夏休みの前から夏休みの終わりまでの話。 − 【10】 BACK | INDEX | NEXT

2015/09/26 update
「係の人は、穴の中に土を入れた。どんどん入れた。お姫様の身体はどんどん土に埋まった。係の人は目をぎもっともっと土を入れた。そしてとうとうお姫様の身体は土に隠れて見えなくなった」
 ぎゅっとつむった龍の目に、やっぱりぎゅっと目をつむった「係の人」の顔が浮かんだ。
 穴を埋めた「係の人」は少し土が盛り上がった地面にぺこりと頭を下げ、そのまま走ってどこかへ行ってしまった。
 そこへお侍さんがやって来る。少し盛り上がった土を見てにやりと笑うと、彼はその土の山をわらじで踏みつけた。
 何度も何度も、まるで大嫌いな毛虫か、たばこの吸い殻でも捻りつぶすみたいに、何度も何度も土の山を踏みつける。
 やがてお侍さんもそこから離れた。
 乾いた土以外になにもない場所から、誰もいなくなった。
 机に突っ伏したままの龍は、体の回りに冷たくてさらさらした土が押しつけられているように思えて仕方がなかった。
 暗い穴の向こう側から、校長先生の声が聞こえる。
「うちに帰ったお侍さんは、娘のお姫様が家にいないことに気付いた。家来に聞くと、朝早くにため池の工事現場に出かけると行って出て行ったと言う。お侍さんは驚いて、急いで工事現場に戻った」
 龍の頭の中で、お侍さんは誰もいない工事現場の回りをぐるぐる回っていた。
 お姫様を捜しているのか、お姫様の行方を知っている人を捜しているのか。
 もしかしたら、お侍さんは気付いているのかも知れない。
 お姫様が穴の中に埋められてしまったのだと言うことに。そして、その穴を自分が踏み固めたのだと言うことを認めたくなくて、どうしても、どうしても、まだ水の張られていない池の底へおりて行くことができないのかも知れない。
 歩き回るお侍さんの足元で、からからに乾いた枯れ草や落ち葉が、がしゃがしゃと音を立てて、粉々になった。
 ひたひた、がしゃがしゃ。
 お侍さんのあるく音だけが響く。
 もし姫がうちに帰ってきたのなら、誰かが自分に知らせに来るはずだ……お侍さんはそう思いながら歩き続けた。
 日が暮れて、月が昇った。
 丸い月の周りを、ぼんやりと白い虹のような輪が囲んでいる。
 お侍さんは池の周りを歩きながら、時々ちらちらと横目で池の真ん中を見た。
 乾いた土がいびつな小山になっている。
 お侍さんは脂汗をかきながら、それでも真正面からそこを見据えることができずにいた。
 ぐるぐる、ぐるぐる、お侍さんは池の周りを歩き続けた。
 同じところを歩き続けたものだから、そこのあった枯れ草も落ち葉も全部粉みじんになって、とうとう音を立てなくなった。
 ひたひた、ひたひた。
 お侍さんは歩き続けた。脂汗はすっかり乾いた。のどの奥もからからに乾いた。
 歩いても歩いても、だれもお侍さんを呼びに来ない。
 お侍さんは空池の真ん中の自分が踏み固めた場所をから離れることができず、かといってそこに近づいて「そこの何が埋まっているのか」を確かめることもできず、ぐるぐる歩き続けた。
 月が頭の真上まで昇っていた。
 土臭い風が吹き始めた。
 池の周りからは、何の音も聞こえない。
 池の中からは、水の音が聞こえてくる。
 はじめは水滴の垂れる音。
 それから水道の蛇口がどんどん開くように、音は大きくなって行く。
 水泳の後に浴びるシャワーくらいの音になって、水洗トイレのコックをひねった後の音になった。
 どんどんどんどん水の音は強くなる。どんどん、どんどん、水の量が増えて行く。
 轟々。
 一息にあふれ出したその音は、雨の降った翌々日の川の流れの音だった。
 龍は頭を上げた。
 前の席に座るクラスメイトの背中と、教壇に立つ校長先生の頭の上で、白い大きな時計の針が、びくりと揺れながら六度だけ移動した。
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まろやか連載小説 1.41

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