幻惑の【聖杯の三】 − 【11】

 舌打ちし、ブライトは両の拳を握りしめた。
「戻れ、【恋人達《ラヴァーズ》】」
 双振りの赤い剣は、燃え尽きる炎が発するような拒絶の声を上げながら、しかし主の掌の中に消えた。
 そうしてなんの武器も持たない手で、ブライトはやおら……頭を掻いた。
「さて、どうしてくれようかねぇ」
「なんじゃ、何も考えておらんのか?」
 呆れの大声にブライトは力無く振り向いた。杖を担った老人が瓦礫の上を跳ね進み、こちらに近づいてきている。
「どうにもココが足りないンでね」
 ブライトは自分のこめかみ辺りを指さし、力無いため息を吐いた。
「それよりじいさん、あんた無事かい?」
「昔から逃げ足の速さだけは自慢じゃった」
 軽い足取りでブライトの脇をすり抜け、シィバ老人は死肉の柱の間近に近寄る。
 老眼を細めて書物を見るような、あるいは腐りかけた保存食のにおいをかぐようなそぶりで、彼はその物体を観察した。
「回りはどうやら【聖杯の三】に引きずられたていた連中のようじゃな」
「いた? じゃあクレールのドジは【聖杯の三】に取ッ捕まったンじゃねぇのか?」
 エル・クレールは【聖杯の三】亡者達にねだられて彼らに新しい命を与えようとしている……ブライトはそう考えていたのだが。
「ほう、これはエル坊かね? うむ、たしかにエル坊のような顔をしておるが、わしの知っているあの坊やとは別人じゃな」
 老人は垂れ下がったまぶたを指先で持ち上げて、強引に目を見開いて見せた。
「器は同じように見えるがのう。中身は先ほどとは違う。あの坊主が全身の毛穴から発していた我の強い正義感が、これからはまるきり感じられぬよ」
「我の強い、正義感……!?」
 ブライトは視線を自身の両掌に落とした。
 指先を切った革手袋の下で、涙滴の様な形をした紋章が、赤くうずいている。
 直後、彼の視線は、彫像のようなエル・クレールの身体……大きくえぐれた腰の左側……に移った。尖った視線で白い肌を睨めつける。
「あいつが【正義《ラ・ジュスティス》】のアームをあそこから引きづり出しているってことは、あそこにゃ【正義】の紋章なり痣なりがあるはず」
 そこには、痣どころかほくろの一つも無かった。
 その代わり、冗談のように大きくふくらんだ胸の谷間で、何かが薄ぼんやりと光っている。
 まるで、浮き出た血管のようだった。それが、衛星を従えた日輪の文様になっている。
 文様は心拍の鼓動のリズムで、ビクリびくりとうごめいていた。
「あれは、アームなのか?」
 ブライトが困惑してつぶやく。老人は
「そう見えぬかえ?」
 何故そのような当然のことを聞くのかと言いたげに答えた。
「死人の臭いがしねぇ」
「ほう。おぬし、鼻が利くの」
 一転して老人は大きく感嘆してみせる。さながら「出来の良い弟子の回答を褒める教師」のようであった。
「たしかにエル坊は生きておるんじゃからの。当然アレは死人の魂ではないわさ」
「てことは、ありゃ生き霊かよ」
「まあ、そんなところじゃて。それでじゃな、その生きた力が、周りの亡者共をつなぎ止めておる」
 シィバ老人は苦笑いしてうなずいた。
 ブライトは全身の力が抜けるほど呆れかえった。
「クレール、本当に莫迦だよ、お前さんは。死人共が『新しく命を得たい』と願ってるんじゃなく、お前さん自身が新しく産み直そうとしてるだって?
 そんなつらそうな顔で、そんな苦しそうな形で!?」
 ブライトのがなり声が彼女に聞こえている節はなかった。頬の引きつった慈母の笑みを返すばかりである。
「そう言う事じゃな。つまり生来の力よ。普通はそんなモノ


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まろやか連載小説 1.41
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