番外編 舞殿の【女帝】5
乱暴な行いだった。しかしそれを咎め立てようという者はいない。
十五も年上の相棒がとった子供じみた行動に呆れかえったエル・クレールも、
「ギネビア殿が抱きついてくださるのは自分の方だと思っていらしたのですね」
小さく笑ったに過ぎない。
「酷い方。私をそれほどはしたない女とおもっていらしたなんて」
ギネビアも遥か高くにある紅潮した頬を見上げ、小さく笑った。
図星を突かれたブライトだが、流石に下手な弁解はしたところで無意味と悟っているらしい。
「全くお前さんは直裁に過ぎる。もう少し遠回しに言え」
唇を鍵のようにねじ曲げると、発言主の手を掴んで、ドアへときびすを返した。
「ほら、帰ぇるぞ」
「まだ用が済んでおりませんわよ」
ギネビアの声は小さかった。しかし威厳と鋭さがあり、エル・クレールはもちろん、ブライトをも振り向かないわけにゆかぬ心持ちにさせた。
「これから昼餐会を開きます。宵には舞踏会が始まりますわ」
ギネビアは出席を促す言葉を口にする変わりに、微笑みを浮かべた。
「それは……」
エル・クレールがいかにして「不参加」の意思を伝えようかと考えはじめた瞬間、
「残念だが、あいにく飯は間に合っていて、お貴族様の御前に出るのに相応しいおべべの持ち合わせが間に合っていないンでね」
ブライトが不機嫌に言い、再びドアの方へ向き直った。
と。
ドアの前に娘達が人垣を作っていた。
質素だが仕立ての良い服を着たその娘達は、各々筆記具や鯨尺やハサミや手箱を携えていた。
ストールのように首にメジャーを巻いている者がいる。ブレスレットのように針山を手首に巻き付けている者がいる。
付け爪のような指ぬき。簪のようなレース針。香水瓶のような露草インクの壺。そしてデザイン画をまとめた帳面が、扇子のように広げられている。
「まさか、これから衣装を仕立てるというのではありませんよね? 夜に始まる舞踏会に間に合うはずもありませんから……」
希望を込めたエル・クレールの問いかけに、ギネビアは肯定の頷きで応じた。
「手間のかかるような豪奢な衣装を仕立てるつもりはありません。それに、自慢するつもりはありませんが、この宮殿付のお針子と仕立屋達は、とても優秀ですのよ」
「そう言う意味ではなくて……」
援護を求めて、再びエル・クレールはブライトに視線を移した。
今度も助けは期待できそうにない。彼はにやけた笑みを浮かべている。
「貰っておけ、貰っておけ。お前さんの場合は、偶にゃぁ親父の形見の古着以外のモンを着たって、罰も当たらねぇよ」
揶揄のような本気のような言葉を残し、彼は独り出口に向かうが、その行く手には別の仕立屋の群れが立ちはだかった。
「おいおい、まさか俺の分まで作る気じゃあるまいな」
訝しげに振り返ると、
「最初から二人分の生地を用意してあります。そもそも、あなたは自分の大切なパートナーを独り放って逃げるような人物ではないでしょうし」
ギネビアは絶望的に爽やかな笑顔を浮かべていた。
二人の旅人達が諦めのため息を吐くのを合図に、お針子と仕立屋の群れはターゲットに群がった。
数人掛かりで一度に裄丈を測り、袖丈を測り、襟ぐりを測り、胸回りを測り、腰回りを測る。その値が読み上げられると同時に生地の上に印と線が引かれ、そのインクが乾く前に鋏が入り、パーツが切り出される端から縫い合わされてゆく。
「呆れるくらい優秀なスタッフ共だな」
しつけ糸の縫い取られた仮縫いの上着を無理矢理着せられたブライトは、恨めしそうにギネビアをにらみつけた。
彼女は……滅多にないことだが……自慢げに笑った。
「本当に、まるで手品でも見ているよう。……ところで、クレールさんは以前からルッカ・アイランドのパトリシア姫とご親交を深めていらしたのでしたね?」
「ええ」
エル・クレールのかすかな返事がお針子の人混みの奥からようやく聞こえたが、それ以上の言葉を出すことはどうやら無理のようだ。
代わりにブライトが、
「ルッカてぇと、舞踏神とかいうのを信心してる国だな。山奥の僻地な物だから、物理的に鎖国状態で、滅多に外交もできないトコだって聞いてるが……来てるのか?」
「ええ。今回の舞踏会にはクレールさんも参加すると伝えましたら、二つ返事で」
ギネビアは少々すまなそうに首をかしげ、お針子の腕の隙間を覗き込んだ。
「ですからどうしても、あなたには舞踏会に顔を出して頂かないとなりません。堪えてくださいな」
エル・クレールがするべきだった返事は、再びブライトの口から出た。
「全く政治家という奴は、手前ぇの都合で親友まで手駒に使いやがるか」
呆れてもいる。怒ってもいる。だが彼らは、同情し、承諾していた。