夏休みの前から夏休みの終わりまでの話。 − エピローグ 【55】 BACK | INDEX | NEXT

2015/10/14 update
 夏休みが終わるその日。
 休業していた学校の裏門のすぐ前の雑貨店の扉が、ギシギシと音を立てて開いた。
 安い消しゴムとシャープペンシル、キャラクタの下敷きやノートが少しばかり、棚の下の方に並べられている。
 多分明日の朝、夏休み中に何かを無くしてしまった生徒の何人かが、店に寄って文房具の「補充」をするかもしれない。
 陳列棚のその場所以外は、ボールペンや大学ノートが申し訳程度にあるぐらいで、がらんどうだった。
 立て付けの悪い引き戸を目一杯開けた若い店主は、背伸びをしながら通りに出た。
 くすんだ灰色の鉄筋三階建ての校舎の回りを、鉄パイプの足場とブルーシートが覆っているのが見える。その手前に、木造の校舎がぽつんと、しかし堂々と建っている。
 職員室やら何やらまで旧校舎の中に押し込められていて、教室としてえるのは四室しかないらしいが、一学年が十人ほどだと言うからそれで十分なのだろう。
 市街地空洞化、なんて薄ら寒い言葉が、店主の頭をよぎる。
「古い方だけ残るってのも、面白いな」
 若い店主がよく通る声で言うと、店の奥からしわがれた声が返ってくる。
「フィルム何とかいうのが、残してくれって陳情したらしいぞ。映画の撮影を誘致するのに、古い廃校の建物があると都合が良いらしい」
 居間に戻ってきた若主人は、古い型のテレビにリモコンを向けた。
 ニュースは、何とか言う町のダムは水がほとんど無くなってしまったと言ってる。
「まだまだ暑い日が続くね」
 若主人は父親が広げる新聞の下から、折り込みされていた大きなチラシを引っ張り出した。
 線路の向こうにあった煙草工場の跡地を再開発したショッピングタウンが、ようやくオープンするらしい。
「そんなモンができるから、商売が立ちゆかなくなる」
 父親はわざとらしく舌打ちした。
「東京から映画やドラマの撮影が来るってことは、ロケ地巡りの観光客が増えるかも知れないって事だろう?
 だからそれに合わせた商売替えをすればイイのさ」
 若主人は父親をなだめるように、そして自分を奮い立たせるように、小さく、強く言った。
 排気量の少ない営農トラックのエンジン音が店先で止まった。
 甘いフルーツの薫りが、がらんとした雑貨屋の店内を通って居間に届く。
 龍が店側に顔を出すと、真っ白な顔をした若い女性が、手の中に大きなカゴを抱え、真っ黒な瞳を細くして、にっこりと笑っていた。
「ハウスのだけど、初物。龍の好物。売るほど持ってきた」
「ありがとう、『トラ』」
 若主人は慌てて土間に飛び降りた。
「多分、雨が降るよ」
 若い女性は胸元で鈍く光るタイガーアイのペンダントに触れながら、脈絡無く言う。
「そうだね」
 若主人は笑って答えた。


 雨の降った翌々日。体育着と紅白帽の小学生が十人ばかり、川瀬に集まっていた。
 ある児童は手に「自治会清掃作業用」とプリントされた市指定のゴミ袋を持ち、あるいはスコップやほうきやざるを持ち、別の児童はノートとシャープペンを持っている。
「蛍を呼び戻すキャンペーンだってさ」
 雑貨屋の若主人は、橋の欄干から上半身を突き出す危なっかしい姿勢で、川面をのぞき込んでいた。
 視線の先に児童達の姿はなく、ただ水面で果樹農家の娘の白い顔が揺れている。
「僕たちの頃は、学校は手伝ってくれなかった。……個人的に手伝ってくれるオトナはすこしいたけれど」
 若主人はゆっくりと上半身を橋の中に戻す。
 ちらりととなりを見た。白い顔の中で、黒い瞳が笑っている。
 果樹農家の娘は狭い橋を横断し、反対側の欄干に両手を置いた。雑貨屋の若主人もその後を追いかけて、同じように欄干に手を置く。
 川上から湿った風がながれてくる。二人の髪の毛はなぶられ、渦を巻き、揺れる。
「前から不思議に思っていたんだけれど」
 若主人は水源の方向を睨んでいた。果樹農家の娘は無言で彼の横顔を見ている。
「なんで、君は『トラ』なんだろうって」
 娘は黒目がちな目を見開いた。
「沙翁? だったらそれは私の方の台詞だと思うけれど」
 吹き出し笑いにを聞きながら、若主人は口を尖らせる。
「そうやって君はいつも難しい話しではぐらかす」
 真剣に怒っている、そう感じた果樹農家の娘は、すぐに笑顔を引っ込めた。そして拗ねた男の子供っぽい目をまっすぐに見る。
「君が『龍』だからだとおもうよ……たぶん」
「たぶん?」
 納得いかないことをまっすぐに表した、不満に満ちた単語を、彼は投げ帰した。
「そう、たぶん」
 そういって、彼女はうっすらと笑った。
 龍は欄干の上で寝返りを打つように、体の向きを変えた。
 目を閉じる。頭の奥の方に、細い川の浅瀬の景色が浮かんだ。
 それは確かに目を開けてもそこにある風景と同じだったけれど、それよりももっと大きくて、荒々しくて、優しい。
 子供の頃、彼は大雨が降った翌々日には、必ずその川瀬に行った。
 細いが、暴れ川だった。
 特にその場所は急に水の流れが変わる場所で、木も草も皆、川から逃れようと体をねじ曲げて立っている。
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まろやか連載小説 1.41

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