意外な話 或いは、雄弁な【正義】 − 【15】 BACK | INDEX | NEXT

2015/07/28 update

「来た来た来た来たぁっ!」
 戯作者マイヤー・マイヨールは、古びた帳面と羽毛の乱れた鵞ペンを握りしめると、口角泡を飛ばしつつ身を乗り出した。
「幽霊ですか、死神ですか、あるいは小鬼大鬼ですか?」
 エル・クレール=ノアールは、申し訳程度の背もたれ付いた小さな椅子の上で、
「いや、それは……」
 身を堅くした。どうにもこの小男の戯作者は苦手だ。あまり近寄られると、全身の毛穴が粟立って、自分の白髪じみた薄い色の髪の毛が逆立つ気がする。
 鼻先に、マイヤーの鷲鼻の先端が迫る。
 が、それはすぐに、猛烈な勢いで遠ざかっていった。
 大男の剣術使いに襟首を掴まれた戯作者は、
「いやいや、土に還るを拒んだ亡骸もいい! 白骨、いや、腐乱死体!! そうだ、胴薙ぎに真っ二つにされた死に損ないが、腕の力だけで床を躙り来るのも絵になる!」
 若く美しい流浪の貴族の語った話そのものよりも、自らの想像に興奮し、捕まった野良猫のように暴れながらまくし立て続ける。
 その野良猫を大男――ブライト=ソードマンは、片手一本で吊り上げたまま、壁際まで運搬した。
 田舎の安宿の唯一の続き部屋の板張りの壁の際には、丸椅子が二つ並べられている。
 一つは、つい先ほど、つまり興奮してエル・クレールの近くまで文字通りに飛んでゆくまで、戯作者が座っていた場所だ。
 もう一つには、人が掛けている。包帯で体中を巻き止めた少年だった。
「ヨハネス“イーヴァン”グラーヴ!」
 ブライトは不機嫌な声音で少年の名を呼んだ。
「はい、大先生」
 イーヴァン少年は重要な教えでも受けるかのように、背筋をぴんと伸ばす。
「押さえとけ」
 空いた方の椅子の足元の床にマイヨールが落とされると、
「はい、大先生!」
 手足をばたつかせる戯作者の襟首を、今度は少年が掴んだ。ただし、両腕で、ではある。
 とは言え、マイヨールの尻はその場からほんの指の幅一つ分も動かない。決して大柄ではない、しかも怪我人の少年の力とは、俄には思えなかった。
「流石にイーヴァン君は力がありますね」
 エル・クレールが無邪気な乙女のように手を叩いて感心すると、イーヴァン少年は頬をぱっと輝かせた。
 すると何故かブライトが忌々しげに小さく舌を打った。
 自分が彼以外の人間に笑顔を向けたことが原因だ、などということが、エル・クレールに判るはずがない。判るはずがないということがまた忌々しく、再度小さく舌を打ったブライトは、日に灼けた無精髭まみれの顔面をむくれさせた。その恐ろしく機嫌の悪い顔をなおも暴れるマイヨールに向け、その手中からすこぶる乱暴に帳面とペンを取り上げる。
 戯作者は大仰な悲鳴を上げた。
「ああ、なんてことだ! 旦那。後生だから返してくださいな。そのネタ帳はあたしの商売道具だ。そいつがなきゃ、あたしは商売あがったりになっちまう。そいつは旦那にとってのお刀と同じなんですよ。ねえ、旦那。いや、ソードマン大先生! 旦那だって、万一お刀を取り上げられっちまっちゃぁ、途端に生きた心地がしなくなるでしょう?」
 一層暴れるマイヨールの鼻先に、ごつごつとした大きな握り拳が突き付けられた。途端、マイヨールの手足がぴたりと止まる。
「ああ、ええ、そうでしょう。判ってますよ。確かに旦那なら、刀なんていう長い棒っきれなんぞなくったって、その拳骨一つで、あたしのサレコウベぐらいは粉微塵にばさっちまうでしょうよ。判ってます、判ってますよ。旦那ほどの大名人になれば道具なんてなくったって、岩を砕き、大地を裂いて……」
「よく回る口だ」
 ブライトは拳を開いた。節くれ立った長い指が、マイヨールの下顎を掴む。
「テメェの声を聴くと反吐が出そうなくらい苛ついてくる。たった今黙らねぇと、顎骨もろとも舌ベロを引っこ抜いて、二度と言葉を吐けねぇようにしてやるぞ」
 指が頬肉に食い込み、骨を軋ませた。戯作者は出せる限りの力で上顎と下顎を重ねる。そして無理に笑った、しかしおびえた目で、巨躯の剣士を見上げた。
 マイヨールの顎から手を離すと、ブライトはマイヨールの帳面と鵞ペンを床に放った。それも、続き部屋との境の扉の前へ、だ。
 暗に「出て行け」と言っている。
『冗談じゃない! 身性を明かしたがらない美貌の若様から、どうやらご自分の身の上らしい話を、ここまで引き出したんだ。オチも聞かずに引き下がれるものか!』
 この若様に懸想している(に違いない)嫉妬深くて頭が切れて腕の立つ変態剣術使いをどうにかしたい。
 戯作者は泣きそうな顔でブライトを見上げた。
 しかし彼はすぐに、己の顔面の表現力がブライトの表情とその心の内を少しも動かさないことを悟った。
 太い眉が吊り上がり、眼光が鋭さを増している。
 貧乏ドサ周り舞踏劇団の座付き作家兼自称看板俳優の演技力と言うものは、どうもこの大男の前ではどれ程のものでもないらしい。
『それにしたって、ソードマンの旦那ときたら、よもやあたしが心中で悪態吐いてるってのを、見透かしているんじゃあるまいか?』
 マイヨールは急に背筋に冷たいものを感じ、慌てて視線を転じた。
 下唇を突き出し、眉間から鼻の頭まで皺を寄せ、眉を下げた、これっぽっちも涙の出ていない泣き顔を見せられたのは、エル・クレールだった。
『若様は旦那ほど捻くれちゃぁおられまい』
 マイヨールは瞼をパチパチと激しく開け閉めし、声を出さずに若い貴族に訴えかけようとした。
「君が突然大声を上げて、話の腰を折ったのが、そもそもの原因。自業自得のような気がするのですけれど……」
 エル・クレールはため息を吐きながら微笑した。その柔らかな笑顔は、しかしマイヨールではなくブライトに向けられている。
 言葉のない問い掛けに対する返答は、ただ一言だった。
「手短に」
 ブライトのすこぶる拘束力の強い「提案」に、エル・クレールは小さく「同意」の肯きを返した。するとブライトは
「三文以内」
 と、更なる「追加提案」をした。
 エル・クレールは一瞬困ったような顔をして首を傾げた。だがすぐに微笑を取り戻して、
「角提灯を下げた年寄りの殿様が部屋に入ってきましたので、御子は大層きつく叱られると不安になりました。しかし殿様は御子を叱らず、優しい声で、倒れた四脚の椅子と落ちた母子の肖像画を元の位置に直すように仰りました。片付けが全部済んでから、二人は揃って幽霊屋敷を出ました」
 指を三回折りながら一気に話した。若い貴族はマイヨールが――そしてその脇で彼を引き止めているイーヴァン少年が――目を見開いて呆然とこちらを見ているのへ笑みを返すと、
「お終い」
 と告げて、両の手を本を閉じるような仕草で叩いた。
 この一撃は、マイヨールに踏まれたカエルのような悲鳴を上げさせるのに充分な衝撃を放った。
 それでも戯作者は、脳の片隅で
『もし言葉を発したら、その途端、間違いなく、ソードマンの旦那の手によって――生物学的にか、物書的にかは兎も角――この世からきれいさっぱり抹消される』
 と考えるだけの「理性」は残っていたらしい。
 悲鳴という音は立てても、自分の落胆を、
『若様、そりゃあんまりだ。ヒトに期待をさせながら、ここまで引っ張ったのが、そんなつまらないオチを聞かせるためだなんて! あすこまで話を盛り上げたんなら、それなりの結末が必要でしょうよ! やって来たのがお父上であったってのは、百歩譲りましょう。だからそのお父上が、じつは最初にこの御屋敷に住まわったその時に亡霊共に取り憑かれていたのだとか、実は悪霊共を手なずけ使役して都の偉い人に復讐する機会を窺っていたのだとか、お父上の姿を真似た幽霊が若様を追い出すために一芝居打ったのだとか。聞いてる者は、そういう納得できる結末を期待するものでしょうよ! あたしだったらそうしますよ!』
 といった言葉にしてぶちまけたいという欲求は、どうあっても抑え込まなければならない。
 そこでマイヨールは、件の文言を頭の中で強く念じ、エル・クレールを見詰めることにした。見開いた眼の力でこれが伝わることを願ったのだ。
 この強い眼力に、エル・クレールは当惑した。何か訴えたいのだと言うことは大凡判った。しかし何を訴えたいのかまでが伝わってくるはずもない。
「君は、私の話を気に入らなかったようだけれど……」
『そうじゃない、そうじゃないんですよ、若様! 話そのものが気に入らないんじゃぁない。話の落としどころが問題なんです!』
 マイヨールは激しく首を振った。
「私は精一杯、君が求めているような話をしたつもりなのだけれども……。そう、君が求めた、『意外であった話』を」
『ですから、父親が出てきてお終い、じゃあ観客は納得しないんですって!』
 マイヤーは何故だか泣きたい気分になった。
 エル・クレールの困惑は深まる。
「私はあそこで化け物か何かが出てくるのが当然の展開だと思っていた」
『そう、そうですよ、若様! こういう話を好むお客はそういう展開を望んで……』
「所がそういう恐ろし気なモノは出てこなかった」
『それだからいけない。それじゃあ、高まるだけ高まったお客の期待を裏切っちまう』
「……だから私はこれは充分『期待を裏切る意外な展開をした話』だと思って、君に話したのですが……。違いますか?」
 マイヤー=マイヨールの目の前が真っ白になった。ブライト=ソードマンの部屋が揺れるほど高々とした嘲笑いも、耳に入らないほど茫然としていた。
 部屋から追い出され、宿から追い出され、劇団の野営地に戻って行きはしたが、何処をどう歩いたかも、恐らく覚えていないだろう。
 ブライト=ソードマンは腹を抱えて笑いながら、窓から頭を突き出して、力ない戯作者の背中が遠ざかるのを見ていた。
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まろやか連載小説 1.41

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