意外な話 或いは、雄弁な【正義】 − 【18】

 しかしその笑顔は、すぐに当惑顔に変わった。
「あんまりです、あんまりです、あんまり酷すぎます!」
 イーヴァン少年が泣哭したのだ。
「生きている、子供より、疾うの昔に、とっくに、死んでしまった、人間と、居ることを、望むなんて、そんなことをしたら、生きている、子供が、どれ程、辛く、悲しいか!」
 あまりに大泣きをするものだから、終いに少年は嘔吐くような荒い呼吸となり、激しく咳き込んでしまった。
 慌ててエル・クレールが手巾を差し出せば、イーヴァンはそれを乱暴に奪い取り、雷のような轟音を響かせて鼻をかむ。
 水分を出し切った彼は、背筋を伸ばして、
「僕の母は僕の父親が死んでから、ずっとその『死んだ人』のことばかり考えて、そのうち僕が生きていることも自分が生きていることも忘れて、一人で死んでしまった。だから僕はヨハンナ様……父の後を継いだ、父の一番上の子供のヨハンナ様の御屋敷へ行くより他にありませんでした」
 少年は唇を噛んだ。全身は強張り、小刻みに震えている。
「大した幽霊屋敷暮らしだったろうな」
 少年の頭上から降りてきたブライトの声は、穏やかで優しかった。
 途端、少年が一度は塞き止め、それ以上流さぬようにと必死で堪えていた涙は、彼の心の奥底にある願望と共に、堰を切って溢れ出た。
「だから僕は……僕は一人きりで……一人きりでも平気なように……強くなりたくて」
 少年が目鼻の周りを乱暴に拭くと、エル・クレールの手巾は、もはや乾いたところがなくなっていた。少年はびしょ濡れの手巾を強く握り、
「だから……僕には解ります。幽霊屋敷がどれ程辛い場所なのか、若先生がどんなにお寂しかったのか、僕には解ります」
 少年がぐしゃぐしゃな顔を持ち上げると、エル・クレールの晴れやかな笑顔が見えた。
「私と君は、同じ悲しさを知っている……。まるで兄弟のようですね」
 少年の胸を締め付けていた得体の知れない疎外感は、一度に吹き飛ばされた。
 うれしさのあまり、イーヴァンは飛び上がるようにして、
「それでは、若先生のことを姉上とお呼びしてよろしいでしょうか!」
「図に乗るな」
 低く鋭く言ったのはブライトだった。大きな掌が高く持ち上げられ、少年の頭の上にゆっくりと降りてきた。
『殴られる!』
 イーヴァンは身をすくめたが、彼の頭は痛みも激しい衝撃も感じなかった。
 少年の頭は乱暴に撫でられた。
「死んだ人間のことばかり思い出すのは考え物だが、きれいさっぱり忘れっちまうのはもっと悪い」
「は?」
 イーヴァンが不安げに「大先生」を見上げると、彼は怒りも呆れも嗤いも微笑もなく、ただ、暗く静かな瞳で少年の目を見つめ返した。
「もし貴様の本物の姉上が聞いたら、間違いなく気ィ悪くするようなことは止めておけ、と言っている」
「あ……」
 イーヴァンは己の察しの悪さを痛感した。
 胸の奥が熱く痛む。親子ほども年の離れた異母姉の白い顔が見えた気がした。
「……はい」
 少年は顔面に漸く作り上げた歪んだ笑みを浮かべ、小さく頷いた。
「判ったら、テメェの部屋へ戻って、さっさと寝ろ。貴様がどうしても俺たちを師匠呼ばわりしてぇってンなら、早いところ稽古を付けてやれるくらいに体を治しやがれ」
 ブライトはイーヴァンの脳天を軽く小突いた。少年の、あちこちひびの入った骨格にとっては、相当な衝撃だった。しかし、彼は奥歯を噛み締めて堪えた。
「はい、大先生!」
 跳ね上がるようにして立ち上がると、ヨハネス“イーヴァン”グラーヴは、二人の剣士にそれぞれ一礼し、狭い「続き部屋」から退出した。
 足を引きずる少


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