迷走の【吊られた男《ハングドマン》】 − 【4】 BACK | INDEX | NEXT 2014/09/26 update |
闇が、空を侵食する。 忠臣ルイ記念大聖堂の裏手は、正面以上に重く暗い気体を孕んでいた。 「ほお、この墓場ときたら、随分と、新仏の、多いこって」 赤く腫れ上がった左頬を引きひきつらせたブライトが、口角ににじむ鮮血を拭いながら視線を注いでいるのは、大聖堂裏に広がる墓地だった。 古い墓碑のくすんだ灰色の間に、真新しい墓石の白が、ぽつりぽつりと浮かんで見える。 十指に余る白のはかなさが、辺りの闇を一層深く見せた。 「ツォイクで流行病が発生したとか、大きな事故があったとは聞きませんが」 赤く腫れ上がった右拳をさすったエルが、袖口ににじむ返り血を気にしながら視線を注いでいるのは、大聖堂の裏口から出て来た葬列だった。 重い足取りの先頭は、目が痛くなるくらいに白い僧衣をまとった、顔色の悪い司祭。 次に、聖水の瓶を掲げ持つ、ひどく痩せた尼僧。 続いて、白い布をかぶせられた三つの亡骸を六人掛かりで運ぶ、くたびれた表情の修道僧達。 殿軍は、泣くことに飽いた様子の、年老いた遺族達。 一行は押し黙ったまま、墓地の一画の、奇妙に開けた空間に陣取った。 わずかに高い土の上に、亡骸が置かれた。 司祭が、何かを詠ずる。 尼僧は彼に、聖水の瓶を差し出す。 受け取る左手が、わずかに強張っている。 修道僧達が、白い布をまくり上げる。 遺族とエルは、一瞬目を背けた。 逆に、ブライトは刮目した。 見えたのだ。……継が当たってはいるが、昨日洗ったばかりの清潔なズボンと靴を履いている、朽ち始めた枯れ木のような足が。 石畳の上に墜ちたヒヨドリの雛のように干上がった、人の形ををしたモノが。 「やれやれ、厄介だな。こんなイナカまで来てお仕事とは」 ブライトは血の混じった唾を吐き捨てた。 彼は嘆息で肺の空気を全部出し切った後、信じられないくらい真面目な表情を作った。 「行くかね」 エルと自分自身に言い聞かせるように呟くと、彼は、葬列に向かって呼び掛けた。 「教父よ!」 司祭が土気色の顔をこちらに向けた。 「子等よ、何故そこに立っているか?」 「我らは天を父と仰ぎ、大地を母と慕う旅の児。兄弟達のために祈らせてください」 「来なさい。天に祝福され、大地に愛される、我が子等よ」 ブライトと司祭の、礼儀にかなったマニュアル問答に、エルは『慇懃無礼』という単語を思い出していた。 「お腰のモノを、お預けください」 宿坊の入り口で、尼僧が言う。 「聖なる寺院では、人を傷付ける道具を禁忌としておりますゆえ」 「心得ております」 エルが己のサーベルと師のブロード・ソードとを、尼僧に差し出した。 受け取った尼僧が、それらの軽さに怪訝な顔をする。 ブライトは『営業用スマイル』を浮かべた。 「竹光です。我らも、人を傷付ける道具が嫌いでね」 「それは、良いお心懸け、ですね」 背後から、しわがれた声がした。 「ツォイク教区を、任されておる、ヘルムス=モルトケ、です」 司祭が満面に穏やかそうな笑みを湛えて立っている。 大寺院の大司祭自ら客を客室に案内してくれた。……破格の待遇、であるらしい。 ブライトとエルは宿坊で一番広いという部屋に通された。 そこはどうやら、ここ数年使われていない様子だ。掃除は行き届いているのに、何となく埃臭く、火の気のあるはずが、どうにも寒々しい。 そう思うと、膳の手配をする尼僧の仕草も、どことなく空々しく思えてしまう。 「御辺らは、いずこより旅出でて、いずこに向かわれるか?」 司祭は、疲れた顔で微笑んだ。 エルはちらとブライトを見やった。 彼は、テーブルに両肘を突き、祈るときのように両手を拱《く》んでいた。 目玉が、『お前さんに任す』と言っている。 「故郷はなく、行き先もございません。……と申しますのも、実は私ども、身内を全て失うたが故に、旅に身を投じた次第でして……」 モルトケ司祭の顔が曇った。 「では、もしや……いや、まさか……。各地に、魔性の物があらわれ、村町を襲い、国を滅ぼしてい、と言う噂を…………聞き流しておったが、真実と思って、良いのでしょうや?」 エルは悲しげに小さくうなずいてから、聖職者の顔をじっと見た。 「あなたの言う【魔性の物】を、ギュネイ皇帝は【堕鬼《だき》】であるとか【オーガ】であるとか呼んで、誅殺の勅令を発しています」 司祭は力無く頭を振った。……否定、というよりは、否認の素振りだ。 「【オーガ】どもは、人の命が持つ『力』を食らうが為に町村を襲っている。そして命の抜け殻、つまるところ死体を操って、国を滅ぼしている。その死体のコトは、【グール】なんて呼んでるがね……帝都の玉座でふんぞり返っている旦那は」 ブライトがつぶやく。周りの人間によく聞こえるような、小さな声で。 ヘルムス=モルトケは、目をつむり、天を仰いだ。 「先ほどの葬儀……亡骸は、普通の死に様ではなかったように見受けられました」 よく通るエルの問いかけに、司祭は再度頭を振る。 「若者ばかりが、命を失っておられるのでは?」 モルトケ司祭はびくりと顔を上げた。怪訝な顔で、エルを見つめる。 「……参列者が、ご老体ばかりでした。子や孫に先立たれたショックで、泣くこともできぬ程、憔悴しきっておられた」 一瞬、モルトケ司祭の顔に厳しい嫌悪が現れた。 が、 「良う、お気づきになる……」 と、声を絞り出したときには、彼の「基本的」には柔和な顔が、その尖った感情をすっかり隠していた。 ブライトは、乾いた皮膚を引きつらせて笑む大司祭殿を横目で見、またつぶやく。 「どうやら、世ずれしたマトンより、純なラムの方が、美味い上に扱いやすいってのを、やつも知ってるようだ」 彼の声が聞こえたのか聞こえなかったのか、司祭は目を堅く閉じた。唇と、肩と、指先と、脚とを、小刻みに震わせている。 「万一……あの子等の、命を奪った者が……その【オーガ】などという、人外の物で、あったとして……。その……【オーガ】……とは、何でしょう? いや、もし、そのようなモノが居たとして、ですが」 モルトケ司祭の口振りは、否認を続ける罪人のようですらある。 「人間、ですよ」 ブライトがくぐもった声を出した。 エル・クレールが後を接ぐ。 「人はすべからく、心に闇を抱えているものです。心強き者は、その闇を信念の光で照らすことができます。ですが、脆弱な心にはそれができないのです。 そのような弱い人々の、畏れと不安に満ちた心が、自身の中に渦巻く恐怖に取り憑かれ、堕ちてしまうのです。……【オーガ】になることが、恐怖を打破する術だと勘違いして」 深いため息が、語尾を飾った。 すると再びブライトが、拱んだ手の上に顎を乗せたまま、語る。 「……きっかけがありさえすれば、誰もが堕落の道を歩むでしょうな。大天使ですら慢心の末に堕ち、年経た蛇だの悪龍だのと呼ばれる。況や、人間をや……。弟子が師に教える事もないこってすがね」 そして、あの鋭い目を、ちらと聖職者に向ける。干からびた青黒い顔に。 モルトケ司祭は、唇を噛み締めていた。 鋭く尖った犬歯の下から、黒紫の血が滲み出た。 同時に、眼光が急激に険しくなった。 だが、どういった訳か、瞳は濁り、淀む。 その眼に、赤い光が映り込んだ。 赫《あか》い紅玉髄《カーネリアン》の珠。 「それは……?」 「きっかけ、に、なりうる物……とでも申しましょうか。ご存じでしょう?」 エル・クレールの掌の上で、それは無機質に輝く。 「こちらの至宝、【ルイ=ワンの魂】。私どもは【吊された男《ハングドマン》】と呼んでおります。 もっとも、これは、レプリカですけれど。……本物は、司祭様の手中にある筈ですから」 新たな、そして決定的な物証を提示する検察官のように、彼女はそれを机の上に置いた。 そうして、微笑むのだ……総毛立つほどに冷ややかな、且つ熱い眼差しで。 「脆弱な心をそそのかす強い魂……。それが悪であると見抜けない間抜けと、独善を他人に押しつける愚か者とでは、どちらが悪いのでしょうね」 |
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