09/05/26
※この小話はフィクションであり実在の人物・団体・思想とは関係ありません。

フレキ=ゲー編によるガップ民話集

最初の夫婦と最初の娘たちの話


 昔々のその昔。
 天の御国の御使いが、天と地と人のために空と大地の間で舞い飛んでいた頃のこと。
 広い広い大地には、人が最初の夫婦の二人しかおりませんでした。
 夫の人がこの世で最初のお父さんになる人で、この世で最初のお百姓さんでした。
 妻の人がこの世で最初のお母さんになる人で、この世で最初の機織り職人さんでした。
 最初のお父さんになる人は、荒れた大地を毎日毎日耕して、少しずつ少しずつ畑を広げておりました。
 何分この世で最初のお百姓さんですから、何が食べてよい穀物で、どれが食べて良くない草なのかが判りません。いつ種を蒔けばよいのか、水をどれほどあげればよいのかも判りません。
 昼間は実をつつきに来る鳥たちを追い払わなければなりませんし、夜は根を掘り起こしに来る獣たちを追い払わなければなりません。
 何もかも一人で全部やらなければならないのです。何しろこの世にお百姓さんは一人きりしかいないのですからね。
 最初のお母さんになる人は、材料を探しては毎日毎日糸を紡いで、少しずつ少しずつ布を織っておりました。
 何分この世で最初の機織り人ですから、何が糸を紡ぎやすい繊維で、どれが織って良くない糸なのかが判りません。いつ毛を刈ればよいのか、水にどれほど付ければよいのかも判りません。
 昼間はいろいろな糸を紡がなければなりませんし、夜はいろいろな布を織らねばなりません。
 何もかも一人で全部やらなければならないのです。何しろこの世に機織り人は一人きりしかいないのですからね。
 こういったわけですから、二人の間に赤ちゃんができて、月が満ちて明日にも赤ん坊が生まれるかも知れないと判っていても、この世で最初のお父さんになる人は畑から離れるわけにはゆきませんでした。
 月が満ちて明日にも赤ん坊が出てくるかも知れないと判ってみても、この世で最初のお母さんになる人は糸錘を手放すわけには行きませんでした。
 さて、この世に人が二人しかおりませんので、この世には産婆の役をできる人がおりません。
 ですから、この世で最初のお母さんはこの世で最初の子供を自分一人で産み落とさなければなりませんでした。
 でも、この世で最初のお母さんになる人は、赤ん坊の取り上げ方を知りませんでした。
 だって、この世にはこのお母さんより先にお母さんになった人が一人もないのです。
 ですから、誰も赤ん坊の取り上げ方を知りませんし、誰も赤ん坊の取り上げ方を教えてはやれないのです。
 兎にも角にも、マツリカの花の咲いた頃、この世で最初のお母さんは産気づきました。
 そうして、この世で最初の夫婦が住まいにしていた岩の洞窟の中の、布団にしていた藁の山の中で、最初の赤ん坊は生まれたのです。
 この世で最初の赤ん坊はとても元気よく、空を飛ぶような勢いでお母さんのお腹から飛び出てきました。ところが、受け止めてくれる産婆さんがおりません。
 この世で最初の赤ん坊は、頭のてっぺんから藁の布団の上に落ちてしまいました。
 しかもこの赤ん坊ときたら、あまりに元気が良すぎて、あまりに勢いが良すぎたものですから、藁の布団の上で三度もころがったのです。
 藁の布団は人が二人寝るのがやっとの広さでしたから、三度転げた赤ん坊は、勢い余って布団から飛び出して、岩がごつごつしているの床の上に、転げ落ちてしまいました。
 落ちたところは硬い石の床です。赤ん坊の顔の半分は石ころにぶつかって潰れ、体の半分は石ころに挟まって潰れてしまいました。
 そういったわけですから、この世で最初の赤ん坊は、目も耳も半分は利かず、手も足も半分は動きませんでした。
 この世で最初のお母さんは、赤ん坊を抱き上げて泣きました。畑から戻ってきたこの世で最初のお父さんも、とてもとても悲しみました。
 するとこの世で最初の赤ん坊は、泣いて悲しむ両親に向かって元気の良い声で言ったのです。
「お父さん、お母さん、今までこの世にはあなたたちしかいませんでした。
 あなたたちが悲しむことは、この世の総てが悲しむことと同じででした。
 でも今はこの私もおります。
 この世に生まれてよろこんでいる私のために、この世には悲しみだけでなく、喜びの声にも満ちるでしょう。
 お父さん、お母さん、今までこの世にはあなたたちしかいませんでした。
 あなたたちが苦しむことは、この世の総てが苦しむことと同じでした。
 でも今はこの私もおります。
 私はお父さんを助けることができ、私はお母さんを助けることができます。
 さあ泣かないで、悲しまないで。
 どうかよろこんで、笑ってください」
 この世で最初のお父さんとお母さんは大変よろこんで、この最初の赤ん坊を抱きしめました。
 この世で最初のお父さんとお母さんは、この世で最初のこの娘にフッラという名前を付けました。
 それは、白いマツリカの花の咲いた日のことでした。

 広い広い大地には、人が最初の夫婦の二人と最初の夫婦の最初の娘しかおりませんでした。
 夫の人はこの世で最初のお父さんで、この世で最初のお百姓さんでした。
 妻の人はこの世で最初のお母さんで、この世で最初の機織り職人さんでした。
 娘はこの世で最初の赤ん坊で、この世で最初のお医者さんになる人でした。
 なにしろこの世で最初の娘は、この世で最初の大怪我人でしたから、何よりもまず自分の体を治療しなければならなりませんでした。
 そうしなければ、お父さんのお百姓仕事を手伝うことができませんし、お母さんの機織り仕事を手伝うことができないからです。
 この世で最初の娘のフッラはまず一番最初に桑の木で杖を作りました。それからその杖を突いて、荒れ地を歩き、砂漠を歩き、川の岸を歩き、山の中を歩き、泉の畔を歩きました。
 荒れ地の草を摘んでは薬草を探し、砂漠の小さな生き物を捕っては薬になる生き物を探し、川で釣りをしては薬になる魚を探し、山の土を掘っては薬石になる石を探し、泉の水を飲んでは水薬の湧く場所を探したのです。
 何分この世で最初のお医者さんですから、何が傷を治す薬で、どれが具合の悪くなる毒なのかが判りません。どれをどれほど調合すればよいのか、何を取り除けばよいのかも判りません。
 何もかも一人で全部やらなければならないのです。何しろこの世にお医者さんは一人きりしかいないのですからね。
 誰も知らぬことをこの世で最初に試すのですから、間違って毒を飲むこともありました。間違って怪我をすることもありました。
 こういったわけで、この世で最初の娘がこの世に最初に生まれたときに負った傷は、良くなっては悪くなり、悪くなっては良くなって、いつまでたっても足は片方引きずったまま、手は片方萎えたまま、耳は片方聞こえぬまま、目は片方見えぬままでした。
 それでもこの世で最初のお医者さんのフッラは、少しずつ薬になる草を見分け、薬になる生き物のことを探し出し、薬になる魚を知り、薬になる石を憶え、薬になる泉を見付けました。
 フッラは杖を突いて足を引きずり、いろいろな良い薬を背負って、この世で最初の夫婦が住まいにしている岩の洞窟に戻ってきました。

 この世で最初のお百姓さんが耕す畑は少し広くなり、この世で最初の機織り職人が織る布は少し大きくななっていました。
 でも相変わらずお百姓さんはこの世に一人しかおらず、機織り職人はこの世に一人しかおりません。
 こういったわけですから、二人の間に赤ちゃんができて、月が満ちて明日にも赤ん坊が生まれるかも知れないと判っていても、この世で最初のお父さんは畑から離れるわけにはゆきませんでした。
 月が満ちて明日にも赤ん坊が出てくるかも知れないと判ってみても、この世で最初のお母さんは糸錘を手放すわけには行きませんでした。
 最初の時と違ったのは、この世にいるのは二人きりではなく、この世で最初の娘のフッラという産婆の役をできる三人目がいるということでした。
 この世で最初の赤ん坊で、この世で最初のお医者さんで、この世で最初のお産婆さんのフッラは、自分が生まれたときのことをよくよく思い出しました。
 何がいるのか、どうすればよいのか、よくよく考えました。
 そうしてたった一人で産湯を沸かし、たった一人で産着を仕立て、たった一人で準備を整えました。
 それから、この世で最初のお母さんの大きなお腹に、よくよく聞こえる方の耳を当てました。
 お母さんのお腹の中では、小さな心の臓の拍動が
「ととと、ととと」
「ととと、ととと」
 と、二つ重なって鳴っておりました。
「私の弟妹はきっと双子に違いない」
 フッラが言いますと、お母さんは大変びっくりしました。
 だって、この世にはこのお母さんより先に双子のお母さんになった人が一人もないのです。
 ですから、誰も双子の取り上げ方を知りませんし、誰も双子の取り上げ方を教えてはやれないのです。
 兎にも角にも、ホウセンカの花の咲いた頃、この世で最初のお母さんは産気づきました。
 そうして、この世で最初の夫婦が住まいにしていた岩の洞窟の中の、布団にしていた藁の山の中で、最初の双子の赤ん坊は生まれたのです。
 この世で最初にお産婆さんをすることになったフッラは、この世で最初の双子の最初の子の右の手が出てきたときに、
「この子が先に生まれた子」
 と判るようにホウセンカの花びらの汁を小さな爪に塗りつけました。双子で生まれた赤ん坊の見分けが付かなくなったら大変だからです。
 ホウセンカの花の汁を塗り終わると、フッラはその赤い爪の赤ん坊を引っ張り出すために手を掴もうとしました。すると、その手はヒュッと引っ込んでしまいました。
「この子はなんてのんびりやさんなのだろう。皆が自分の生まれるのを待っているというのに」
 フッラはため息を吐きました。
 でもゆっくりとはしていられません。直ぐにまた手が出てきたからです。
 その爪にホウセンカの印が付いておりませんでしたので、この世で最初のお産婆さんは、これが始めに手を出した赤ん坊では無いと判りました。
「この子はなんてせっかちさんなんだろう。姉を追い越して生まれようとするなんて」
 フッラはため息を吐きました。
 でもゆっくりとはしていられません。
 こちらの手まで引っ込んでしまっては大変ですので、この世で最初のお産婆さんは大急ぎで手を握り、大慌てて手を引っ張りました。
 こうして、この世で二番目に生まれてきた赤ん坊はとても元気よく、空を飛ぶような勢いでお母さんのお腹から飛び出てきたのです。
 勢いの良さは、最初の赤ん坊の時と同じか、もっとずっとありました。
 でも最初の時とはちがって、今度はしっかり受け止めてくれるお産婆さんがおります。
 この世で二番目の赤ん坊は、頭のてっぺんから藁の布団の上に落ちたりはしませんでした。
 赤ん坊の顔が半分は石ころにぶつかって潰れることもありませんでした。
 この世で最初のお産婆さんは急いで赤ん坊に産湯を使わせ、慌てて産着を着せました。
 何しろもう一人の赤ん坊が残っているのですからね。
 思った通りに、すぐに爪の赤い手が出てきました。また引っ込んでしまっては大変ですので、この世で最初のお産婆さんは大急ぎで手を握り、大慌てて手を引っ張りました。
 この世で三番目の赤ん坊はとても元気よく、空を飛ぶような勢いでお母さんのお腹から飛び出てきました。
 ですけれど、今度はしっかり受け止めてくれるお産婆さんがおりました。
 この世で三番目の赤ん坊は、藁の布団の上で三度もころがりませんでした。
 赤ん坊の体の半分が石ころに挟まって潰れることもありませんでした。
 この世で最初のお産婆さんは急いで赤ん坊に産湯を使わせ、慌てて産着を着せました。
 双子で生まれた娘達は、二人揃って大きな声で泣きました。
 この世で最初のお母さんは、赤ん坊を抱き上げて首を傾げました。畑から戻ってきたこの世で最初のお父さんも、とてもとても不安になりました。
 一度に二人の赤ん坊を同時に育てた人など、この世には一人だっていないのです。この世で最初の夫婦は心配になったのです。
 するとこの世で最初の双子の赤ん坊は、不安がる両親に向かって元気の良い声で言ったのです。
「お父さん、お母さん、ついこの間までこの世にはあなたたちしかいませんでした。
 あなたたちが悲しむことは、この世の総てが悲しむことと同じででした。
 でも今は私たち姉妹がおります。
 この世に生まれてよろこんでいる私たちのために、この世には悲しみだけでなく、喜びの声にも満ちるでしょう。
 お父さん、お母さん、ついこの間までこの世にはあなたたちしかいませんでした。
 あなたたちが苦しむことは、この世の総てが苦しむことと同じでした。
 でも今は私たち姉妹がおります。
 私たちはお父さんを助けることができ、私たちはお母さんを助けることができます。
 さあ泣かないで、悲しまないで。
 どうかよろこんで、笑ってください」
 この世で最初のお父さんとお母さんは大変よろこんで、この最初の双子の赤ん坊を抱きしめました。
 この世で最初のお父さんとお母さんは、この世で最初のこの双子の娘に名前を付けました。
 後から手を出したのに先に生まれた、爪の白い娘はマッハと言う名前です。
 先に手を出したのに後から生まれた、爪の赤い娘はジョカと言う名前です。
 それは、赤いホウセンカの花の咲いた日のことでした。

 広い広い大地には、人が最初の夫婦の二人と最初の夫婦の最初の娘と最初の双子の娘しかおりませんでした。
 夫の人はこの世で最初のお父さんで、この世で最初のお百姓さんでした。
 妻の人はこの世で最初のお母さんで、この世で最初の機織り職人さんでした。
 最初の娘はこの世で最初の赤ん坊で、この世で最初のお医者さんで、この世で最初のお産婆さんでした。
 次の娘たちはこの世で最初の双子で、この世で最初の猟師とこの世で最初の料理人になる人でした。
 何しろこの世で最初の双子の娘は、この世で一番最初の元気な子供たちでしたから、何よりまず自分達が食べるたくさんのご飯の心配をしなければならなかったのです。
 この世で最初のお百姓さんの畑は、まだたくさんの量も、たくさんの種類も採ることができませんでした。
 お百姓さんが一人しかいなかったからです。
 この世で最初のお母さんが作れる料理は、まだたくさんの量も、たくさんの種類もありませんでした。
 料理を作れる人が一人しかいなかったからです。
 この世で最初の双子の、後から手を出したのに先に生まれてきたマッハは、まず一番最初に柳の木で弓矢を作りました。
 それからその弓矢を背負って、荒れ地を歩き、砂漠を歩き、川の岸を歩き、山の中を歩き、泉の畔を歩きました。
 荒れ地で空を見上げてはをキジバトを探し、砂漠の小さな穴ぼこを覗き込んではスナネズミを探し、川の岩陰を探ってはカワウソを探し、山の洞穴に忍び込んではヤマクジラを探し、泉の近くに身を潜めてはスイロクを探しました。
 何分この世で最初の猟師さんですから、何が捕まえてよい生き物で、どれが人を襲う獣なのかが判りません。どこにどれほど群れているのか、何をどのように仕掛ければよいのか判りません。
 何もかも一人で全部やらなければならないのです。何しろこの世に猟師さんは一人きりしかいないのですからね。
 誰も知らぬことをこの世で最初に試すのですから、間違って襲われることもありました。間違って怪我をすることもありました。
 そういったわけですが、この世で最初の双子の先に生まれた娘は、この世に最初に生まれてきたときのはしっこさを、ますます鍛え、ますます生かし、素早く、元気で、丈夫な人になりました。
 そうしてこの世で最初の猟師さんのマッハは、少しずつ地形を見分け、食べるに良い得物を探し出し、上手に狩りをする方法を知り、それぞれの生き物の特徴を憶え、良い猟場を見付けました。
 マッハは弓矢を持って胸を張って歩き、いろいろな得物の肉や皮を背負って、この世で最初の夫婦が住まいにしている岩の洞窟に戻ってきました。
 この世で最初の双子の、先に手を出したものの後から生まれてきたジョカは、まず一番最初に赤い粘土で鍋を作りました。
 それからその鍋を背負って、荒れ地を歩き、砂漠を歩き、川の岸を歩き、山の中を歩き、泉の畔を歩きました。
 荒れ地の草を摘んでは甘い草を探し、砂漠の砂を掘っては辛い球根を探し捜し探し、川の岩陰を覗いては苦い葉っぱを探し、山の崖を掘ってはしょっぱい岩塩を探しを探し、泉の水辺に依っては酸っぱい木の実を探しました。
 何分この世で最初の料理人さんですから、何が味を引き立てるものでで、どれが味を悪くするものなのかが判りません。どこにどれほど咲いているのか、何をどのように組み合わせればよいのか判りません。
 何もかも一人で全部やらなければならないのです。何しろこの世に料理人さんは一人きりしかいないのですからね。
 誰も知らぬことをこの世で最初に試すのですから、間違ってとても食べられない味の物を囓るもありました。間違って怪我をすることもありました。
 そういったわけですが、この世で最初の双子の後に生まれた娘は、この世に最初に生まれてきたときの慎重さを、ますます鍛え、ますます生かし、注意深く、真面目で、丈夫な人になりました。
 そうしてこの世で最初の料理人さんのジョカは、少しずつ味を見分け、より美味しく食べる術を探し出し、上手な組み合わせ方法を知り、それぞれの食材の特徴を憶え、良い調理の仕方を見付けました。
 ジョカは鍋を持って胸を張って歩き、いろいろな香辛料や調味料を背負って、この世で最初の夫婦が住まいにしている岩の洞窟に戻ってきました。

 この世で最初のお百姓さんが耕す畑は少し広くなり、この世で最初の機織り職人が織る布は少し大きくななっていました。
 でも相変わらずお百姓さんはこの世に一人しかおらず、機織り職人はこの世に一人しかおりません。
 こういったわけですから、二人の間に赤ちゃんができて、月が満ちて明日にも赤ん坊が生まれるかも知れないと判っていても、この世で最初のお父さんは畑から離れるわけにはゆきませんでした。
 月が満ちて明日にも赤ん坊が出てくるかも知れないと判ってみても、この世で最初のお母さんは糸錘を手放すわけには行きませんでした。
 最初の時と違ったのは、この世にいるのは二人きりではなく、この世で最初の娘のフッラという産婆の役をできる三人目がいるということでした。
 二番目の時と違ったのは、フッラの仕事を手伝ってくれる、マッハという四人目と、ジョカという五人目がいることでした。
 この世で最初の赤ん坊で、この世で最初のお医者さんで、この世で最初のお産婆さんのフッラは、自分が生まれたときのことをよくよく思い出しました。それから双子の妹たちが生まれてきたときのこともよくよく思い出しました。
 何がいるのか、どうすればよいのか、よくよく考えました。
 そうして姉妹達は手分けして産湯を沸かし、手分けして産着を仕立て、手分けして準備を整えました。
 それから、この世で最初のお母さんの大きなお腹に、よくよく聞こえる方の耳を当てました。
 お母さんのお腹の中では、小さな心の臓の拍動が
「ととと、ととと」
 と、籠もった音で鳴っておりました。
「私の弟妹はきっと逆子に違いない」
 フッラが言いますと、お母さんは大変びっくりしました。
 だって、この世にはこのお母さんより先に逆子のお母さんになった人が一人もないのです。
 ですから、誰も逆子の取り上げ方を知りませんし、誰も逆子の取り上げ方を教えてはやれないのです。
 兎にも角にも、ニガヨモギの黄色い花の咲いた頃、この世で最初のお母さんは産気づきました。
 そうして、この世で最初の夫婦が住まいにしていた岩の洞窟の中の、布団にしていた藁の山の中で、最初の逆子の赤ん坊は生まれたのです。
 この世で最初にお産婆さんになったフッラは、この世で最初の逆子のおしりが出てきたときに、
「臍の緒を絡ませないように」
 と言いました。おしりから出てきた子の首に臍の緒が絡んでしまっては、息が詰まって大変だからです。
 この世で最初のお産婆さんは小さなお尻に手を当てて、そおっと引っ張りました。
 そうすると、この世で四番目に生まれてきた赤ん坊はとても元気よく、空を飛ぶような勢いでお母さんのお腹から飛び出てきたのです。
 勢いの良さは、最初の赤ん坊や二番目の赤ん坊や三番目の赤ん坊の時と同じか、もっとずっとありました。
 でも最初の時とはちがって、しっかり受け止めてくれるお産婆さんがおります。
 産湯の準備も産着の準備も整っています。
 でもお産婆さんのフッラは大慌てでした。
 赤ん坊の体には臍の緒が袈裟懸けに二回り半も巻き付いていて、ちっとも産声を上げなかったからです。
 この世で最初のお産婆さんは急いで赤ん坊の足を掴んで逆さまにして、背中をとんと叩きました。
 逆子で生まれた娘は、ようやく大きな声で鳴き出しました。
 この世で最初のお母さんは、赤ん坊を抱き上げて首を傾げました。畑から戻ってきたこの世で最初のお父さんも、とてもとても不安になりました。
 逆子で生まれた赤ん坊を育てた人など、この世には一人だっていないのです。この世で最初の夫婦は心配になったのです。
 するとこの世で最初の逆子の赤ん坊は、不安がる両親に向かって元気の良い声で言ったのです。
「お父さん、お母さん、ついこの間までこの世にはあなたたちしかいませんでした。
 あなたたちが悲しむことは、この世の総てが悲しむことと同じででした。
 でも今は私たち姉妹がおります。
 この世に生まれてよろこんでいる私たちのために、この世には悲しみだけでなく、喜びの声にも満ちるでしょう。
 お父さん、お母さん、ついこの間までこの世にはあなたたちしかいませんでした。
 あなたたちが苦しむことは、この世の総てが苦しむことと同じでした。
 でも今は私たち姉妹がおります。
 私たちはお父さんを助けることができ、私たちはお母さんを助けることができます。
 さあ泣かないで、悲しまないで。
 どうかよろこんで、笑ってください」
 この世で最初のお父さんとお母さんは大変よろこんで、この最初の逆子の赤ん坊を抱きしめました。
 この世で最初のお父さんとお母さんは、この世で最初の逆子の娘にポイベという名前を付けました。
 それは、黄色いニガヨモギの花の咲いた日のことでした。

 広い広い大地には、人が最初の夫婦の二人と最初の夫婦の最初の娘と最初の双子の娘とこの世で最初の逆子の娘しかおりませんでした。
 夫の人はこの世で最初のお父さんで、この世で最初のお百姓さんでした。
 妻の人はこの世で最初のお母さんで、この世で最初の機織り職人さんでした。
 最初の娘はこの世で最初の赤ん坊で、この世で最初のお医者さんで、この世で最初のお産婆さんでした。
 次の娘たちはこの世で最初の双子で、先に生まれた方はこの世で最初の猟師さんでした。
 後に生まれた方はこの世で最初の料理人さんでした。
 その次に生まれた娘はこの世で最初の逆子で、この世で最初の仕立屋さんになる人でした。
 この世には最初の織り子がいて、いろいろな布が織られておりましたが、それを着る物に縫い上げられる者がまだおりませんでした。
 ですから、この世で最初の夫婦とその子供たちは、みな一枚の布や一枚の皮を体に巻き付けていたのです。
 一枚の布を体に巻いて畑の仕事をしますと、動く内に解けて裸になってしまいます。
 一枚の布を体に巻いて機織りの仕事をしますと、動く内に糸車や織機に巻き込まれて破れてしまいます。
 一枚の布を不自由な体に巻いて仕事をしておりますと、動く内に折り目が片側に依ってかさばってしまいます。
 一枚の布を体に巻いて狩りに出かけますと、身を隠すときに端が茂みの外へ出て獲物に見つかってしまいます。
 一枚の布を体に巻いて料理をしますと、鍋の上に手を伸ばしたときに端が火にふれて焦げてしまいます。
 みなが不便にしておりましたので、ポイベはみなが働きやすい衣服を作らなければなりませんでした。
 この世で最初の逆子で生まれた娘のポイベはまず一番最初に鹿の角で針を作りました。
 それからこの世で最初の機織り職人さんが織り上げた布と撚った糸を取って、ちくりちくりと縫い合わせました。
 麻で織った布をたたんでは縫い合わせ、羊毛で織った布をたたんでは縫い合わせ、綿で織った布をたたんでは縫い合わせました。
 それに、この世で最初の猟師さんが仕留めて剥がした獣の皮も、たたんで揃えて縫い合わせました。
 何分この世で最初の仕立屋さんですから、何が仕事着に良い布で、どれが寝間着に良い布なのかが判りません。どこをどれほど縫い止めればよいのか、何処をどのように断ち切ればよいのか判りません。
 何もかも一人で全部やらなければならないのです。何しろこの世に仕立屋さんは一人きりしかいないのですからね。
 誰も知らぬことをこの世で最初に試すのですから、間違って布を裂いてしまうこともありました。間違って手に針を刺すこともありました。
 そういったわけで、この世で最初の逆子の娘は、生まれたときのおとなしさをそのままに、こつこつ黙々と無口な人になりました。
 それでもこの世で最初の仕立屋さんのポイベは、少しずつ脱げづらいズボンの作り方を憶え、破れにくい袖の付け方を憶え、引き攣れない身頃の形を憶え、引っ掛からない上着の作り方を憶え、火に強い前掛けの作り方を憶えました。
 ポイベは針山を腕に巻き付けて、色々な衣服を作って、この世で最初の夫婦が住まいにしている岩の洞窟の中に並べました。

 この世で最初のお百姓さんが耕す畑はもう少し広くなり、この世で最初の機織り職人が織る布はもう少し大きくななっていました。
 でも相変わらずお百姓さんはこの世に一人しかおらず、機織り職人はこの世に一人しかおりません。
 こういったわけですから、二人の間に赤ちゃんができて、月が満ちないのに明日にも赤ん坊が生まれるかも知れないと判っていても、この世で最初のお父さんは畑から離れるわけにはゆきませんでした。
 月が満ちないのに明日にも赤ん坊が出てくるかも知れないと判ってみても、この世で最初のお母さんは糸錘を手放すわけには行きませんでした。
 最初の時と違ったのは、この世にいるのは二人きりではなく、この世で最初の娘のフッラという産婆の役をできる三人目がいるということでした。
 二番目や三番目や四番目の時と違ったのは、フッラの仕事を手伝ってくれる、マッハという四人目と、ジョカという五人目とポイベという六人目がいることでした。
 この世で最初の赤ん坊で、この世で最初のお医者さんで、この世で最初のお産婆さんのフッラは、自分が生まれたときのことをよくよく思い出しました。それから双子の妹たちが生まれてきたときのこともよくよく思い出しました。逆子の妹が生まれてきたときのこともよくよく思い出しました。
 何がいるのか、どうすればよいのか、よくよく考えました。
 そうして姉妹達は手分けして産湯を沸かし、手分けして産着を仕立て、手分けしてゆりかごを作り、手分けして準備を整えました。
 大変でしたのは、今回は月が満ちないうちに産気づきましたので、全部の準備を整えきる時間が足らなかったことです。
 それから、この世で最初のお母さんのあまり大きくないお腹に、よくよく聞こえる方の耳を当てました。
 お母さんのお腹の中では、小さな心の臓の拍動が
「ととと、ととと」
 と、弱々しい音で鳴っておりました。
「私の弟妹はきっと掌に乗るような小さな赤ん坊に違いない」
 フッラが言いますと、お母さんは大変びっくりしました。
 だって、この世にはこのお母さんより先に月が満ちないうちに生まれた小さな赤ん坊のお母さんになった人が一人もないのです。
 ですから、誰も小さな赤ん坊の取り上げ方を知りませんし、誰も小さな赤ん坊の取り上げ方を教えてはやれないのです。
 兎にも角にも、ニガイチゴの花の咲いた頃、この世で最初のお母さんは産気づきました。
 そうして、この世で最初の夫婦が住まいにしていた岩の洞窟の中の、布団にしていた藁の山の中で、最初の早産の赤ん坊は生まれたのです。
 この世で最初にお産婆さんになったフッラは、この世で最初の月が満ちないうちに生まれてきた赤ん坊の手が出てきたときに、
「強くひっぱなないように」
 と言いました。小さく弱い赤ん坊の手足を力一杯引っ張ったなら、細い骨が折れてしまうかも知れません。あるいは手足が千切れてしまわないとも限りません。
 この世で最初のお産婆さんは小さな手を優しく握って、そっと引っ張りました。
 そうすると、この世で五番目に生まれてきた赤ん坊はとても元気よく、空を飛ぶような勢いでお母さんのお腹から飛び出てきたのです。
 勢いの良さは、最初の赤ん坊や二番目の赤ん坊や三番目の赤ん坊や四番目の赤ん坊の時と同じか、もっとずっとありました。
 でも最初の時とはちがって、しっかり受け止めてくれるお産婆さんがおります。
 産湯の準備も産着の準備もゆりかごの準備も急ごしらえですけれどもどうにか整っています。
 でもお産婆さんのフッラは大慌てでした。
 掌に載るほどに小さな赤ん坊の体は、外に出たとたんにみるみる冷えて、ちっとも産声を上げなかったからです。
 この世で最初のお産婆さんは急いで赤ん坊を暖かい産湯に入れて、手足を優しく撫でました。
 掌に乗るほどに小さな体で生まれた娘は、ようやく大きな声で鳴き出しました。
 この世で最初のお母さんは、赤ん坊を抱き上げて首を傾げました。畑から戻ってきたこの世で最初のお父さんも、とてもとても不安になりました。
 掌に乗るほどに小さな体で生まれた赤ん坊を育てた人など、この世には一人だっていないのです。ですからこの世で最初の夫婦は心配になったのです。
 するとこの世で最初の掌に乗るほどに小さな体で生まれた赤ん坊は、不安がる両親に向かって元気の良い声で言ったのです。
「お父さん、お母さん、ついこの間までこの世にはあなたたちしかいませんでした。
 あなたたちが悲しむことは、この世の総てが悲しむことと同じででした。
 でも今は私たち姉妹がおります。
 この世に生まれてよろこんでいる私たちのために、この世には悲しみだけでなく、
喜びの声にも満ちるでしょう。
 お父さん、お母さん、ついこの間までこの世にはあなたたちしかいませんでした。
 あなたたちが苦しむことは、この世の総てが苦しむことと同じでした。
 でも今は私たち姉妹がおります。
 私たちはお父さんを助けることができ、私たちはお母さんを助けることができます。
 さあ泣かないで、悲しまないで。
 どうかよろこんで、笑ってください」
 この世で最初のお父さんとお母さんは大変よろこんで、掌に乗るほどに小さな体で生まれた赤ん坊を抱きしめました。
 この世で最初のお父さんとお母さんは、この世で最初の掌に乗るほどに小さな体で生まれた娘にディーヴィという名前を付けました。
 それは、白いニガイチゴの花の咲いた日のことでした。

 広い広い大地には、人が最初の夫婦の二人と最初の夫婦の最初の娘と最初の双子の娘とこの世で最初の逆子の娘とこの世で最初の掌に乗るほどに小さな体で生まれた娘しかおりませんでした。
 夫の人はこの世で最初のお父さんで、この世で最初のお百姓さんでした。
 妻の人はこの世で最初のお母さんで、この世で最初の機織り職人さんでした。
 最初の娘はこの世で最初の赤ん坊で、この世で最初のお医者さんで、この世で最初のお産婆さんでした。
 次の娘たちはこの世で最初の双子で、先に生まれた方はこの世で最初の猟師さんでした。
 後に生まれた方はこの世で最初の料理人さんでした。
 その次の娘はこの世で最初の逆子で、この世で最初の仕立屋さんでした。
 そのまた次に生まれた娘はこの世で最初の掌に乗るほどに小さな体で生まれた赤ん坊で、この世で最初の牧童さんになる人でした。
 この世には最初の機織り職人さんがいて、最初の料理人さんがおりましたので、毛を取るための毛玉牛も乳を捕るための毛無牛も飼われておりましたけれども、機織り職人さんは機を織るのに忙しく、料理人さんは料理を作るのに忙しいので、牛たちの世話をする者がいなかったのです。
 ですから、この世で最初の夫婦とその子供たちが飼っている牛たちは、ときどき酷く飢えて、ときどき酷く渇いて、ときどき遠くへ逃げ出して、ときどき山犬に襲われました。
 そういったわけで、牛たちの数が増えることはありませんでしたし、採れる毛の量は増えませんでしたし、採れる乳の量は少ないままでした。
 この世で最初の掌に乗るほどに小さな体で生まれた娘のディーヴィはまず一番最初にハシバミの木で持ち手が丸く曲がった杖を作りました。
 それから、その杖を持って良く草の生えた場所を探して出かけました。
 この世で最初の牧童さんは、昼は杖で牛たちを導いて餌やり水やりをして、夜は杖で山犬たちを追い払いました。
 しかし何分この世で最初の牧童さんですから、何処へ放牧すればよいのか、何処が近づけてはいけない場所なのか判りません。いつにどれほど毛を刈って良いのか、どれがどれほど乳を出すのか判りません。
 何もかも一人で全部やらなければならないのです。何しろこの世に牧童さんは一人きりしかいないのですからね。
 誰も知らぬことをこの世で最初に試すのですから、間違って牛たちを弱らせてしまうこともありました。間違って山犬に噛まれてしまうこともありました。
 そういったわけで、この世で最初のこの世で最初の掌に乗るほどに小さな体で生まれた娘は、小柄ながらも利発な人になりました。
 この世で最初の牧童さんのディーヴィは、少しずつ季節毎の牧草の生える場所を憶え、何カ所かの水場を憶え、毛を刈るのによい時期を憶え、乳を搾るのに良い方法を憶え、山犬の追い払い方を憶えました。
 ディーヴィはたくさん生まれた牛の子供たちを連れて、この世で最初の夫婦が住まいにしている岩の洞窟に戻ってきました。

 この世で最初のお百姓さんが耕す畑は大分広くなり、この世で最初の機織り職人が織る布はもう大分大きくななっていました。
 でも相変わらずお百姓さんはこの世に一人しかおらず、機織り職人はこの世に一人しかおりません。
 こういったわけですから、二人の間に赤ちゃんができて、月が満ち過ぎているので明日にも赤ん坊が出てくるかも知れないと判っていても、この世で最初のお父さんは畑から離れるわけにはゆきませんでした。
 月が満ち過ぎているので明日にも赤ん坊が出てくるかも知れないと判ってみても、この世で最初のお母さんは糸錘を手放すわけには行きませんでした。
 最初の時と違ったのは、この世にいるのは二人きりではなく、この世で最初の娘のフッラという産婆の役をできる三人目がいるということでした。
 二番目や三番目や四番目や五番目の時と違ったのは、フッラの仕事を手伝ってくれる、マッハという四人目と、ジョカという五人目とポイベという六人目と、ディーヴィという七人目がいることでした。
 この世で最初の赤ん坊で、この世で最初のお医者さんで、この世で最初のお産婆さんのフッラは、自分が生まれたときのことをよくよく思い出しました。それから双子の妹たちが生まれてきたときのこともよくよく思い出しました。逆子の妹が生まれてきたときのこともよくよく思い出しました。極々小さな妹が生まれてきたときのこともよくよく思い出しました。
 何がいるのか、どうすればよいのか、よくよく考えました。
 そうして姉妹達は手分けして産湯を沸かし、手分けして産着を仕立て、手分けしてゆりかごを作り、手分けして準備を整えました。
 少し困りましたのは、今回は月が満ちたというのにちっとも産気づきませんので、全部の準備を整えきっても、まだまだ準備をし続けて、いろいろな物が余分の余分にできあがってしまったことです。
 余分の余分の物はこの世で最初の家族が住まいにしている洞窟の中には収まりきらず、雨ざらし風ざらしの外に置くより他にありませんでした。
 総ての準備が整っているというのに今度の赤ん坊はちっとも生まれてくる気配がありませんでしたが、それでもフッラは、この世で最初のお母さんのとてもとても大きく膨らんだお腹に、よくよく聞こえる方の耳を当てました。
 お母さんのお腹の中では、小さな心の臓の拍動が
「どどど、どどど」
 と、力強い音で鳴っておりました。
「私の弟妹はきっと大人のように大きな赤ん坊に違いない」
 フッラが言いますと、お母さんは大変びっくりしました。
 だって、この世にはこのお母さんより先に月が満ちてもまだお腹の中に居座っている大人のように大きな赤ん坊のお母さんになった人が一人もないのです。
 ですから、誰も大きな赤ん坊の取り上げ方を知りませんし、誰も大きな赤ん坊の取り上げ方を教えてはやれないのです。
 兎にも角にも、センウズモドキの花の咲いた頃、この世で最初のお母さんは産気づきました。
 そうして、この世で最初の夫婦が住まいにしていた岩の洞窟の中の、布団にしていた藁の山の中で、最初の過期産の赤ん坊は生まれたのです。
 この世で最初にお産婆さんになったフッラは、この世で最初の月が満ち過ぎてから生まれてきた赤ん坊の手が出てきたときに、
「早く引き出してあげないと」
 と言いました。大きな赤ん坊が狭いところから出てくる間に、体が押されて息が詰まってしまうかも知れないからです。あるいはお母さんの体の方が裂けてしまうかも知れません。
 この世で最初のお産婆さんは丸々太った手を優しく握って、そっとだけれども力一杯に引っ張りました。
 そうすると、この世で六番目に生まれてきた赤ん坊はとても元気よく、空を飛ぶような勢いでお母さんのお腹から飛び出てきたのです。
 勢いの良さは、最初の赤ん坊や二番目の赤ん坊や三番目の赤ん坊や四番目の赤ん坊や五番目の赤ん坊の時と同じか、もっとずっとありました。
 でも最初の時とはちがって、しっかり受け止めてくれるお産婆さんがおります。
 産湯の準備も産着の準備もゆりかごの準備も充分すぎるほどに整っています。
 でもお産婆さんのフッラは大慌てでした。
 何分にも、そのまま直ぐに歩き出しそうなくらいに大きく育ってから生まれてきた赤ん坊です。体中に赤ん坊らしからぬ力が満ちています。 
 赤ん坊はむずがって手足を動かしているだけなのでしょうけれども、抱きかかえているフッラにしてみれば、まるでおもいきり殴られ蹴られているようでした。
 大人のように大きな体で生まれてきた娘は、雷さながらに大きな産声を上げました。
 この世で最初のお母さんは、赤ん坊を抱き上げて首を傾げました。畑から戻ってきたこの世で最初のお父さんも、とてもとても不安になりました。
 大人のように大きな体で生まれた赤ん坊を育てた人など、この世には一人だっていないのです。ですからこの世で最初の夫婦は心配になったのです。
 するとこの世で最初の大人のように大きな体で生まれた赤ん坊は、不安がる両親に向かって元気の良い声で言ったのです。
「お父さん、お母さん、ついこの間までこの世にはあなたたちしかいませんでした。
 あなたたちが悲しむことは、この世の総てが悲しむことと同じででした。
 でも今は私たち姉妹がおります。
 この世に生まれてよろこんでいる私たちのために、この世には悲しみだけでなく、
喜びの声にも満ちるでしょう。
 お父さん、お母さん、ついこの間までこの世にはあなたたちしかいませんでした。
 あなたたちが苦しむことは、この世の総てが苦しむことと同じでした。
 でも今は私たち姉妹がおります。
 私たちはお父さんを助けることができ、私たちはお母さんを助けることができます。
 さあ泣かないで、悲しまないで。
 どうかよろこんで、笑ってください」
 この世で最初のお父さんとお母さんは大変よろこんで、大人のように大きな体で生まれた赤ん坊を抱きしめました。
 この世で最初のお父さんとお母さんは、この世で最初の大人のように大きな体で生まれた娘にティアマトという名前を付けました。
 それは、紫のセンウズモドキの花の咲いた日のことでした。

 広い広い大地には、人が最初の夫婦の二人と最初の夫婦の最初の娘と最初の双子の娘とこの世で最初の逆子の娘とこの世で最初の掌に乗るほどに小さな体で生まれた娘とこの世で最初の大人のように大きな体で生まれた娘しかおりませんでした。
 夫の人はこの世で最初のお父さんで、この世で最初のお百姓さんでした。
 妻の人はこの世で最初のお母さんで、この世で最初の機織り職人さんでした。
 最初の娘はこの世で最初の赤ん坊で、この世で最初のお医者さんで、この世で最初のお産婆さんでした。
 次の娘たちはこの世で最初の双子で、先に生まれた方はこの世で最初の猟師さんでした。
 後に生まれた方はこの世で最初の料理人さんでした。
 その次の娘はこの世で最初の逆子で、この世で最初の仕立屋さんでした。
 そのまた次に生まれた娘はこの世で最初の掌に乗るほどに小さな体で生まれた赤ん坊で、この世で最初の牧童さんでした。
 そのまた次の次に生まれた娘はこの世で最初の大人のように大きな体で生まれた赤ん坊で、この世で最初の大工さんになる人でした。
 この世で最初の家族は洞窟を家にして暮らしておりました。
 洞窟の中には、鍬と手機と薬研と弓矢と大鍋と針箱と羅紗と大樽が、あちらの壁、こちらの天井、向こうの床と、所狭しと置かれております。穀物と反物と薬瓶と干肉と種無パンと衣服とチーズとが、壁のくぼみ、天井の段差、床の穴と、山と積まれています。
 何かをどこかへ動かすと、別の何かが溢れ出ます。何かをどこかへ動かすと、座る場所さえなくなります。
 多くの物をしまうにも、家族がみんなゆっくり過ごすにも、この洞窟では狭いのです。家族には新しい住処が必要でした。
 この世で最初の大人のように大きな体で生まれた娘のティアマトは、まず一番最初に片方が尖って片方が平らな石で手斧を作りました。
 それから、その手斧を持って大きな木の生えた場所を探しに出かけました。
 この世で最初の大工さんは、昼は手斧の尖った方で材木を切り出し、夜は手斧の平らな方で材木を叩いて組み立てました。
 しかし何分この世で最初の大工さんですから、どの樹木が材木に適していて、どの樹木が直ぐに折れてしまう木なのか判りません。
 どのような土地に建物を建てればよいのか、どれほどの家具を作ればよいのか判りません。
 何もかも一人で全部やらなければならないのです。何しろこの世に大工さんは一人きりしかいないのですからね。
 誰も知らぬことをこの世で最初に試すのですから、間違って柱を倒してしまうこともありました。間違って梁から落ちてしまうこともありました。
 そういったわけで、この世で最初の大人のように大きな体で生まれた娘は、思慮深い人になりました。
 この世で最初の大工さんのティアマトは、少しずつ材木に適した木を憶え、家を建てるに良い土地の見分け方を憶え、頑丈な建物の建て方を憶え、便利な家具の作り方を憶えました。
 ティアマトは丈夫な岩の上に堅固な家を建てますと、この世で最初の夫婦が住まいにしている岩の洞窟に戻ってきました。

 この世で最初のお百姓さんが耕す畑はずいぶん広くなり、この世で最初の機織り職人が織る布はずいぶん大きくななっていました。
 でも相変わらずお百姓さんはこの世に一人しかおらず、機織り職人はこの世に一人しかおりません。
 こういったわけですから、二人の間に赤ちゃんができて、月が満ちる前からひどく出血して、赤ん坊ばかりか母親の命も危ういかも知れないと判っていても、この世で最初のお父さんは畑から離れるわけにはゆきませんでした。
 月が満ちる前からひどく出血して、赤ん坊ばかりか自分の命も危ういかも知れないと判っていても、この世で最初のお母さんは糸錘を手放すわけには行きませんでした。
 最初の時と違ったのは、この世にいるのは二人きりではなく、この世で最初の娘のフッラという産婆の役をできる三人目がいるということでした。
 二番目や三番目や四番目や五番目や六番目の時と違ったのは、フッラの仕事を手伝ってくれる、マッハという四人目と、ジョカという五人目とポイベという六人目と、ディーヴィという七人目とティアマトという八人目がいることでした。
 この世で最初の赤ん坊で、この世で最初のお医者さんで、この世で最初のお産婆さんのフッラは、自分が生まれたときのことをよくよく思い出しました。それから双子の妹たちが生まれてきたときのこともよくよく思い出しました。逆子の妹が生まれてきたときのこともよくよく思い出しました。極々小さな妹が生まれてきたときのこともよくよく思い出しました。とても大きな妹が生まれてきたときのこともよくよく思い出しました。
 何がいるのか、どうすればよいのか、よくよく考えました。
 そうして姉妹達は手分けして産湯を沸かし、手分けして産着を仕立て、手分けしてゆりかごを作り、手分けして準備を整えました。
 全部万端整え終わりますと、フッラは、この世で最初のお母さんの大きく膨らんでぱんぱんに張ったお腹に、よくよく聞こえる方の耳を当てました。
 お母さんのお腹の中では、小さな心の臓の拍動が
「ととと、ととと」
 と、かすかに鳴っておりました。
「私の弟妹は大分弱っているに違いない」
 フッラが言いますと、お母さんは大変びっくりしました。
 次にフッラは、この世で最初のお母さんの胸元に、よくよく聞こえる方の耳を当てました。
 お母さんの胸の奥では、心の臓の拍動が
「とと、と、と、とと」
 と、乱れて鳴っておりました。
「私たちの母親は、子供を産むのに力が足りないかも知れない」
 フッラが言いますと、お母さんは大変不安になりました。
 だって、この世にはこのお母さんより先に自分の体が弱り切っている上に、弱り切った赤ん坊を生んだ人が一人もないのです。
 ですから、誰も母子とも命の危ない時の赤ん坊の取り上げ方を知りませんし、誰も母子とも命の危ない時の赤ん坊の取り上げ方を教えてはやれないのです。
 フッラは用心して、でも大急ぎで、痛み止めの薬と、血止めの薬と、体の中の血を増やす薬と、体に元気の湧く薬と、ゆっくり眠れる薬を調合しました。
 それから、猟師さんのマッハと料理人さんのジョカの双子を呼んで言いました。
「あなたたちが獣の肉や魚の身を切る時に使う、一番良く切れるナイフを貸してください。もしかすると使わなければならないから」
 次に仕立屋さんのポイベを呼んで言いました。
「あなたが皮を縫うときに使っている鋭く尖った針と、薄衣を縫うときに使っている細くて丈夫な糸を貸してください。もしかすると使わなければならないから」
 次に牧童さんのディーヴィを呼んで言いました。
「あなたは今までに幾度も牛の子どもを取り上げたことがあるでしょうから、その手を貸してください。もしかすると今回は私一人では手が足りないかも知れないから」
 最後に大工さんのティアマトを呼んで言いました。
「あなたが新しく建てた家に、急いで清潔な小部屋を一つ建て増ししてください。もしかすると私たちのお母さんに特別な治療をしないといけなくなるかも知れないから」
 最初にマッハとジョカが良く切れるナイフを持ってきますと、フッラはそれをぐらぐらと沸き立つ湯の中に浸しました。
 次にポイベが針と糸を持ってきますと、フッラはそれを油薬の中に浸しました。
 それからディーヴィがやってきますと、フッラは彼女を清潔な服に着替えさせて、産湯と産着の支度をさせました。
 その頃ティアマトは急いで新しい家まで走っていって、新しい材木で新しい部屋を作り始めていました。
 この世で最初のお産婆さんでこの世で最初のお医者さんのフッラは、全部の支度を用心深く調えました。
 兎にも角にも、ノヂシャの花の咲いた頃、この世で最初のお母さんは産気づきました。
 そうして、この世で最初の夫婦が住まいにしていた岩の洞窟の中の、布団にしていた藁の山の中で、最初の母親のお腹を切り裂いて取り上げられた赤ん坊は生まれたのです。
 この世で最初にお医者さんになったフッラは、苦しそうなこの世で最初のお母さんに眠り薬を飲ませました。
 お母さんがぐっすり深く眠りに就きますと、ぐらぐら煮立ったお湯の中から、良く切れるナイフをとりだしました。
 そうしてフッラは、お母さんのまあるい大きなお腹をナイフでしゅっと切り裂きました。
 この世で最初のお産婆さんでこの世で最初のお医者さんのフッラは、切って裂いたお腹の中に、この世で最初のお腹を裂いて生まれてくる赤ん坊のおしりが見えたときに、
「早く引き取り出してあげないと」
 と言いました。赤ん坊を取り上げている間にお母さんの体から血が流れ出過ぎてしまうかも知れないからです。
 この世で最初のお産婆さんはお母さんのお腹の中に手を入れて、赤ん坊のおしりをゆっくり引き上げますと、すぐにディーヴィに渡しました。
 ディーヴィが小さな妹に産湯を使っている間に、フッラはもう一度お母さんのお腹の中に手を入れて、胞衣(えな)をきれいに取り出しました。
 それからこの世で最初のお医者さんは、油薬の中から針と糸を取り出して、急いでお母さんのお腹を縫い合わせました。傷口には血止めの薬と痛み止めの薬を充分に塗り込みました。
 フッラが振り向きますと、丁度ディーヴィが新しい妹に産着を着せているところでした。
 眠り薬から覚めたこの世で最初のお母さんは、ぐったり疲れ切っていて赤ん坊を抱き上げられませんでした。畑から戻ってきたこの世で最初のお父さんは、とてもとても不安になりました。
 お母さんのお腹を裂いて取り出した赤ん坊を育てた人など、この世には一人だっていないのです。ですからこの世で最初の夫婦は心配になったのです。
 するとこの世で最初のお母さんのお腹を裂いて取り出された赤ん坊は、不安がる両親に向かって元気の良い声で言ったのです。
「お父さん、お母さん、ついこの間までこの世にはあなたたちしかいませんでした。
 あなたたちが悲しむことは、この世の総てが悲しむことと同じででした。
 でも今は私たち姉妹がおります。
 この世に生まれてよろこんでいる私たちのために、この世には悲しみだけでなく、
喜びの声にも満ちるでしょう。
 お父さん、お母さん、ついこの間までこの世にはあなたたちしかいませんでした。
 あなたたちが苦しむことは、この世の総てが苦しむことと同じでした。
 でも今は私たち姉妹がおります。
 私たちはお父さんを助けることができ、私たちはお母さんを助けることができます。
 さあ泣かないで、悲しまないで。
 どうかよろこんで、笑ってください」
 この世で最初のお父さんとお母さんは大変よろこんで、お母さんのお腹を裂いて取り出した赤ん坊を抱きしめました。
 この世で最初のお父さんとお母さんは、お母さんのお腹を裂いて取り出した娘にヌトという名前を付けました。
 それは、白のノヂシャの花の咲いた日のことでした。

 広い広い大地には、人が最初の夫婦の二人と最初の夫婦の最初の娘と最初の双子の娘とこの世で最初の逆子の娘とこの世で最初の掌に乗るほどに小さな体で生まれた娘とこの世で最初の大人のように大きな体で生まれた娘とこの世で最初のお母さんのお腹を裂いて取り出した娘しかおりませんでした。
 夫の人はこの世で最初のお父さんで、この世で最初のお百姓さんでした。
 妻の人はこの世で最初のお母さんで、この世で最初の機織り職人さんでした。
 最初の娘はこの世で最初の赤ん坊で、この世で最初のお医者さんで、この世で最初のお産婆さんでした。
 次の娘たちはこの世で最初の双子で、先に生まれた方はこの世で最初の猟師さんでした。
 後に生まれた方はこの世で最初の料理人さんでした。
 次の娘はこの世で最初の逆子で、この世で最初の仕立屋さんでした。
 その次の娘はこの世で最初の掌に乗るほどに小さな体で生まれた赤ん坊で、この世で最初の牧童さんでした。
 そのまた次に生まれた娘はこの世で最初の大人のように大きな体で生まれた赤ん坊で、この世で最初の大工さんでした。
 そして最後に生まれた娘は、この世で最初にお母さんのお腹を裂いて取り出された赤ん坊で、この世で最初の詩人になる人でした。
 ですがヌトは初めから詩を作り歌を唄おうと考えたのではありませんでした。

 この世で最初にお母さんのお腹を裂いて取り出された赤ん坊のヌトは、一等最初はお父さんと一緒に働こうと思っていたのです。
 ヌトはこの世で最初のお百姓さんのお父さんの所へ行きました。そうして
「どうか私にあなたの仕事を手伝わせてください」
 と言いました。お父さんは大変よろこび、早速娘のために新しく鍬や鋤を作りました。二人は丸々一日畑で働きました。
 日が暮れて夜が来ました。
 初めての仕事に疲れ果てたヌトは、お父さんに言いました。
「私にはお父さんの仕事は向いていないようです。体中が痛くて歩くこともできません」
 こうしてヌトは、その晩泥のように眠ったのでした。

 次の日、ヌトはこの世で最初の機織り職人さんのお母さんの所へ行きました。そうして
「どうか私にあなたの仕事を手伝わせてください」
 と言いました。お母さんは大変よろこび、早速娘のために新しく糸車や腰機を作りました。二人は丸々一日作業場で働きました。
 日が暮れて夜が来ました。
 初めての仕事に疲れ果てたヌトは、お母さんに言いました。
「私にはお母さんの仕事は向いていないようです。腰が痛くて立ち上がることができません」
 こうしてヌトは、その晩泥のように眠ったのでした。

 次の日、ヌトはこの世で最初のお医者さんのフッラの所へ行きました。そうして
「どうか私にあなたの仕事を手伝わせてください」
 と言いました。フッラは大変よろこび、早速妹のために新しく薬研や乳鉢を作りました。二人は丸々一日調薬部屋で働きました。
 日が暮れて夜が来ました。
 初めての仕事に疲れ果てたヌトは、フッラに言いました。
「私には姉さんの仕事は向いていないようです。眼が疲れて物を見ることができません」
 こうしてヌトは、その晩泥のように眠ったのでした。

 次の日、ヌトはこの世で最初の猟師さんのマッハの所へ行きました。そうして
「どうか私にあなたの仕事を手伝わせてください」
 と言いました。マッハは大変よろこび、早速妹のために新しく弓矢やナイフを作りました。二人は丸々一日草原で働きました。
 日が暮れて夜が来ました。
 初めての仕事に疲れ果てたヌトは、マッハに言いました。
「私には姉さんの仕事は向いていないようです。足が疲れて歩くことができません」
 こうしてヌトは、その晩泥のように眠ったのでした。

 次の日、ヌトはこの世で最初の料理人さんのジョカの所へ行きました。そうして
「どうか私にあなたの仕事を手伝わせてください」
 と言いました。ジョカは大変よろこび、早速妹のために新しく包丁や匙を作りました。二人は丸々一日厨房で働きました。
 日が暮れて夜が来ました。
 初めての仕事に疲れ果てたヌトは、ジョカに言いました。
「私には姉さんの仕事は向いていないようです。手先が冷えて物を掴むことができません」
 こうしてヌトは、その晩泥のように眠ったのでした。

 次の日、ヌトはこの世で最初の仕立屋さんのポイベの所へ行きました。そうして
「どうか私にあなたの仕事を手伝わせてください」
 と言いました。
 ポイベは大変よろこび、早速妹のために新しく鋏や針を作りました。二人は丸々一日工房で働きました。
 日が暮れて夜が来ました。
 初めての仕事に疲れ果てたヌトは、ポイベに言いました。
「私には姉さんの仕事は向いていないようです。指に針が刺さって傷だらけです」
 こうしてヌトは、その晩泥のように眠ったのでした。

 次の日、ヌトはこの世で最初の牧童さんのディーヴィの所へ行きました。そうして
「どうか私にあなたの仕事を手伝わせてください」
 と言いました。
 ディーヴィは大変よろこび、早速妹のために新しく杖や投石器を作りました。二人は丸々一日牧場で働きました。
 日が暮れて夜が来ました。
 初めての仕事に疲れ果てたヌトは、ディーヴィに言いました。
「私には姉さんの仕事は向いていないようです。牛たちに蹴られで体中があざだらけです」
 こうしてヌトは、その晩泥のように眠ったのでした。

 次の日、ヌトはこの世で最初の大工さんのティアマトの所へ行きました。そうして
「どうか私にあなたの仕事を手伝わせてください」
 と言いました。
 ティアマトは大変よろこび、早速妹のために新しく斧や木槌を作りました。二人は丸々一日屋根の上で働きました。
 日が暮れて夜が来ました。
 初めての仕事に疲れ果てたヌトは、ティアマトに言いました。
「私には姉さんの仕事は向いていないようです。高いところが恐ろしくて膝が笑って動けません」
 こうしてヌトは、その晩泥のように眠ったのでした。

 この世で最初にお母さんのお腹を裂いて取り出された赤ん坊のヌトは、いったい自分が何をしたらよいのか判らなくなりました。
 家族はみんな自分の役割を知っていて、自分の仕事をしており、みんなの役に立っています。
 ヌトは自分が何もできないことが悲しく辛くなりました。あんまり悲しく辛いので、悲しく辛い気持ちを心の中に納めておくことができなくなりました。
 この世で最初の夫婦のこの世で最後の娘は、天を仰いで声を上げました。
「嗚呼悲しい、嗚呼辛い。
 私はここにいるのに、私はここにいない。
 私は家族といるのに、私は独りでいる。
 嗚呼悲しい、嗚呼寂しい」
 お腹の底から絞り出した声は、胸の奥から湧き出てきた呼気の風に乗って、地の果て天の果て、耳を持つ総ての生き物と、耳を持たぬ総ての生き物との心の奥に響きました。地にあって肉を着た総ての人と、天にあって肉を着ない総ての天使たちの魂に響きました。
 畑にいたお父さんが、鍬を掴んだまま駆けてきました。
「今歌ったのはお前かい? なんて素敵な声だろう! 私の心が揺れるようだ」
 それから作業場にいたお母さんが、錘を掴んだまま駆けてきました。
「今歌ったのはあなたなの? なんて素敵な声でしょう! 私の心が揺れるよう」
 それから調剤部屋にいたフッラが、乳棒を掴んだまま駆けてきました。
「今歌ったのはあなたなの? なんて素敵な声でしょう! 私の心が揺れるよう」
 それから草原にいたマッハが、弓を掴んだまま駆けてきました。
「今歌ったのはあなたなの? なんて素敵な声でしょう! 私の心が揺れるよう」
 それから厨房にいたジョカが、包丁を掴んだまま駆けてきました。
「今歌ったのはあなたなの? なんて素敵な声でしょう! 私の心が揺れるよう」
 それから工房にいたポイベが、鋏を掴んだまま駆けてきました。
「今歌ったのはあなたなの? なんて素敵な声でしょう! 私の心が揺れるよう」
 それから牧場にいたディーヴィが、杖を掴んだまま駆けてきました。
「今歌ったのはあなたなの? なんて素敵な声でしょう! 私の心が揺れるよう」
 それから屋根の上にいたティアマトが、木槌を掴んだまま駆けてきました。
「今歌ったのはあなたなの? なんて素敵な声でしょう! 私の心が揺れるよう」
 そうして、みんなが揃って言いました。
「さあもっと歌っておくれ。悲しい歌ばかりでなく楽しい歌も。辛い歌ばかりでなく嬉しい歌も。寂しい歌ばかりでなく幸せな歌も」
 こうしてこの世で最初にお母さんのお腹を裂いて取り出された赤ん坊のヌトは、この世で最初の詩人になりました。
 しかし何分この世で最初の詩人さんですから、どの言葉が心に響いて、どの音程が聞くに心地よいのか判りません。
 どのような旋律を付ければよいのか、どれほどの音量で歌えば良いのか判りません。
 何もかも一人で全部やらなければならないのです。何しろこの世に詩人さんは一人きりしかいないのですからね。
 誰も知らぬことをこの世で最初に試すのですから、間違って聞くに堪えない歌を作ることもありました。間違って喉を潰してしまうこともありました。
 そういったわけで、この世で最初のお母さんのお腹を裂いて取り出された赤ん坊のヌトは、繊細な人になりました。
 この世で最初の詩人さんのヌトは、少しずつ美しい言葉を重ねることを憶え、心地よく聞こえる旋律の紡ぎ方を覚え、遠くまで聞こえる歌い方を憶え、みなをよろこばせる音楽の作り方を憶えました。
 ヌトは家族が聞き惚れる詩をたくさん作りますと、毎日みんなのために歌いました。

 こうして、この世で最初の夫婦と、この世で最初の夫婦から生まれた子供たちは、それぞれにそれぞれやるべき事を見付けて、それぞれに働くようになったのです。
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