……おや? そんな怒ったような顔をして、どうしたというのですか?
え? 私の言い様が気に入らないと?
これは申し訳ないことを。しかし、先ほども言ったとおりに、私はこの子供が大嫌いなものだから、どうしても厳しい物言いになってしまうのです。
ああ、またそんな顔をして。君もこんな子供は嫌いだと、確かに言ったと記憶しているのですけれど?
私の話が君のお気に召さないというのなら、ここで止めても……。
あ、いや、相解った。解ったからいきり立つのはお止めなさい。なるべく優しく、いや中立的客観的に、話を続けましょう。
何処まで話したか……。
ああ、そうでした。
扉は苦もなく開いた。封印も鍵も掛けられていませんでした。立て付けの悪さもほんの僅かな軋みもまるでありません。なんの手応えもなくすんなりと、あるいは人が来るのを待っていたかのようにあっさりと、扉は開いてしまった。
開いたからには入らないわけに行きません。
御子は扉と戸先の隙から中の様子を窺いました。
そこは闇の中でした。
外の闇夜に目が慣れていたとはいうものの、星明かりさえ遮られた幽霊屋敷の中の、真実深い闇の中は、目を凝らしても何も見えませんでした。
御子は恐ろしさに震えながら、更に扉の隙間を広げました。開いた隙から首を差し入れて、中の様子を窺いました。
何か動くモノがあったら、どうすればよいだろう? どのように逃げようか、どちらに逃げようか。
逃げることばかり考えながら、しかし御子は、闇の中に足を差し入れました。
底なしの闇に落ち込むかも知れぬと怖れて、つま先でそっと床を叩き、その場に足場があることを確認すると、用心深く、一歩、ゆっくり、踏み入れた。
当然、無事に、足の裏全体が床の上に載りました。
しかしこの一歩の先に、安全な床があるとは限らない。いや、この足の下にあるモノも、安全な床ではないかも知れない。
恐れは恐れを呼び、恐怖は恐怖を引き寄せます。
せめて明かりが欲しい、星明かりほどの幽かな明かりがあればよいのに。
そう思った刹那、願いは叶いました。
青白く、暖かみのない小さな光が、ぽっと御子の眼前で輝いた。
御子はまたしても腰を抜かしました。尻餅をついて倒れましたが、その御蔭で、尻と手の感触から、この場所が真っ当な板張りの床であることが知れました。
同時にか細い光が、その動きから、先ほど見たのと同じく蛍火虫のそれであることも知れました。
御子は自身の小心振りが、自身で情けなく、そして可笑しくも感じられ、声を立てずに嗤いました。
人間は「笑う」と力が湧いてくるそうですよ。嘘笑いであっても、心にもない作り笑いであっても、あるいは自嘲、あるいは嗤笑であっても良いとか。
口角を持ち上げ、眼を細め、胸を揺すって、腹から息を吐き出しさえすれば、脳漿はそれを「笑顔」だと勘違いするのだと、私の師が言っていました。
もっとも師は、異端的な思想を持っているという理由を付けられて学会から蹴り出されたほどのすこぶる付きの「変わり者」であったから、君はこの説を信用しない方が良いのかもしれませんが。
ええ、私は我が師の説を信じている。
だからあの時に、尻餅の腰を持ち上げられたのも、御子が自嘲である上に恐怖に引きつったとは言えど、ちゃんと自然に湧いて出た「本物の笑顔」によって、立ち上がる力を得たからだと確信しています。