岩長姫 退魔記 − 序 【1】 BACK | INDEX | NEXT

2014/09/20 update
 黒い霧の中を、貧しい身なりの女衆が3人、一塊りになって駆けている。
 腕に背に赤子や幼子を抱き、汗と涙と恐怖でグズグズに濡れた顔で、彼女らは山の頂を目指していた。
 山は低い。一見するとなだらかですらあるが、道は意図的に狭く、入り組んでいる。
 走る女の後を、生ぬるい霧が追いかけていた。ノタリと重たい霧が、風もないのに、山裾から斜面をはい上がってくる。
 そしてさながら黒い手のように、着物の裾や襟、そして振り乱した髪の毛にまとわりつく。
 だが、寸前で彼女らは霧に巻かれずにいた。
「走れ、走れ!」
 一番年上の女が叫んだ。
「武藤様のお屋敷まで……武藤様の御門をくぐれ! 間に合わなんだら、子だけでも御門の内へ投げ込め!」
「ああっ」
 同意と嗚咽が、女達の口から溢れた……直後。
「ひぃ!」
 一人の女が転んだ。背に負った赤子が、ワアと声をあげた。
 残りの女達が走りながら振り返ったとき、女と赤子は黒い霧の中にズルリと引き込まれていた。
「ダメだ! 取り込まれたよぅ!」
 全員が、叫んだ。
 と。
「諦めるな!」
 耳が裂けそうな声がした。
 大きいが、若々しさを通り越して、むしろ幼い声音だ。
「立ち止まるな、駆けよ!」
 別の大声もした。
 これもやはり幼さの残る声だった。
 女達が声がした方……山の上……を向き直ったとき、声の主達は女達の横を駆け抜けていた。
「協丸! 女衆を守れ」
 最初の大声が言った。
「承知! 弁丸、し損じるな」
 後の大声が応え、黒い霧の中に突き進んだ。
「抜かせ、ワシが今まで失敗したことがあるか!」
 言いながら、弁丸と呼ばれた方は刀を抜いた。
 短い刀だった。
 その刃がぎらりと光った途端、黒い霧が前へ進むのをやめた。
「妖かしめ、今更逃げても遅ぇぞ!」
 叫ぶと、弁丸は霧に向かって刀を振り下ろした。
「ぎゃ!」
 射止められた猪子のような声がしたかと思うと、黒い霧はスっとかき消えた。
 跡には、枯れた雑木と崩れかかった山肌と、がたがたと震える子守女達と、二人の少年がいた。
「怪我はないか?」
 穏やかな声だが、間違いなく先ほどの「後の方の声」と同じ耳触りがする。
 弁丸から協丸と呼ばれたその少年は、子守女の背で半ば気を失っていた赤ん坊の頬をなでた。
 子守女がコクコクと小刻みにうなずくと、
今度は協丸から弁丸と呼ばれた方が言った。
「早う、行け。行って、赤ん坊にたんと乳を飲ませてやれよ」
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