いにしえの【世界】 − 舞台裏 【9】

 舞台裏の慌ただしさは、奈落に入る以前の数倍に増している。
 舞台映えのする化粧をした演技者達が足早に行き交う。
「いきなり上手《コテクール》からに変更だなんて」
 兵士風の立派な衣裳を着た娘が呟きながら走る。
「こっちは下手《コテジャルダン》に回れってさ。マイヤーのヤツ、ワケワカンナイこと言いやがって」
 逆方向へ小走りに向かっていた古びた皮鎧を着けた女が、娘とすれ違いに、
「位置を変えるだけでいい、なんて、言うのは簡単さ。慣れない方向から飛び出したら、回転《トゥール》の目安も跳躍《ソテ》のタイミングもずれまくりだよ」
 吐き捨てた。
 踊り手達は文句を言いながら、しかし戯作者と演出家を兼務している男の指示通りに動いている。
「全員、ご婦人ですね」
 エル・クレールがぽつりと言った。その場に男性がいないというのではない。明らかに舞台衣裳と判るものを着ているのが女性ばかりなのだ。
「ここに入ってきたときから女気が多いたぁ思ってたが……ここまで徹底して女の園なのは確かに珍しい。真っ当な劇団は大概、野郎に女形をやらせないとならねぇぐらい女手不足なもンだ」
 無精髭の顎をなでながら、ブライトも首をかしげた。
 二人の部外者は、女兵士の群れが集合している舞台袖から舞台端へ出ると、形ばかりの楽団溜まり《オーケストラピット》に飛び降りた。
 壮年の指揮者が白髪頭を掻いている。
「楽譜通りに、寸分違わずに、ね。アドリブ入れないで演るなんて、何年ぶりだい?」
 文句の矛先にはマイヤー=マイヨールがいた。
「基本がしっかりできているからこその天下一品のアドリブだろう? 頼りにしてるよ、マエストロ。今の私《あたし》 にゃ泣き言を聞く耳の持ち合わせがないんだ」
 褒め殺しと脅しを同時に言われた指揮者は、苦笑いするよりほかなかった。ため息を吐き吐き、ヴァイオリン弾きと打ち合わせを始める。
 額の汗を拭うと、マイヤーはエル・クレールとブライトの顔を交互に見、照れくさそうに笑った。
「若様、もうホンの少しだけお待ち下さいな。それと……旦那のことはなんとお呼びすればよろしいですかね? 若様が旦那をお呼びになったお名前は耳に入ってますけども、まだお名前をちゃんと伺ってないもんですから」
 ブライトは煩わしげに唇を引き結んだ。
「聞こえたとおりに呼べばよいことではありませんか?」
 エル・クレールが怪訝顔で言う。
 マイヤーはでれりと目尻を下げた。
「それがあまりに『出来過ぎた』お名前でしたから。……で、万一にでも間違いがあっちゃイケナイでしょう? もう二度とこちらの旦那の逆鱗に触れたくはありません。自分の腕や背骨が軋む音は聞いていて気分の良い音じゃありませんからね」
「出来過ぎ、ですか?」
 エル・クレールはちらりとブライトの顔を見た。
 彼は不興な顔で口をつぐんでいる。マイヤーが慌てて取り繕う。
「ああ、怒らないでくださいな。出来過ぎって言うのは言葉が悪かった。クレールの若様にお仕えになるには、ぴったりなお名前って言うことです」
 この言い訳によってブライトの表情が変化することはなかったが、同様にエル・クレールの顔から疑問の色が消えることもなかった。
 マイヤーは言葉を続ける。
「聞いた話ですがね。ブライトってのは、帝都より向こうの西の果ての、海を渡った先にあるっていう土地の方の言葉だそうじゃないですか。都の方じゃいくらか名字に使っている家もあるそうですけど、東の方じゃあんまり聞かない言葉なんで、最初は聞き間違いかと思ったくらいですよ。……だってそうでしょう? 確か『明るい』


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