慶長二十年(1615)三月十日付け、真田信繁から小山田茂誠・之知宛の書状

敬称略。
強調文字はファイル作成者によるもの。
 遠路預御使札候、其元相替儀無之由、具承、致満足候、爰元おゐても無事ニ候、可御心安候、我等身上之儀、殿様御懇比も大かたの事ニはハ無之候へとも、萬気遣のみニて御座候、一日一日とくらし申候、面上ニならて委不得申候間、中々書中不具候、様子御使可申候、当年中も静ニ御座候者、何とそ仕、以面申承度存候、御床敷事山々ニて候、さためなき浮世ニて候へ者、一日さきハ不知こと候、我々事なとハ浮世にあるものとハおほしめし候ましく候、恐々謹言

  三月拾日     真左衛門佐
   小壱岐様
   同主膳殿       信繁(花押)
        御報

 尚々、別帋ニ可申入候へとも、指儀無之候、又御使如存候、少用取乱申候、早々如此候、何も追而具申入候、以上

これは、大阪夏の陣(慶長20年4月26日開戦)直前に送られた書状。
そのためWeb上の有名人の「辞世の句/最期の言葉」系のサイトで「幸村の最期の言葉」として、この書状の一説(強調文字部分)が取り出されて、以下のように紹介されていることが多い。
さだめなき浮世にて候へ者、一日先は知らざる事、我々事などは浮世にあるものとは、おぼしめし候まじく候
(「さだめなき浮世に候へ者、一日先は知らざる事我々事ばどは浮世にあるものとは、おぼしめし候まじく候」と表記のサイトも多い)


書状中の署名「真左衛門佐」は真田左衛門佐の略。左衛門佐は真田信繁(幸村)の武家官位。

「小壱岐」は小山田壱岐守の略で、真田信之の家臣(次席家老)である小山田茂誠(重誠)のこと。
茂誠は真田昌幸の長女お国(村松殿/宝寿院)の夫で、信之・信繁兄弟の義理の兄に当たる。

「主膳」は茂誠の子の小山田之知のこと。

以下現代語訳。間違ってたらごめんなさい。
遠いところを御使者をお送り下さりありがとうございます。
そちらはお変わりがないとのこと、詳しく承り、満足いたしました。
こちらにおきましても無事でございますので、ご安心下さい。
私たちの身の上のことについてですが、お殿様(豊臣秀頼)は大変親切にしてくださるので大抵のことは問題ないのですが、色々と気遣いしながら、一日一日生活しています。
お会いしなくては細かいところを申し上げることはできません。手紙では中々詳しく書けませんが、御使者の方が詳しく伝えてくださるでしょう。
今年も何事もなければ、どうにか、お目にかかりたいと思っています。知りたいことが山ほどあるのです。
ですが、この不安定な世情のことですから、明日のこともわかりません。私たちのことなどはもうこの世にはいないものだとお考え下さい。
恐れながら謹んで申し上げます。

署名

なお、本来はお二人別々に書状をお送りするべきなのですが、それほど重要なことでもございませんし、また御使者もご存じの如く、少々取り乱れておりますので、急ぎこのようにしました。
何れ追って詳しいことをお知らせいたします。
以上。


このファイルは、
オリジナル小説・写真素材「お姫様倶楽部Petit」の更新日記』の2009年10月22日(木)付記事を元に作製されています。
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