岩長姫 退魔記 − あやかし 【3】 BACK | INDEX | NEXT

2014/09/20 update
 武藤の屋敷に近づくにつれ、空気は重く青臭い風となって渦巻くようになっていた。
「ほんに、強い邪気じゃこと」
 桜女はむしろ嬉しげに言う。
「大概の妖怪変化なら、弁丸の鎮の小刀をかざしただけで逃げ帰るのですが、この邪気は
鎮の大刀で払っても…怯みはしますが、やがて戻ってくるのです」
 協丸が忌々しげに言うと、
「確かに人の力では何ともできないわねぇ」
桜目がふうと息を吐いた。
「じゃからババを呼びに行ったに。あの老いぼれのずぼらのズクなしめ。絶対に境内から
出ようとせん」
 弁丸が悪態をついた瞬間、パリンという音がして、ブワリと空気が揺れた。
 驚いて目を閉じた協丸が、おそるおそる目を開けると、弟の頭の上に白い固まりが乗っ
ているのが見えた。
「あ、シロ……?」
 丸い玉となって桜女の懐に収まっていたはずの大トカゲが、いつの魔にやら元の姿に戻っ
ていた。
 桜女はけたけたと笑っている。
「シロは姫様の一番の使い魔。姫様の悪口は、シロの逆鱗じゃと、お前もよう知っておる
はずなのに」
つられて協丸も笑ったが、弁丸だけは笑わず、
「わかっておるが、油断した。こりゃ、シロ! 乗るな、噛むな! 桜女、シロを剥がせ。
協丸、笑うな」
巨大な白トカゲを引きはがすのに苦戦していた。
 したたか笑った後、
「シロ、戻りゃ」
桜女はシロに呼びかけた。するとあっさりとシロは弁丸の頭から降り、
「きゅうぃぃ」
と一啼きしてまた珠に変化した。
「全く、シロが居るとろくなことがない」
 さんざんに乱れた茶筅髷をなおしながら、弁丸がぼやく。
「でも、シロは勘のよい子よ。ほうら、もう見つけた……」
 桜女は手のひらの上のシロを弁丸と協丸の鼻先にかざして見せた。
 真円の白い珠は、ぼんやりと光を放っている。その白い輝きの中、中心からずれたスミ
の方に、暗く沈んだ影が浮かんでいた。
「これは……一体?」
 協丸が首をかしげるのに、桜女が
「邪の固まりが、この方向にあると言うこと」
と答えた。
「この……方向、と言うと……」
 3人の目は珠の中心から影を抜け、深い森のはずれの肩へと向けられた。
 弁丸の鼻がぴくりと動いた。
「どうやら洞があるらしいな……。
 つい最近屋敷に戻ったワシはあんな洞を知らんが、ずっと母上のそばに暮らした協丸な らあれを知っていよう?」
「嫌みな物言いをするな」
「何だ、協丸も知らんのか?
 内に籠もって勉学ばかりしていると、世間のことがわからなくなるようだな」
「私は別に籠もっているわけではないし、あの洞穴のことを全く知らないわけでもない。
 ただ、あの洞穴は大昔から入り口を塞いであったから……」
「塞いで?」
 桜女はすすっと洞穴に近づいた。あわてて弁丸・協丸も後に続いた。
 ごろごろと岩や石くれが転がる山の斜面を、日の当たらぬ方へ進むと、確かにぱっくり と開いた闇の入り口があった。
 大人一人がようやくくぐれるだろうというそのアナからは、かび臭い湿った空気が出た り入ったりしている。
 桜女はその洞の回りの岩肌と、あたりにいくつも転がっている尖った石を見て、にこり と笑った。
「封印の呪符の切れ端が、粉みじんになって散らばっている。ずいぶん古い封印じゃから、 もう『縛る』力が消えてしまって、中のモノを押さえきれなくなったのでしょう」
「封印というのは、そのように不確かなものですか?」
 協丸は少々不安げに訊いた。すると桜女はうなずいて、
「あい、若様。モノには全て寿命がございますれば。
 今の世の人ならば五十年、城ならば百年持てば上々。千歳に動かぬ山々であっても、万 の年の後まで同じくそこにあるとは限りませぬ。
 ましてや人のこしらえた紙に人の書いた呪が、永久に封魔の力を保てる訳がありましょ うや?」
「確かにそなたの言うとおりだが……。
 呪符の力がそのように不確かなら、人はいつも『魔物』や『あやかし』に怯え続けねば ならないのか」
 協丸は、不満とも悲しみとも恐怖とも諦めとも納得とも取れる声で言った。すると弁丸 が、実にあっさりとした声音で、
「モノには全て寿命があると言うたであろう。じゃから当然『あやかし』にも寿命がある。
 怖いと怯える前に、倒してしまえばいい」
言い放つと、やおら洞の中に入っていった。
「待て、弁丸」
 五歩ほど中へ入った暗がりから、不機嫌そうに振り向いた弁丸へ、協丸が心配そうな真 顔でいう。
「弁丸、倒せばいいなどと簡単に言うな。大体、岩長姫様に助勢を頼みに行ったのは、お 前のその霊刀でもあの『あやかし』が払えなんだからではないか。
 いくら桜女殿の前で良い格好をしたくとも、無理はせん方が良い」
「協丸!」
 頭のてっぺんから湯気を噴き出しながら、弁丸は五歩戻ってきた。
「よいか、誤解するでないぞ。わしは良い格好をしたいから倒せばいいと言うたのではな い。倒せるから、倒せばいいと言うたのじゃ。
 確かにこの霊刀だけでは倒すことはできなんだが、桜女の霊力が加われば倒せる」
「……桜女殿の、霊力……か」
 協丸がちらりと見やると、桜女は黒い眉毛をわずかに下げて、
「ほんに弁丸は、真っ直ぐすぎてまるで『ヒト』では在らぬよう」
辛そうに微笑んだ。
 そうして、再び掌の中のシロの珠を覗き込む。戻ってきた弁丸と、協丸も珠を覗き込ん だ。
「どうやら洞の奥、ではないような」
 一番最初に顔を上げたのは桜女だった。続いて弁丸と協丸がほとんど同時に頭を上げて、 顔を同じ方向へ向けた。
 洞の入り口からわずかに北東にずれたあたりの山肌に、六つの眼と一つの珠の光が注が れている。
 枯れた木があった。
 根本はから枝先まで苔で被われている。
 もろく湿っぽい樹皮は腐敗していて、どんよりと黒ずんでいる。
「アレを依り代にしているような」
 桜女がにこりと笑うのに、協丸が訊ねる。
「ヨリシロとは?」
「形のないモノが形を欲して取り憑く物」
 桜女はふわりと朽ち木の根本へよった。
「封印が解けたので外へでたものの、どうにも『形』が欲しくなったので、すぐ側にあっ た生き物に取り憑くことにした。
 ところが憑いてみたものの、それは寿命の尽きかけた樹。このままではあまりに頼りな いゆえ、贄をもってこの樹を強めんと……」
 桜女は言いながら、御幣の付いた玉串で樹の根本を指し示した。
 覗き込んで、協丸は思わず鼻と口を押さえた。
 朽ち木が根を張っている場所に、どろりとした土が在る。その中で濁酒色の芋虫の群れ が、ワサワサと蠢いていた。
 眉間に突き刺さるような腐臭を発するそれは、いくつもの白い塊を抱いている。
「……人の、骸か?」
 白く丸い塊にぽかりと開いた二つの穴から顔をそむけ協丸が振り返ると、桜女は小さく うなずいた。その脇で弁丸が忌々しげに舌打ちをしている。
「まったく、ウチの領民を肥としか思うておらんとは、ろくでもない『あやかし』じゃ。 今すぐ斬ってくれる」
「斬ると言っても、お主」
不安げな協丸に、弁丸はニカっと笑い、
「この手の『あやかし』は、取り付いた器を壊してしまえば力が弱まるものじゃ。なぁに、 わしと桜女の霊力をあわせれば容易なこと。じゃが、万一邪気が飛び散って悪さをしては 危ないから、協丸は下がって見ておれ」
鎮の霊剣をすらりと抜いた。
 協丸が数歩後ずさると桜女がよって来、袂から幾枚か呪符を取り出して彼に渡した。
「若様は弁丸の兄君なれど、離れて暮らしておられたから、弁丸の技量をご存知ないでしょ うが……」
「まあ、確かに。
 ただ、言っていることはそこそこ信用できる男ではあるから、桜女殿と一緒なら『あや かし』を倒せるのであろうよ」
 ニコリと笑った協丸を、弁丸がにらみつけた。どうも「信用できる」の前に「そこそこ」 というのが付いているのが気に食わないようだ。
 それでも喰って掛らずにいるのは、すでに喰って掛っていられる状況ではなくなってい るからだろう。
 朽木の枝が風に逆らってわさわさと揺らめき、濁酒色の芋虫の羽化したモノ共が一斉に 飛び立った。
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まろやか連載小説 1.41

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