陳腐奇譚3『青い男と紅い娘』

 昔、昔。
 山奥の、岩場の天辺に建っている塔に、一人のウォーロック……悪魔と契約した、悪い男の魔法使い……が棲んでいました。
 
 このウォーロックは、元々、ある年を取ったウィザード……悪魔なんかと契約しなくとも術を使えるほど、賢く正しい人……の弟子でした。
 ウィザードの名はヴェールンドと言います。
 ウォーロックは……いえ、ウォーロックになる前の男は……頭のよい人物でした。
 優秀な弟子だったと言って良いでしょう。
 彼は、いつも青いローブを着ていたので、「青い男」と呼ばれていました。
 まじめに勉強し、まじめに修行し、まじめにお師匠様を尊敬していました。
 ところがウイザード・ヴエールンドは、なかなか彼を一人前と認めてくれませんでした。
 誰より勉強ができて、薬の調合も上手で、素晴らしく強い魔法の使える自分に、なぜお師匠様は一人前の証拠の免許をくれないのだろう?
 「青い男」はいつも不思議に思っていました。
 そんなある日のことでした。
 ウイザード・ヴエールンドが、一人の弟子に「ウィザードの免許」を与えたのです。
 免許を与えられたのは、「青い男」より後に入門した、「青い男」よりずっと年下……その頃まだ13歳でした……の、女の弟子でした。
 彼女はいつも紅いローブを着ていたので「紅い娘」と呼ばれていました。
 「青い男」は、その妹弟子を、
『勤勉で、薬の調合も上手で、魔法の素質に恵まれている。なにより、お師匠様や自分のことをとても尊敬している、良い妹弟子だ』
と、見ていました。
 しかし、彼女が自分よりも優れている点は一つもない、と思っていました。
 実際に、「青い男」の考えは、間違っているとは言えませんでした。
 「青い男」は、ほんの少しずつですが、「紅い娘」より賢く、薬作りが上手で、魔法を巧く操りました。
 それなのに、お師匠様は「青い男」より先に「ウィザードの免許」を彼女に与えたのです。
 「青い男」は驚いて、お師匠様に訊きました。とても大きな声……怒鳴り声、と言っていいくらいの……で、尋ねたのです。
「何故、彼女は免許をもらえて、私は頂けないのですか!?」
 ウイザード・ヴエールンドは白いあごひげをなでながら、首を小さく横に振りました。
「それが判らないから、お前には免許をやれぬのだ」
 「青い男」は黙り込んでしまいました。
 肩をがっくりと落とし、お師匠様の部屋から出て行きました。
 その晩。
 「青い男」は、ウイザード・ヴエールンドの家であり、弟子達の勉学と修行の場であった、古い屋敷から姿を消しました。
 屋敷から消えたのは、「青い男」だけではありませんでした。
 ウィザードの免許の原本の巻物が、書庫から無くなっていました。
 そしてもう一つ、消えていた物があります。
 ウイザード・ヴエールンドの命です。
 年を取ったウィザードは、一番弟子が堕落したのを悲しんで、悲しんで、悲しんで、ついには衰弱しきり、亡くなってしまったのでした。


 しばらくして、山奥の岩場の天辺に建っている塔に、一人のウォーロックが棲み付きました。
 恐ろしい魔物が山の中を徘徊し、轟音を立てて雷が落ち、泉は凍て付き、岩の亀裂から炎が吹き上げ、風が木々を切り裂き、地面は不気味に揺れるようになりました。
 やがて。
 魔物は山を下りて、村々を襲うようになりました。
 雷は辺り構わず、ただし、確実に人間の頭を狙って落ちるようになりました。
 凍て付いた泉の周辺は全て氷に閉ざされ、近付く生き物も皆、瞬時に氷ってしまうようになりました。
 炎は岩を切り裂きながらどこからでも吹き出、竜巻が毎日荒れ狂い、毎晩地震が起きるようになりました。
 怖れた人々は王様にお願いし、王様は軍隊を塔に向かわせました。
 兵隊達はみんな、魔物に喰われ、雷に撃たれ、凍り付き、骨の髄まで燃え、竜巻に吹き上げられ、突如として口を開ける地面の亀裂に飲み込まれてしまいました。
 人々も王様も困り果てた時、一人のウィザードがやって来ました。
 紅いローブを着た、若い女のウィザードです。
 王様はこのウィザードが、あのウイザード・ヴエールンドから「ウィザードの免許」を貰った「紅い娘」であることを知ると、涙を流して頭を下げました。
「どうか私達を助けてください」
「王様……できる限りのことはやってみます。もし、魔物達が姿を消し、雷が止み、泉の氷が溶け、炎が鎮まり、竜巻が消え、大地の揺れが治まったなら、それはあの塔の中のウォーロックが倒れた証です。……ですが、約束をしてください」
 そういうと「紅い娘」は王様にこう願いました。
「彼は悪魔と契約し、不滅の命を手にしている可能性があります。何年か後にまた甦るやも知れません。どうかこれ以後、少なくとも十五年間は、この森、この山に、誰もお入れにならないように」
 王様は約束を承諾しました。
 そしてその場で書類を作り、「この山、この森には何人たりとも入ってはならぬ」という法律を発しました。
 「紅い娘」はにっこりと笑うと、塔を目指して森深く、山深くに入って行きました。
 
 やがて、地震が治まりました。
 竜巻が掻き消えました。
 炎は吹き出さなくなり、泉の氷は溶け、雷は音すらしなくなりました。
 そして魔物達は、まるで腐った果物のようにグズグズと崩れて、動かなくなりました。
「おお、ウィザード『紅い娘』が、ウォーロックを倒したのか!?」
 王様や人々が塔を見上げたその瞬間でした。
 轟音と共に、塔からまばゆい二つの光が放たれたのです。
 一つは紅い光、もう一つは青い光。
 まるで、花火が間違って破裂したような閃光でした。
 皆、目がくらんで、気を失ってしまいました。
 どれくらい時間が過ぎたでしょう。
 辺りはしぃんと静まりかえっていました。
 もちろん、山も森も、そして塔も、黙り込んでいます。
 王様は勇気を持って、幾人かの兵隊を連れて、森に入り、山を登り、塔の門を開けました。
 中には、何もありませんでした。
 どろどろに溶けた魔物の死体や、燃え尽きてしまった家具、そして、ズタズタになった青いローブと、ボロボロになった紅いローブ以外の物は、何一つ、見付からなかったのです。
 
 全てが終わった後、この森、この山、この塔は、全てまとめて「魔王の森」と呼ばれるようになりました。


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