意外な話 或いは、雄弁な【正義】 − 【3】 BACK | INDEX | NEXT 2015/07/28 update |
その殿様の場合、文字通りの都落ちでした。 何のしくじりをしたかと訊ねるのですか? 断じて何の失敗もしておられませんよ。 ただ、新しく御位に就いた主上が、その人を「自分の都には不要な人材」と断じただけのことです。 主上に対してこのような言い様をしては、不敬に当たるかも知れませんが、新しい主上はすこぶる優秀な方でした。またその自負も持っておられた。ですから、何に付けても先代の方とは違うやり方をなさりたかったのでしょう。 だからといって、その殿様本人の首を刎ねることや、家名を断つことまではできなかった。 実を言いますと、その人は一頃は大変な権勢を誇っていらっしゃったのです。 新しく御位に就かれた主上がまだ即位なさる以前には、その人の前に出る度に地にひれ伏すようなのお辞儀をなさったというほどだったそうです。 その勢いが失せたのは、殿様の奥方が茶会で薄荷のお茶を飲んだ途端に卒中を起こして亡くなられた少し後のことでした。 ご次男が石ころ一つ無い馬場で落馬し、愛馬の蹄で頭を踏み割られてなくなられたもう少し後のことでした。 ご長男が新品の装束に残っていた待ち針を指先に刺した後に、得体の知れぬ病に罹られて、苦しみ抜いてお亡くなりになった後のことだと聞いています。 ……君の言いたいことは解りますが、これは事故です。総て不幸な事故だった。 ただ当時、君のように考えた人も、多かったのは確かです。 何分にも、奥方様が倒れられたその場所に主上の寵姫が居合わせており、ご次男と馬首を並べておられたのが太子であり、ご長男は第二皇子の学友でありましたからね。 その時は色々様々な噂が立った様子です。 そういった「根も葉もない」噂を、わざわざ噂の主に注進する者がいるから、余計にややこしいことになってしまう。 ただでさえご家族総てを失われた悲しみの中におられるというのに、他人を疑いたくなってしまうような話を聞かされれば、身も心も疲れ果ててしまうのが道理でしょう。 殿様は心労で御髪などが真っ白になられ、目に見えてやせ細られました。元々お若くはあられなかったのですが、年齢相応以上に老け込んでしまわれた。 その様子を知ったご聡明な主上が、転地療養を命じられたというわけです。 ええ。元々の所領と都の家屋敷を総て取り上げた上で。 主上はとてもご聡明な方です。 殿様から総てを取り上げてしまったら、未だ彼を慕う人々が、大いに不平を言うに違いない。口で言うばかりか、剣を持って抗議する者が出る可能性がある。それも一人や二人ではないだろう……その程度のことは当然すぐに察せられた。 そういうわけで、その殿様は件の「名誉」の土地を代替地として領することになったのです。ですからこの領地替えは名誉の勇退なのです……少なくとも、形の上では。 ご聡明で用心深い主上は、それでも足りないと思われたのでしょう。もう一つ、とても価値のあるものを殿様にお下しになった。 一人の美姫です。絶世の美女です。 主上はご自身の寵姫の娘を畏れ多くもご養女になさった上で、殿様の妻となさしめました。 このことで、主上のご心配通りに、大いに不平を言う愚か者が、いくらかはいたそうです。直接間接に殿様に働きかけて事を起こそうと考える胡乱者もいたとか。 しかし当の殿様が、財産を失ったことに関してはまるきり落胆などしていなかったものですから、何も起きようはずがありません。 ええ、殿様はむしろそのことを喜んおられたのです。 妻に先立たれ、ご子息二人までも失った殿様は、見れば彼等を思い出すに違いない先祖伝来の家宝などに、小指の先ほどの未練もお持ちではなかった。そんな物はむしろ捨ててしまいたいと思っておられた。 殿様にとって、都そのものが悲しい思い出の器に他なりません。景色の何処を見ても、妻を、息子たちを、彼等の哀れで無惨な亡骸を、ありありと思い出してしまうのです。 領地替えの前には、殿様は大変気落ちなさっておいででした。都を離れたい、家族のいるところへ行きたいと、主上に訴えたこともあったそうです。 ですが遠回しな死への願いは叶えられませんでした。 なぜって? そんなことをしたら、彼の一族に起きた不幸は、主上が謀ってしたことだなどという「下らぬ流言」が飛ぶに違いないではありませんか。 ですから主上は殿様の寿命が短くなるような願いはお聞き入れにならなず、もう一つの方の願いのみを聞き入れた。 そうですよ。殿様が全部を召し上げられ、新しい土地へ行くことになったのは、全部殿様のご希望です。殿様が主上に願い出て、それが適ったのです。 他の者がなんと言おうとも、それが真実です。 ですから、殿様は都を離れることに何の不満も抱いておられなかった。むしろ遠くへ離れられることを喜んでさえおられた。 ただ、主上の養女を後妻にあてがわれたことには、少しばかり不満があったのかもしれません。 若い奥方は殿様の亡くなられたご長男と同じ年頃でした。 そのうら若い娘子が、親ほども年齢の離れた年寄りの所に嫁がされた上に、故郷を離れた遠い田舎に押し込められるなど、哀れでならない。……例え彼女が養父から与えられた「監視役」の職務を忠実にこなしているだけだとしても、殿様は奥方を本当に可哀相に思っておいででした。 |
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