深林の【魔術師】 − 【5】 BACK | INDEX | NEXT 2015/01/15 update |
皆の視線が彼に向けられた。レオンは胸元に手を置いていた。手の中には、小さな金の細工が握られている。 金細工は、激しく震えていた。その震えは空気を揺るがし、鼓膜を引き裂くような音を生み出している。 レオンとガイア以外の者達は、思わず耳を塞いだ。 紅い珠が一つ、床の上を転がった。 転がって、レオンの足下に達し、その後、物理と自然の法則に反する動きを始めた。 ふわりと浮かんだのである。 そしてレオンの手の中に消えた。……正確には、彼の手の中の小さな金細工の中に吸い込まれたのだ。 音が止んだ。そして新たな音がした。 「ビロトー将軍、それを捨てなさい!」 ガイア・ファテッド=クミンの叫び声だった。 ガイアは言うなりビロトーの腕を掴んだ。 彼の手には紅い珠があった。……しかしそれは真円ではなかった。珠の半分が、掌の中に埋没している。 「チッ!」 ヴェールの中で舌打ちすると、ガイアはマントの中で左手を動かした。 と。 《動くな》 声のする方へ振り向いたガイアの目に映ったのは、彼女の夫と、その傍らに立つ化け物の姿だった。 枯れ木のような皮膚だった。濁った赤い目をしている。髪の毛は火炎のように逆巻いていた。指の先に尖った爪が生え、その切っ先がレオン=クミンの喉元にぴたりと宛われている。 化け物の足下には、ポルトス伯爵がいた。 ぺたりと尻餅を突いた形で床に座り込み、顔を上に向け、化け物の脚にすがりついている。 「デートリッヒ……?」 伯爵は喉仏をひくつかせた。 返事はない。代わりに、脚が動いた。 ポルトス伯爵の身体は勢いよく転がった。 椅子と机と、幾人もの兵士達を吹き飛ばし、壁に穴を開け、廊下に飛び出して、ようやく止まった。 「我が君!」 マルカスが矢の勢いで主君を追いかける。 幾人かの兵士がそれに続き、幾人かの兵士はその場に立ち尽くした。 「ずいぶんなことをなさるものですね。仮にも伯父御でありましょうに」 レオンは喉元の凶器を気にしながら、しかし平静と変わらぬ声色でつぶやいた。 《有益な人間か、あるいは無益な人間か。それ以外は、あまり必要でない情報なのだよ》 穀物が腐敗し糸を引いているのを思わせる、耳障りの悪い声で、デートリッヒ=ユリアンであったモノが答えた。 「情報……と、きましたか」 《そう。情報は重要だよ。情報が無ければ、私は貴君らの戦法に対策を練ることができなかったからね》 「私が引き、ガイアが剣を振るう……ということを、どなたからお訊きになったのですか?」 化け物の頬の肉がぴくりと動いた。 《貴君らが森の賊どもにとどめを刺さなかったことに、感謝している。まあ『旨い』情報は少なかったがね》 遠くで大きな物音がした。 悲鳴や叫びが立て続けに起こり、次第に食堂に近付いてくる。 ドアが開いた。 幾人もが室内に文字通りなだれ込んで来た。 血の臭いがするその人間たちには、頭がなかった。 恰幅の良い農夫の「身体」、猟師や木こりらしき姿をした「身体」。それらがいくつも折り重なり、這いつくばって進む。 目も耳も鼻もない死体が、いかにして目標物を見つけるのか知れない。だが連中は確実に生きている人間ににじり寄ってゆく。 足首を掴まれた一人の兵士が、悲鳴を上げ、やたらに駆け出した。連鎖的にほかの者達も駆け出す。 「出た! また、死体が、動く死体が!」 パニックが起きた。唯一無二の出入り口には首なし死体が群がっている。どこにも逃げられない。 レオンは動く死体……グールであるとか喰人鬼であるとか呼び慣わされている物体……を見、さらに化け物の口元を見た。 化け物の口の中には、鋸を思わせる鋭い歯が並んでいる。その歯の間に、髪の毛であるとか面の皮の一部であるとかが挟まっていた。 「なるほど。あなたにとって『食事』と『情報収集』は同義語なのですね」 《で、あるから、できるだけ『旨い』情報が欲しいのですよ……例えば、貴君の脳味噌。【アーム】を封印するその器具の情報などは、一体どのような味がすることだろう》 尖った爪が、レオンのこめかみにあてがわれた。 「レオン殿!」 ガイアはビロトーを突き放し、あの長大な剣を引き抜こうとした。 当然、化け物が彼女の行動を許すはずもない。 《その物騒な鋼を捨てなさい。でないと今すぐこのおとがいを噛み砕いて、ぎっしり詰まった『情報』を残さずいただくことにしますよ》 レオンのこめかみから、鮮血の滴が一粒、流れ落ちた。 ガイアの足下で、ガランと、鋼鉄が鳴いた。 《その衣装も捨てなさい。あの剣も最初はそのマントの下に隠していたくらいだから、まだ別な武具を隠しているかも知れない》 ガイアは無言でヴェールを取り、フードとマントを脱ぎ捨てた。 布は、確かにその中に金属質のものを包んでいると知れる形状で、床に広がった。 ガイアは、寸鉄帯びぬ肌着姿でその場に立っていた。 白い皮膚の下、みっしりと付いた筋肉の鋭角さが、薄く乗った脂の柔らかさですっかりと失せている。 化け物はにんまり笑った。 《そうだ、フランソワ。【アーム】を手にした感想を聞こう》 名を呼ばれ、ビロトーは改めて己の両手を見た。 紅い珠を握った筈の右の手に、珠がない。掌には、赤黒い円があるばかりだ。 その赤黒い円が、そこに心臓が移ったかのようにズキッズキッと脈を打っている。 驚愕に痙攣していた頬が、愉悦に引きつりだした。 「ああああああああ」 血管が浮き出た右の拳から、ミシミシ、ビキビキと音がする。 筋肉繊維が断千切れる音、骨の砕ける音である……その音を立てている本人は、まるでそれに気付いていないが……。 「力が、力が、漲るっ!」 網の目に浮かび上がった血管は、拳から腕、肩口からやがて首、顔から頭まで覆い尽くした。 フランソワ=ビロトーは、化け物になった。 |
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