夏休みの前から夏休みの終わりまでの話。 − 【13】 BACK | INDEX | NEXT

2015/09/26 update
「君にとって、図書館は鬼門なのかも知れないわね」
 保健室の先生が、笑いをこらえた困り顔で言う。
 龍には「キモン」が何なのかはわからなかったのだけれど、多分あまりよい意味の言葉ではないんだろうと想像した。
 今回はおでこにこぶが一つできただけで、前のような派手な怪我はしなかったけれど、気を失ったり怪我をしたりしているのに代わりはない。
 それは間違いなく「よいこと」ではないし、それが起こった場所を指していう言葉なのだから、やっぱり「よい意味」であるはずがない。
 授業時間の保健室は耳が痛くなるほど静かだった。静かすぎて、保健室から見て学校の敷地の反対側の端にある体育館で弾むバスケットボールの音まで聞こえてくる。
 おでこに湿布を貼ってもらった龍は、 
「家には連絡しないでください。こないだの怪我で、お母さんは心配しているし、お父さんは怒っているから」
 蚊の鳴くような声で言った。
 保健室の先生は、やっぱり困ったような笑顔をして、それでもうなずいてくれた。
 後ろ手にドアを開けて、龍は後ずさりで廊下に出た。
「ありがとうございました」
 ぺこりと頭を下げる。そのまま頭を上げずにドアを閉め、彼は回れ右をした。
 顔を上げると、目の前には四角い管のような廊下が、まっすぐ続いていた。
 保健室は図書館のある新築校舎とは別の、ちょっとだけ古いコンクリートの校舎の、一階の端っこにあった。
 同じ階には養護学級以外に「生徒が常にいる教室」はない。あるのは職員室と校長室、応接室に事務室、鍵の掛かった倉庫や滅多に使われない理科準備室ばかりだ。
 このフロアの空気がひんやりとしていて、重たいほど静かなのは、きっと生徒というある種の「熱源」と「音源」が極端に少ないからに違いがなかった。
 心なしか暗い四角いチューブの中を、龍はぽつぽつと進んだ。
 煙草の匂いのする職員室の前を抜けて、何となく怖い校長室の前を抜けて、電話のベルが聞こえる事務室の前を過ぎると、理科準備室がある。
 新しい校舎ができる前、ここは「準備室」ではなくて「理科室」だった。
 班単位で座る頑丈で大きな机にはガス管が引いてあり、バーナーで実験をすることができた。
 この学校の大半の生徒達は、この理科室を「怖い場所」だと思っている。
 原因の一つは、黒板の廊下側の横にある子供の背丈ほどの高さで、カーテンのついた木枠のガラスケース。
 もう一つは、黒板の窓側の横にある、薬品保管室への扉だった。
 ガラスケースは、ずいぶん古くて、ずいぶん変わった形をしていた。
 茶色く日に焼けたカーテンがガラス戸の内側に掛かっていて、中に何が入っているのかまるで見えない。
 裏側をのぞき込むと、蝶番と鍵穴が見える。
 扉になっているそちら側が本当は「前」で、カーテンを開けて中身を見るには、そこを開けないといけないのだ。
 最初はちゃんと扉の方が前になっていたのだけれど、何年か前にひっくり返したらしい。
 わざと扉が開かないようになっているには理由がある。
 実はガラスケースの中身は、人間の骨格標本なのだ。
 それも、作り物ではなく、本物の子供の骸骨らしい。
 鍵は昔からこの学校にいるおじいさんの理科の先生が個人的に管理していた。他の先生でも開けることはできかった。
 なぜならそれはその先生の私物で、実は標本にされたのは先生の子供なのだ。
 この先生も数年前に亡くなった。
 身よりのない先生は、遺言で自分の死体を大学に献体した。先生の骨は骨格標本にされて、この学校に寄付された。
 先生の骨格標本は大きいので、薬品倉庫の中にしまわれている。
 ある夜中、変な物音がしたので、残業をしていた先生が理科室にゆくと、ガラスケースの扉が開いていた。
 不思議に思って電気を点けると、薬品保管室のドアも少し開いている。
 恐る恐る中に入って、ドアの隙間から保管室の中を覗くと……親子の骸骨がそろって顎の骨をかたかたと鳴らしていた。
 そんなわけで、子供の骨が外に出ないようにケースはドアを壁に付けるように置かれ、大人の骨が動かないように薬品保管室には鍵が掛けられている……。
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まろやか連載小説 1.41

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