迷走の【吊られた男《ハングドマン》】 − 【5】

   バン!!
 
 モルトケの左手が、激しく机を叩いた。
 死人のように青黒い指が、小刻みに動いている。
『愚か者とは誰のことぞ?』
 左手の主の唇を震わせたのは、地の底から押し出されたような、黒い声だった。
『ビンゴ、か』
 ブライトの禽獣《きんじゅう》のような眼光が、モルトケの姿をしているモノの全身を射抜いた。
 何かを探している。
 目に見えない、何かを。
 その隣で彼の相棒が、同じように鋭い視線を、同じモノに向けていた。
「誰も、あなたのことだとは言っていませんよ。自称・忠臣のルイ=ワン殿」
 エル・クレール=ノアールは、立ち上がりざま、己の腰に手を伸ばした。
「それとも、少しは後ろ暗く思っておいでですか?」
 黒い声が、司祭の顔に嘲笑を作った。
『愚かはうぬであろう』
 司祭の左拳が、糸をもって引き上げられたマリオネットのそれと同様の動き方で、エルの眼前に突き出された。
『うぬの剣はこちらにある!!』
 語尾が消える直前、それの拳が、赤黒い光を発した。
 無数の光の筋。
 意思を持った数多の鞭が、うなりを上げて突き進む。
 ブライトが、床に伏せた。
 テーブルの下を転がり、悲鳴をあげることすらできず立ちすくむ若い尼僧を抱き、彼女を部屋の隅に押し込めると、体を返した。
 視線は、上に向けられていた。
 天井と、禍々しく紅い「鞭」の隙間に、エル・クレール=ノアールが飛んでいる。
 羽毛のように軽く、彼女は司祭の姿をしたモノの背後に降り立った。
 振り向きざま、唱える。
「我が愛する正義の士《もののふ》よ。赫き力となりて我を護りたまえ」
 エルの腰から、紅い輝きがほとばしった。
「【正義】《ラ・ジュスティス》!!」
 明けの陽光のような、暖かく澄んだ光が、一振りの剣となって、彼女の腰から引き抜かれた。
『うぬっ! 【魂】《アーム》か!?』
「そうですよ。これはあなたと同様の存在。現世に心を残して冥府に旅立った者の思念の結晶。心強く生きる者に力を与え、心折れた生ける屍を蠢かす輝石」
 花びらのような柔らかいカーブを描く唇が吐き出すのは、美しい真実。蠱惑の言葉。
「もっとも、私に力を貸してくれているこの【正義】《ラ・ジュスティス》は、あなたのような、人の弱味につけ込んでその心を操り、あわよくばその体を奪おうなどと言う、質の悪い出来損ないではありませんけれど」
 エル・クレール=ノアールの微笑みには、ぞっとするような艶があった。さながら、命を得た大理石の彫刻か、白磁の人形か。何であるにせよ、人のモノとは思えない。
 水分の抜けきった司祭の形をしたモノが、頬を赤黒く染め、エルと真紅の剣とを見比べている。
『出来、損ない……だとっ!』
 朽ちた血色の筋が、エルに襲いかかる。
 一閃。
 しなやかな剣舞の前に、それらは形を保つ力を失って、床に散った。
 溶けた血のゼリーが、古びた床を濡らす。
『おおおっ』
 それが、膝を落とした。
『おのれっ、おのれっ、おのれっ! 貴様に何が解る!? 我の深慮、我の憂国、我の決断。青二才に、解るはずもなし!!』
「ええ。理解できませんね。モルトケ殿がなぜあなたなどに自身の心と体を奪われるなどという失態を演じ、また、あなたが多くの若者達の命と肉体とを奪うのを見逃すなどという失策をていしているのか」
『失態? 否! これは英断だ!! 失策? これも否! これまさに妙策なり!! モルトケも我もツォイク公国を護らんとしているっ! 無敵の兵団、不死の士に依って』
 人の姿をした、人出はないモノが、吠えた。同時に、部屋は破壊音で満


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まろやか連載小説 1.41
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