小懸 ―真田源三郎の休日―【あらすじ】 − 登場人物紹介 【2】

の証人となった源二郎に従って、木曽へ赴く。

【出浦対馬守盛清】
もとは北信濃の豪族で、信濃の支配が武田家であった頃はその配下に入っていた。
武田滅亡後は織田に従属し、森長可旗下に。

【禰津(祢津)幸直】
通称名(?)式部。後に助右衛門尉、志摩守と称する。
真田信幸の乳兄弟。矢沢頼綱配下。後年、矢沢頼康の娘を妻としたので、信幸にとっては「義理の又従兄弟」でもある。
滅多に我が侭を言わない信幸の、滅多に言わない我が侭の最大の犠牲者。

【織田上総介信長】
天文3年(1534年)生まれ。数えて49歳。
第六天魔王を自称する、戦国の覇者。
宿敵であった武田を滅亡させ、その支配地を関東まで広げる。
武田討伐後、関東・信濃の運営を家臣達に任せ、本領である安土に戻る。
中国討伐に出ている羽柴秀吉から援軍要請を受けると、惟任光秀に出兵を命じた。

【滝川左近将監一益】
大永5年(1525年)生まれ。
織田信長の寵臣。「先陣も殿軍も一益」と称されるほどの猛将で、鉄砲の達人。
武田家滅亡後、その支配地であった上州を領すこととなり、厩橋城に入る。
昌幸を気に入り、「鉄兵衛」というあだ名を付ける。

【滝川儀太夫益氏】
大永7年(1527年)生まれ。
滝川一門の武将。一益の甥、あるいは従兄弟とされている。
前田利貞の実父。(利貞の実父とされる人物には諸説あり)
武田家滅亡後、沼田城に入る。

【滝川三九郎一積】
滝川一益の長男一忠の嫡男。

【木曾伊予守義昌】
天文9年(1540年)生まれ。
南信濃の豪族。居城は木曽福島城。
武田信玄の娘・真理姫を正室に迎えることによって、武田家の一族衆となる。
信玄の死後、武田勝頼に反旗を翻して織田信長に付く。
この時、証人に取られていた母親と子供たちを処刑されている。

【森武蔵守長可】
永禄元年(1558年)生まれ。
織田信長の寵臣。
苛烈な武者振りから「鬼武蔵」と呼ばれ、畏れられている。
武田滅亡後は北信濃を領することとなり、海津城(後の松代城)を居城とする。
成利(蘭丸/乱法師)、長隆(坊丸)、長氏(力丸)、忠政(千丸)、という弟がいる。

【北条氏政】
天文7年(1538年)生まれ。
後北条氏当主。正室は武田信玄の娘・黄梅院。
当初武田家とは同盟しており、信玄存命中は両家の関係は良好であった。
しかしその死後、織田信長が武田領攻略に乗り出すと、これに呼応して武田領に侵攻。
武田家滅亡に多大な影響力を及ぼすものの、これに対する織田からの報奨が無いに等しく、不満を抱えている。

【徳川三河守家康】
天文11年(1543年)生まれ。
三河の豪族・松平氏の出身。(良く調べたら、天正10年あたりの官位は「右近衛少将」だったんらしいですが、とりあえず「三河殿」で統一します)
織田信長と同盟を結んで(事実上は客将として仕えて)おり、「共同」で武田攻めを行う。
武田の親族衆であった穴山信君を調略して謀反させるなどして、武田に多大な損害を与える。
武田滅亡後、駿河国を拝領。甲斐の仕置を終えて安土城へ戻る途中の信長を駿府で接待する。
信長はこの接待の返礼として、家康と穴山信君を安土城へ呼び、京・大坂への遊山に誘った。

【惟任日向守光秀】
享禄元年(1528年)? あるいは永正12年(1515年)? 生まれ。(どちらにせよ、信長よりも年上)
もとは源氏の流れを組む土岐氏の一族である明智氏。通称は十兵衛。
天正3年(1575年)、朝廷より日向守の官職と惟任の氏を賜って以降、惟任日向守を名乗る。
織田信長の重臣で、主に山陰・畿内の支配を行う。


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