エル・クレールは抗議の眼差しをブライトに送った。それは彼の「話を続けろと」指図するために突き出された顎で跳ね返された。
指図に逆らうつもりはない。エル・クレールは小さな諦めの笑みを頬に浮かべた。
「卓上灯の明かりは小さなものでしたが、狭い部屋を隅々まで照らすにはそれで充分でした。父は部屋を見回して、机や椅子が元の場所より少しばかり動いているのを確認すると、
『さて、お前は何処をぶつけたのだね? さぞかし痛かったであろうよ』
少し意地悪に言いました。
『背中を。ですが少しも痛くなどありません』
私は意地を張って申しました。本当は頭の後ろも背中も、ひりひりと痛んだのですが、それを言うのが恥ずかしかったのです。父が、
『そうか』
と、穏やかに笑ってくれたので、私は内心ほっとしました。まだ叱られるやも知れないという不安が残っていましたから」
エル・クレールはちらりとブライトの顔色を窺った。彼は軽く目を閉じていた。
「それから父は、机を……それほど大きくはない、天板が殆ど真四角な机でしたが……それが元の位置からずれていたのを戻し、
『椅子を四辺に一つずつ』
と私に命じました」
「椅子は四脚か?」
ブライトは目を閉じたまま訊いた。
だからエル・クレールが
「四脚です。質素な肘掛け付きの椅子が一つ、座面に柔らかい布が敷かれたものが一つ、残り二つは小振りなものでした」
と言ったときの顔つきも、それに独り納得した彼が、
「やはり、な……」
呟き頷くのを見た時の表情も、目にしていないはずだ。
「で?」
ブライトがまた顎で指示を出す。エル・クレールは一つ大きな息を吐いた。
「それから父は、床の上に落ちてしまった貴婦人と二人の少年の肖像画を……」
「つまり、お前さんの親父の前の女房と、お前さんの死ンじまった兄貴二人の描かれた?」
エル・クレールが頷くと、イーヴァンが目を見開いた。しかし口は閉ざしたままだ。
『それで二人の少年が「お殿様」に似ていた』
という得心の言葉を呑み込まずに声に出せば、また「大先生」に殴られるに違いなかった。ちらりとブライトの顔を見上げる。
彼はまだ瞑目していた。
「その肖像画を、肘掛け椅子の正面の壁に掛けるように言いました」
「ふん……肘掛けの付いた椅子に座ると一番よく見えるように、か」
ブライトの瞼がゆっくりと持ち上がった。
「酷い父親だな」
やや遅れて、口角も持ち上げられた。
エル・クレールの唇も、彼と同じようなカーヴを描いていた。
悲しげな、寂しげな、辛く痛々しい微笑だった。
二人の間では、それが会話となっていた。微笑だけで互いの胸の内を悟り、心を交わすことが出来た。
この二人からイーヴァンと呼ばれている、地方貴族の庶子ヨハネス=グラーヴは、締め付けられるような疎外感の中にいた。
なぜ椅子が四つなのか。なぜ肖像画が肘付き椅子の正面に掛けられるのか。なぜ大先生は若先生の父上を「酷い親」と言うのか。なぜ若先生はそれを否定し、抗議しないのか。なぜこの二人は言葉無しに心を通じ合わせられるのか。
「解りません」
イーヴァン少年は思いきって疑問を口に出した。また殴られるかも知れないと思いつつ、それでも言葉にせずにいられなかった。
それが解らなければいつまでもこの疎外感の中に置かれ続ける気がした。
「何が?」
ブライトの目玉が動いた。イーヴァンのむくれ顔の方にある片側だけが、針のように鋭く光っている。
「何がといわれますと、説明が出来ませんけど……つまり……何から何まで、全部です」
イーヴァンは唇を尖ら