夏休みの前から夏休みの終わりまでの話。 − 【50】


 龍は心の半分ぐらいがぎゅっと握られたんじゃないかと感じた。それは、怖いとか、不安とか、そういう訳の判らないモノが、七回の七倍ぐらい体の回りに巻き付いたような、コトバにならない感覚だった。
 でも、その訳の判らないモノは、すぐにしゅるしゅると解けて消えた。
 小さな新しい墓標に書かれていた文字が、彼の想像していたモノとは違っていたからだ。
『「トラ」じゃなかった』
 龍は安心の息を吐き出した。龍の回りを覆っている、龍だけれど龍じゃない、逞しい男の格好をした龍神の口から、ゴポゴポと泡があふれ出る。
 泡ははじけながら、こんなコトバになった。
『我は親を知らぬ。故に判らぬ。親が死ぬのはそれほど辛いか』
 その声は、それがまるで実感が湧かないし、まるきり理解ができない、とても不思議なことだという考えが染みこんでいる。
 それを訊いた寅姫は、まるで何も知らない子供のつぶやきを聞いた学校の先生みたいな苦笑いをした。
「子が死ぬのは、辛くありませなんだか?」
 龍はの身体の外側を覆っている、別の逞しい男の心が、捻り絞られる手ぬぐいみたいに締め付けられた。
 その哀しみ方があんまり大きいので、龍は自分が押しつぶされるんじゃないかと感じた。
『人の子の命は短すぎる。子も孫も曾孫も玄孫も、我より早く鬼籍に入りおる』
「それでも普通の人よりはいくらか長う生きますような。……戦の頃は致し方ありませぬが」
 寅姫は苦しそうに笑った。眼がちょっとだけ赤い。
 龍と龍神の心は、一緒になって慌てた。
 女の子が泣いているときになんて言ったらいいのかなんて、子供の龍にはまるで判らないことだ。そして、人間でない龍神にもかなり難しいことらしい。
 龍達が戸惑っていることに気付いた寅姫は、白い着物の袖で軽く目頭を押さえてから、元通りの笑顔を作った。
「兎も角も……。これまでになく幼い、しかもこれまでになかったことに女の童である守人なれど、守人であるからにはその役目を担って貰わねばなりませぬし、また我らもその願いを聞いてやらねばなりませぬ」
『雨を降らせよと? 無体な事を』
 龍神は水の中で胡座をかいた。腕組みして、首を傾げる。大分困って、ちょっと怒って、そうとう弱って、かなり迷っているらしい。
 龍も首をかしげた。なんで龍神が困っているのか、良くわからない。
『だって、「カミサマ」なのに。水のないところに池を作れるくらいすごい「カミサマ」なのに、ちょっと雨を降らせるくらいの事でかんしゃく起こすほど困らなくったっていいじゃないか』
 龍は口を尖らせた。龍神も同じようにすねた顔をした。
『水は龍脈に沿って進む。
 天空より雨と降り、大地に潜り、浸み出でて川となり、野を通り田畑と人を潤し、流れ流れて大海に出で、やがて天に還る。それがまた雨と降る。
 いわば、龍脈は始めも終わりもない輪のごときモノ。新しく流れる水はその実、昨日流れた古い水と同じモノじゃ。
 故に、昨日流れ去った水が戻って来ねば、明日降り落ちる雨は無い』
 それはまるきり、誰かに教え諭すような口ぶりだった。でもその「誰か」は、目の前の寅姫ではなかった。
 その証拠に、龍神は拳で自分の胸をドンと敲いて、こう付け足した。
『この分らず屋の青二才めが』
 龍神の拳は、父親の拳骨みたいに龍の頭にごつんと当った。重たくて痛くて、でも暖かくて、ちょっと悲しい。
「誰のことですか?」
 龍が言おうとしたことを、寅姫が訊いた。
『我の中におる、我でない我のことじゃ』
 龍神はもう一度自分の胸を、今度は大きく開いた手で、軽く叩いた。龍は大きな


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まろやか連載小説 1.41
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