間道の【塔《タワー》】 − 【1】 BACK | INDEX | NEXT 2014/09/26 update |
深い森の獣道である。行き来するのは地元の猟師か、通行手形のない無頼者ばかりだ。 その、木漏れ日の届かない深遠で、うごめくいくつもの影を見たとたん、エル・クレール=ノアールは脱兎の勢いで駆けていた。 女の悲鳴がする。哀願と拒絶と、そして断末魔の叫びだった。 食い物と酒と女に餓えた無頼どもである。 6人がかりで1人の農婦を襲った。 おそらく、猟に出た夫のためにでも用意したのだろう。1つのパンと1本の葡萄酒を携えた初々しい若妻は、連中の欲をかき立てたが、満たすには不充分だった。 「莫迦、待てっ!」 ブライトの声は、逆上しているエルの耳に入らない。 しかし。 間伐されていない茂みと、朽ち木の根に足を取られ、ようやくたどり着いたときには、もはや手遅れだった。 日に焼けた浅黒い肌の、痩せた婦人だった。肌を覆う物はすべて引き裂かれていた。 古ぼけた手提げ籠は腐葉土の上に転がり、ライ麦パンのくずをまき散らしいている。 素焼きの酒瓶は、空っぽになってから、岩場に叩き付けられ、割られた。 男どもは、全員が半裸である。下半身をだらしなく晒していた。 「下司どもがっ!」 雄叫びをあげながら、エルは腰の剣を抜いた。 一瞬、無頼どもは身構えたが、直後にはせせら笑っていた。 『優男』が抜き払ったサーベルが、樫でできているのが見えた。 「間抜けめぇ」 6人の内、誰かが言った。言い終わる前に、全員がその辺りに投げ放り投げて置いた剣を拾い、槍を構えた。 「はぁぁぁっ!」 雄叫びをあげながら、身を低くし、エルは駆けた。 長剣を持ったひょろ長い男が上段に構えた。小柄な剣士は、振り下ろされる剣の軌跡の内に入り込み、樫の剣を振った。 胴をなぎ払われたそいつは、目を剥いたまま仰向けに倒れた。それきり、ぴくりともしない。 「野郎!」 別の男が、エルの背後から槍を突き出した。 刃こぼれした槍先は、華奢な背中を突き刺せなかった。そのかわり、太い木の幹に突き刺さっていた。 エルは、右に体をかわしていた。 めり込んだ切っ先抜くのに手間取っている間に、その男は、柄を掴んでいた両腕を激しく打たれた。 肘と手首とのちょうど中間の骨が、両腕とも折れた。 「ぎゃっ!」 短く鳴くと、男はそのまま失神した。 左手から、細身のさび付いた刃が突き出た。 エルはからくり時計の人形のようにくるりと身を転じ、勢い余ってつっこんできたそやつの後頭部を、飾られたサーベルのグリップで殴りつけた。 そのまま前のめりに地面に叩き付けられた者は、痙攣(けいれん)しながら、口から汚れた泡を吹き出した。 「畜生め!」 太った男が、肩からタックルを仕掛けた。 予想外の攻撃だった。 エルは避けきれず、吹き飛ばされて、大木の根本に倒れ込んだ。 硬い樹だ。その上、張り出した根に、瘤があった。 エルの銀色の髪に包まれた頭は、その瘤の上に落ちた。 気が遠くなる。霞む目に、先ほどの太った男の顔が映った。 瞳に、怒りと悲壮も恐怖が燃えていた。 「ちきしょう! よくも兄貴をぉ!」 太った男は、エルの細い体に馬乗りになり、巨大な拳をとがった顎に振り下ろした。 顎に痛みは感じなかった。むしろ、頸椎と頭蓋の接合点辺りに、激しい痛みを覚える。 それが、太った男には気にくわないらしい。 襟を掴むと、激しく揺する。 ボタンがはじけ、生地が裂けた。 胸がはだけた。薄絹の帯布で締め付けてられた乳房の谷間が、太った男の目に飛び込んだ。 男の、目の色が変わった。怒りも、悲壮も、恐怖もない。 鼻の穴を大きくふくらませ、唇を引きつらせながら、眼に異様な光を湛え、男は、エルの胸を覆い隠している絹に手をかけた。 途端。 太った男の鼻柱を、黒い影が殴りつけた。 ……正確には、蹴り上げた、であった。 焼けるような痛みと、獣の糞の臭いが、強烈に鼻を突く。 同時に、暖かい液体が、鼻の穴から噴き出た。 しかも男の巨躯は、エルの体の上から軽々とはじき飛ばされていた。 別の木の根本で尻餅を突いた太った男の顔面を、再びあの痛みと臭いが襲った。 黒い影は、古びたブーツであった。 山犬か狼の柔らかい糞がたっぷりとまぶされた上に、赤黒い血糊が付いている。 「ふざけてやがって」 低い声が、そのブーツの上方から聞こえる。 太った男は、鮮血を吹き出す鼻を押さえながら、見上げた。 背の高い、中年の男が立っていた。 鬼神の形相で彼をにらみつけている。 太った男は、あわてて辺りを見回した。まだ2人、仲間がいるはずだ。 仲間は、確かにいた。 1人は尻を高く持ち上げ、股間を両手で押さえたまま、地面とキスをしている。 1人は大木を背に立ちつくし、頬に靴底型の烙印を押されて、前歯と奥歯の混じった血の固まりをおう吐している。 「よくも、俺のクレールを……」 中年男……ブライト・ソードマンは、わざわざ犬の糞を踏みつけたそのブーツで、太った男を三度蹴り倒した。 本気ではない。前2回のような鋭さがない。ただ、この下司野郎をひざまずかせるための蹴りだ。 「ひぃ!」 震えがきた。太った男は這いつくばって逃げようとした。 しかし、動けない。背中を、ブライトの汚れたブーツが踏みつけている。 「よくも俺のクレールのかわいいおっぱいを見やがったなぁ」 ブライトは太った男を踏みつける足に力を入れた。四つん這いの手足が一度に崩れ、男はうつぶせになった。 そのまま首を回し、ブライトを見上げた。 「俺サマだって、まだちゃんと拝んだことがないんだぞぉぉ!」 ブライトは、本気で慟哭していた。 |
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