夢想の【戦車(チャリオット)】
流浪の「オーガハンター」ブライト・ソードマンの独白……

 「パンパリア」という土地は、別名を「治外法権都市」ともいうらしい。
 四季の変化が乏しく、従って降水量も少ないが、湧水が豊富なため、緑にあふれたオアシスの様相を呈しているから、確かに棲むには便利なンだが……。
 万年雪を頂く高山に囲まれた、吹けば飛ぶような小ささな盆地。
 どの街道にも面していない上、獣すら通るのに躊躇する悪路が細々と通うのみ。
 農耕に適さない大地は鉱物を産するでもなく、かといって観光に向いている訳でもない。
 よーするに文字通りの陸の孤島で、中央行政部も、地方豪族もこの地をさほど重要視していない。つーか、歯牙にも掛けられていないンだ、実は。
 そういった訳で、帝国から切り離されたがたここは混沌とした独自の文化圏を形成している。
 結果。
 正規に開業するには帝国の鑑札がいる商売を鑑札なしでやりたい連中や、鑑札なんぞ必要ないが開業したら間違いなく手が後ろに回る商売をやりたい連中が、やたらとここに集まってくる。
 祈祷師、薬師、彫金師、錬金術師、医師、術師、からくり師、陰陽師、細工師、テキ屋、ゴト師、贋作師……。
 腕のいいのも、単なる詐欺師も玉石混合。
 土着の者もそんな環境にいるからか、滅多なことでは動じない。良く言えば肝が据わっている。悪く言やぁ脳天気。
 町中じゃ四六時中何かしらの騒ぎが起きている……ケンカであったり、ショーであったり、犯罪であったり、祭祀であったり……のだが、領民はまるきり気にしないで乱稚気な日常を送っている。
 そんなこの土地を、少々頭のいいヤツは「一夜の夢の街」と呼んだりもするらしい。
 目を閉ざし、この土地に浸っていれば幸福……外に目を向ければ、そこにあるのは耐え難い現実、って寸法だ。
 まあ、現実から隔離されたどっぷりぬるま湯で少々騒がしい幸福感ってやつが、悪夢なのか吉夢なのかは、その夢を見る者の受け取り方次第なんだが……。

「部屋が、一つだけしか空いていない?」
 俺とクレールは同時に言った。
 相棒は不満そうだが、俺としては実にうれしいことだ。
「祭りの時期はね、ほとんど空きがないんですよ。一つあるだけでも、お客さん方、ラッキーですぜ」
 宿屋のフロントがにこやかに言う。
 年中お祭り騒ぎのこの土地のことだ。きっと年中宿に空きが無いというのが本当のところだろうが。
 まあ、いいさ。兎も角、その一つ部屋……俺とクレちゃんの一晩の愛の巣……ってヤツに行ってみた。
 と。
 割と広い部屋だ。なんとまあ、たいそう立派なバスルームまで付いていやがる。
 ところが。
 それ以外のものというと、クイーンサイズのベッドと二人掛けソファしか無い。
 部屋の内装もぱっと見は豪奢だが、実は安物で、壁なんぞ紙切れの下は合板1枚キリなんじゃねぇのかとも思える。
 窓もない。
 しかも、やたら皿の小さい上に灯心の細い鯨油燈台が枕元に一つおいてあるだけときていて、部屋全体が実に薄暗い。
 ………………………………
 ラブホぢゃねーのかここは!
 思わず歓喜の声を上げるところだったが、ここは我慢だ。
 ウチの相棒ときたら、男女の自然な成り行きってヤツを潔癖に毛嫌いしていやがる。不信感を抱かせたら、せっかくの「一つ部屋お泊まり」のチャンスが水泡に帰しちまう。
 それに、お祭り騒ぎの市場見物でオヒメサマに気付かれないように仕入れたブツも、こっそり使わないといけないからな。
 ま、胡散臭い陰陽師から、1マギュネ(百円相当)で買いたたいたモンだから、効果に期待は持てないが……。
「……ブライト?」
 ギク!
「先ほどからなにをブツブツと言っているのです?」
 やばい。気取られたか? 何としても誤魔化さんと……。
「おう。帝都への道をショートカットしようと思って街道から外れたのは良いが、どうもこーゆー脳天気な国の空気は性に合わなくてな。ちゃんと道なりに行けば良かったンじゃねぇかと、こー……」
 ……イカン。クレールの眉毛が吊りグングンあがってく。言葉並べたら並べただけ、不信感が高まってくか?
 まったく、いろんなコトに勘が鋭いヤツだからなぁ。感心するぜ。
「……取りあえず、俺はソファで寝るから」
「では、あなたが寝入ったのを確認してから、ベッドに入らせていただきます」
「信用ねぇな……」
「信用を失わせるような行動をしているのは、あなた自身でしょうに」
「俺が何をした? 単にスキンシップを図ろうとしてだけだぜ」
 ……あ。げんこつが白んでく・・・・・・。
 これ以上よけいなこと言ったら、間違いなく右ストレートが飛んでくる。
「風呂、お先にどーぞ……温泉だってハナシだぞ」
「……覗いたりしたら、殴るじゃ済みませんから、そのつもりで」
「一応、学習能力はあるつもりだ」
 こないだ、アってぇ間に右腕ねじ上げられた揚げ句、スリーパーホールドで絞め落とされたからな。
 ……タオル越し生乳の感触は極楽だっだが。
 さて。
 湯煙の奥の情景も魅力だが、取りあえず今日は止めとくとしよう。
 市で仕入れた「夢見の符」を……っと。
 あンの似非陰陽師め、
「詳しくは『取扱説明書』を読め」
なんてぬかしやがって。職務怠慢だぜ。
 油紙に包まれていたのは護符が1枚と、その100倍は分厚いんじゃねーかと思われる、ご大層なマニュアルだった。
 曰く、

『はじめに
 ご購入いただきありがとうございます。
 製品をお使いになる前に以下の内容をお読みください。
★夢見の符について
------------------------------
------------------------------
★「DD」の原理〜QABBALLA(クワバラ)理論について
------------------------------
★「DD」の使用法

------------------------------
★諸注意
------------------------------
★障害報告と対処法
------------------------------
★サービス窓口
ギメルギルド
所在:アレキドゥクセン州ティフェレト
※カタログご請求は、郵送手数料3マギュネ(全国同一送料)+宛名カード同封にて。
代表:テオフラストゥス・ボンバトゥス・フォン=ホーエンハイム
イニシエーション請負
ヨーガ健康法道場併設
錬金術師養成講座生徒募集中
占いの館「薔薇の家」フランチャイズ募集中
※各種クレジット取り扱い。
※通信販売業者許認可(中央政府発行:アルエ8823−3594−3860012号)
……云々……』

 あまりのややこしさに、危うく重要な「障害」ってやつを見逃すところだった。
 増幅された脳波が近間にいる人間に影響して、同じ夢を見る可能性があるってことは、
たとえば俺が姫サマとイイコトする夢を見てぇって望むと、もしかしたら俺の脳味噌ン中がダダ漏れになるかも知れないってことなワケだ。
 隣で寝てるクレちゃんに、俺様の公言できないあーんな願望や、絵にも描けないこーんな欲望が、思いっきりバレル……かもしれない、と。
 そんなことになったら、それこそ殴られるじゃ済まねぇ。手足の2.3本折られるで収まりゃイイ方だ。
 ちっ! 訳に立たねぇなぁ……。
 かといって捨てるのも癪だ。
 ……………………………………
 うーん。クレールに遣るか。
 取りあえず、あいつが「旨いモン喰いたい」だの「金儲け」だの、ましてや「愛しのブライト様と同衾したい」なんてこたぁ望んでるとは思えないからな。
 内緒で、枕の下に入れといてやろう。
 ……しんどい旅路だ。ちょっとは楽しい夢でも見させてやっても、神罰は降るまい。
 そーと決まれば、目の前のお裸を観賞させてもらうかな。
 こーゆーホテルの風呂にゃ大概、外からのビューポイントがあるはずだから……。
「ビューポイント?」
 ドキィ! 背後からクレちゃんの声!?
「な、な、な、何だ、もう上がっちまったのか?」
 引きつり笑いで振り返ると、そこにはしっかり服を着込んだクレールの、ほんのりと上気した笑顔があった。
「久しぶりにゆっくり暖まらせていただきました」
「ゆっくり……ね」
 ちっ、分厚いマニュアル読みふけってる間に、相当時間が過ぎちまったって訳か。まったく訳に立たねぇ紙切れだぜ。
「だから逆に心配になりました。……あなたが私の入浴を覗き見ないなんて、体調でも悪いのではないかと……。また、例の頭痛がするのではありませんか?」
 小馬鹿にされてンだか、心配されてンだか、よく解らん言いっぷりで、相棒は小首をかしげた。
「具合が悪い訳じゃねぇ。ちっとばかり疲れてるが、風呂にでも入りゃ、軽く復帰する。安心しろ」
「ならば良いのですけれど」
「じゃ、一っ風呂浴びてくる。……覗くなよ」
「つまらない冗談を聞く耳は持っておりません」
 そういう生真面目なとこが、また可愛いンだがなぁ……グーパンチさえなきゃ……。
「何か仰いましたか?」
「いや、ナンにも。ま、先に寝とけ」



 朝日が差している。暖かで、まぶしい。

 真綿で包まれるような生ぬるい違和感の中に、俺は唐突に立っていた。
 一体、ここはどこだ?
 確か、窓もないパンパリアのラブホもどきに泊まってたはずだが。
 頭痛……いや、脳ン中しゃもじでひっかき回されてるような、嫌な気分だ。
 随分と視界が霞んでいる。
……いや違う。俺の目が霞んでいるんじゃない。
 風景そのものが紗の向こうっ側にあるみたいに、現実的じゃないンだ。
 薄ぼんやりとしたその「風景」は、どこかの宮殿か屋敷と言った風情だ。
 今時流行の直線的なギュネイ式の対極にある、曲線を多用した内装だった。
 柔らかくて、上等で、懐かしい様式……。
「――下――」
 誰かが、俺に対して呼びかけているのが聞こえた。
 若い、男の声だ。どうやら聞き覚えはある。
 ずいぶんと昔に聞いた声だ。
 そう、クレールと出会う前、俺の脳味噌が初期化される前に、だ。
 ドアが乾いた音を立てて開いた。
 廊下の闇から、黒いマントを羽織った背の高い男がこちらを見ている。
 あの男を俺は知っている。
 もう4年の上になるが、俺は頭に大怪我を負って、どうでも良いような処世術以外の記憶を、すっかり失っちまった。
 だが厄介なことに、ときおり「壊れた記憶」の断片がひょっこりと頭をもたげることがある。
 俺はコイツと会ったことがある、というのも、そんな記憶のかけらの一片だろう。
 そう、この男の名は確か……。
「レオン=クミン」
 滅びた帝国「ハーン」の最後の皇帝が、退位した後に住み暮らした土地「ミッド」の、若く優秀な官吏。
 本来内政に携わる身ながら、ミッドの人材不足と自身の優秀な外交手腕の故、諸国を旅して回らねばならぬ男、の筈だ……多分。
 恐らく俺は、どこかミッドの使節団が外遊した先で、コイツを見かけでもしたのだろう。
……確証はないが。
 レオン=クミンは俺が着替えを済ませて立っている(どういう訳か、俺は大礼服を着込んでいる)のを見て取ると、青白い顔にうっすらと笑みを浮かべた。
「お目覚めでしたか、殿下」
 親しげで、それでいて礼儀正しい声音で、クミンは俺に対して問いかける。
 それにしても、殿下とは。
 俺はそんなガラじゃないし、そう呼ばれたことは(多分)皆無だって言うのに、そう呼ばれることに違和感が……ない。
「どうやら寝過ごしたようです」
 口が、勝手に動いている。
 身体も意識なしに動く。
 俺はレオン=クミンが開け放ったドアへ向かって歩いた。
 廊下に出、突然理解した。
『ここは、ミッド公国の宮殿だ』
 おかしなハナシだ。俺は「真っ当に建っている」ミッドのお城には来たことがないはずだ。
……オーガの襲来と火山の噴火で倒壊した残骸の上になら、立ったことがあるが……
 それなのに、俺はここがミッド大公ジオ・エル=ハーンの居城だと確信している。
 存在そのものが薄ぼんやりとした廊下を、俺達は音もなく歩いた。
 こぢんまりした宮殿だから、すぐに目的地、大公の居室前に着いた。
 レオン=クミンは、紫檀のドアを軽く叩いた。
「お入り」
 枯れた男の声がした。ドアがゆっくりと開き、燦々とした朝日の逆光に、4つの人影が浮いている。
 椅子に掛けた老紳士は、ミッド大公ジオ3世。
 その傍らに立つほっそりとした女性は、大公の二人目の妻クリームヒルデ・ギュネイ=ハーン。
 二人の前に傅く大柄な女性は、親衛隊の女隊長。名は確か、ガイア=ファテッド。
 そしてもう一人。
 着慣れないドレスを窮屈そうにまとった少女の横顔は、ハーン夫妻の両方とよく似ている。彼らの血を受け継いでいるのが明らかなその姫君は……
「クレール?」
 そいつが俺の相棒であるのはすぐに判った。だが、俺の知っている彼女よりも幾分幼くも思えた。
 俺はまた一瞬にして理解した。
 ここは、今から4年ほど昔の世界だ。
 ミッド公国は安泰で、大公夫妻は息災。一人娘のクレール姫は剣を取って闘う必要もなく、正体不明の風来坊(つまりこの俺)と田舎のラブホで一つ部屋に寝る事態も想像だにしない、平穏な日々を送っている。
 俺のこの不可解な「理解」が正しければ、目の前にいる小さな姫さんは、俺と出会う以前の「クレール姫」で、それはつまり、彼女も俺と会ったことがない、ってことなんだが……。
 俺の声に反応して振り向いたクレール姫は、確かに少々吃驚したが、すぐさま相好を崩して、俺の側へ駆け寄った。
「よかった。来てくださるとは思っていませんでしたから」
 満面の笑みだった。しかし、瞳にはうっすらと涙が浮かんでいる。
 泣き笑いする姫さんの顔を見ている内に、俺の口がまた勝手に動いた。
「泣くのはやめなさい。前にも言ったはずだよ。私はご婦人の涙に弱いのだ。泣いてるご婦人を見ると、無条件で手を差し伸べたくなってしまう」
 自分の口から出てきた言葉を聞いて、俺は背中がぞわぞわするのを感じた。
 普段の俺は、自慢じゃないがこんな丁重で優しげで薄気味悪い没落貴族みたいな口振りで話したりしない。
 全く今の俺は、俺の感覚を持った別人に違いない。どうしてこんなことになっているのか、その理由までは解らんが……。
 ただ、今ン所はこの状況に流される以外に術がないようだということは、どうやら理解できた。
 クレール姫は、大きな緑柱石色の瞳から涙を2粒ほど溢れ出させた。俺の手が勝手に動き、彼女の柔らかな頬を滑り落ちる涙を拭った。
 制御できない自分の行動に、俺はびくついていた。なにしろ普段のクレちゃんだったら、こんなこと……ほっぺただの首筋だのうなじだの胸だの腹だの尻だの腿だの爪先だのといった、およそ「女の魅力的な部位」と思われる場所をさわったりさすったりつついたり……をしたら、まず間違いなくグーで頬桁をブン殴りに来る。
(不思議なことだが、剣術の手合わせンときは彼女のサーベルを容易にかわせるってのに、耳先まで真っ赤にして恥ずかしがってるときの「美しい右ストレート」は避けることができない。クレールは間違いなく拳闘士より剣士向きで、当然拳よりも剣先のほうが数段素早いンだが……)
 ところが、だ。
 今俺の目の前にいるクレール姫は、殴るどころか俺の手を握りしめている。
 やがて、俺を真っ直ぐに見上げていた顔を下に向けると、小さな肩を小刻みに震わせ始めた。
「何故泣いているのですか?」
 どうにも気色の悪い口調と、こわばった柔和な顔の裏っ側に、寒イボと疑問を隠して、俺が訊くと、小さな姫さんは苦しそうに微笑んで答えた。
「ずっと、あなたが来てくださるのを待っていました」
 クレール姫はふわりと倒れ込むように、俺の胸に顔を埋めた。
 ひどく軽い身体だった。
 まるきり現実感が湧いてこない。
 肩を抱いた。
 ピリピリとした不安の塊が、掌の中に存在している感じがした。
「いつも一緒にいるではありませんか?」
「……今はいてくださる。でもあの時はいらっしゃらなかった」
「あの時?」
 あの時……それが、ミッド公国滅亡の瞬間だってことは、想像に難くない。
 確かに、俺はその時コイツの側に居なかった。どだい、その辺の馬の骨の身で、世が世なら女帝陛下のお姫様となど、お目通りすら叶う訳がないンだから、当然だ。
「だが、今はここに居ます」
 口が勝手に動いた末の言葉だが、これに関しては脳味噌の違和感が少なかった。
 顔を上げたクレール姫の頬に、次第に安堵の笑みが広がってゆく。手の中の「ピリピリした不安」がほんの少し薄らいだのが解る。
 俺はクレールの身体を自分から引き離した。
 当然、本心じゃない。
 いくら現実的じゃなくとも、滅多にこんな状況には巡り会えない。できることならこのまンま、コイツを抱きしめていたいンだが、残念なことに相変わらず身体の自由が利かないのだ。
 気味の悪い鳥肌を全身に沸き立たせながら、俺はクレール姫の両親の方を見、
「嫁入り前のお姫様が、ご両親の前で男にしがみついているのは、あまり上品な行為とは言えませんよ」
愛想笑いを浮かべた。
 老大公ジオ3世は、かなり複雑な笑顔で応えてくれている。
 この年老いた小貴族は「陛下」の尊称を受けることを許された希有な存在だった。
 この尊称は皇帝と皇后にのみ許されている物で、他の者は、たとえ自治州の王様でも有名無実の子爵様でも、そして自分の部下に帝位を奪われた元皇帝陛下でも「殿下」でないといけないってのが「決まり」だ。
 先妻との間の子を二人までも病によって失った彼にとって、クレールはまさしく一粒種だ。
(相棒にとっては兄に当たるこの二人の皇子の死に関しては、簒奪皇帝ヨルムンガンド=ギュネイが暗殺したなんていう焦臭い噂もあることにはある。だが、ジオ3世自身がそれを否定しているのだから、「病死」の方を信じてやる方が無難だろう)
 しかも、かなり高齢になってからようやく生まれた「目の中に入れても痛くない一人娘」と来ている。その愛娘が男の腕ン中に居るという状況を……それが例え娘の自発的行動であっても……見せつけられては、心中穏やかならぬ筈だ。
「全く、じゃじゃ馬で困る」
 穏やかにそう言いながら、険しい視線で俺の方をにらみ付けている。
 一方、若い妃の方はというと、一応、
「本当に」
などと夫に同意しているが、むしろ娘が淑女らしい「男に頼り切った言動」をしていることがうれしいらしい。ニコニコと笑っている。
 このクリームヒルデ妃という人物も、ある意味で不幸な女だ。
 本来ギュネイ帝室とは縁もゆかりもないハズだった。ところが、母親が初代皇帝のヨルムンガンドと再婚したばっかりに、そして父親違いの弟フェンリルが生まれて、そいつが二代皇帝なんぞになっちまったがために、皇女として政略結婚の手駒にさせられ、20も年上の親爺と娶されたンだから。
 ま、確かに可哀想ではあるが、俺はこの人に感謝しないといけない。
 彼女の素晴らしく肉感的な魅力が、亭主の細身で鋭角な体格と混じった成果が、クレールな訳だからな。
 さて。
 俺から引き離されたクレール姫には、親衛隊のファテッドがぴったりと張り付いた。
 この娘ときたらとんでもなく大柄で、その上ミッドの先住民族特有のエスニックな顔立ちをしているものだから、遠目には屈強な男のように見える。
 そして、身の丈もある幅広の剣を軽々振り回すというこの女丈夫が、俺の後ろに立っているひょろ長い外交官の恋人だというから驚く。
 元々は親同士が決めた間柄だそうだ。先住民族系と中央からやってきた「押しつけの政権」との政略結婚……といったところか。
 だが、本人同士も満更じゃないらしい。大公夫婦の視線を盗んで、ほんの瞬間見つめ合っては、幾度となく微笑みを交わしている。
 そのたびレオン=クミンは半歩ずつガイア=ファテッドに近寄って行き、いつの間にか彼女の傍らに立ち位置を移していた。
 目の前に広がる霞んだ光景は、優雅で、平穏な貴族達の午後。
 俺のような根無し草には酷く居心地の悪い、ショコラカップの中みたいに生温い場所だ。
 皆が平穏を満喫している。ただクレール姫だけが、やたら落ち着きなく、何度も俺の顔色をうかがっていた。
「言いたいことがあるのなら、はっきりとおっしゃってください」
 俺はどうにか自分の頭ン中を言葉にした。……口調がどうにもコントロールできないのが歯痒い。
 クレール姫は両親と家臣の顔を一通り上目で見回した後、息を一つ飲み込んで、言った。
「助けて」



 下手な人形師が操る木偶よろしく、ゆっくりと右手を挙げる。水平に伸びた人差し指が俺の背後を指している。
 悪寒を感じた。背の辺りからどんよりとした闇が広がり始めている。
 振り向くと、そこには一人の男が立っていた。
 旅姿の貴族だ。
 チャバネゴキブリの背みたいにテカる髪の毛をしきりに掻き上げ、堅焼きパンのようにかさついた頬をひくひくと痙攣させていた。そうして苔むした朽ち木のような脚で、落ち着きなく床を踏んでいる。
 俺は、ギスギスした殺気を発散するこの男を知らない。壊れた記憶の片隅にすら、コイツのデータは欠片もない。
 男は肩で息をしているが、疲れているって訳でもなさそうだ。
 そいつの眼中には、どうやら俺の姿はないらしい。血走った三白眼で、真っ直ぐにクレール姫を見ている。
「ずいぶんではありませんか、姫。未来の夫を、まるでゴミでも見るような目で……」
 そいつはオールに巻き付いた水藻のようにべったりとした口調で言い、どろりとした笑顔を浮かべた。
「無礼者、下がれ!」
 大喝したのはファテッドだ。どこから引っ張り出したのか、板垣の板を一枚ひっぺがしてきたンじゃないかてぇ位の、馬鹿長い剣を構えている。
 ほとんど同時に、クミンのヤツが大公夫妻の前に立ち、筋張った両手を広げて彼らを庇う姿勢を見せた。
 ジオ3世が立ち上がり、訝しげな妃を腕に抱きつつ、小さく言う。
「ルカ・アスク。貴公には、国外退去を命じたはずだ」
「あなたには私に下命する権限はない」
 アスクと呼ばれた木っ端貴族は、下卑た目でジオ3世を一瞥し、すぐに視線をクレール姫の方へ戻した。
「姫、あなたはこの哀れな土地と運命を共にする必要がない。私と来れば、栄華は思うまま……」
 クレール姫は全身の筋肉を引きつらせ、それでもようやく手足を動かして、俺の背中に張り付いた。
 これでようやく俺の存在に気づいたアスクは、鼻の頭にしわを寄せ、舌打ちし、
「下郎、どけ」
俺を押し退けようとした。
 ま、俺の身体がこんな痩せギスの腕力ごときで、1ミリだって動くことはない。
 逆に俺がほんの少し腕を前に出しただけで、あっさりとアスクの身体は後方に倒れ込んだ。
 視線の横端を、大きな塊が飛んだ。剣を振りかざしたファテッドだ。
 あっという間にアスクの喉元に、鋭い切っ先があてがわれた。
 間髪入れない鋭い攻撃は、クレールのそれとよく似ている。
 ……どうやら相棒の手の早さは、親友を兼ねる親衛隊長の仕込みらしい。
「失せろ、下司め」
 どう考えても己の方が不利であるにもかかわらず、凄味を効かせたファテッドの提案をアスクは鼻先で笑い飛ばした。
「どけ、ブス」
 侮蔑の言葉根が終わらぬ内、ファテッドが剣先に体重を乗せた。
 アスクは土気色の素手で、刃を握った。
 剣は、ぴくりとも動かない。
 ファテッドの眉が吊り上がった。柄を握る手が、小刻みに揺れている。
 空気が、腐臭を孕んだ。
 光に満ちていた室内が一度に暗転した。
 足下に、何かがまとわりついた。
 無数の腕だった。
「グールめ!」
 俺がその動く死体どもを蹴飛ばすのと同時に、アスクがファテッドをはね飛ばした。
 悲鳴がした。
 ジオ3世とその妃の周りにも、やはり無数のグールが群がっている。
 クミンが必死の形相でそいつらを追い払おうと足掻いているが、まるきり歯が立たない。
 倒れ込んでいたファテッドが跳ね起き、愛人に助太刀して、ようやくその場にいたグールどもだけは追い払った。
《無駄、無駄なこと!》
 高笑いしたアスクは、すでに人の形をしていなかった。
 両腕が鎖の形に変形してい、その先に2頭の獣が縛られている。
「オーガか!?」
 腹が立つ。勘がまるで働かなかった。
 俺は背後にいる相棒を顧みた。
 コイツには「正体を現す前のオーガの銘(なまえ)を見抜く力」がある。何より「オーガを倒す力」を持っている。
 エル・クレール=ノアールは、俺が止めても「人ならぬモノ」に斬りかかってゆく、潔癖性のオーガハンターだ。
 ところが。
 クレール姫は瞼を固く閉ざし、俺の背中にしがみついて、ガタガタと震えていた。
 スカートの裾を一匹のグールが掴んでいるってぇのに、クレール姫は造作の悪い人形みたいにぴくりとも動かない。
 いや、動かないンじゃなく「動けない」のかもしれん。ちょうど今の俺が、自分の思ったような行動を上手いこと取れないように、相棒も体の自由が利かないンじゃなかろうか。
「面倒な!」
 俺は舌打ちし、クレール姫の身体を左腕一本で抱き上げた。ろくでもないおまけが彼女のスカートにくっついていやがるが、ソイツの脳天に右の拳を振り下ろして、叩き落としてやった。
 そして、その刹那気付いた。
 身体が動く。自分の思った通りに、スムーズに、あっさりと動く。
 俺は右の拳を開いて、掌を見た。
 使い古した革の手袋の下に、確かに紅い光の塊がある。
「親友(とも)よ! お前達の赤心(せきしん)、借りるぜ!!」
 俺の呼びかけに応じて、光が膨張した。
「出よ、【恋人達(ラヴァーズ)】!」
 膨張した光が、一双の剣に変じた。
 俺はクレール姫を抱えたまま、高く遠く跳んだ。着地した場所は、ミッド大公夫妻の眼前だった。
 俺は、クレール姫を床におろし、両の手におのおの「ドラゴン」と「フェニックス」の双剣に変じた【恋人達】のアームを握り、身構えた。
 アームを振り回す度に、グールどもは消滅してゆく。
 ハンターのアームに罹ったグールどもは、雨上がりの水たまりみてぇに蒸発しちまう定めだ。
 可哀想なことだが、こいつらには「生きていた」痕跡を残すことすら、許されていない。
 俺はやたらとグールを屠り続けたが、その数は一向に減らない。
 それどころか次第に数を増やし、とうとう俺の剣先をかいくぐる連中まで出始めた。
「クレール!」
 俺は背後の相棒を顧みた。
 真っ青な顔をしたクレール姫が、それでも両親をかばって、素手でグールと格闘していた。
 エル・クレール=ノアールは、アーム【正義(ザ・ジャスティス)】の使い手だ。
 腐った死体を素手で触る必要なんかなない。今の俺と同様に、自分の内に秘めている力を解放し、紅い刃を振るえばそれで良いはずだった。
 ところが今、クレール姫はやたらと手足をばたつかせて、両親に襲いかかっているグールを追い払おうとしている。
「お前、何を?」
 唖然とした。
 一瞬、呆けていた俺の目の前を、鎖につながれた獣が駆け抜けていった。
 鋭い爪が、クレール姫を捕らえようとしていた。
「姫っ!」
 ファテッドが弾け跳び出し、クレール姫を突き飛ばした。
「ああぁっ!」
 悲鳴と血煙が同時に上がった。
 長大な剣と逞しい右腕が、女戦士の身体から引き離され、粉々に砕け散った。
「畜生!」
 俺は、慌てて獣に斬りかかった。
 ソイツと本体とをつないでいる鎖を「ドラゴン」で断ち切ると、獣は蒸発して消えた。
 半ば気を失っているファテッドをクミンが抱きかかえた。熱い血の臭いに引き寄せられ、グールどもが彼らに群がった。
「ガイア! レオン!」
 今度はクレール姫が呆けて立ちすくんだ。
 腹が立った。何故か、無性に、腹が立った。
 ……このお人形さんの態度に、だ。
「いい加減にしろ!」
 俺は、クレール姫の横っ面をブン殴っていた。
「クミンとファテッドは、てめぇの命を張って闘ってる。力が及ばないと悟っても、大事なモノを守るために闘ってる。怖がって動けないお前みたいなヤツを守るために、闘って傷ついた! お前のセイだ! 解れ!」
 クレール姫は真っ白な顔で俺を見上げている。何か……多分、自分の心ンなかで渦巻いている不安やら痛みやら……を言葉にして吐き出そうとしているらしい。してはいるらしいのだが、それができないでいる。
「お前には、闘う力があるだろう! 【正義】のアームが……」
 言いかけて、気付いた。
 ちらりと、視線の送り先を変えた。
 鉛のような顔色の、ジオ3世とクリームヒルデ妃が、そこにいる。
 クレールの持つ【正義】のアームは、彼女の「死んだ」父親の魂が変じたものだ。
 ジオ3世が生きてそこに存在しているこの状況では、クレールがアームの力を発動させられる道理がない。
 二の句が継げなくなった俺は、たわけのように、
「【正義】のアーム……」
と繰り返した。
 クレール姫が潤んだ目で俺を見つめている。
 やがて、紅珊瑚色の唇が震えながら動いた。
「我が愛する正義の士(もののふ)よ。赫(あか)き力となりて我を護りたまえ。……【正義(ザ・ジャスティス)】!!」
 エルの腰から、紅い輝きがほとばしった。
 その輝きは、世界を一変させた。
 抱き合って倒れ込んでいたクミンとファテッドが、光に紛れて見えなくなった。
 クリームヒルデ妃も赤に吸い込まれ、ジオ3世の姿も霞の向こうに消えた。
 唯一、一匹のオーガが残った。
「ルカ。いや【戦車(チャリオット)】」
 クレールは右の手に紅い細身の剣を大上段に振りかぶり、振り下ろした。
「惑うた魂よ、煉獄に戻れ!」
 大風の音とまぶしく冷たい光を発し、オーガ【戦車】は消滅した。
「クレール」
 俺が呼ぶと、相棒はその場でへなへなとしゃがみ込んだ。死んだ父親の化身である紅い剣を抱きしめ、肩を振るわせている。
「オーガを倒すためには、アームの力が必要なのは解っていた……。でも、認めたくなかったんです。父が、命を失ったのだということを。私は家族を失ったのだということを」
 俺にはコイツを慰める言葉が浮かばない。仕方なく肩に手を置いた。
 途端、クレールは俺の胸の中に飛び込んできた。
 細い腕を俺の首に回し、抱き付く。
 頬に滝のような涙が流れている。
「お願いです。あなたは……どこへも行かないでください。私はもう独りになりたくない」
 随分としおらしいことを言う。相当精神的に参っているんだろう。
「安心しろ。近寄るなって言われたって離れやしねぇよ」
 俺は応えて、クレールを抱きしめた……。
 と。
 腕が大きく空振りし、掌のヤツがてめぇの肩を掴みやがった。
「んあ?」
 かなり間抜けな自分の声で、俺は目を覚ました。
 窓のない田舎の安宿の、壊れかけたソファの上に、俺は独り横になっていた。
「……夢……かぁ?」
 確かに奇妙で辻褄が合わないが、やけに現実味のある夢だった。
 大体、ミッド大公夫婦だの、若い男女の重臣だの、不細工な【戦車】のオーガだのには、俺は会ったことがないはずだってのに、目が覚めた今でもはっきりその顔形を思い浮かべることができるってのが解せない。
 俺は大きく伸びをして、ソファから降りた。
 部屋のど真ん中、馬鹿でかいベッドの中で、クレちゃんはまだ寝息を立てていた。
 穏やかな寝顔のその頬に、涙の跡があった。
 唇に、笑顔が浮かんでいる。
 そうか。
 クレールはどうやら、いい夢を見ているらしい。
 もうしばらく寝させておこう。
 続きが一緒に見られないのはちょっと残念だが……。
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