王子様とお姫様

 これは、世にも陳腐なおとぎ話です。

 村に毛の生えたような小さな国々が、山の中のわずかな平地にしがみついて、それぞれ王国を名乗っている地方がございました。
 その中の一つ、他の王国よりも少しばかり歴史の古い、キルハという国に、少しばかりお年を召した王様とお后様がおられました。
 王様とお后様の間には、三人の王子様がおられたのですが、三人とも十歳になる前にお亡くなりになっていました。
 最初の王子様は、九歳の時に落馬事故で。
 二番目の王子様は、四歳の時に原因のよく判らない病気に罹って。
 そして三番目はの王子様は死産。
 立て続けの不幸に、王様もお后様も、家来も国民も、悲しみに暮れて暮らしておりました。
 やがて、お后様が四人目のお子さまをご懐妊された、というニュースが国に広まりましたが、それを
「今度はたくましくお育ちになるに違いない」
 という吉報として聞く者よりも、
「また小さな棺桶が祭壇に置かれた葬式が行われるのでは」
 というよくない予言だと思う者の方が、多くおりました。
 国中で一番不安と悲しみに嘖まれていたのは、お后様でした。
「ああ、私はもう年寄りで、お前が最後の子供だろうに」
 お后様は泣きながら大きなおなかに語りかけます。
「お前は生きて生まれてくれますか? 病気にならずに育ってくれますか? 事故に遭わずに成人してくれますか?」
 毎日毎日泣いておられるお后様を見かねて、王様は隣の国ウーファに嫁いだ妹に、相談の手紙を書きました。
 ウーファの国の王様には、五人のお姫様がおありです。
 そしてその五人がみな、美しく可憐に、そして病もなく丈夫に育っているのです。
 実は、ウーファの国の王妃様……つまり、王様の妹君です……も、いま六人目のお子さまをご懐妊なさっていました。
 そこで、
「私、お兄さまのお国にまいります。お義姉さまの不安を取り除くために、同じ女として、妊婦として、そして母親の先輩として、お義姉さまのお側におりましょう」

 そういった訳で…………。

 キルハの国には、王子様が一人とお姫様が一人おりました。
 内から輝くようなプラチナブロンドの髪の色も、澄み渡る湖のようなダークブルーの瞳の色も同じ。
 ふっくらとしたバラ色の頬も、しっとり濡れたサクランボの唇もそっくり。
 背の丈も、鼻の高さも見分けが付きません。
 まるで、双子か鏡のよう。
 兄妹のように育ったいとこ同士は、仲のよい恋人同士でもありました。

「ロウの国の、ゲオルグ王子という方を、フレイはご存じ?」
 朱鷺色で、肩のところがふくらんだ、絹のドレスに身を包んだフレイア様が、ちょっと困った顔でたずねると、
「ああ、あのバカ王子」
 と、フレイ様が鼻で笑いました。
 澄んだ秋の空の色で染められたシャツが、細目の身体を覆っています。
「この間の舞踏会で、随分と君に色目を使っていたよ。気付かなかったかい?」
「気付くわけがないわ。私はずっとフレイを見ていたもの」
「僕は気になって仕方がなかった。腹が立ったんだ。なにしろ、あまり評判のよろしくない王子様でね。なんでわざわざこのキルハの舞踏会に来ているのかと」
「とんでもないことをお父様に言うためよ。……『わたくしを、姫君の婿にしてください』ですって」
 フレイア様は大きくため息を吐きました。
「その話を今朝、僕も聞いた。『姫には婚約者がいる』と言っても聞かず、『その者よりわたくしの方が勝っている』と申されたそうな」
 フレイ様はお腹を抱えて笑いました。
 が。
 すぐに笑顔を隠し、
「決闘、だそうだよ。……御前試合って言った方が正しいかな。『王様に、いかにわたくしが強くたくましい男であるかということを、お見せいたしましょう』などとぬかすから……」
「本当に恥を知らない人」
 フレイア様は、にっこりと笑いました。
 ゲオルグ王子がどれほどの腕前かは知りませんが、彼が勝つことなど無いと信じているからです。

 さて、ロウの国のゲオルグ王子というのは、フレイ様が言ったように、本当に「あまり評判のよろしくないバカ王子」でした。
 武術指南四人を再起不能にさせた腕力と、学問指南の先生三人が匙を投げた学力と、美しい乙女と見ればすぐに手を出す精力を兼ね備えた、どう転んでもクラウンプリンス(皇太子)にはなれない五男坊なのです。
 それでも。
 肩幅が広く、がっしりとした、長身の体躯。
 太い眉に、引き締まった口元と、鼻筋の通った彫り深い顔立ち。
 そんな外見だけはなかなかに凛々しいので、社交界ではチョットだけ有名な方です。
 さて、こういう見かけが立派なだけの穀潰しを、国のために有効に使う手だてといえば、政略結婚しかありません。
 そして、どうせ政略結婚するのなら、少しでも自分の国に有利な方がいいと考えるのは当然です。
 では、ロウの国にとって有利な花嫁とは、いったいどんな国のお姫様でしょうか?
 ロウの国というのは、つい最近独立したばかりの、豆粒のように小さな国です。
 歴史の浅い国は、古い物にあこがれます。
 キルハの国は、このあたりでも一,二を争うほどに、長い歴史と伝統を持った格式高い国です。
 ロウの国の王様は、歴史の長いキルハの国と縁を結ぶことによって、自分の国の歴史も長いものに変えようと考えたのです。
 キルハのお姫様が、ロウの王様の息子のお嫁さんに成ってくれれば、王様の願いは叶います。
 しかし、お婿さん候補のゲオルグ王子は、腕っ節だけが取り柄。
 その上、美しいお姫様には、やはり美しい「いとこ兼恋人」が、ぴったりと寄り添っていると、ロウの国にも聞こえてきます。
「だったら決闘でも喧嘩でもして、奪って来い」
 ロウの王様はゲオルグ王子に言いました。……子は親の鏡。この子にしてこの親あり。蛙の親は蛙。鳶は鳶を産む。と、言うことでしょう。

 それで、決闘ですが。
 結果から言ってしまえば、ゲオルグ王子の惨敗でした。
 大柄なゲオルグ王子は、背丈よりも長い剣をブンブンと振り回しましたが、細身のフレイ様がさっと懐に飛び込んでサーベルで一突きすると、あっけなく降参してしまいました。
 実は、小さなころから腕力と体力が有り余っていた上に、末息子故に甘やかされて育ったゲオルグ王子は、怪我や病気をしたことなど一度も無く、叩かれたり殴られたり切られたりしたことも、そして負けたことなども、全く無かったのです。
 ですから、フレイ様のサーベル……当然、木で出来た模造刀です……が、ほんのチョットお腹をつついた時の、小さな小さな傷の痛みに、ワンワンと声を出して泣いてしまった、と言う訳です。
 こんな打たれ弱い男を、可愛いお姫様のお婿さんにするわけにはゆきません。
 ゲオルグ王子の申し出は却下。早速に国外退去を言い渡されて、すごすごとお国へ帰って行くこととなった……のですけれど。
 怪我や病気をしたことが無くて、叩かれた殴られたり切られたりという体験も、負けるという経験も一度として無いゲオルグ王子は、とてもプライドの高い方でした。
 ですから、自分より小柄で、細くて、女の子のような風貌のフレイ様に、軽くあしらわれたことが、とても口惜しくてなりませんでした。
 ここで一念発起、剣の修行をやり直して、リターンマッチを申し込み……なんてことを考えないのが、この王子様の性格。
「この俺様に恥をかかせおって!」
 負けたのは……本人は「負けた」という自覚をしていないようですが……自分のセイなのに、すっかりとフレイ様を逆恨みしたゲオルグ王子は、
「憎い、憎い。八つ裂きにしても足らないほど、あのチビ野郎が憎い」
 とうとうフレイ様を殺してしまおうと思い詰めてしまいました。
 それでも、清々堂々闘っても勝てないと言うことは、さすがに「決闘」の時に分かった様子で、
「闇討ちにしてやる!」
 という計画を立てたのです。
 しかし、世に名だたる「バカ王子」ですから、その計画も、
「夜、あのチビが独りになったところを、後ろから叩っ斬る!」
 などという乱暴なもの。しかも、
「あのチビを殺して、俺様が誰よりも強いと言うことを知らしめたら、あの可憐な姫君は俺様の物になるだろう」
 と、単純に思っています。

 そういう次第で、新月の夜、ゲオルグ王子はキルハのお城に忍び込むことにしました。

 フレイ様は、天文を観ることが好きです。
 学問として星を観ることと、自然の芸術として星を愛でることの両方が好きです。
 月明かりの無い新月の夜は、天体観測にはもってこいですから、フレイ様は夜遅くまで起きて、お城の中庭の芝の上に寝転んで、星を眺めます。
 フレイ様の趣味のことなど、ゲオルグ王子は知りませんでした。
 ただ、月明かりの無い新月の夜は、闇討ち暗殺にはもってこいですから、ゲオルグ王子は夜遅くになって忍び込み、お城の中庭の柱の陰に隠れて、様子をうかがっていたのです。
 フレイ様が星空に夢中になっていることと、寸鉄帯びていないことを、真っ暗闇に目を凝らして確かめたゲオルグ王子、足音を立てないように、そっと近付きました。
 手には、足の長さくらいの剣を持っています。
 そおっと、そおっと、近付いて。
 そおっと、そおっと、剣を振り上げ。
 一気に振り下ろす!
 刃の下には、小さな頭。
 内から輝くようなプラチナブロンドの髪、波無く澄んだ湖のようなダークブルーの瞳、朝露受けた薔薇の花びらのようなみずみずしい頬。
 風を切って落ちる刃が、何かに当たったとき、美しいフレイ様の頭が砕けた音はしませんでした。
 ゲオルグ王子の剣は、手入れされた芝に覆われた、地面にめり込んでいたのです。
 寝転がっていたフレイ様は、間一髪剣撃を避けて、身を低く起こし、攻撃者の顔を睨み付けました。
「卑怯者!」
 フレイ様は叫ぶと同時に、持っていた天文学の本を、ゲオルグ王子めがけて投げつけました。
「うるさい、チビ野郎!」
 ゲオルグ王子は怒鳴ると同時に、剣を地面から引き抜き、フレイ様めがけて振り下ろしました。
 二種類の攻撃は、二種類とも目標を倒せませんでしたが、二種類とも当たることだけはできました。
 天文学の本はゲオルグ王子の耳を傷付け、剣はフレイ様の頬を切ったのです。
 両方とも浅手です。大した傷ではなく、大した痛みもないはずなのです。
 が。
「クソっ、クソっ、痛い! 痛い!」
 またゲオルグ王子は声をあげて泣いてしまいました。
 決闘の時と違うのは、王子が泣きながら剣を振り回したことです。
「痛い! 痛い! チビ野郎のバカ野郎! 痛いよぅ」
 太刀筋を読むとか、次の攻撃を予測するとか、そんなことのできない攻撃に、フレイ様はじりじりと後ろに下がるしか術がありません。
 やがて、フレイ様の背中は、お城の壁にくっついてしまいました。
『これまでか。せめて礫一つの武器でもあれば』
 思ってみても仕方ありません。なにしろ、キルハのお城は、掃除も手入れもよくされていて、石ころどころか埃一つ落ちていないのです。
「うわぁぁぁん!」
 泣き虫王子が鼻水を流しながら、剣を振り下ろします。
 フレイ様か目をぎゅっとつむったその時です。
「キャァァァァ」
 という悲鳴が、ゲオルグ王子の背後から聞こえました。

 闇の中、フレイア様が立っています。
 真っ青な顔をして、震えながら、こちらを見ています。
 でも、勢いの付いた剣先は、急には止まれません。
 フレイ様の高い鼻の頭をかすめ、澄んだ秋の空色のシャツを引き裂いてしまいました。
 はらりと舞った絹の布の下には……白く、丸い、二つの膨らみ……。
「何ぃー!?」
 ゲオルグ王子の耳の中で、脳漿から血の気が引いて行くサーっという音が鳴りました。
 それと同時に、別の音が、背中の方から聞こえました。
「ぶちっ!」
 糸が切れたような音です。
 音の主は、背後に立っているフレイア様のようです。
 フレイア様の背中から、その音は続けざまに五つほど鳴りました。
「ぶつん!」
 紐が切れたような音です。
 この音も、フレイア様の背中から聞こえました。
「ビリビリっ!」
 今度は絹の裂ける音です。
 これは、フレイア様の背中からではなく、肩や腕や腰から聞こえます。
 振り返ると、フレイア様が鼻先に立っていました。
 朱鷺色のドレスの背中のボタンが、全部弾け飛んでいます。
 ドレスの下で胴を絞めていたコルセットの結び紐が、内からの力で引き千切られています。
 肩や腕や腰の縫い目も、中から突き破られたように裂けています。
 朱鷺色のドレスはビリビリの布切れになり、フレイア様の足下に落ちました。
 そして、ドレスの中から現れたのは……。
 色白で、細いけれど隆とした筋肉の付いた、厚い胸板。
「見ましたね? まだ私だって見ていない、フレイ姫の肌をっ!」
「フっ、フレイ……『姫』ぇ!?」
 ゲオルグ王子は驚いて、その場に尻餅をつきました。
 その匹夫然とした情けなさを、フレイア様は燃えるような瞳で見下ろします。
 怒髪天を突く。眦を決する。
「許しません!! この無礼者っっ!」
 握り締められた堅固な拳が、泣き叫ぶ王子様の顔面めがけて振り下ろされました。

「私の子も、お義姉さまのお子も、逆子で産まれてきたときには、肝を冷やしましたわ」
 ウーファの国のお后様は、レモンの香りがするクッキーを食べながら言います。
「産婆が『二人とも、十歳に成らずに死ぬかも知れない』と言ったときには、心臓が止まるかと思いましたわ」
 キルハの国のお后様は、ミントの香りがするお茶を飲みながら言います。
「あの時、賢者の言葉を受け入れて、良かったですわね」
「ええ。逆子に生まれた赤子は、生まれ持った性と逆の身なりで育てると、丈夫に成人するという言い伝えは、本当だったのですね」
「でも、名前まで男女逆に付けたのは、失敗だったでしょうか?」
「私は違うと信じておりますわ。我ながら良い名前を付けたと思っていますもの」
「あら、お義姉さま、そろそろ時間のようですわ」
「本当。教会の鐘の音が聞こえますわね」
「フレイア王子の新しい礼服、早く見てみたいですわ」
「フレイ姫のウエディングドレス、さぞ美しいのでしょうね」
「ああ、これで私に『本当の息子』ができますのね」
「まあ、それを言うなら、私にこそ『本当の娘』ができる、ですわよ」
「うふふふふ」
「おほほほほ」

 今日はキルハの国の皇太子様と、ウーファの国の第六王女様の結婚式。
 内から輝くようなプラチナブロンドの髪の色も、澄み渡る湖のようなダークブルーの瞳の色も同じ。
 ふっくらとしたバラ色の頬も、しっとり濡れたサクランボの唇もそっくり。
 背の丈も、鼻の高さも見分けが付きません。
 まるで、双子か鏡のよう。
 兄妹のように育ったいとこ同士は、仲のよい夫婦となりました。

 ちなみに。
 この婚礼の儀には、ロウの国のゲオルグ王子も、なぜか招待されていたのですが、出席はしてくれなかったそうです。
 それどころか、筋の通っていた鼻っ柱が、ぽきりと折れて曲がってしまったのを恥ずかしがって、一生ロウのお城から出ることがなかったといいます。

 おしまい。



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