は……
何故 「銀 の調 」ぢゃ? 何故 「音樂 の銀 の調 」ぢゃ?……猫腸絃子 どん、さ、何 とぢゃ?
甲樂人 はて、銀 は好 い音色 を出 すからでござります。
ピータ 中等 ぢゃな!……三絃胡弓子 どん、足下 は?
乙樂人 銀 の調 と言 ふのは、はて、樂人 は賃銀 を儲 くるからぢゃ。
ピータ これも中等 ぢゃ!……提琴柱子 どん、足下 は?
丙樂人 予 ゃ如何 言 うてよいか知 らぬ。
ピータ ほい、眞平御免 なれぢゃ。足下 は唄方 であったものを。乃公 が代 って言 はう。そも/\「音樂 の銀 の調 」と謂 っぱ、はて、とかく樂人 は金貨には能 うありつかぬからぢゃ。
(歌ふ)其時 音樂 の銀 の調 は
たちまち欝結 れし憂思 を解 く。
たちまち
ピーター歌 ひながら入る。
甲樂人 何 といふ煩 い奴 ぢゃ彼奴 は!
乙樂人 はッつけ野郎 め!……さ、奧 へ往 て、會葬者 の來 るまで待 ってゐて食事 にありつかう。
ロミオ出る。
ロミオ 頼 もしらしい夢 の告 が實 ならば、やがて喜 ばしい消息 があらう。わが胸 の主 (戀の神)もいと安靜 かに鎭座 めされた、されば例 になく嬉 しうて/\、日 がな一日 心 が浮 かるゝ。俺 が死 んでゐると、姫 が來 て、俺 の脣 に接吻 して命 の息 を吹込 んでくれたと見 た……死 んだ者 が思案 するとは不思議 な夢 !……すると、即 て蘇生 って帝王 となった夢 。あゝ/\! 戀 の影坊師 でさへ此位 嬉 しいとすると、遂 げられた眞 の戀 は、まア、どんなに樂 しからうぞ?
ロミオの下人 バルターザー長靴 の旅裝 にて出る。
や、ローナからの音信 ぢゃ! どうぢゃ、バルターザー! 御坊 からの消息 は無 かったか? 姫 は如何 ぢゃ、父上 は御無事 か? ヂュリエットは何 としておゐやる? 先 づ、それを聞 かう、姫 さへ安穩 なら何事 も大事 ないわい。
バル すれば、何事 も大事 ござりませぬ、姫 さまは御安穩 にカピューレット家 代々 のお墓所 にお休 み、朽 ちぬ靈魂 は天使 がたと御 一しょにござります。手前 は姫 さまが御親類 がたのお廟所 へ入 らせらるゝを見 るや否 や、驛馬 に飛乘 ってお知 らせに參 りました。此樣 な惡 しいお使 も命置 かせられた役目 ゆゑでござります、御免 なされませい。
ロミオ そりゃ實 か?……おのれ、怨 めしい運星 めら!……俺 の宿 を知 ってゐような。筆 と紙 とを手 に入 れて、そして驛馬 をも傭 うてくれ。今宵 のうちに出發 たうわ。
バル まゝ、お耐 へなされませい、甚 うお色 も蒼 ざめて、物狂 ほしげな御樣子 、ひょんな事 でも遊 ばしさうな。
ロミオ 馬鹿 な、何 の、そんな事 を! 俺 には介意 はいで吩咐 くることをせい。御坊 からの書状 は無 かったか?
バル いえ、ござりませぬ。
ロミオ よし/\。早 う往 て、馬 どもを傭 うてくれ、やがて會 はう。
バルターザー入る。ロミオ獨 殘 る。
はて、ヂュリエット、今宵 は一しょに臥 ようぞ。……そこで、其 方法 ぢゃが……おゝ、害心 よ、ても速 う入 って來 をるなア、絶望 した者 の胸 へは!……思 ひ出 すは彼 藥種屋 ……たしか此邊 に住 んでゐる筈 ……いつぞや見 た折 は、身 に襤褸 を着 て、藥草類 を撰 ってをったが、顏 は痩枯 れ、眉毛 は蔽 い被 り、鋭 い貧 に躯 を削 られて、殘 ったは骨 と皮 。貧 しい店前 には※ [#「(口+口)/田/一/黽」、202-2]の甲 、鰐 の剥製 、不恰好 な魚 の皮 を吊 して、周圍 の棚 には空箱 、緑色 の土 の壺 、及 び膀胱 、黴 びた種子 、使 ひ殘 りの結繩 、乾枯 びた薔薇 などを口實 ほどに取散 らして貧羸 らしう飾 った店附 。其 貧 しさを見 るまゝに、思 はず獨語 って、此 マンチュアで毒 を賣 れば、直 にも命 を取 らるれども、若 しも毒 が欲 しければ賣 りさうなのは此奴 め、と思 うたが、今日 ある知 らせであったまで。むゝ、あの貧人 から是非 毒 を買 めうわい。……何 でも此 の邊 であった。祭日 ゆゑ貧乏店 が閉 ってある。……いや、なう/\! 藥種屋 はおりゃるか?
藥種屋 かしましう呼 ばッしゃるは誰 ぢゃ?
ロミオ ま、こゝへ來 やれ。かう見 たところ不如意 さうな。こりゃ此處 に四十兩 ある、予 に毒藥 を一匁 ほど賣 ってくりゃれ、直 に血管 に行渡 って世 に果 てた飮主 を立地 に死 なすやうな、又 、射出 された焔硝 が怖 しい大砲 の胴中 から激 しう急 に走 り出 るやうに、息 をば此 體内 から逐出 してくれる毒 が欲 しい。
藥種屋 されば、其樣 な大毒藥 をば貯 へてはをりまするが、マンチュアの御法度 では、賣 ったりゃ、命 がござりませぬ。
ロミオ 其樣 に貧 しうあさましう暮 してゐても、汝 は死 ぬるのが怖 しいか? 飢 は頬 に、逼迫 は眼 に、侮辱 貧窮 は背 に懸 ってある。無情 い此 浮世 に法度 はあっても、つゆ汝 の爲 にはならぬ。ならば、貧 を守 るにも及 ばぬ。法度 を犯 して之 を取 りゃれ。
藥種屋 意 は好 みませねど、貧苦 めがお言葉 に從 ひまする。
ロミオ 此方 も其 貧苦 にこそ拂 へ、意 には拂 はぬわい。
藥種屋 (藥瓶を渡しながら)これをばお好 みの飮料 に入 れて飮 ませられい。たとひ二十人力 おじゃらしませうとも、立地 に片附 かッしゃりませう。
ロミオ 此 黄金 を遣 すぞ、これこそは人 の心 の大毒藥 ぢゃ、汝 が賣 りかぬる此 些末 なる藥種 よりも此 濁世 では遙 に怖 しい人殺 しをするもの。汝 では無 うて予 こそは毒 を賣 るのぢゃ。さらば。食物 を買 めて些 と肉 を附 けたがよい。……(行きかけて藥瓶を見て)毒 ではない興奮劑 よ、さア一しょに、ヂュリエットの墓 へ來 い、あそこで汝 を使 はにゃならぬ。
フランシス派 の僧 ヂョン出る。
ヂョン フランシス宗 の御僧 はゐさしますか! なう/\、御坊 !
ロレンス法師 出る。
ロレ あれはヂョン坊 の聲 ぢゃ。……さてようこそお戻 りゃったマンチュアから。してロミオは何 と被言 った? 若 し筆 に物 せられたならば、其 書面 を見 せやれ、
ヂョン いやの、同伴者 に連立 たうとて、同門跣足 の或 御坊 を尋 ねて、町 で或 病家 をお見舞 やってゐるのに逢 うたところ、町 の檢疫 の役人衆 に兩人 ながら時疫 の家 にゐたものぢゃと疑 はれて、戸外 へ出 ることを禁 められた、それゆゑマンチュアの急用 も其場 で止 められてしまうたわいの。
ロレ すれば誰 が持 って往 んだぞ、ロミオへの予 の書状 は?
ヂョン はて、屆 けることを能 うせなんだのぢゃ。……これ、此通 り持 って戻 った。……此庵 へ屆 けうと思 うてもな、皆 が傳染 を怖 がりをるによって、使 の男 さへも雇 へなんだわいの。
ロレ はれ、それは物怪 の不運 の! 眞實 、重大 な容易 ならぬ用向 の其 書面 、それが等閑 になった上 は、どのやうな一大事 が出來 うも知 れぬ。御坊 よ、早 う往 て、何處 ぞで、鐵梃 を才覺 して、急 いで此處 へ持 って來 て下 され。
ヂョン うゝ、すれば、往 て持來 う。
ヂョン坊 入る。
ロレ 此上 は、そっと墓所 まで往 かねばならぬ。此 三時 が間 に、ヂュリエットは目 を覺 さう。始終 をロミオに知 らせなんだとお知 りゃったら嘸 予 を怨 むであらう。したが、マンチュアへは改 めて書送 り、ロミオがお來 やるまでは、姫 を庵室 にかくまっておかう。不便 や、生 きた骸 となって、死人 の墓 の中 に埋 れてゐやる!
ロレンス入る。
パリス先 に、侍童 從 いて、草花 と炬火 とを携 へて出 で來 る。
パリス 侍童 よ、其 炬火 をおこせ。彼方 へ往 て、つッと離 れてゐい。……いや、それを消 せ、人目 に掛 りたうない。あの水松 の下 で、長々 と横 になって、此 洞 めいた地 の上 に直 と耳 を附 けてゐい、穴 を掘 るので、土 が緩 んで、和 いでゐるによって、踏 めば直 に足音 が聞 えう。したら、人 が來 たといふ知 らせに、口笛 を吹 かうぞ。その花 もおこせ。吩附 けたやうにせい、さ。
侍童 (傍を向きて)こんな墓原 に一人 立 ってゐるのは怖 らしい、が、ま、やって見 よう。
パリス (廟の前へ進みて)なつかしい花 の我妹子 、花 を此 新床 の上 に撒 いて……あゝ、天蓋 は石 や土塊 ……其 撒 いた草花 に夜毎 に香 る水 を注 がう。若 しそれが盡 きたなら、歎 きに搾 る予 が涙 を。和女 への夜毎 の手向 は、かうして花 を撒 いて泣 くことぢゃわい。
むゝ、侍童 めが何 か來 たと知 らせをる。いま/\しい、何者 であらう、今頃 此邊 へ彷徨 うて、俺 が眞情 の囘向 をば妨 げをる。や、炬火 を持 って來 るわ!……夜 よ、ちっとの間 、俺 を包 んでくれい。
パリス退 る。
ロミオ先 に、バルターザー炬火 、鶴嘴等 を携 へて出る。
ロミオ
ロミオ 其 鶴嘴 と鐵梃 を此方 へ。こりゃ、此 書状 をば、明日 早 う父上 へ屆 けてくれ。其 炬火 をこちへ。さて、確 と申附 くる、如何 な事 を見聞 せうとも、悉 く立離 れ、予 が仕事 の妨碍 をばすまいぞよ。予 が廟 へ降 りるは、姫 の面 を見 ようがためでもあるが、それよりも姫 が身 に着 けた貴 い指輪 を或 大切 な用 に使 はうため取外 して來 るのが主 な目的 ぢゃによって、早 う往 ね。若 し疑 うて立戻 り、予 が所行 を窺 ひなど致 さうなら、天 も照覽 あれ、汝 が四肢 五體 を寸々 に切裂 き、飽 くことを知 らぬ此 墓 を肥 すべく撒 き散 らさうぞよ。時刻 が時刻 ゆゑ、俺 の心 は殘忍 、兇暴 、餓 ゑたる虎 、鳴渡 る荒海 よりも猛 しいぞよ。
バルタ はい/\、立去 りまする、お妨碍 は仕 りませぬ。
ロミオ それでこそ予 への忠節 。これを取 れ。(と金子を與へ)末長 うめでたう暮 せ。さらばぢゃ。
バルタ (傍を向きて)あゝは言 はせられるが、ま、此邊 にかくれてゐよう。お顏 の色 も心懸 り、お心 の中 も疑 はしい。
ロミオ (廟の前に進みて)汝 、死 の母胎 め、世 に又 とない珍羞 を貪 り食 ひをった憎 い胃 の腑 め、汝 の腐 った顎 をば、まッ此 のやうに押開 いて、(と廟の扉を抉 ぢあけながら)汝 への面當 に、無理 に食餌 を填充 まう。
パリス ありゃ追放 された高慢 なモンタギューめぢゃ。彼奴 が從兄 を殺 したゆゑ、美 しい戀人 が、愁歎 の餘 りにお死 にゃったといふこと。こゝへ來 をったは、死骸 に侮辱 を加 へよう爲 でがな。捉 へてくれう。……やい、モンタギューめ、破廉恥 な所行 を止 めい。怨 を死骸 にまで及 ぼさうとは、墮地獄 の人非人 め、引立 つる、尋常 に從 いて來 い。生 けてはおかぬぞ。
ロミオ いかにも、生 きてをられぬ身 ぢゃ。なればこそ此墓 へは來 た。いやなう、若 、命知 らずの者 に手出 しをなさるな。早 うお迯 げなされ。此 亡者達 の事 を思 うて怖 れたがよい。予 を腹立 たせて、又 の罪惡 を犯 させて下 さるな。おゝ、速 う去 なしゃれ。眞實 、予 は自分 よりも足下 を可愛 しう思 うてゐる、予 は自殺 をしようと覺悟 して此處 へ來 た者 であるに依 って。さゝ、速 う去 なしゃれ。生存 へて、後日 、自分 は、狂人 の仁情 で、危 い所 を助 かったとお言 ひなされ。
パリス どう頼 まうとも聽 かぬわい。重罪人 として引立 つるは。
ロミオ では俺 を怒 らす氣 か? ならば、覺悟 せい!
侍童 大變 ぢゃ、戰 うてぢゃ! 速 う夜番 の衆 を呼 んで來 よう。
パリス おゝ、しまうた!……仁情 があるなら廟 を開 いてヂュリエットと一しょに埋 めてくれい。
パリス息絶 ゆる。
ロミオ おゝ、承引 したぞ。……面 を檢 べて見 よう。……マーキューシオーの親戚 のパリス殿 ぢゃ! 馬 に騎 って來 る途中 、家來 めが何 とか言 うた、心 が亂 れてゐて善 う聽 いてはゐなんだが? ヂュリエットと此 パリスとが婚禮 をする筈 であったとか言 うた。いや、さうは言 はなんだか? 夢 か? 今 がたパリスが、ヂュリエットの事 を言 うたゆゑ、それで此樣 なことを思 ふのか? 此 心 が狂 うたか?……おゝお手 をおこしゃれ、薄運 の名簿 の裡 に、俺 と並 べ書 にせられた足下 ぢゃ! 予 が今 埋 めて進 ぜよう名譽 の墓 に。墓 か? いや/\、こりゃ墓 ではない、明 り窓 ぢゃ、なア、足下 。はて、ヂュリエットが居 るゆゑに、其 艶麗 さで、此 窖 が光 り輝 く宴席 とも見 ゆるわい。……死人 どのよ、死人 の手 で埋 められて、其處 で臥 やれ。
パリスの死骸 を廟 の中 に横 たへる。
ヂュリエットへ臥 し重 なるやうにして息絶 る。
此時 、一方 へロレンス法師 が提燈 、鶴嘴 、鋤等 を携 へて出 で來 る。
ロレ 南無 やフランシス上人 、護 らせられい! はれ、けったいな、今宵 此 老脚 が幾 たび墓穴 に蹉躓 いたことやら!……誰 れぢゃ、そこにゐるのは?
バルタ 怪 しうは無 い者 、貴僧 を善 う存 じてをる者 でござる。
ロレ ほい、其許 か! さらば問 はうが、あしこのあの炬火 は、ありゃ何 でおじゃる、蛆蟲 や目 も無 い髑髏 を空 しう照 すあの光 は? かう見 たところ、カペル家 の廟舍 の前 ぢゃが。
バルタ 其通 りにござります。あそこに主人 が居 られまする、御坊 の可憐 しう思 はせらるゝ。
ロレ とは誰 れぢゃ?
バルタ ロミオさまでござります。
ロレ え、こゝへ參 られて久 しいか?
バルタ 半時餘 りになりまする。
ロレ なりゃ墓穴 まで一しょにおじゃれ。
バルタ いや、僕 は能 い行 きませぬ。主人 は僕 をば既 往 んだとのみ思 うてをられます。若 しも此處 に止 まって樣子 など窺 はうならば、斬殺 してのけうと、怖 しい見脈 で嚇 されました。
ロレ ならば、此處 にござれ。予 が獨 で往 かう。はて、氣懸 になって來 たわ。おゝ、こりゃ何 か不祥 な事 が出來 したのでは無 いか知 らぬまでい。
バルタ 最前 、此 水松 の蔭 で居眠 ってゐますうちに、夢 うつゝに、主人 とさる人 とが戰 うて、主人 が其人 をば殺 したと見 ました。
ロレンスは廟 の方 へ進 む。
ロレ ローミオー! あら、あら、何事 ぢゃ此 血汐 は、これ、此 廟舍 の入口 の石 を染 めた此 血汐 は? 主 もない此 劍 は? 此樣 な平和 の場所 に血 まぶれにして棄 てゝあるは、こりゃ何 としたことであらう?
と廟 の中 へ進 み入 る。
や、ローミオー! おゝ、色 は蒼白 !……外 にも誰 やら? や、パリスどのまで? 剩 さへ血汐 に浸 って?……あゝ/\、何 といふ無慚 な時刻 ぢゃ、如是 あさましい事 をば一時 に爲出來 すとは!……や、姫 が身動 爲 やる。
ヂュリ おゝ、嬉 しや御坊樣 か! 殿御 は何處 にぢゃ? 行 き處 は記 えてゐる、おゝ、さうぢゃ、そこへ予 は來 てゐるのぢゃ?
ロミオは何處 にぢゃ?
ロレ 人聲 がする。……こりゃ姫 よ、ま、早 う出 てござれ、そこは死 や疫癘 や無理 な睡眠 の宿 ぢゃほどに。人間以上 の力 の爲 に折角 の計畫 が皆 敗 れた、さ、早 うござれ。和女 の殿御 は、それ、其處 に胸元 にお死 にゃってぢゃ。パリスどのもぢゃ。さゝ、尼御達 の仲間中 へ、頼 うで和女 を入 れておかう。あれ、夜番 が來 るわ、委細 の事 は後 で/\。さゝ、ヂュリエット、ござれ/\。予 ゃもう此處 には能 うをらぬわ。
ロレンス狼狽 へて入る。
ヂュリ さ、速 う去 しゃれ、予 は去 ぬほどに。……こりゃ何 ぢゃ? 戀人 が手 に握 りゃったは盃 か? さては毒 を飮 んで非業 の最期 をお爲 やったのぢゃな。……まア、あたじけない! 皆 な飮 んでしまうて、隨 いて行 かう予 の爲 に只 一滴 をも殘 しておいてはくれぬ。……お前 の脣 を吸 はうぞ。毒 がまだ殘 って居 たら、それこそは假 の命 から實 の命 へ囘 らする大妙藥 !……まだ温 い、お前 の脣 !
とロミオの死骸 に接吻 する。
此時 奧 にて又 多勢 の人聲 する。
番甲 (奧にて)案内 せい。どちらぢゃ。
ヂュリ や、人聲 ? なりゃ、片時 も早 う。……おゝ、嬉 しや、短劍 !(ロミオが佩びたる短劍を取りて)さ、鞘 はこゝに。(と胸を貫き)そこに居附 いて、予 を死 なせてくれ。
と息 絶 ゆる。
夜番 の者 甲 、乙 、丙 、其他 多勢 パリスの侍童 を案内者 にして出る。
侍童 こゝぢゃ。あの炬火 が燃 えてをる處 がそれぢゃ。
番甲 此邊 は血 だらけぢゃ。墓場 の界隈 を探 さっしゃい。さゝ、見 つけ次第 に、かまうたことは無 い、引立 てめさ。
二三人 入る。
はれ、無慚 な! こゝに若殿 が殺 されてござる、のみならず、既 う二日 も葬 られてござったヂュリエットどのが、つい今 がた死 なっしゃれたやうに血 を流 して、温 いまゝで。……誰 れぞ早 う御領主樣 へ。カピューレットどのゝ邸 へも走 った。モンタギューどのを起 して來 い。他 の者 は、探 せ/\。
番乙 これはロミオどのゝ家來 でおりゃる。墓場 で見付 けました。
番甲 殿 さまの渡 らせらるゝまで、逃 さぬやうに護 ってござれ。
番丙 これなる老僧 は、顫 へながら溜息 を吐 き、涙 を流 してをりまする。只今 墓場 から參 るところを取押 へて、これなる鋤 と鶴嘴 とを取上 げました。
番甲 甚 う胡散 な。その僧 をも留 めておかっしゃい。
領主 朝 まだきに如何 なる珍事 が出來 したのぢゃ、予 が夢 を驚 かして呼出 だすは?
カピューレット長者夫婦 、其他 出る。
カピ長 何 とした事 ぢゃ、街上 にて人々 の叫 き立 つるは?
カピ妻 往來 の人々 は、或 ひはロミオと呼 び、或 ひはヂュリエット、或 ひはパリスと呼 びかはして、聲々 に叫 き立 て、吾屋 の廟屋 へと急 ぎまする。
領主 吾等 の耳 を驚 かす變事 とは何事 ぢゃ?
番甲 申上 げまする、こゝにパリス樣 が殺 されて居 させられます、またロミオにも、また其以前 に死去 りました筈 のヂュリエットにも、體温 のあるまゝ、新 しく殺 されてをられまする。
領主 あくまでも手 を盡 して此 虐殺 の所因 を査 べい。
番甲 これにをりまする老僧 、また殺 されましたるロミオの僕 一人 、何 れも墓 を發 きまするに屈竟 の道具 をば携 へてをりまする。
カピ長 やゝ、これは! おゝ、我妻 よ、あれ、見 さしませ、愛女 の體内 から血 が流 るゝ! えゝ、此 劍 は住家 をば間違 へをったわ。こやつが住 むべきモンタギューが腰 なる宿 は裳脱 の殼 で、無慚 や、愛女 の胸 が鞘 !
カピ妻 おゝ、悲 しや! 此 慘 しい死樣 は、老 いゆく此身 をば墓 へ急 がす死鐘 ぢゃ。
モンタギュー長者 、其他 出る。
領主 さ、こゝへ、モンタギュー。時 ならず早 う起出 でめされたが、目 に入 るものは、時 ならず早 う臥 た息子 どのゝ寐姿 ぢゃ。
モン長 なう、情 なや、我君 ! 我子 の追放 を歎悲 の餘 りに衰 へて、妻 は昨夜 相果 ました。尚 此上 にも老人 をさいなむは如何 なる不幸 ぢゃ。
領主 あれ、あれをお見 ゃれ[#「お見 ゃれ」はママ]。
モン長 おゝ、汝 、不所存者 めが! 父 を押退 けて先 へ墓 へ入 らうとは、何 といふ作法知 らずぢゃ、汝 !
領主 暫時 叫喚 の口 を閉 ぢよ、先 づ此 疑惑 を明 かにして其 源流 を取調 べん。然 る後 、われ將 た卿等 の悲歎 を率 ゐて、敵 の命 をも取遣 はさん。先 づそれまでは悲歎 を忍 んで、此 不祥事 の吟味 を主 とせい。……嫌疑 の徒輩 を引出 せ。
ロレ 手前 こそは、力量 は最 ち不足 ながら、時 も處 も手前 に不利 でござるゆゑ、此 怖 しい殺人 の第 一番 の嫌疑者 でござりませう。只今 此處 にて呪 はるべくもあり、恕 さるべくもある手前 の所行 を告發 もし、辯解 も仕 りませう。
領主 さらば、汝 が存 じをる限 りを疾 く申 せ。
ロレ 手短 に申 しませう、管 々しう申 さうには命 が覺束 なうござりまする。……そこにお死 にゃったるロミオこそはヂュリエットが正 しい夫 、またそこにお死 にゃったるヂュリエットこそはそのロミオが貞節 なる宿 の妻 、二人 を嫁 したは手前 。また二人 が内祝言 の日 はチッバルトどのゝ大厄日 、非業 の最期 が因 となって新婿 どのには當市 お構 ひの身 の上 となり、ヂュリエットどのゝ悲歎 の種 、さうとは知 らずチッバルトどのをお歎 きゃるとのみ思召 され、其 歎 を除 かうとてパリスどのへ無理強 ひの婚禮沙汰 、其時 姫 が庵室 へわせられ、此 二度 の祝言 を脱 るゝ手段 を教 へてくれい、然 なくば此處 で自害 すると半狂亂 の面持 、是非 なく、自得 の法 により、眠劑 を授 けましたところ、案 の如 くに效力 ありて、死 せるにひとしき其 容態 、手前 其間 に書状 して、藥力 の盡 るは今宵 、姫 をば假 の墓所 より、來 りて救 ひ出 されよ、とロミオ方 へ申 し遣 りしに、使僧 ヂョンと申 す者 、不慮 の事 にて抑留 められ、夜前 其 書 を持歸 ってござりまするゆゑ、目覺 めなば嘸 當惑 、と姫 を救 ひ出 さんため、只 一人 にて參 りしは、窃 に庵室 にかくまひおき、後日 機 を見 て、ロミオへ送 り屆 けん存念 、然 るに參 り見 れば、姫 の目覺 むる少 しき前方 、非業 の最期 はパリスどのとロミオどの。其中 、姫 の目覺 め[#「目覺 め」は底本では「目覺 め」]しゆゑ、天 の爲 せる業 は是非 に及 ばず、ともかく出 てござれ、と勸 むるうちに、近 づく人聲 、予 駭 き逃出 ましたが、絶望 の餘 にや、姫 は續 いて參 りもせず、やがて自害 を致 したと相見 えまする。手前 が存 じをりまするは是限 り。内祝言 の儀 は乳母 が善 う承知 の筈 。何事 にまれ、予 が不埓 と御檢斷 遊 ばれうならば、餘命 幾何 もなき老骨 、如何 な御嚴刑 にも處 せられませう。
領主 予 は常 に足下 をば正 しい僧 と信 じてをったわ。……ロミオの僕 は何處 にをる? 彼 れは此儀 に對 して何 と申 すぞ?
バルタ 僕 めは、ヂュリエット樣 お死去 の事 をば、マンチュアの主人方 へ傳 へましたるところ、主人 は直 に驛馬 にて、彼處 から御廟所 まで參 られ、墓 へ入 られまする前 に、此 書面 を朝 早 う親御樣 へ渡 してくれいと申 され、速 かに此處 を立去 らずば殺 してしまふぞと嚇 されました。
領主 其 書面 見 ようわ。これへ。……して、夜番 を呼起 した伯 の侍童 とやらは何處 に居 る?……こりや[#「こりや」はママ]、其方 の主人 は此處 へは何 しにわせたぞ?
侍童 御方 の墓 へ撒 うとて花 を持 ってわせられました。遠 くへ離 れてゐいと仰 せられましたゆゑ、僕 はさやう致 しました。やがて燈火 を持 った人 がわせて、墓 を發 かうと爲 やしゃるやいな、御主人 は劍 を拔 かしゃれました。それで僕 は走出 して夜番 の衆 を呼 びました。
領主 此 書面 にて僧 が申條 の證 は立 ったり、情事 の顛末 、女 が死去 の報告 また貧窮 なる藥種屋 より毒藥 を買求 めてそれを持參 し、此處 なる女 の墓 の中 にて自殺 なさん底意 まで、明白 と相成 ったわ。……仇敵同士 は何 れにあるぞ? カピューレット! モンタギュー!……見 い、是 皆 汝等 が相憎惡 の懲罰 、天 は故 と子供等 を愛 しあはせ、以 て汝等 が歡樂 をば殺 させられたわ。予 將 た汝等 の確執 を等閑 に視過 したる罪 によって、近親 を二人 までも失 うた。御罰 に漏 れたる者 はない。
カピ長 おゝ、モンタギューどの、御手 をば與 へさせられい。これをこそ愛女 への御結納 とも思 ひまする、他 に望 とてはござらぬわい。
モン長 いや、こなたよりはまだ參 らするものがおぢゃる。吾等 純金 にて姫 の像 を建 て申 し、此 ローナが同 じ呼名 で知 らるゝ限 り、貞節 なヂュリエットどのゝ黄金 の像 をば上無 き記念 と崇 めさせん。
カピ長 女 と並 べてロミオどのゝ黄金 の像 をも建 て申 そう、互 ひの不和 の憫然 な犧牲 !
領主 物悲 しげなる靜 けさをば此 朝景色 が齎 する。日 も悲 しみてか、面 を見 せぬわ。いざ、共 に彼方 へ往 て、盡 きぬ愁歎 を語 り合 はん。赦 すべき者 もあれば、罰 すべき者 もある。哀 れなる物語 は多 けれども、此 ロミオとヂュリエットの戀物語 に優 るはないわい。
ロミオとヂュリエット (完)