*Aurora Luce**
こちらはファンタジーとシャレが大好きな、藤原凛音(ふじわら・りんね)の妄想といくばくかのブログネタ=約100%のブログです。
超不定期更新で恐縮ですが、こんな辺境のあばら家でよければ、いつでもお立ち寄りください。

 

「暁のうた」第1部から随時改訂中でございます。
致命的な誤りから(そんな恐ろしいものがあるのか…あるんです当社には)誤字脱字まで、鋭意直してまいる所存です。
そのため、表記等にかなりの揺れが生じておりますがご了承ください。
更新通知はどうぞお切りくださいませ。

 
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月白の水平線 東洋の青玉2

カシルダにネルドリの船が漂着した時、伯爵はすぐさま箝口令を敷いた。
兵士たちはもちろんのこと、第一発見者の近所の住民から、
騒ぎを聞きつけて集まってきた野次馬たちにまで。
もし箝口令を破った場合には、多額の罰金と禁固刑が処されることになっている。
あの場にいた私も、当然箝口令の対象だ。
 
私をはじめとした目撃者たちの素晴らしい法遵守精神により、
流れ着いた船がネルドリのものだということも、
中にいた船員たちがカシルダ軍に保護されていることも、未だに流布していない。
 
船内にいた船員たち……ネルドリさんたちは、
相変わらずカシルダ軍本部で軟禁生活を送っているものの、
最近は施設内で力仕事を手伝うこともあるらしい。
栄養状態が格段によくなったせいか、顔色も健康的になってきたそうだ。
伯爵がヤコムさんたちに、屋敷で手伝いをしてみてはと助言したのも、
このような身近な例があったからだろう。
 
一方、デナリー侯爵の領地ドナーク島に漂着したネルドリさんたちは、

その存在が瞬く間に島中に広まり、本土にまで知れ渡った。

私がハックさんから聞いたのも一か月も前のことだ。

もしかすると、王宮では既にネルドリさんの処遇も決定しているかもしれない。

 

 

 

昨日、休憩所を出た後、そのようなことを考えながら貨物船に向かっていた。

 

歩きながらずっと、胸と胃のあたりが痛かった。
あまりよい未来を想像できなかったからだ。
 
残念ながら私にはもちろんのこと、伯爵にもどうすることもできない。
せめてヤコムさんたちの処遇が決まっていないことと、
彼らが少しでも長くドナーク島で過ごせるように、祈るしかない……
 
半歩前を歩く伯爵の顔色はよくなかったが、
大食漢が元気を出せそうな話をしようと、思い切って声をかけてみた。
それが全ての間違いだった。
 
「クルマリオン、美味しかったですね」
「ああ」
「また食べたいですね」
「そうだな……そう簡単には来られないが」
 
伯爵の返答を聞いた途端、後悔した。
あまりにクルマリオンが美味しかったので、
つい本音を口にしてしまったのだ。
伯爵は貴族のわりに、領内でも気軽に出歩いているので、
その感覚で話してしまった。
 
ここはカシルダではなく、デナリーさんの領地。
伯爵は容易に足を踏み入れられないのに。
今回は、たまたまデナリーさんが不在だったから、
鬼の居ぬ間に潜入できただけなのだ。
自分の気の利かなさと言語交流能力のなさが情けなかった。
 
だが、伯爵は気を悪くした様子はなく、
 
「私はなかなか来られないが、
 あなたは休みの日にでも来ればいい。
 今くらいの変装をしていれば、問題ないだろう」
 
と提案してこられた。
不快に思われてなさそうなのは非常にありがたかったが、
この引きこもりの私に単身で赴けとおっしゃいますか、と考えていると、
 
「そうか、まだ一人では難しいか。
 私も来たいのはやまやまなんだがな。
 また鬼のいない機会をうかがって来るとするか」

 

伯爵は少し寂しそうな口調でおっしゃった。
鬼というのは、デナリーさんのことだ。
 
しかしそう言われて、そうですねすみませんで終わってしまえば、
これ以上話すことがなくなってしまうし、伯爵も気落ちしたままだ。
それに、もしかしたら意外と一人でも行動できるのでは、
という気にもなったのでこう返した。

 

「いえ、クルマリオンのためなら、
 一人でもなんとかなるかもしれません。
 い、遺跡も見たいですし。
 その時は、お土産にクルマリオン買ってきますよ。
 あ、それとも他の名物の方がいいですか?
 お菓子とか日持ちする物の方がいいかもしれないですね。
 クルマリオンはできたての方が美味しそうですし、
 チーズが固まると味が落ちてしまうかもしれないですもんね。
 どうしたものでしょう、悩ましいですね……」
 
無駄に陽気に、そして饒舌になった私を、
伯爵は頭半個分高いところから見下ろして苦笑した。
 
「菓子もいいが、クルマリオンも買ってきてくれ。
 その日のうちなら、
 料理長に温め直してもらえば美味く食べられるだろう」
「そ、そうですね、わかりました。

 その時は必ず入手してきますから、楽しみにしていらしてください」

 

自信満々の体で答えたものの、心は沈んでいた。

伯爵に気を遣わせてしまったのに違いなかった。

そう感じると、ますます自分が情けなくなった。

 

私はまだまだ未熟だった。
もっとうまく話せたら、
もっと人の心の機微を敏感に感じられたら、
そうすれば、この人の心を軽くすることができたかもしれないのに。
 
正直なところ、私もヤコムさんたちネルドリ人と接触して、
少なからず喪心していたのは事実だった。
それで理性と感情を掌握しきれずに、
いつもに増して言動が怪しくなったのかもしれなかった。
 
こんな時は、やはりこれ以上口を開かない方がよいか……
などと思い巡らせているうちに貨物船に着いてしまった。
伯爵は船長や乗組員に取り囲まれ、話に花を咲かせ始めた。
 
休憩所の方を振り返ると、
ヤコムさんとネストルくんが貴族の使用人と思しき人たちに連れられて、
市街地の方に向かうのが見えた。
デナリーさんの屋敷からのお迎えだろう。
 
その二人の姿に、なぜだかわからないが、心臓が鷲掴みされたような痛みを感じた。
 
 
 
あれ以来、今日船を降りる直前まで、伯爵とは会わずじまいだった。
 
顔を合わせた時挨拶はしたものの、
既に港には上屋敷から迎えの人々が待機していた。
伯爵は荷物を運んでくれた使用人たちと話しながら、
私は黙って荷馬車に乗り込むと、
大した時間もかからずに上屋敷に到着した。
そして到着するとすぐ、伯爵は外出してしまったので、
まともな会話をしていないまま今に至っている。

 

昨日のあの出来事が、自分の心を暗くしていることはわかっているのだが、

ここまで引きずってしまうとは思ってもいなかった。

 

ヤコムさんやネストルくんというネルドリ人と接して、

当たり前だが私たちと変わりない人たちだということがよくわかった。

常々ネルドリの情報に触れていたにも関わらず、

どこかで自分は一生関わることのない、

遠い場所で起きていることのように考えていたのを自覚させられた。

 

だからこそ、いざ彼らと接触した時には動揺したのだ。

ネルドリの真実を知っていても、私は何の役にも立てなかった。

 

伯爵はその点、私よりも情に厚い人なのに、

ヤコムさんたちと別れる時には笑顔を見せていた。

できる限り平静を装い、彼らを元気づけようとしていた。

あの真実を知っていながらだ。

 

伯爵と接したことで、

ネストルくんはデナリーさんの屋敷の手伝いをする気になったし、

ヤコムさんも涙を堪えながらクルマリオンを食べていた。

少なからず彼らに前を向かせることができたのだ。

 

それを偽善という人がいるなら問いたい。

あなたは伯爵と同じように振る舞えるのかと。

 

私には無理だった。

 

そんな私が、どうして伯爵を元気づけようとしたのか。
できるはずがないのに。
 
最近うまくできていたような気がしたのは、単なる偶然だったのだ。
あるいは今までも、伯爵は元気になっていたように見せていただけで、
実は私に悟られないよう気を遣ってくれていただけかもしれない。
 
そう考えると、自分の愚かさと浅はかさに、ますます心が暗くなった。
 
明日から数日間だが、新しく出会った人たちとの生活が始まる。
こんな状態で、上屋敷や新聞社の人たちとうまくやっていけるだろうか……
いや、それは大丈夫なはずだ。
先程カイラさんや他の使用人たちとも普通に話せた。
昼食の時にも、一緒に食卓を囲んで談笑もできた。
変なことも口にしなかった。
他の人とは問題ないのだ、他の人とは……
 
 
 
思考の闇が晴れたのは、扉が割と大きめな音で三回ノックされたからだった。
こちらが誰何の声をかける前に聞こえてきたのは、
 
「エリー、待たせたな、今帰ったぞ! いるか!?」
 
私のよく知る、健康的善人面の声だった。
 
……うるさいな。
扉にかかっている札が『在室』になっているのが見えないのか。
 
気がつけば、窓の外は夕陽の色に染まっていた。
私は出窓の縁から飛び降りると、まっすぐ扉に向かった。
 
 
 
「どうだ、久々の王都は?」
 
食堂に向かいながらそう聞いてきたのは、もちろんわが主だ。
少し早いが夕食の用意ができたと聞いて、
御自ら私を呼びに来てくださったのだそうだ。
顔色を盗み見た感じでは、通常運転のようで安心した。
 
そう、この人は弱いように見えて強いのだ。
私の助けなど必要ない。
そんな主が自ら呼びに来てくださったなど、ありがたき幸せ、
誠に光栄至極なことだが、
 
「どうもこうも、港からこちらに直行しましたから、なんとも言えません。
 こちらではおかげさまで、快適に過ごさせてもらっています。
 閣下こそ、用事は全て終えられたのですか?」
 
そう、こちらは上屋敷に到着してからずっと、
快適な引きこもり生活に入っている。
王都の様子など知る由もないのだ。
カイラさんにドレスの採寸をしてもらったことは、当然極秘事項である。
 
「ああ、大体な。喜べ、アイスラー教授に会えるぞ!」
「本当ですか!?」
 
自分でも表情が明るくなったのを感じた。
現金なものだが、嬉しいものは嬉しい。
 
「領主会談が終わった次の日の昼、お時間を取っていただいた。楽しみだな」
「ありがとうございます」

 

この時ばかりは、健康的善人面が神のように見えたので、

純粋に感謝の念を込めてお礼申し上げたのだが、伯爵がまじまじと私の顔を見て、

 
「本当に会いたかったんだな」
 
しみじみおっしゃったので、非常に恥ずかしくなった。
このような場合、素直に肯定するのも違うような気がして、
どうしてよいかわからずにいると、
 
「よかった」
 
伯爵はぽつりと呟いた。
 
何がよかったのだ?
私がアイスラー教授に会いたいと思っていたことか?
そんなこと当然だろう、私の第一の恩師なのだから。
 
そう思うと少し気持ちが冷静になって、
 
「また教授にお会いできるなんて、本当に嬉しいです。
 ありがとうございます。心からお礼申し上げます」
 
再び素直に礼が言えたのだが、
伯爵の次の言葉にまた疑問符が浮かんでしまった。
 
「いや、それもそうなんだが」
「それもそうとは?
 教授にお会いできる以外にも、何かよかったことがあるんですか?」
 
まさか、舞踏会のお相手が見つかったか?
いや、話の文脈からすると、残念ながらそうではなさそうだが。
 
「それは……」
 
伯爵は歯切れ悪く口ごもっていたが、やがて見たことのない素振りをした。
話している相手……この場合、私から目を逸らせたのだ。そして、
 
「あなたが、元気になって、よかったと思ってな」
 
そう呟くと、再び意を決したように私に視線を向けた。
いつの間にか私と伯爵の足は止まっていた。
 
普段ならそのようなこと思わないのに、
この時は伯爵の目を見るのがとても怖かった。
それでも、なぜか俯けなくて真正面から緑青色の瞳を受け止めた。
 
しばらくどちらも口を開かなかった。
とても長い間に感じたが、時間にすれば大したことなかったのだろう。
しかし、私には時が止まったかのように感じた。
 
……いや、何を呆然としているのだ、私は。
 
このような台詞、私が落ち込んでいると察していなくては出てこないではないか!
 
だから、ご自分も気が晴れないのに立ち直った風を装っていたのか。
そうとわかれば、言うべきことがあった。
 
「申し訳ありません、お気を遣わせてしまいました」
 

意地を張って落ち込んでなどいないと言っても、愚かさの上塗りをするだけだ。

だが、伯爵は首を振るとこう言った。

 

「いや、私こそあなたに気を遣わせてしまった、すまなかった」

 

自分の不甲斐なさを、これほど恥ずかしく思ったことはなかった。
落ち込んでいたことだけでなく、気を遣ったことまでばれていたのだ。
もう何も取り繕えない。格好悪いことこの上なかった。
 
「……差し出がましいことをしました、申し訳ありません」
 
こう口にすることしかできなくて、さすがに頭を上げていられなくなると、
 
「違うんだ、そんなつもりで言ったのではない、私は」
 
伯爵はそこで言葉を止めた。
 
何を言おうとしたのかはわからないが、

こんなことで私なんかに謝るなんて、どうかしている。

ひたすらに自分が惨めでならなかった。
 

開け放たれている窓から訪れた風が、
沈黙に澱んだ空気をさらってくれたのが唯一の救いだった。
 
「正直、私もあの時、かなりやられていた」
 
やがて伯爵が言いづらそうに絞り出した声に、思わず顔が上がった。
 
やられていたとは何を……精神をか。
それはそうだろう、私でも厳しかった。この人が辛くないはずがないのだ。
 
余計な気を遣わせたことが心底悔しかった。
己の言語交流能力が屑だということや、
人の心を慮れる余裕のなさも改めて思い知った。
このまま姿を消してしまいたくなった。
 
「あなたが話しかけてくれたから、我に返って冷静になれた。
 本当に、助かったんだ」
 
さほど大きくはなかったにも関わらず、その声は明瞭に私のもとへ届いた。
 
空は夕陽に染まった衣を脱ぎ捨て、夜を迎えようとしていた。
普段なら少し寂しい気分になるのだが、今はそうならなかった。
 
「女のあなたの方が辛かったろうに、
 無様なところを見せて、すまなかった。
 だが、ありがとう」
 
私は一応王女ではあるが、今はこの人の部下だ。
部下に対して己の負の側面を認め、謝罪し感謝できる人が、
この国の貴族の中に何人いるだろう。

 

なにより伯爵は無様でもなんでもなかった。

 

普通に血の通った心を持つ、温かく強い人だった。
あの時も、今も。
 
「……無様なところなんて、ありませんでしたよ」
 
他に回廊を歩いている人がいなくて本当によかった。
こんなこと、本人以外の前ではとても口にできない。
本当なら本人にすら言いたくない。だが。
 
「この私が、言うんですよ? だから、間違いない、です」
 
この人は私の壊滅的な喋りに助けられたと言ったのだ。
私にはそれで充分だった。充分過ぎるくらいだった。
 
急激に喉が枯れてきて、声が出なくなりそうだったが、
ゆっくり話せばなんとかなるだろう。
 
「ですから、これからも、私のよた話に、付き合ってもらいます、からね?」
 
どうにか話せたが、頭と顔がおかしなくらいに熱くなっていて、
自分がどのような顔をしているかは考えたくもなかった。
ただ、怪訝な顔はされなかったから、
取り返しのつかないほど恥ずかしい表情ではなかったのだと信じたい。
 
伯爵は何も言わずにただ大きく頷くと、過去一番の健康的笑顔をこちらに向けた。
 
春を迎える夜風が、私たちの間を駆け抜けた。
 
 
 
 
 
 
*2024.4.10.一部訂正しました。
 
 
 
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