いにしえの【世界】 61
「俺にはね、あんたの口を無理矢理塞ごうなんて気は更々ないのさ。そんなことをしたら、俺が姫若に叱られちまうからね。でも確認はしないといけないンだ。解るだろう?」
 低く小さな声が床を這い、足下から聞こえた気がした。シルヴィーの奥歯が鳴った。
「わたしの……勘違いでした。若様が姫様に見えたのは、わたしの思い違いです。わたし独りの……独り合点でした」
 ブライトが顔を上げた。破顔していた。ただし、奇妙にこわばった笑顔だった。
 どこから見ても作り笑いだと解る顔だ。
 誰が見てもそうと解らない自然な笑顔を平然と作ることができる男が、わざとらしく笑ってみせるのは、硬い笑顔を脅迫の道具として使うために他ならない。
 彼の思惑通り、シルヴィーは彼の怒りが収まっていないと感じていた。何もかも正直に言わなければ、どんな恐ろしい目に遭うか知れないと思いこんだ。
「まさかその勘違いをだれぞに話したりしたなんてコトは、しないだろうね?」
 問われて、彼女は小刻みに首を縦に振った。
 ブライトの笑顔が、一層硬質になった。
「もう一つ訊かせて貰うよ。大体、どうしてそんな勘違いをしたンだね?」
 それこそが一番の問題点だった。
 確かにエル・クレール=ノアールは剣士としては細身で小柄だが、女性としてはむしろ大柄の部類に入ろう。
 背丈は同じ年頃の娘達よりもゆうに頭一つ分は高いし、肩幅も拳二つ分は広い。
 どちらかというと着やせする体型であり、また、男物の衣服では腰を締め付けたり胸を持ち上げたりすることがないが故に、胸元や腰回りの丸みは目立たない。
 実用性を重視するのが好みであるから、身につける物全般について、デザインはすこぶるシンプルな物ばかりとなる。いわゆる「女性らしい華やかな装飾」は、むしろ毛嫌いさえする。
 それでも、女性である。顔立ちは当然女性的だ。が、化粧気もなく髪型にも頓着しないものだから、柔らかい面立ちであっても年若い「少年」であると主張すれば、皆納得する。
 だが、シルヴィーは女と見破った。
 ブライトは気に入らなかった。
 彼女が女であり、そして四年も昔に死んだはずのミッドの公女であると他人に知れることは、彼女の身の安全のためにあってはならない。
 それになによりも
『つまらない男物の布っ切れの下に、信じられねぇくらい可愛らしいおっぱいとおしりが隠れてるってぇことを、他の野郎に知られてたまるか』
 不機嫌が募る。
 シルヴィーにこの男の歪んだ独占欲などに気付くことができるはずもない。押さえ込んだ声の問いに一層震え上がった。
「目が……」
 歯の根の合わない口が、一言だけ吐き出した。
「目?」
 ブライトと、エル・クレールが、異口同音に言った。シルヴィーはまだ震えていたが、
「私は……マカム族の出です」
 先ほどよりははっきりと聞き取れる一言を返すことができた。
 ブライトが眉頭を寄せた。
「マカム族たぁ南方系の放牧民族だろう? 近頃は定住政策とやらいう帝国式のお節介の所為で、元いただだっ広い草原から追ん出されて、居住区なんていう勝手な線引きの内側に、一族か精々部族の単位で押し込めらちまっている筈だが」
 彼は頭の隅で大陸の地図を広げた。
 ギュネイ帝国では帰順させた「少数民族」たちに対して家族単位で幾ばくかの土地を「与え」ている。
 彼らが団結という力が得ぬように、細かく切り離し、さらには身動のとれぬように封じ込めるのが目的だ。
 シルヴィーは口を引き結んで頷いた。一つ深呼吸をし、彼女はゆっくりと話す。
「マカムの女達は人前に肌を晒すことを禁じられております。脚も手も、顔も、どうにか目だけが外から見えるベールで覆うのが決まりごとです」
 言い終わらぬうちに、エル・クレールが懐かしげに声を上げた。
「あれはとても優美な姿でした」
 ブライトはちらりとエル・クレールを見た。
 眉尻が下がっている。
 切り刻まれた血族たちは、大陸全土の「居住区」に散らされ、生きている。その小さなコミュニティが
『ミッドにもあった、か』


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