鴻鵠の君

 レダという国がありました。森と山と畑があるだけの、本当に小さな国です。
 この国には、こんな手鞠歌が伝わっています。

瑠璃色鳥が梟を呼んだ。
「わたしゃ羽折れ飛べやせぬ
手紙を運んでくださいな」

瑠璃色鳥が王子を呼んだ。
「わたしゃ羽折れ飛べやせぬ
包帯巻いてくださいな」

瑠璃色鳥に小鳩が言った。
「羽が治って飛べたなら
お家に帰ってくださいな」

瑠璃色鳥に王子が言った。
「お前がいないと寂しいよ
ずぅっとここに居ておくれ」

瑠璃色鳥を宝箱に入れた。

   「宝箱に入れた」のところで、鞠を強く突き、高く跳ね上がって落ちてくる前に、くるりとターンをして、受け止めるというのが、この歌で鞠突きをするときのルールです。
 レダの国の王子様には、三人のお姉さんがいましたので、彼は小さな頃からこの歌をよく聴いておりました。
 そしていつも不思議に思っていたのです。
「歌の中の王子って誰だろう。箱に入れられた瑠璃色鳥はどうなったのだろう」
 ご自分も王子様ですから、余計に気になります。
 お姉さん達も、そして自分自身も大きくなって、鞠突きなどはぜんぜんやらなくなってからも、王子様は歌のことが気にかかっていました。
 そこで、お城の学者や、学校の先生にいろいろと訊ねたり、あるいはたくさんの本を読んで調べたりしたのですが、どうにもらちがあきません。
 ただ、大昔のお城の跡の近くに、その名も「宝箱」という土地があるということだけは判りました。
 なんでも、昔その辺りには大きな洞穴があったのだけれども、あるとき山が崩れて、入り口がわからなくなってしまったといいます。(その山崩れでお城が壊れてしまったので、新しく今のお城を建てたのですが、そんなことは王子様にはどうでもよいことでした)
 王子様はある日、思い切ってその「宝箱」という土地に行くことにしました。

「大昔、自分の先祖か築いた城の址を見学したいのです」
 王子様は父王様にそう言うと(半分は本当で、半分は嘘です)、お供も連れずに馬に乗り、出かけました。
 それでも用心のため、鞍袋には大きなパンと松明を入れました。
 何しろ、レダの国は本当に小さな国ですし、お城の址も、今のお城のからそう遠くない場所にありました。
 ですから父王様も母王妃様も、お庭をお散歩するのと同じくらいの気持ちで、王子様を見送られたのです。
 
 さて。
 着いたといっても、お城の址には割れた煉瓦と小石以外のものはありません。
 一応は一通り、「ここは謁見室、ここは台所、ここは寝室……」と、わずかに見える礎などを見物したあと、王子様は「宝箱」の洞窟を捜し始めました。
 ですが、崩れたのはもう何百年も前のことです。山はすっかり木々で覆われ、どこが崩れたのかすら見分けがつきません。
 ですから王子様は半ば諦めて、ぼんやりと山の周りを巡っていました。
 何時間そうしていたでしょうか。
 そろそろ日が暮れ始めたという頃、王子様は背の低い草がわずかばかり生えている、石ころだらけの斜面で、なにかがキラキラと光を弾いているのに気付きました。
 近寄ってみると、それは水晶でした。それもきれいな六角柱の結晶で、大きさは掌ほどもあるでしょうか。
 王子様はその辺りの地面に目を凝らしました。
 土や埃にまみれて光を弾くことができない水晶が、ごろり、ころりと落ちているではありませんか。
 ある物は水よりも透明に、別の物は薔薇のような薄紅、春の山のような緑、ミルクのような白、熟したお酒のような琥珀、父王様のマントよりも濃い紫。
 粉々に割れて、結晶の形をとどめているものはほとんどありませんでしたが、王子様は夢中になって、形や色のよい物を拾い集めだしました。
 あちらにもある、こちらにもある。向こうにもある、その先にもある。
 下を見たまま歩き続け、ポケットがきれいな水晶で一杯になったとき、王子様は辺りが真っ暗だということに気付きました。
 日が暮れたのだと思い、あわてて松明に火を点けると、急にまぶしい光が広がりました。
 水面ではねる朝日、あるいは鏡に反射した夕日のような輝きなのですが、暖かさはまるでありません。
 まぶしさに慣れた王子様が見回すと、周囲には水晶の柱が立ち並んでおりました。
 まさしく水晶の森です。
 水晶が松明の光を反射させ、その光をまた別の水晶が屈折させ、隣の水晶が、向かいの水晶が、全部光り輝いていました。
 王子様はあわててポケットの中の「かけら」を全部地面に捨てました。そんな物の数十倍も美しく、数百倍も大きな水晶が、右にも左にも前にも後ろにも整然と林立しているのですから。
 水晶の森は、冬のように静かでした。
 王子様が歩く靴音が、わぁんと響きます。
 ですが、その反響の中で、王子様は確かに「音」を聞きました。
 ゆっくりとしたノイズでした。
 奥の方から聞こえます。
 あちらへ曲がり、こちらへ折れ、進んでいったその先は、広い空洞になっておりました。
 地面は平らになっております。誰かが整地して、床を造ったのに違いありません。
 ですが、王子様はそんなことに気が回りませんでした。
 目の前の、ひときわ大きな水晶の中に、「女性」を見つけたのです。
 音は、その「女性」が発しています。
 心臓が鼓動する音です。
 ただし、ゆっくりと。止まりそうなくらいゆっくりと。
 王子様はそっと近付きました。
 その「女性」は、聖画に描かれた天使のようにじっと立っておりました。
 柳眉の下の瞼は閉じられています。筋の通った鼻の下で、唇をそっと閉じています。
 穏やかな顔をしております。朝日の中でまどろんでいるような、疑うことを知らない赤子のような、今にもあくびを一つして目覚めそうな、優しい顔をしております。
 衣服は着ておりません。着る必要がないのです。
 身体は、羽毛で覆われているのですから。
 斜めに射した光りを緑や赤や紫に弾く、瑠璃色の羽根を全身にまとっています。
 そして、手がありません。肩口からは腕ではなく、大きな大きな翼が生えておりました。
 大きな翼には、一ヶ所だけ羽毛に覆われていないところがあります。
 そこは血の滲んだ皮膚が剥き出しになっております。どうやら怪我をしているようです。
 その「女性」は、棺のような水晶の柱の中で、聖画に描かれた天使のように立っておるのです。
 ただ、ただじっと……じっと。

「瑠璃色……鳥」
 そっと、水晶に触れてみると、彼女の居る場所だけが、ほんのりと熱を発していました。
 生きています。生きて、眠っているのです。
 王子様は思わず歌いました。
「♪『お前がいないと寂しいよ。ずぅっとここに居ておくれ』瑠璃色鳥を宝箱に入れた」
 幼い頃から心に引っかかっていた物が取れたようで、急に気持ちが軽くなりました。
「何の術を使ったのか知れないけれど、歌の中の王子は、このきれいな人が、自分の元から飛び立ってしまわないように、水晶の中に封印したんだ」
 ですが、気持ちがさっぱりしたのは、ほんの一瞬のことでした。
 もっと重い引っかかりが、王子様の心にのし掛かたのです。
「この人は、どんな声をしているのだろう。どんな言葉をしゃべったのだろう。どんな風に立ち振る舞って、どんな風に……空を舞うのだろう」 
 術を解かない限り、この人は、瑠璃色鳥は、透明な壁の向こう側で、眠ったまま動かない……そう知ると、余計に一緒に過ごし、語らいたいと思われます。
 ですが、手鞠歌の中の王子がどのような術を使ったか判らないのですから、その術を解いて彼女を出す方法だって判りません。
「どうしたらよいのだろう」
 王子様は水晶の壁に頬を寄せ、かすかな鼓動を聞きながら、一生懸命考えました。

「水晶を砕けばよいのではないか!」
 王子様は、名案だと思いました。
 そう思うと、どうしても実行したくなります。
 王子は剣の柄を握りました。一度も鞘から抜いたことが無く、当然、使ったことのない剣です。
 ゆっくりと鞘から引っ張り出した剣は、錆び一つありませんが、刃もまるで付いていません。切ったり突いたりのできないおもちゃのような刀です。
 それでも、叩くことはできます。
 あまり剣術が上手でない王子様ですが、それでも力一杯剣を振り、棺のような水晶に切れない刃を叩き付けました。
 ジン、と手がしびれました。キン、と水晶が鳴りました。
 刃が当たったところから、水晶にひびが走りました。
 やがて、鼓膜が裂けてしまうほどの大きな悲鳴を上げ、水晶は割れました。
 真っ二つに。粉々に。
 小さな破片はことごとく血潮を吹き上げ、赤く濡れながら崩れて辺りに飛び散りました。
 床は真っ赤に染まりました。瑠璃色の羽根が部屋中を舞いました。
 王子様は呆然と立ち尽くしておりました。
 手に、剣を握っています。
 足下では、小さく弱々しい光がチラチラと瞬いておりました。
 透明な水晶がチラチラ。瑠璃色の羽毛がチラチラ。赤い血潮がチラチラ。白い骨がちらちら。
 向こうの隅に、なだらかな肩。あちらの角にほっそりとしたつま先。部屋の真ん中に閉ざされた瞼。そして、王子様の足下には、熱く紅い心臓が、ぼとり、と落ちました。
 そうして。
 それは大きく一回波打つと、それきり動かなくなりました。
 
 水晶の森は、あっという間に真っ暗な静寂に埋没いたしました。

「王子様はまだお戻りになられませんか?」
 お城の学者が、二枚の紙を大切そうに抱えて、父王様に尋ねました。
「せっかく古文書の解析が済んだのに」
 学者は、王子様が古謡や民話に関する質問をなさるので、できうる限りそれに応えようと、暇を見ては古い書物を調べ、使われなくなった文字を解読しておりました(もっとも、それは「お城の学者」という職業がするべき仕事の一環なのですが)。
「一体どんな古文書ですか?」
 母王妃様が下問なさいました。
「『鳥の国』の王から、『レダの国』の王子に宛てられた書簡です」
 学者が広げた、今にも破れそうな古い羊皮紙には、見慣れない文字がぎっしりと書かれていました。
 硬くて先の尖った、しかし少し太めの筆記具で書かれたらしい文字は、まるで引っ掻き傷か、鳥の足跡のような形をしています。
「『鳥の国』とは、聞かぬ名だな」
 父王様は小首を傾げました。
「遠い昔に滅びたか、あるいは今は別の名で呼ばれているのでしょう。書簡を読む限り、猛禽から燕雀に至るまで、あらゆる鳥を巧みに操り、狩りや書簡の遣り取りを行うのを得意としていたようです」 
 学者はもう一枚、紙を広げました。
 今漉き上がったばかりのような真新しい紙には、見慣れた文字がびっしりと書かれていました。
 柔らかで先の丸まった、しかし少し細め筆記具で書かれたらしい文字は、まるでインクが流れたか、ミミズが這ったような形をしています。
「まず礼を述べ、盟を求め、さらには脅迫しております」
 学者は苦労して翻訳したものを、ゆっくりと読み上げました。
「『私の娘を助けてくれたことを感謝する。
 貴君のごとく小さな者を愛する者が統べる国とは、今後も交流を続けたい。
 しかし貴君の申し出では受け入れることができない。
 当初の約定通り、娘の怪我が治り次第、帰国を許されたし。
 約を違えたる場合は全軍をもって貴国を滅ぼすことをここに宣する』」
 学者が読み終わったすぐ後です。
 強い風か吹きました。
 風に乗って、遠くで何かの割れる音が聞こえた……気がしました。
 かすかな音はすぐにかき消え、たくさんの何かが窓に叩き付けられている、そんな音がし始めたのです。
 音は次第に大きく激しくなり、やがて窓にはめられた彩色硝子が、粉々に割れました。
 外からは鳥の鳴き声が聞こえます。
 一羽や二羽のさえずりではありません。無数の叫び声です。
 お城の外に飛び出した兵隊達が見上げると、雀や鳩や椋鳥や鷲や鷹が、真っ黒になるほど空を覆っていました。
 幾百幾千幾万の羽ばたきが、渦巻いています。
 鳥達の渦は、割れた窓からお城に流れ込みました。
 城にいた何十の人間の悲鳴などは、何万の鳥達の咆吼の蔭に消えて、誰の耳にも届きませんでした。

 今、世界中の地図のどこを見ても、レダの国という文字は見えません。
 そういう名前の国はどこにもなく、そう呼ばれた国のことを知っている人もいません。
 
 ただ、こんな「かくれんぼの鬼決め歌」が残っています。

 瑠璃の水晶が割れた
 鳥が来て泣いた
 王子様が割った
 瑠璃の水晶が割れた
 鳥が来てつついた
 王様の目玉

〜終〜


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