岩長姫 4

 たろうさまの頂上には、龍神を祀った社の本殿がある。
 その日、昼過ぎ。社殿の中庭を、一人の娘が掃き清めていた。
 白の単衣に紫の袴、帯の後ろに玉ぐしを差込み、下げ髪を稲穂のついた藁で切り結びに している十三・四歳ばかりの娘だ。
 紙のように白い顔色をしており、墨のように黒々とし た瞳がを輝かせている。
 襟首と手首には水晶の数珠がかかり、足下では白い大トカゲが落ち葉と戯れていた。
「父から、岩長姫様によくお礼を申し上げるようにと言付かって参りました」
 社殿の中で、武藤協丸は深々と頭を下げていた。
 真正面には老巫女の岩長が居て、協丸に背を向けていた。
 蝋燭が甘い香りをあげながら小さな火を揺らし、神鏡がその光を弾いている。
 岩長は振り向きもせずに言う。
「妾は何もしておらぬ故、礼を申されても困る、とお伝え下され」
「承りました」
「時に…」
 立ち上がろうとした協丸に、やはり振り向かぬまま岩長が訊いた。
「バカ息子は、どうしておりましょうや?」
「どうもしておりません。読書などして過ごしておるようですが」
「左様でございますか」
 寂しげにも聞こえる声でつぶやいた岩長の背に、今度は協丸が問いかける。
「弟は、弁丸は以前より桜女殿を人と思っておりましたのか?」
「まさか。アレは桜女も他の者達も、ここにおる者達はみな『人でないモノ』であるとよ う知っておりましょう」
「ならば何故、桜女殿を嫁にするなどと臆面もなく申したのでしょうか?」
「アレは、バカであるから」
 大きくため息を吐いた後、岩長は振り向いた。
「バカであるから、人とそうで無いモノを差別できぬ。どれとも、誰とも同じに接する。 そしてそれぞれ違うものとして扱う。
桜女と同じ護符と桜女の想いの残った数珠から、桜女と同じ姿の式が生まれても…それを 桜女とは思えぬような、本当にバカであるからのぉ」
 岩長はむしろ誇らしげだった。
「では、姫さま。私は急ぎ戻ります。父がお館様より上州沼田の攻略を任されましたので」
「やれやれ、若様まで参陣なさるのか?」
「はい。残念ながら」
 協丸は再度頭を下げてから立ち上がった。
 社殿から出ようとしたその時、岩長が彼の背に語りかけた。
「もし、新しく城を作ることがあるなら、ここから石を切り出してゆくがよい、とおぬし の父に伝えておくりゃ。さすればきっと城を守ってやると、な」
「承りました」
 振り向いた協丸の目に、龍神の本殿は映らなかった。
 森と岩と風と土の臭いの奥に、幽かに蝋燭の燃える臭いがした。
「そうか、欲の深い者は入れぬのであったな。争って敵を殺して勝ち残って生き続けたい という強欲な者には…」
 寂しげに笑い、協丸は山を降った。
「弁丸なら、受け入れてもらえるだろうか?」
 急な坂道に、弟の屈託ない笑顔が浮かんだ。
終わり

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