夏休みの前から夏休みの終わりまでの話。 − 【53】

 西の空が真っ赤になって、東の空が深い紺色になったころ、ずぶ濡れの泥だらけで帰ってきた龍を見て、両親が怒らないはずはなかった。
 普段、怒鳴ったり殴ったりするのは父親の担当なのだけれど、今日ばかりは母親の方も大声を上げた。ほっぺたを一発平手で打ち、泣きわめいて叱った。
「何処に行っていた」
「何をしていた」
「心配をかけるな」
「何があったのか」
「どこか具合でも悪いのか」
「悪い友達にでも呼び出されたのか」
「何か言ったらどうだ」
 二親が代わる代わる、時々同時に、わめき立てる。
 龍は言い訳や弁明をしなかった。
 両親を納得させられそうな言い訳を思いつけなかったし、だからといって「本当のこと」をオトナに信じて貰えるように説明する自信はない。
 もし説明できても
「夢に自分にそっくりな龍神と『トラ』にそっくりな龍神の奥さんが出てきて、御札を川に流さないと大変なことになると言われたから、慌てて行ってきた」
 なんてこと、多分信じて貰えないだろう。
じっとりと濡た服を着たまま、龍は無言で商品棚の間に立っていた。
 どのくらい両親が大声を出していたのか解らないけれど、二人の質問のような叱責のような同じコトバの繰り返しは四巡りくらいしたあたりで止んだ。
 なにしろ龍は黙ったきり何も言わない。
 暖簾に腕押しというか糠に釘と言うか、馬耳東風というか馬の耳に念仏というか、とにかく何を言っても何の反応も返ってこない。
 母親は途中から酷く心配になった。
 どこか体の具合が悪いんじゃないか、熱に浮かされて幻覚を見たんじゃないか。
 そう思ったちょうどそのときに彼が大きなくしゃみをした。
 土砂降りの中ずぶ濡れになったのだからくしゃみの一つや二つ出るだろうし、風邪を引いたっておかしくはない。
 それは龍からすれば「雨の中出かけたせいでたった今引いた風邪」だ。
 けれども、母親は「ずっと風邪を引いていたセイで雨の中に飛び出した」と取った。
「やっぱりどこか悪いのね。この頃なんだか様子が変だと思っていたのよ」
 腑に落ちた。というか、息子の変調を風邪に責任転嫁して自分を納得させた。
「違う」
 龍は言いかけて止めた。止めざるを得なかった。
 なにしろその後の言葉を続けようとしたら、母親が
「いいから早く服を脱ぎなさい」
 と、早口で言いながら彼から濡れた服を引きはがしたから。
 その後も、龍が口を開こうとするたびに
「いいから早くパジャマを着なさい」
 と言いながら痛いほど腕を引いてパジャマを着せ、
「いいから早く布団に入りなさい」
 と言いながら無理矢理に横に寝かせ、
「いいから早く寝てしまいなさい」
 と強引に掛け布団を被せてしまう。
『命令しておいて、全部自分でやっちゃった』
 龍はちょっと可笑しくなった。
 遠くの方で、父親の怒鳴り声がする。
「そうやっておまえが甘やかすから」
 間髪入れず母親が答える。
「あなたが厳しい分、差し引いて丁度ですよ」
 父親の返事は聞こえなかった。
 多分、返す言葉もなく、口ごもっているのだろう。
 龍は大分可笑しくなって、頭を布団に突っ込むと、声を殺して笑った。



2015/10/14update

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