序章 − 切欠 【1】 BACK | INDEX | NEXT

2014/09/20 update
「この写真が、どうかしたかね?」
 功徳学園大学助教授・禿山(とくやま)は左右の眉を段違いに歪ませて、ガラスの応接テーブルの上をじっと見つめた。
 古いカラー写真が数枚、整然と並んでいる。どれも色あせたり破けたりしている上、一様に露光不足のピンぼけで、何が映っているのか判然としない。
 読みとれるのは、総ての写真の左の隅に焼き込まれているデジタル数字だけだ。
「20年前…だね」
 テーブルから視線を上げると、禿山の目には、向かいにいる一人の若者が映った。
 上背が高い、細面の男である。
 ファッションには無頓着らしいが、シャツは糊が利いているし、パンツもしっかりアイロンがかかっている。背筋がしゃんと伸びているのは、高校卒業まで剣道をやっていたためだろう。
 功徳学園大学文学部史学科、赤石主税(あかし・ちから)。専攻・中南米史。…20年前、突如として行方不明となった、日本考古学会の白眉・赤石庸人(あかし・ようと)教授の一子だった。
「父がいなくなる1週間前、です」
 ぼそりと答えた主税は、粗末な革張りのソファに、浅く腰掛けていた。うつむき、瞼を軽く合わせ、決して禿山の顔を見ようとしない。
「それで…?」
 禿山が言いかけ、言い終わる前に、主税はブンと顔を上げた。
「ここに行きます」
 まっすぐな視線に、禿山は一瞬声を失った。
 禿山のゼミの中で、一番優秀な学生である。来月出発予定のマヤ遺跡発掘には、彼を連れて行くつもりでいた。
「すぐに、かね?」
 確認した。並べられた写真の右手には、まるでそこにあるのが当たり前のように、休学届が置かれている。
 太く、しっかりと角張った表書きが、書き手の意志の強さを物語っていた。
 主税はうなずいた。禿山は大きく呆れの息を吐き出すよりほかなかった。
「よく似ているよ、全く」
「父と、僕が…ですか?」
 主税は急に顔色を明るくした。
 物心付く前の赤ん坊と家族を残して姿を消した…そんな父親なのだが、彼は心底尊敬しているようだ。
「だが主税、そのピンぼけ写真…いったい場所が解るのか? 何が映っているのかまるっきり判らないじゃないか。それに、どこから出てきたんだ、この写真は? 赤石教授が関係しているという証拠でもあるのか?」
 解らないことだらけだ。禿山は疑問を一度にまくし立てた。
 主税は困惑して、鼻の頭を掻いた。考え込むときのクセなのだ。
「これがどこにあったかというと、父の使っていたデスクの隠し小引き出しの中でした。その…天板が壊れてしまったので、直しているときに見つけまして」
 天板が壊れた理由は言えなかった。…亡き母の妹で、功徳学園の理事長である白鳥潤南(しらとり・じゅんな)が、酔った勢いでライブステージ代わりにした…なんて事は口が裂けたって言えるものか。
「何が映っているのか、最初は僕にもまるで解りませんでした。でもかすかに陰影があるのは見えるので、写真のコントラストをいじってやれば、もしかしたら何か浮かんでくるかも知れないと思いまして」
 写真をスキャナでパソコンに取り込んだのは、2日前のことだ。
 普段ホームページを作るためだけに使っている、あまり性能の良くないフォトレタッチソフトだが、古い写真の画質補正ぐらいはできる。
 コントラストを上げてみたり、ガンマ値を補正してみたり、トーンカーブを調整してみたり、ヒストグラムを平均化してみたり、カラーバランスを変えてみたり…。
 この時自分がパソコンで写真に施した調整を、電脳物にまるで弱い禿山助教授に説明しても解ってもらえないだろうと、これもやはり主税は言わなかった。
 言わずに、プリントアウトした「加工後の写真」を1枚取り出し、応接テーブルに乗せた。
 ぼんやりと白っぽく荒い画面は、どうやら黄褐色の岩石か、あるいは日干し煉瓦のような物を積み重ねて作った壁らしい。
 老眼鏡を持ち上げ、禿山は鼻先まで近づけた「写真」を舐めるように見た。
 ぼんやりと、壁の上に何かが描かれているのが見えた。
 植物、もっと限定すると、農作物だろう。規則正しく植えられた様が描写されている。
背が高く、葉は尖り、穂先に大きな実が付いていた。
「トウモロコシだ…」
 禿山は疑念のこもった声でつぶやいた。
「古代日本には、存在しません」
 主税は笑顔で応じたが、明るい声の裏側には、やはり疑問が入り交じっている。
「古代には、な」
 確かについ最近描かれたという風ではないが、稚拙な線画は子供のいたずらがきのようにみえなくもない。
「ですから、確かめたいんです。この壁画らしき物が、一体何であるのかを。何故父が…恐らくですけれど…こんな写真を撮ったのか、そしてどうしてこの写真だけが家にあった
のか。僕にも解らないことが多すぎる」
「止めはせんよ。止めたところで、一度決めたことを諦める質ではないというのは解っているからな」
 禿山は、画質の荒いインクの滲んだ印刷物をテーブルの上に放った。呆れと諦めが、丸い額の皺となって吹き出ている。
「一つ聞きたい」
「写真の場所はどこか、ということですか?」
「うむ」
「N県です。実は写真には附箋が付いていたんです。黍神山(きびかみやま)と…父の文字で書かれていました」
「N県か。案外近いな。新幹線で2時間かからん。日帰りでも良さそうだ」
「できるだけ、早く帰ってきます」
 主税は応接テーブルの上の写真をかき集め、丁寧にクリアフォルダの中に詰め込んだ。
「僕もマヤの発掘に行きたいですから」
「そう願いたいよ。君の地道な行動と、それに相反するような飛躍的な発想は、私の研究
にも必要不可欠だからね」
 主税は、照れた笑みを浮かべながら立ち上がり、深く頭を下げた。
「ご迷惑を、おかけします」
「気にするな。まあ、せいぜい気を付けてな」
「はい」
 短く答え、研究者の卵は部屋を出た。
「強情なヤツめ」
 禿山はくたびれたソファの背にもたれ込んで、大きく背伸びをした。

 キャンパスを出た主税は、まっすぐに自宅へ向かった。
 学園にほど近い、屋敷と呼べそうな古い家だ。左右の門柱にはそれぞれ表札が1つずつ掲げられている。
 左手は「赤石」、右は「白鳥」。
 産褥で死んだ主税の母の実家であり、彼自身が20年間住み暮らした家である。
 玄関を開け、もどかしそうに靴を脱ぎ捨てる。古い木の階段を駆け上がると、主税の足の下で檜の一枚板がミシミシと悲鳴を上げた。
「おにいちゃん、走っちゃダメです! 床が抜けちゃうでしょう」
 階下の、ちょうど台所のあたりから、高い声がした。母方の従妹の白鳥美沙緒(しらとり みさを)だ。
 手すりの間から下をのぞき込む。功徳学園高等部の制服の上にエプロンを着込んだ美沙緒が、フライ返しを掲げて頬を膨らませていた。
「ミサ、お前学校は?」
「一斉考査(テスト)で、午後は休校です」
「なるほど…。じゃあ、ホットケーキが焦げる前に火を止めておけよ」
 あっ! と小さく飛び跳ねると、美沙緒は台所へ駆け戻った。
 砂糖と小麦粉の程良く焦げる香りをかぎながら、主税は自室に入った。
 資料本や土器石器類の標本が無数に並べられた室内は、実際の床面積が信じられないほどに狭く感じる。
 だいぶくたびれたベットの上に、やはり使い込まれたバックパックが一つ置かれていた。
 大きく膨らんだその中身は、着替え、防寒具、寝袋、筆記用具類、五千分の一の地図、ポケットサイズの時刻表、携帯ラジオ、大振りの懐中電灯、モバイルPCとデジカメが一台ずつ、携帯食料に粉末のスポーツドリンク、ミネラルウォーターの2リッターペットボトル…2.3日の野宿に充分耐えられる装備品が、ぎっしり詰め込まれている。
 振り向いて、壁の時計を見上げる。まだ午後2時を過ぎたばかりだ。
 時刻表を開いて、芥子粒のような数字を追う。3時過ぎの新幹線に乗れば、5時にはN駅に着く。私鉄に乗り換えて30分。更に歩くか、タクシーに乗って…。
 地図を拡げる。
 赤いマーカーの跡が黍神の山名を囲んでいる。山脈から独立した、底辺の四角い、奇妙で小さな山だ。等高線が詰まっているから、斜面はかなり急なのだろう。登るのにどれくらい時間がかかるかは判らない。
「間違いなく、夜になるだろうな…」
 理性と常識が明朝の出発を勧める。
 主税は自嘲の笑みを浮かべた。細い筋肉がみっしり付いた手が、バックパックを掴んだ。
「おにいちゃん」
 3時を告げる柱時計の鐘を聞いた美沙緒が、ぱたぱたとスリッパを鳴らして階段を駆け上がった。エプロンを外しながら、主税の部屋のドアノブに手をかけた。
「珈琲と紅茶、どっちに…? あら?」
 資料本や土器石器類の標本が無数に並べられた室内は、人気なく、がらんとしていた。
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