【覚醒編】 − 何もない日 【5】 BACK | INDEX | NEXT 2014/09/26 update |
灰が煙る空に樫の枝が一本、吸い込まれるように舞い上がった。 やがて弧を描き、柔らかな地面の上に突き刺さったそれを、エル・クレールは、奪うように拾い上げた。 腕にはいくつもの青あざ。手の甲は赤く腫れ上がり、人差し指の爪がバックリと割れていた。 急作りの木刀を掴んだかと思うと、彼女は着ていた古いシャツの右袖を引きちぎり、木刀諸共血まみれの手にぐるぐると巻き付けた。 「今一度」 泣きはらした目と、叫び潰れた声が訴える。 「あきらめが悪いってのは、まれ〜に美徳の場合もあるが、おおよそは悪徳に分類されるモンだせ?」 ブライトは頭を掻きながら、それでも一応、両手握りの長剣を模した木の枝を左上段に構えた。 「私があなたに勝つ方法が判るまでは、続けます」 エルは正眼に構え、大きく息を吐いた。 瞬間。 ブライトの視界から、エルの上体が消えた。 『下、か』 小柄でしなやかな彼女の身体が、前屈したままの低い弾道で、急激に間合いを詰めようとしている。 横払いに、胴を打つ。 「浅い!」 ブライトは半歩下がった。木刀の先がシャツのボタンに触れた。 長く太い木刀が、エルの肩を激しく打った。 「あぅっ」 細い身体は、地面に叩き付けられた。 「しまったっ!」 ブライトは、『上段からならもう一度剣をたたき落とさせる。中・下段ならば打ち込んで寸止め』の予定でいた。 切っ先が衣服に触れるその時までは、そのつもりでいた。 だが、身体が勝手に「容赦のない一撃」を繰り出していた。 エルはもがきながら、身を起こそうとしている。緩慢なその動きからは、もう一度立ち上がろうという気力が感じられない。 「鎖骨、イッちまったか」 不安げに声をかけるが、ブライトは彼女を助け起こすつもりはない。 その場に立って、彼女が自力で起きるのを待っている。 「大…丈夫です」 ようやく上体を起こしたものの、エルはその場にへたり込んでいた。 「リーチが違う、体力が違う、腕力が違う、技量が違う。総てが私より勝っているあなたのような相手に立ち向かう術は…」 苦痛に眉を顰めている…しかし、口元に笑みがあった。 「やはり『虚』でしょうか?」 「…おまえさんのような『子供』が、大人と対等に渡り合うのに、手っ取り早いのは『虚を突く』であるのは確かだ。だがそれがおまえさんの性質そのものかってぇと、断ずるに早過ぎる」 ブライトは、ドカリと音を立てて地面に胡座をかいた。 「大体おまえさん、歳ゃいくつさ」 「13です」 目で泣いて、鼻で怒って、口で微笑み、エルは答えた。 確かに幼顔で、華奢な体つきではあるが、自己申告の歳には逆立ちしても見えない。 男装して、少年のように振る舞っている今でも16.7歳。 髪を結い、化粧すれば18.9に見えるだろう。 「餓鬼…なんだよなぁ、どう足掻いても」 「人間は、1年に1つしか歳をとれません」 悔しそうに、エルが言う。 そりゃそうだが…と、つぶやいてから、ブライトは 「虚を付くってのは、ようするに敵の予想外の動きをするってことだ。そりゃつまり、無駄に動くってこった」 エルが小さくうなずくのを見てから、ブライトは続けた。 「無駄に動けば、隙がでかくなる。…初撃を外され、反撃されたら、虚を突かれるのは自分になる」 エルはうつむいて唇をかんだ。 「早く戦えるようになりたいのです」 「てめえ独りで、か?」 「はい」 「そりゃ無理だ」 きっぱりと言い切るブライトの声に、エルは顔を上げた。 「人間は1年に1つしか歳をとれねぇンだ。14と15をすっ飛ばして、今すぐ16になるのは無理だぜ」 「そんなこと、判ってます!」 ブライトの言うことは正しい。 涙がこぼれそうになるのを、エルはじっと堪えていた。 「弱い自分が、それでも独りで戦おうってのが、そもそも間違ってるってのも、判ってるか?」 正論が、エルの瞼の堰を打ち砕いた。涙が滝となって頬を伝い、大地に落ちる。 「泣くな」 ブライトは視線を逸らした。 「俺は女の涙に弱い。泣いてる女を見ると、無性に助けたくなる」 無精ひげの中の口元に、微笑みが見えた。 |
Copyright Shinkouj Kawori(Gin_oh Megumi)/OhimesamaClub/ All Rights Reserved
このサイト内の文章と画像を許可無く複製・再配布することは、著作権法で禁じられています。