【銭王《ドゥニエ・デ・ロワ》】 − 【1】

けだった。あるいは彼の後を彼女が付いて歩いているだけであるとも云える。
 つかず離れず、それでも常に彼女の傍にある。
 彼女に張り付いて、彼女が「世が世なら皇帝冠を頂き玉座の上に座しているほど高貴な、そしてこの世に存在しないはずの姫である」という秘密が、暴かれることを防いでいる。
 その秘密を自分の胸の内にだけしまい、急峻な山道で男装の下の白い肌にうっすらと浮かぶ汗を妄想し、苦しみ喘ぐ吐息の甘美さを独り占めにしているという歪んだ優越感を抱いて、鼻の下を伸ばしている。
 さて――。
 まず当てが外れたのはブライト・ソードマンの方だった。
 道は確かに急峻だった。だがエル=クレールの――そしてブライト自身の――健脚の前には、平地よりは幾分難儀なだけ、という程度であった。
 エル=クレールは額に汗をすることも、息を喘がせることもない。
『そういやぁこいつの故郷は、ここよりも酷い大釜山地《カルデラ》の底だった』
 箱入りに育てられてしかるべき幼い姫君は、しかし箱を突き破って故郷の山中を飛び回る御転婆であったのだ。
 ブライトは舌打ちをした。
 空は青い。胃袋が唸った。
「この際、味に文句はつけられん。早いとこ胃に物をぶち込まにゃ、脚に力が入らねぇ」
「ご自分で峠を超えたあたりでと仰ったじゃありませんか」
 エル=クレールは苦笑した。
 彼女も自分の考えがいささか甘かった事に気付いていた。
 落ち葉に埋もれた坂道は、彼女の想像していた「人も通わぬ悪路」ではなかった。最近も人の往来があったらしく、僅かに落ち葉を踏み分けた形跡が見て取れる。
 今この瞬間も、山中に人気がある。
 エル=クレールは小さく息を漏らした。
 左右前後の木々の間、茂みの中から、複数の「殺気じみた気配」が立ち上っているのを感じる。
「どうやら、山犬の類ではないようです」
 二歩ほど先で、なぜか残念そうに肩を落として歩くブライトの背に向けて、かすかな声を投げた。
 彼は振り返ることも、立ち止まることも、辺りを見回すこともしない。歩調を乱すことなく、
「そいつが鬼だの化け物だのなんてことは言わねぇだろうな?」
 小さく言った言葉の端に、そういった物共の登場への期待が感じられる。
「残念ですが、そういう気配でもありません」
 力無く落ちていたブライトの肩が、ふっと持ち上がった。
「人間なら、ちゃぁんと手加減してやらねぇとなぁ」
 エル=クレールには彼が「笑っている」のが判った。唇の端から牙のような八重歯をこぼした、楽しげで悪そうな微笑が目に浮かぶ。
 だから足を止めた。
 ブライトも立ち止まった。
 上体をかるく捻る。
 途端。
 右手の山肌の側から金属の光と人の形をした影が落ちてきた。
 幅広ではあるがさほど長くはない剣が、ブライトがいた場所の空間を斬った。
 頬当付きの兜を被った男は慌てて襲撃対象を探そうと顔を上げた。その横っ面に、体幹の捻りという加速を得た、石塊のような裏拳がめり込んだ。
 兜男の手から片手持ちの喧嘩段平《カッツバルゲル》が離れて、宙を舞う。
 男の身体は三間ばかりも後ろに吹き飛ばされ、立木に背から叩き付けられた。
 彼の剣は積もった落ち葉の中に落ち、彼の意識は深い闇の中に落ちた。
 ブライトは山頂側へ半歩ばかり踏み出し、身を沈めた。
 左の崖側の茂みから飛び出してきた輩はからすれば、突然姿が見えなくなったようなものだったのだろう。
 立派な胴鎧を着込んだその男はバランスを崩した。自身が大上段から振り下ろした、恐ろしく長大で目方のある両手持長剣《ツヴァイヘンダー》の、行き


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まろやか連載小説 1.41
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