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三頭身にデフォルメした張飛益徳さん。

張飛[?]
ちまちま張飛益徳さん

この画像は【英傑群像】さまで開催された三国志武将イラストデザインコンテストに投稿した作品です。
投票期間、及び、当該サイトでの公開が終了したので、こちらで公開いたします。


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張飛(ちょう ひ、ヂャン フェイ)

生年不詳 - 章武元年(221年)6月

中国後漢末期から三国時代の蜀の将軍、政治家。字は益徳。幽州涿郡(現在の河北省涿州市)の人。
封号は新亭侯、のち西郷侯。諡は桓侯。
子は張苞・張紹・敬哀皇后張氏・張皇后。孫は張遵。

正史での字は上記の通り「益徳」だが、小説「三国演義」では字を「翼徳」とされている。

後漢末の群雄の1人である劉備の挙兵に当初から付き従った人物で、その人並み外れた勇猛さは中原に轟いた。
その武勇は後世にも称えられ、小説『三国志演義』を始めとした創作作品でも多くの脚色を加えて取り上げられており、現在でも中国や日本を中心にその人柄を大いに親しまれている。


色々逸話はあるけど、ここでは「建安5年(200年)、曹操の臣下である夏侯覇の13-14歳の従妹を、張飛は捕えて妻とした」をピックアップしてみる。

上記のとおり生年不詳なのだが、おおよそ延熹年間(158年〜167年)の生まれであったろう。
仮に延熹7年(164年)生まれであったとすると、建安5年(200年)には36歳程度となる。
つまり、夏候氏とは22〜23の年齢差があることになる。
∴張飛はロリコン
正史・三国志の編者である陳寿は、張飛(と関羽)について、以下の様に評している。

關羽 張飛皆稱萬人之敵 為世虎臣
 関羽・張飛は、一騎で万の敵に対する武勇があると賞賛され、一世を風靡する虎のごとき人物であった。

羽報效曹公 飛義釋嚴顔 並有國士之風
 関羽は顔良を切ることで曹操に恩返しを果たして去り、張飛は厳顔の義心に感じ入ってその縄目を解いた。
 両者並んで国士と呼ぶに相応しい気風を備えていた。

然羽剛而自矜 飛暴而無恩 以短敢敗
 しかし、関羽は剛毅が行き過ぎて傲慢であった。
 張飛は乱暴で部下に恩愛をかける配慮が無かった。
 これらの短所が仇となって、敢え無く最期を遂げる事となった。

理數之常也
 「運命の巡り合わせ」には常にこういった理屈があるのである。

『蜀志巻六・関張馬黄趙伝』より。

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