番外編 夢想の【戦車】 − 【2】 BACK | INDEX | NEXT

2015/09/26 update
 朝日が差している。暖かで、まぶしい。

 真綿で包まれるような生ぬるい違和感の中に、俺は唐突に立っていた。
 一体、ここはどこだ?
 確か、窓もないパンパリアのラブホもどきに泊まってたはずだが。
 頭痛……いや、脳ン中しゃもじでひっかき回されてるような、嫌な気分だ。
 随分と視界が霞んでいる。
……いや違う。俺の目が霞んでいるんじゃない。
 風景そのものが紗の向こうっ側にあるみたいに、現実的じゃないンだ。
 薄ぼんやりとしたその「風景」は、どこかの宮殿か屋敷と言った風情だ。
 今時流行の直線的なギュネイ式の対極にある、曲線を多用した内装だった。
 柔らかくて、上等で、懐かしい様式……。
「――下――」
 誰かが、俺に対して呼びかけているのが聞こえた。
 若い、男の声だ。どうやら聞き覚えはある。
 ずいぶんと昔に聞いた声だ。
 そう、クレールと出会う前、俺の脳味噌が初期化される前に、だ。
 ドアが乾いた音を立てて開いた。
 廊下の闇から、黒いマントを羽織った背の高い男がこちらを見ている。
 あの男を俺は知っている。
 もう4年の上になるが、俺は頭に大怪我を負って、どうでも良いような処世術以外の記憶を、すっかり失っちまった。
 だが厄介なことに、ときおり「壊れた記憶」の断片がひょっこりと頭をもたげることがある。
 俺はコイツと会ったことがある、というのも、そんな記憶のかけらの一片だろう。
 そう、この男の名は確か……。
「レオン=クミン」
 滅びた帝国「ハーン」の最後の皇帝が、退位した後に住み暮らした土地「ミッド」の、若く優秀な官吏。
 本来内政に携わる身ながら、ミッドの人材不足と自身の優秀な外交手腕の故、諸国を旅して回らねばならぬ男、の筈だ……多分。
 恐らく俺は、どこかミッドの使節団が外遊した先で、コイツを見かけでもしたのだろう。
……確証はないが。
 レオン=クミンは俺が着替えを済ませて立っている(どういう訳か、俺は大礼服を着込んでいる)のを見て取ると、青白い顔にうっすらと笑みを浮かべた。
「お目覚めでしたか、殿下」
 親しげで、それでいて礼儀正しい声音で、クミンは俺に対して問いかける。
 それにしても、殿下とは。
 俺はそんなガラじゃないし、そう呼ばれたことは(多分)皆無だって言うのに、そう呼ばれることに違和感が……ない。
「どうやら寝過ごしたようです」
 口が、勝手に動いている。
 身体も意識なしに動く。
 俺はレオン=クミンが開け放ったドアへ向かって歩いた。
 廊下に出、突然理解した。
『ここは、ミッド公国の宮殿だ』
 おかしなハナシだ。俺は「真っ当に建っている」ミッドのお城には来たことがないはずだ。
……オーガの襲来と火山の噴火で倒壊した残骸の上になら、立ったことがあるが……
 それなのに、俺はここがミッド大公ジオ・エル=ハーンの居城だと確信している。
 存在そのものが薄ぼんやりとした廊下を、俺達は音もなく歩いた。
 こぢんまりした宮殿だから、すぐに目的地、大公の居室前に着いた。
 レオン=クミンは、紫檀のドアを軽く叩いた。
「お入り」
 枯れた男の声がした。ドアがゆっくりと開き、燦々とした朝日の逆光に、4つの人影が浮いている。
 椅子に掛けた老紳士は、ミッド大公ジオ3世。
 その傍らに立つほっそりとした女性は、大公の二人目の妻クリームヒルデ・ギュネイ=ハーン。
 二人の前に傅く大柄な女性は、親衛隊の女隊長。名は確か、ガイア=ファテッド。
 そしてもう一人。
 着慣れないドレスを窮屈そうにまとった少女の横顔は、ハーン夫妻の両方とよく似ている。彼らの血を受け継いでいるのが明らかなその姫君は……
「クレール?」
 そいつが俺の相棒であるのはすぐに判った。だが、俺の知っている彼女よりも幾分幼くも思えた。
 俺はまた一瞬にして理解した。
 ここは、今から4年ほど昔の世界だ。
 ミッド公国は安泰で、大公夫妻は息災。一人娘のクレール姫は剣を取って闘う必要もなく、正体不明の風来坊(つまりこの俺)と田舎のラブホで一つ部屋に寝る事態も想像だにしない、平穏な日々を送っている。
 俺のこの不可解な「理解」が正しければ、目の前にいる小さな姫さんは、俺と出会う以前の「クレール姫」で、それはつまり、彼女も俺と会ったことがない、ってことなんだが……。
 俺の声に反応して振り向いたクレール姫は、確かに少々吃驚したが、すぐさま相好を崩して、俺の側へ駆け寄った。
「よかった。来てくださるとは思っていませんでしたから」
 満面の笑みだった。しかし、瞳にはうっすらと涙が浮かんでいる。
 泣き笑いする姫さんの顔を見ている内に、俺の口がまた勝手に動いた。
「泣くのはやめなさい。前にも言ったはずだよ。私はご婦人の涙に弱いのだ。泣いてるご婦人を見ると、無条件で手を差し伸べたくなってしまう」
 自分の口から出てきた言葉を聞いて、俺は背中がぞわぞわするのを感じた。
 普段の俺は、自慢じゃないがこんな丁重で優しげで薄気味悪い没落貴族みたいな口振りで話したりしない。
 全く今の俺は、俺の感覚を持った別人に違いない。どうしてこんなことになっているのか、その理由までは解らんが……。
 ただ、今ン所はこの状況に流される以外に術がないようだということは、どうやら理解できた。
 クレール姫は、大きな緑柱石色の瞳から涙を2粒ほど溢れ出させた。俺の手が勝手に動き、彼女の柔らかな頬を滑り落ちる涙を拭った。
 制御できない自分の行動に、俺はびくついていた。なにしろ普段のクレちゃんだったら、こんなこと……ほっぺただの首筋だのうなじだの胸だの腹だの尻だの腿だの爪先だのといった、およそ「女の魅力的な部位」と思われる場所をさわったりさすったりつついたり……をしたら、まず間違いなくグーで頬桁をブン殴りに来る。
(不思議なことだが、剣術の手合わせンときは彼女のサーベルを容易にかわせるってのに、耳先まで真っ赤にして恥ずかしがってるときの「美しい右ストレート」は避けることができない。クレールは間違いなく拳闘士より剣士向きで、当然拳よりも剣先のほうが数段素早いンだが……)
 ところが、だ。
 今俺の目の前にいるクレール姫は、殴るどころか俺の手を握りしめている。
 やがて、俺を真っ直ぐに見上げていた顔を下に向けると、小さな肩を小刻みに震わせ始めた。
「何故泣いているのですか?」
 どうにも気色の悪い口調と、こわばった柔和な顔の裏っ側に、寒イボと疑問を隠して、俺が訊くと、小さな姫さんは苦しそうに微笑んで答えた。
「ずっと、あなたが来てくださるのを待っていました」
 クレール姫はふわりと倒れ込むように、俺の胸に顔を埋めた。
 ひどく軽い身体だった。
 まるきり現実感が湧いてこない。
 肩を抱いた。
 ピリピリとした不安の塊が、掌の中に存在している感じがした。
「いつも一緒にいるではありませんか?」
「……今はいてくださる。でもあの時はいらっしゃらなかった」
「あの時?」
 あの時……それが、ミッド公国滅亡の瞬間だってことは、想像に難くない。
 確かに、俺はその時コイツの側に居なかった。どだい、その辺の馬の骨の身で、世が世なら女帝陛下のお姫様となど、お目通りすら叶う訳がないンだから、当然だ。
「だが、今はここに居ます」
 口が勝手に動いた末の言葉だが、これに関しては脳味噌の違和感が少なかった。
 顔を上げたクレール姫の頬に、次第に安堵の笑みが広がってゆく。手の中の「ピリピリした不安」がほんの少し薄らいだのが解る。
 俺はクレールの身体を自分から引き離した。
 当然、本心じゃない。
 いくら現実的じゃなくとも、滅多にこんな状況には巡り会えない。できることならこのまンま、コイツを抱きしめていたいンだが、残念なことに相変わらず身体の自由が利かないのだ。
 気味の悪い鳥肌を全身に沸き立たせながら、俺はクレール姫の両親の方を見、
「嫁入り前のお姫様が、ご両親の前で男にしがみついているのは、あまり上品な行為とは言えませんよ」
愛想笑いを浮かべた。
 老大公ジオ3世は、かなり複雑な笑顔で応えてくれている。
 この年老いた小貴族は「陛下」の尊称を受けることを許された希有な存在だった。
 この尊称は皇帝と皇后にのみ許されている物で、他の者は、たとえ自治州の王様でも有名無実の子爵様でも、そして自分の部下に帝位を奪われた元皇帝陛下でも「殿下」でないといけないってのが「決まり」だ。
 先妻との間の子を二人までも病によって失った彼にとって、クレールはまさしく一粒種だ。
(相棒にとっては兄に当たるこの二人の皇子の死に関しては、簒奪皇帝ヨルムンガンド=ギュネイが暗殺したなんていう焦臭い噂もあることにはある。だが、ジオ3世自身がそれを否定しているのだから、「病死」の方を信じてやる方が無難だろう)
 しかも、かなり高齢になってからようやく生まれた「目の中に入れても痛くない一人娘」と来ている。その愛娘が男の腕ン中に居るという状況を……それが例え娘の自発的行動であっても……見せつけられては、心中穏やかならぬ筈だ。
「全く、じゃじゃ馬で困る」
 穏やかにそう言いながら、険しい視線で俺の方をにらみ付けている。
 一方、若い妃の方はというと、一応、
「本当に」
などと夫に同意しているが、むしろ娘が淑女らしい「男に頼り切った言動」をしていることがうれしいらしい。ニコニコと笑っている。
 このクリームヒルデ妃という人物も、ある意味で不幸な女だ。
 本来ギュネイ帝室とは縁もゆかりもないハズだった。ところが、母親が初代皇帝のヨルムンガンドと再婚したばっかりに、そして父親違いの弟フェンリルが生まれて、そいつが二代皇帝なんぞになっちまったがために、皇女として政略結婚の手駒にさせられ、20も年上の親爺と娶されたンだから。
 ま、確かに可哀想ではあるが、俺はこの人に感謝しないといけない。
 彼女の素晴らしく肉感的な魅力が、亭主の細身で鋭角な体格と混じった成果が、クレールな訳だからな。
 さて。
 俺から引き離されたクレール姫には、親衛隊のファテッドがぴったりと張り付いた。
 この娘ときたらとんでもなく大柄で、その上ミッドの先住民族特有のエスニックな顔立ちをしているものだから、遠目には屈強な男のように見える。
 そして、身の丈もある幅広の剣を軽々振り回すというこの女丈夫が、俺の後ろに立っているひょろ長い外交官の恋人だというから驚く。
 元々は親同士が決めた間柄だそうだ。先住民族系と中央からやってきた「押しつけの政権」との政略結婚……といったところか。
 だが、本人同士も満更じゃないらしい。大公夫婦の視線を盗んで、ほんの瞬間見つめ合っては、幾度となく微笑みを交わしている。
 そのたびレオン=クミンは半歩ずつガイア=ファテッドに近寄って行き、いつの間にか彼女の傍らに立ち位置を移していた。
 目の前に広がる霞んだ光景は、優雅で、平穏な貴族達の午後。
 俺のような根無し草には酷く居心地の悪い、ショコラカップの中みたいに生温い場所だ。
 皆が平穏を満喫している。ただクレール姫だけが、やたら落ち着きなく、何度も俺の顔色をうかがっていた。
「言いたいことがあるのなら、はっきりとおっしゃってください」
 俺はどうにか自分の頭ン中を言葉にした。……口調がどうにもコントロールできないのが歯痒い。
 クレール姫は両親と家臣の顔を一通り上目で見回した後、息を一つ飲み込んで、言った。
「助けて」
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