いにしえの【世界】 23
 道なりに進むと、やがて村の中央広場へたどり着いた。
 村の人口規模には似合わぬが、田畑の面積などを合わせた広さを考えれば妥当な大きさをもつ円形の空間の真ん中に、岩に彫りつけた素朴な女神像が高々と立っている。
 この村は前朝以来スカディ女神を村の守護者として祀っている。
 彼女の縁日の祭りが近郷に比べてことさら盛大に行われるのも、村人達が時として女神と同一視される皇后クラリスに深い親愛の情を抱いているのも、それ故のことと考えれば頷ける。
 そのまま像の前を通り抜け、広場を貫く街道を進んで村から出る……ものだとばかり思っていたブライトが、彼女の足下でぴたりと歩を止めたのに、エル・クレールは驚いた。
 背中を丸めたまま、彼は広場をぐるりと見回した。
 女神像が見下ろす場所に、芝居小屋が掛けられていた。円形広場の半分を占める大きさは立派だろうが、テントも旗指物もみなあちこちに継ぎを当てなければ使えない代物で、はっきり言えばみすぼらしい。
「こりゃ『末生り瓢箪』から一筆もらっているようにゃ見えんな」
 ブライトがつぶやいた。声音に安堵が混じっている、とエルは聞いた。
 嫌悪し、唾棄する相手にかけられていた疑念が晴れたのを、彼はむしろ喜んでいるに違いない。
 しかしそう指摘すれば、きっと
『それほどの才能があるくせに、兄貴に逆らうような度胸のある男ではないから、嫌いなのだ』
 などと、もっともらしい言い訳をするだろう。
『つまり、この人はアンチという名の信奉者なのだ』
 エルは彼が「フレキ叔父をある意味で信頼している」ことを嬉しく思ったが、それを隠して、
「そのことを確かめるために、わざわざ?」
 その問いに対する返事はなかった。
 彼はエルに背を向け、絡まった針金のように強情そうな髪の毛に覆われた後頭部を、ガリガリと掻いた。
「普段なら、おまえさんのそういう鈍さがたまらなくカワイイんだが、今日はそうも言ってられンね」
 軽口のようにブライトは言うが、言葉の端になにやら重苦しいモノがあった。
「私が、何か『見落として』いる、と?」
 エルは彼の左に並ぶよう一歩前へ出ると、彼の視線をなぞった。
 背を丸め、うつむき加減で立つ彼の目は、地面に落ち込んでいる。
 見える地面ではない。芝居小屋の薄汚れた「壁」を突き抜けた先の地面だ。
 人間がの視力では、そこに何かを「見る」ことなど無理なことだろう。ブライトの「目」とて、何かを「見ている」訳ではない。
 だが、彼はそこに「何かある」と感じている。
 心眼だとか勘だとか第六感だとか、そういう「能力」じみたモノが、そこにある何かの存在を感じ取らせている。
 その手の「能力」の鋭さだけを言えば、実のところエル・クレールの方がブライトよりも優れている。
 彼女のそれは、鋭く細く、そして力強い刃さながらに鋭敏だ。
 無人の屋敷や戦禍の跡に息を潜め、姿を隠し、あるいは人間になりすましている魔物がいたとして、彼女はその存在を感じ取ることができる。場合によっては、それが「なんと名乗る物なのか」さえも見通すことができた。
 ブライトは彼女の勘の鋭さに何度か助けられたし、その幻視の的確さは信用している。
 だが彼は彼女の「能力」そのものは全く信頼していない。
 なぜならそれは時として、見えている物にさえ気づかないほどの酷い「なまくら」になるからだ。
 エルは自分の感覚が不安定なことを心苦しく思っている。
 彼女はブライトが「何かを感じ取った」その場所をじっとにらんだ。
 そこに何も発見できないことが情けなく、口惜しい。
「今日は特に間の抜け方が尋常じゃねぇな。……『末生り瓢箪』の名前にゃ、そんな役に立たない『御利益』があるのかね?」
 ブライトがからかい半分に言う。
「あの方の所為ではありません……多分」
 反論するエルの語尾は弱々しかった。
「多分? 他に何か……」
 言いかけて、ブライトは口をつぐんだ。
 エルの全身が粟立っていた。
 見えてしまった……黒光りのする尖ったかぎ爪の影が。

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