私文・三國志 外典
昭烈皇帝・劉備に対する評
 

昭烈帝が真に漢を復興しようとしたかは疑わしく、
後主が不出来なら君自ら取るべし」
劉氏でもない諸葛亮に告げることからも、それが理解できよう』
 
 新人物往来社の「中国4000年歴代皇帝人物辞典」の編者は、昭烈帝…すなわち蜀漢先主劉備についての評を、こう結んでいます。
 これを読み、蜀漢癖の私は烈しい憤りを感じたのです。
玄徳ちゃんはっ、玄徳ちゃんはっっ、そんな悪い子ちゃんぢゃないやいッ!」
 ははは。(苦笑)
 いや、若い頃の玄ちゃんは、確かに不良だったよ。
 授業態度が悪くって、恐いおに〜さん達ともおつき合いして、犬と馬が大好きで、音楽好きでファッションにこだわってて…ってなんかスケールの小さい不良やなぁ…。
 しかし、編者の言う事にも一理あるのだと、この頃解ってきました。
 
 きっと劉備は、漢皇朝の復興は既に不可能な夢であると、死の間際に気付いたのだ、と私は思うのです。
 …いや、献帝が殺された(後に、ガセネタであることが判明。だが、劉備はそれを知らぬまま死んだ…と、私は信じている)と聞かされた時から、既に悟っていたのかも知れません。
 孔明等に即位を促された時、彼は何を思っていたのでしょうか。
 既に義弟・関羽は死んでいます。
 劉備という人間としては、帝位などよりも関羽の死の方が気にかかっていたに違いない…私はそう思っています。
 嗣子劉禅の無能を、劉備は知っていた筈です。
 だって、そうでしょう?
 馬謖の本質を見抜いた彼が、それくらいの事に気付かない訳がありません。
 劉備は皇帝としてというよりも、乱世の英雄として考えたのでしょう。
 たとえ劉氏の「漢」が亡びる事になっても、優れた者が国を治めるべきだ、と。
 その意向に、もし孔明が従っていたら……。
 
 三國志が今の物ほど「面白い物語」ではなくなっていたな(笑)
【終わり】

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