フツウな日々 54 |
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始業式の日というのは、なんとも面倒な気分になるものだ。何しろ早起きをしないといけない。
確かに夏休みの間もラジオ体操の判子を貰う為に六時半起きをしていたけれど、返ってきたら朝ご飯までの間「二度寝」ができたから、ずいぶんと気が楽だった。
でも学校が始まるとなるとそうはいかない。六時半に起きる必要はなくなるけれど、朝寝しすぎる訳にも行かなくなる。
龍は眠い目をこすりながら、ランドセルの中に「夏休みの友」と「計算ドリル」と「自由研究のノート」を投げ込んだ。
店のほうから、小さなお客と話している父親の声が聞こえる。
長期休み明けの雑貨屋に来るのは、消しゴムやら鉛筆やらの「消耗品」を補充したい優秀な生徒と、休みの間に体操着や靴のサイズが合わなくなった成長期の生徒と、校章のバッチや学校指定の文房具の類を無くしたり壊したりした腕白な生徒達だ。
龍は年下だったり年上だったりする日に焼けた子供達の間を縫って外に出た。
店の前にクラスメイトが一人立っていた。どうやら龍が出てくるのを待っていた様子だ。
彼は龍の顔を見るなり、
「スネオ、転校だって」
と、妙に昂揚した声で言った。
龍の頭に、小柄でおでこの広いクラスメイトAの顔が浮かんだ。想像の中のそいつは、拗ねたような顔をしている。
そんな顔を思い浮かべた理由は簡単だ。Aはいつでもそんな顔をしているヤツだから。
そんな顔をしている上に、ちょっとばかり頭が良くて、ちょっとばかりお金持ちの家の子だから、付いたあだ名は「スネオ」。もっとも、本人に面と向かってそう呼ぶことはあまり無いけれども。
「なんで?」
龍は歩きながら訊ね返した。
「よく知らないけど、ひどい悪ふざけをして、誰かに大怪我させたらしいんだ。
ほら、あいつのウチ、病院やってるだろ? それで、セケンテイっていうのが悪いから、どこだか遠くの全寮制の学校に行くらしいよ」
ずいぶん詳しくて、それでいて要領を得ない答えが返ってきた。
「ふぅん」
『そういえば、コイツの母親はPTAの役員だっけ』
親の話を聞きかじって、なんとなく憶えたらしいことを言うクラスメイトに、龍は生返事を返した。
「でもスネオが転校しちゃったら、ビデオ見せて貰えなくなるなぁ。でも、『うちはβだから絵がキレイなんだ』って自慢も聞かされなくて済むけど」
情報通君はちょっと惜しいような口ぶりで言い、踵を踏みつぶした下履きを下駄箱に放り込んだ。
狭い木の廊下は、ほとんど同じ方向に進む生徒達で混み合っている。
同じ学年の生徒達だから、龍はほとんどの顔を……名前までは知らないヤツもいるけれど……知っている。
そこにいる全員が当たり前の顔をして旧校舎の廊下を走り、当たり前の顔をして自分の教室に入り、当たり前の顔をして自分の席に座っている。
女子の「仲良しグループ」が集まって、ケラケラと何かを話し笑っている。
短いほうきと丸めたぞうきんで、昨日のナイターの物まねをしているヤツらもいる。
どこぞの遊園地に行ったと描いた絵日記のページと記念写真を自慢げに広げるヤツの周りに人だかりができている。
楽しそうで、浮ついていて、教室中が騒がしい。
喧噪の中で、そこに「スネオ」が居ないことを、誰も気に止めていなかった。
『一人足りなくなっても、案外なにも変らないんだな』
龍は自分の席に着き、机に突っ伏した。
『今までもそうだったのかな。これからもそうなのかな』
なんとなく寂しくなって、彼は大きくため息を吐いた。