幻惑の【聖杯の三】 − 【7】 BACK | INDEX | NEXT

2014/09/26 update
 一行が案内……知らぬ者が見たら任意同行と思うかも知れないが……されたのは、妙に広い客用寝室だった。
 どうやら元々あった小部屋三つ分の壁を打ち抜いて無理矢理にこしらえた物らしいというのは、新しい壁紙が細長く貼られた箇所が二対ある辺りからして察しが付く。
 荒い仕事が目に見える新しい長テーブルに、不揃いな椅子がいくつもそえられている。
 ゲニック准将が何か言う前に、ブライトとシィバ老人は椅子に掛けた。
 少なくとも、目上の者が座るか、座るように指示を出すまでは、立っているのがエチケットというものだ。
 それなのに大の男が早々に座り込んだのは、礼儀知らずと言うよりは、准将閣下に対して尊敬の念を抱いていないからであろう。
 エル・クレールは、座らなかった。
 遠慮であるとか、礼儀であるとか、そう言う物以前に座る気にならなかった、と言うのが正解だ。
『この部屋は、落ち着かない』
 彼女はせわしなく辺りを見渡した。
 横に広くて、扉が三つもある以外は、ごく普通の部屋である。
 日当たりはよいし、窓から見える田園風景も美しい。厩や牛舎が近いと見えて、時折生臭い獣の体臭や糞尿の臭いが漂ってくるのが難点ではある。しかし、アンモニア臭を香水で誤魔化そうとしている貴婦人達がいないだけ、まだ過ごしやすい。
 花婿が持ってきた荷物はすでに別の物置にでも納められた後なのだろうし、花嫁の結納品はとっくに准将の邸宅に送られているのだろうから、この部屋には荷物らしい荷物は無い。
 そのせいか、部屋は何となく殺風景で、それでいて雑然としていた。
 ドアと窓のない方の壁には、気の枠から首を突き出した猪や狼の剥製が飾らてい、人々を睥睨しているかのようだった。
 部屋の四隅には、准将閣下がまとうに丁度良さげな、横に大きい全身鎧が一領ずつ、部屋の中心を見据えて起立している。鎧は揃いだが、手にした柄物はそれぞれ違っていた。
 ヘッドの大きさも重さも子供一人分はありそうな鎚、馬もろとも戦車をひっくり返せそうな矛、鎧どころか地面までもたたき割れそうな戦斧、物を斬ると言うより叩き潰すために作られたかのような剣。
 寒気のするほど悪趣味で、攻撃的な装飾品だった。
 エル・クレールは肩をすくめて、ブライトの椅子の背にすがるように立っていた。
「佞臣も小判鮫も私がいなくなれば静かなモノだ。まあ、楽にすると良い」
 准将はそう言ってまた豪快に笑った。
 客の賛美が若夫婦ではなくその親の、いや家財産に対して送られていたモノだと言うことは、この太った貴族にも十分理解できていたのだ。
「付きまとわれるのが嫌なら、子供を政略結婚させなきゃ良いでしょうよ」
 ブライトが鼻で笑った。
「直裁だな」
 軍人は太い眉毛をぴくりと吊り上げた。
「学がありませんでね。お宅のようなエライ方が喜ぶような言葉を知らンのですよ」
「突っかかりおる」
 ゲニック准将は頬の肉を引きつらせたが、すぐに相好を崩すと、革張りの椅子に腰をすえた。脂の乗った笑顔は、シィバ老人に向けられた。
「試しても、よろしいですかな? いや、先生の眼力を疑う訳ではありませんが、どうも私は見た物しか信じられませんでね」
 エル・クレールは唇をへの字に結んでゲニックをにらみ付けた。
『それでは上官の命令も部下の報告すらも信じられないと言うことになるのでは無いでしょうか?』
 よほどそう言ってやろうと思った。しかしブライトの大欠伸に、彼のあきれと諦めが見えたので止めた。
 シィバ老人はと言うと、彼もまたあきれかえっていた。ただそれは、ゲニックが自分を信用していないことに対する感情ではなく、どうやらゲニックが「人を試すことを楽しんでいる」らしいことに対するそれであった。
 ……自分にもその気があると言うことは、棚の上にしまい込んでいるようだが。
 思惑はそれぞれだが、三人が三人とも黙り込んでいるという事実には変わりない。ゲニック准将は再度、
「試験をして良いのだな?」
 先ほどよりも少し強い拍子で言った。
「かまわんじゃろうて」
 答えたのは、シィバ老だった。
 旅人達は同意や否定を口にしなかった。
 いや、する間がなかったのだ。
 部屋の四隅に立っていた鎧が、強烈な悪臭を吐き出して動き出した。
 そいつらは、間違いなく呼吸をしている。獣の臭いを発している。高い体温を発している。
 だが。
「生き物では、無い!」
 エル・クレールは叫びながら飛び退いた。
 手にした戦斧や矛を床に叩きおろした勢いは、のそりとした巨躯からは思いもつかない速さであった。
「気に喰わねぇな」
 ブライトは足元にめり込んだ斧の先を見、唾を吐いた。
 すると、
「きに、くわ、ねぇ、な」
 鎧の中から鸚鵡返しに声がした。耳障りなイントネーションで、酷くノイズの混じった音だった。
「しゃべった?」
 エル・クレールの驚声も、
「しゃ、べっ、た」
 彼女の背後を取った鎧がなぞる。
 その鎧は、大槌を手にしていた。
 思わず、彼女はブライトにしがみついた。まるで犬に吠えつかれた童子のように震えている。
 ブライトはその怯えた瞳を見て、
『十三歳の、餓鬼か……』
 急にこの男勝りがかわいらしく思えてきた。
「派手に怖がるな。ありゃあ、オークなんて呼ばれ方をすることもあるが、要するにただのブタだ」
 そう言って笑いかけると、エル・クレールは目の色を怯えから疑問に変えて、彼を見上げた。
「ほらよ!」
 ブライトの脚が、垂直に跳ね上がった。
 爪先にはじき飛ばされた兜の面当ての下には、確かに低くひしゃげた豚鼻があった。
「ブタ、と、いった、な」
 その豚鼻の下で、牙の隙間からよだれを垂れ流している口が、もぞもぞと動いた。
「悪ぃな。訂正するわ」
 ブライトは四つの大鎧を見回すと、振り上げた脚をゆっくりおろした。
「お前らをそう呼んだら、本物の豚がかわいそうだからな。何しろお前らと来たら、煮ても焼いても喰えないクセに、木だろうが草だろうが獣だろうが人間だろうがお構いなしに食い散らかした揚げ句、牛だろうが馬だろうが豚だろうが人間だろうが手当たり次第に犯しやがる」
「ガァァァァッ!」
 それは、弛んだ頬肉を震わせて吼えた。太い腕が巨大な鎚を振り上げ、振り下ろした。
 目標は、ブライトの頭蓋骨だった。もっとも、それは石ころの上に置いた胡桃ではない。
 ブライトはエル・クレールの細身をひょいと抱き上げると、オークの間合いの内側に入り込み、流れるようにその背後へ回り込んだ。
 鎚が床板を粉砕するのと、ブライトがオークの尻を蹴り飛ばすのとは、ほとんど同時だった。
 オークの身体は、自分が開けた床の大穴に、勢いよくずっぽりとはまりこんだ。
「力任せのクチかと思っていたが、速さの方が武器か」
 ゲニック准将は不思議そうにつぶやいて、軽く右手を挙げた。
 それが試験終了の合図で、オーク達は再び鎧掛けよろしくぴたりと停まる……はずであった。
 ところが。
 床板をぶち抜いて地面とキスをしているヤツの、その無様な臀部を見せつけられた残りの三匹が、合わない鞍を乗せられた奔馬の勢いで暴れ出したのだ。
 矛が家具をなぎ倒し、戦斧が壁を打ち抜き、剣が天井を突き抜ける。
 それぞれの切っ先は、ブライトとエル・クレールを狙っていた。少なくとも、暴れ回るオークどもはそのつもりでいる。
 標的は素早く動き、従って武器は空を切るか、屋敷を破壊するかのどちらかで終わってた。
「おい、クレール」
 低く走りながら、ブライトは抱きかかえていたエル・クレールを放りだした。彼女は鞠のように床を転がり、壁に叩き付けられる寸前に、とっさに椅子の脚を掴んでようやく止まった。
 椅子には、シィバ老人が掛けていた。
「悪ぃな。流石に三匹相手するのに手ぇ使わないわけにもいかん。巻き添えにしたくねぇから、ついでにそのじいさんをどかしておいてくれ」
「やれやれ、わしは物かえ?」
 老人は呆れ、それでいて至極楽しそうに言うと、椅子から立ち上がった。そうして、足元で座り込んでいるエル・クレールの手と、今まで座っていた椅子を引いて、部屋の隅へ向かった。
 老人は椅子を「戦場」に向けてすえると、さながら草競馬でも観戦するような顔つきで、どっかりと座った。
「青二才め、オーク四匹を独りで倒すつもりだとは、強欲が過ぎるわい」
 ケラケラと笑う老人に、
「あ……あの。つかぬ事をお伺いしますが」
 エル・クレールはおずおずと訊ねる。
「ん? あの奇妙な獣のことかえ?」
「はい。獣と仰いますが、私にはあれが生き物だとは思えません」
「そうさの。ああいう人工物を生物と呼んで良いのか、議論が分かれるところではあるな」
「人工……物?」
 エル・クレールは顔を上げた。
 矛を持ったオークが、ブライトに殴り飛ばされている瞬間が、彼女の目に映った。
 身の丈の二倍ほど吹き飛ばされたオークは、砕けたあごの骨を押さえて、ギィギィと泣きわめいている。
 ブライトの方はというと、
「この、石頭ブタめ!」
 こちらは拳を押さえてしゃがみ込んだ。
 彼の背後では、巨大な斧が鈍い光りをはじいている。
「あ!」
 思わず駆け寄ろうとしたエル・クレールの背に、老人の声が掛かった。
「斬るが良い。あれが生き物でないなら、お主の力で倒せるぞい」
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