煎り豆 − 【1】 BACK | INDEX | NEXT

2015/05/20 update
 子供のない老夫婦がありました。
 石の壁の小屋に住み、毛玉牛を二頭飼い、小麦の畑を三反ほど耕して暮らしていました。
 小屋は古くて、すきま風がぴゅうぴゅうと吹き込みます。
 牛は痩せていて、ぜいぜいと息をします。
 畑は荒れていて、ぼうぼうと雑草が生えています。
 老夫婦が若くて元気な頃は、すきま風が吹けばすぐに二人して漆喰で穴を埋めましたし、牛には二人して飼い葉をたくさん抱え持ってえさやりをしましたし、畑に草が生えたら二人して隅から隅まで草取りをしていました。
 ところが二人とも、すっかり歳を取ってしまったので、漆喰をこねると腕が痛くなり、飼い葉を担ぐと肩が痛くなり、草取りをすると腰が痛くなってしまいます。
 老夫婦は二人っきりで暮らしておりますから、おじいさんの肩が痛くなるとおばあさんがもんであげます。おばあさんの膝が痛くなるとおじいさんがさすってあげます。二人で腰が痛くなると、二人でベッドに横になります。
 二人は腕が痛くならないくらいに家を手入れして、肩が痛くならないくらいに牛の世話をして、腰が痛くならないくらいに畑仕事をして日々を過ごしております。
 家はどうやら崩れずにおりますし、牛はどうやら乳を出してくれますし、畑はどうやら収穫ができますから、二人はどうやら暮らして行けます。
 たくさんは食べられませんし、たくさんは着飾れませんし、たくさんの家具を揃えられはしませんけれど、二人とも今のままで良いだろうと思っておりました。
 ただ、たまに、ちょっとだけ、心の隅っこで、
「今のこのうちに、あと一人、いやもう一人、男の子と女の子の子供がいたなら、どんな楽しいだろうかな」
 と思うことがありました。
 お隣の家の同じくらいの歳の夫婦に、男の子と女の子の子供が一人づついるのを、とてもうらやましく思っていたからです。
 ただ、おじいさんはそう思っても口に出しませんし、おばあさんも言いませんでした。
 二人とももう歳を取りすぎていると分かっていましたし、二人とも相手がそのことで悲しんでいると知っていたからです。
 ある日のことです。
 二人はニワトリが鳴く前に目をさまし、日が昇りきる前にふすま粥を食べました。そうして朝露が乾く前に、小屋から出ました。
 その日は村の外れの神殿にお参りに行く日だからです。
 おじいさんは左手に杖を持っています。おばあさんは右手に杖を持っています。
 空いた右手と左手で手を繋いで、どっこいしょ、よいこらしょ、とゆっくり歩きます。
 神殿まで後半分まで来たところで、二人は道端の石に腰を下ろして休みました。
 おばあさんが煎った空豆の入った袋を出します。おじいさんがチーズの上澄みの入った水筒を出します。
 二人は煎り豆を口に入れましたが、堅くて噛むことができませんでした。
「若い頃にはパンと同じようにぱくぱく食べられたのに、歯が無くなってしまってはしゃぶるよりほかしかたがない」
 おじいさんは小さくため息を吐きました。
 それから二人は、チーズの上澄みを口に含みましたが、酸っぱくてむせてしまいました。
「若い頃には水と同じようにごくごく飲めたのに、喉ががさがさになってしまっては口の中を湿らせるだけしかしようがない」
 おばあさんは小さくため息を吐きました。
 二人は哀しくなりましたが、顔を見合わせるとにっこりと笑い合いました。二人とも同じように歳を取っているのですから、年寄りの気持ちがよく分かるのです。
 老夫婦はお互いの杖にすがり、お互いの手を引き合うと、よいこらしょっと立ち上がりました。そうしてまた、どっこいしょと歩き始めました。
 二人が神殿に着いた頃には、もう朝のお祈りの時間はとっくに終わっていました。村の人たちはおくれてやってきた老夫婦にちょっと頭を下げて、先に家に帰って行きます。
 人がいなくなった祭壇の前に行くと、老夫婦は辺りを見回してから、二人で一つのお財布を裏に返しました。中から銅貨が一枚きり転がり出ましたので、ふたりはそれを、浄財箱の中にそうっと入れました。
 老夫婦は杖を床において、床の上に直接ひざまづきました。お祈り用の敷物がなかったからです。それから目を閉じ、手を合わせました。
 おじいさんは歯のない口の中でもぐもぐとお祈りをしました。
「どうか私の奥さんが、元気で長生きできますように」
 おばあさんも歯のない口の中でもぐもぐとお祈りをしました。
「どうか私の旦那さんが、元気で長生きできますように」
 二人はほとんど同時にお祈りを終えて、ほとんど同時に目を開けました。ほとんど同じことをお祈りしていたから、ほとんど同じに、とってもゆっくりと立ち上がりました。
 すると、祭壇の上の方から光がすぅっと一筋、降りてきました。
 老夫婦が目をパチパチしばしばさせますと、祭壇の上に人の姿をした光が立っているのが見えました。
「持てる財産の総てを捧げた巡礼者に、神様のお告げがあります」
 人の姿をした光が、威厳ある人のように言うので、老夫婦は驚いてどすんと尻餅をついてしまいました。
 人の形をした光が、
「あなた方の子孫は大いに祝福されます」
 と言いましたので、老夫婦は驚いて今度はポンと飛び起きました。
「私たちには子供はいません」
 おじいさんが言いました。
「これから生まれる子供らと、そのまた子供らに祝福を」
 光の人が言いました。
「私たちは年寄りです」
 おばあさんが言いました。とても子供は産めませんと言いかけましたが、恐ろしくて口から言葉が出ませんでした。
「神様のお告げを信じないのですか?」
 光の人が怒ったような声で言ったからです。
 老夫婦が抱き合って震えていると、光の人は優しい声で
「さあ、帰ってあなた方の畑の一番日当たりの悪いところに、あなたの持っている煎り豆を一粒まいて、あなたの持っているチーズの上澄みを振りかけなさい。神様は例え火を通した豆に酢っぱい水をやったとしても、それを芽吹かせ、茂らせ、咲かせ、実らせることができます。それが証です」
 そう言うと、光の人はすぅっと消えてしまいました。
 老夫婦はがたがた震えて抱き合ったまま、ガクガクした足取りで神殿から出て行きました。杖を拾うのを忘れてしまうほど、恐れおののいていたのですが、二人は寄り添ったまま、ゆっくりゆっくり家に帰りました。
 古ぼけた石の壁の小屋に帰り着きますと、老夫婦は這うようにして畑へ行きました。そうして、狭い畑の中で一番日当たりの悪い、一番石ころのごろごろしたところを掘りました。
 老夫婦はお互いの顔を見合わせました。しわしわで真っ白な顔をしています。
 おじいさんが煎った空豆を一粒埋めました。
 おばあさんが煎った豆に痩せた土をかぶせました。
 おじいさんは地面をじっと見ました。おばあさんもじっと見ました。なにやら土が動いた気がしたからです。
「気のせいだったかな?」
「気のせいだったでしょうか?」
 二人ほとんど同時に言いました。
 ですが、すぐに二人はお互いの言葉が間違っていると気付きました。
 確かに、土の塊がひとつまみ、こそっと動いているのです。
 地面の下から突っつかれ、出っ張って、ぽこりと小さな山ができました。
 老夫婦は顔を寄せ、地面をのぞき込みました。
 山のてっぺんがぱっくりと割れ、土の小さな塊が崩れて落ちました。
 老夫婦はほっぺたをくっつけて、地面をのぞき込みました。
 小さな割れ間の中で、何かがきらりと光りました。
 老夫婦が地面に顔を近づけようとしたときです。きらりと光った何かが急に地面から突き出しました。
 おじいさんはひっくり返って尻餅をつきました。おばあさんは腰を抜かしてひっくり返りました。
 二人が驚いて円くなった目で見ましたら、地面から出てきたのは、青々としてつやつや光った、大きな豆のふたばでした。
「なんとあれまあ、芽が出た、芽が出た」
「煎った豆から、芽が出た、芽が出た」
 びっくりの上にびっくりした老夫婦は、思わず手を取り合ってピンと立ち上がりました。
「大変だ大変だ、水をあげねば育たない」
 おじいさんが言いましたので、おばあさんは酸っぱいチーズの上澄みをふたばの根元の地面にかけました。
 からからに乾いた痩せ土に、水気がぐんぐん吸い込まれてゆきました。
 撒いた上澄みが全部地面に吸い込まれると、ふたばがブルブルッと震えました。
 老夫婦がふたばをじっと見ますと、ふたばの間で何かがきらりと光りました。
 老夫婦がふたばに顔を近づけようとしたときです。きらりと光った何かが急にふたばの間から突き出しました。
 おじいさんはひっくり返って尻餅をつきました。おばあさんは腰を抜かしてひっくり返りました。
 二人が驚いて円くなった目で見ましたら、ふたばの間から出てきたのは、青々としてつやつや光った、大きな豆の本葉でした。
「なんとあれまあ、葉が出た、葉が出た」
「煎った豆から、葉が出た、葉が出た」
 びっくりの上にびっくりしたその上にびっくりした老夫婦は、思わず手を取り合ってシャンと立ち上がりました。
「大変だ大変だ、水をあげねば育たない」
 おじいさんが歌うように言いましたので、おばあさんは水筒に残った酸っぱいチーズの上澄みを全部地面にかけました。
 からからに乾いた痩せ土に、水気がぐんぐん吸い込まれてゆきました。
 撒いた上澄みが全部地面に吸い込まれると、本葉がブルブルッと震えました。
 老夫婦が本葉をじっと見ますと、本葉の間で何かがきらりと光りました。
 老夫婦が本葉に顔を近づけようとしたときです。きらりと光った何かが急に本葉の間から突き出しました。
 おじいさんはひっくり返って尻餅をつきました。おばあさんは腰を抜かしてひっくり返りました。
 二人が驚いて円くなった目で見ましたら、本葉の間から出てきたのは、青々としてつやつや光った、太い豆のつるでした。
「なんとあれまあ、つるが出た、つるが出た」
「煎った豆から、つるが出た、つるが出た」
 びっくりの上にびっくりしたその上にびっくりしたそのまた上にびっくりした老夫婦は、思わず手を取り合ってぴょんと跳ね上がりました。
「大変だ大変だ、水をあげねば育たない」
 おばあさんが歌うように言いましたので、おじいさんは家の中に飛んで戻り、すぐに瓶を抱えて飛び出しました。
 瓶の中には酸っぱいチーズの上澄みが少し残っておりました。
「大変だ、大変だ」
 おじいさんは瓶を抱えたままトントンと足拍子を踏みました。
「大変だ、大変だ」
 おばあさんは杓子ですくった上澄みを拍子に合わせてまきました。
 するとどうでしょう
 一まきするとつるが伸び、二まきすると枝が伸び、三まきすると葉が茂り、四まきするとつぼみが付いて、五まきするととうとう花が開いたのです。
「なんとあれまあ、花が咲いた、花が咲いた」
「煎った豆から、花が咲いた、花が咲いた」
 老夫婦は手を取り合って歌い出し、豆の木の周りでぴょんぴょんとはね踊りました。
 老夫婦はお互いの顔を見合わせました。つやつやでバラ色の顔をしています。
「なんと不思議なことだろう」
「なんと不思議なことでしょう」
 老夫婦は互いのつやつやした頬を重ねるようにして抱きつきました。
「実がなるだろうか?」
 おじいさんは……まるで働き盛りの元気な男の人のように、自分の奥さんを抱きしめていました。
「実がなりますよ」
 おばあさんは……まるで働き盛りの元気な女の人のように、自分の旦那さんに抱きついていました。
 夫婦はしばらく互いの顔をじっと見たあと、煎った豆から芽を出し育った豆の木のほうへ向き直りました。
 咲いたばかりの豆の花でしたが、ちょっと目をはなしたすきに、花びらがしわしわに縮んでいました。
 夫婦が見ていると花びらは枯れ落ち、小さな蕊《しべ》が顔を出しました。
「なんとまあ、実がなった、実がなった」
「煎った豆から、実がなった、実がなった」
 夫婦は抱き合って踊りました。一跳ねする間に鞘が伸び、二跳ねする間に天を指し、三跳ねする間に膨らんで、四跳ねする間に頭を垂れ、五跳ねするころにはすっかり穫り入れ時になっていました。
「これは大変だ」
 おじいさんは、慌てて農具置き場へ駆け込みました。
「これは忙しい」
 おばあさんは、大急ぎで家の中へ駆け込みました。
 おじいさんは小さな鎌と手斧を持ってきました。
 おばあさんは大きなカゴと鉄鍋を持ってきました。
 おじいさんは若い男の人のようにしゃきんと腰を伸ばして、たくさん実った空豆の鞘を、上から下まで順番に、一つ残らずつみ取りました。
 おばあさんは若い娘のようにしゃきんと背筋を伸ばして、たくさん穫られた空豆の鞘から、右から左まで順番に、一つ残らず豆を取り出しました。
 豆の鞘は、小さな鎌の刃がぼろぼろになるほどたくさん実っていました。
 豆の粒は、大きなカゴから溢れ出すほどにたくさん詰まっていました。
「豆の木が枯れてしまったね」
 おじいさんはちょっと寂しそうに言いました。
「豆の木は枯れてしまいましたね」
 おばあさんはちょっと寂しそうに答えました。
「さあ退いておくれ。豆の木が倒れる前に切ってしまうよ」
 おじいさんはそういうと、豆の木の根元を手斧で伐りました。
 不思議な空豆の木の幹は、まるでデオドラ杉のように堅かったのですけれど、おじいさんが手斧を一振りするとみしりと震え、二振りするとぐらぐら揺れて、三振りすると傾きはじめ、四振りすると斜めになって、五振りしたならどすんと倒れてしまいました。
 それからおじいさんは豆の木を五つに切り分けました。
 一番太いところは薄く割って大きな板にしました。板は夫婦の家のテーブルや扉や屋根を全部修理してもまだ余るほど取れました。
 次に太いところはきれいに削って角材にしました。角材は夫婦の牛小屋の柱や柵や格子を全部修理してもまだ余るほどたくさん取れました。
 次に太いところは円く削って太い棒にしました。棒は家中の天秤棒やチーズのかき回し棒や物干し竿を全部新調してもまだ余るほどたくさん取れました。
 次に太いところは、割って削って細い棒にシマした。細い棒は家中のスプーンやかぎ針や洋服かけを全部新調してもまだ余るほどたくさん取れました。
 最後に余った細い枝は、短く切って薪にしました。薪は家中の暖炉やストーブで五年使ってもまだ余るほどにたくさん取れました。
 地面にまるあるく残った切り株は、まるで立派なカマドのようでした。
 おばあさんはそこに鉄鍋を置きました。
「さあ退いてください。豆の実が堅くなる前に炊いてしまいますよ」
 おばあさんは空豆の鞘の中の柔らかいわたに種火を付けました。
 種火は鉄鍋の下でモクモク煙を立てました。
 種火の上には豆がらをのせました。
 豆がらにうつった小さな火はパチパチとはじけました。
 小さな火の上には豆の木の小枝をくべました。
 小枝にうつった火はゆらゆらと揺れました。「さあ鍋に水を入れよう」
 おじいさんは元気な声で言いました。
 井戸まで走ってゆきますと、大きなおけに二つ水をくみ上げました。
 おばあさんはおけを傾けて、鉄鍋に水を注ぎました。
「それお湯がわきますよ」
 おばあさんが元気な声で言いました。
 小屋まで走って行きますと、小さなツボを二つ抱えて戻りました。
 おじいさんはツボを傾けて、鉄鍋に塩とコショウを入れました。
「さあ豆を入れよう」
 おじいさんは元気な声で言いました。
 大きなカゴを持ち上げて、頭の上に掲げました。
 おばあさんはカゴを傾けて、鉄鍋に豆を入れました。
「それスープが煮えますよ」
 おばあさんが元気な声で言いました。
 豆の木の棒でかき回し、豆の枝の匙で味を見ました。
 おじいさんは鉄鍋を傾けて、チーズの上澄みのツボにスープを入れました。
 空豆は、たくさんのスープを煮てもまだ、カゴから溢れ出すくらいに残っていました。
「残りの豆は煎り豆にして、冬の蓄えにしましょう」
 おばあさんはからになった鉄鍋に、大きなカゴを傾けて、空豆をがらがらと流し込みました。
 煎られた豆は鍋の中で、ポンポンと元気に爆ぜました。
「まるで子供が踊っているようですね」
 おばあさんが言いますと、
「まるで子供が跳ねているようだね」
 おじいさんも言いました。
「この豆のように元気な子供が、この豆のようにたくさん生まれたらいいだろうね」
 おじいさんはそういって、自分の奥さんの顔をみました。
 奥さんはまるで結婚式が終わったばかりの晩の花嫁さんのような顔で、にこにこ笑っていました。
「この豆のように元気な子供が、この豆のようにたくさん産まれたらいいでしょうね」
 おばあさんは層って、自分の旦那さんの顔を見ました。
 旦那さんはまるで結婚式が終わったばかりの晩の花嫁さんのような顔で、にこにこ笑っていました。
 夫婦が不思議な豆の実の全部に火を通おえますと、太陽はすっかり地面の下に沈んでおりました。
 あたりはすっかり真っ暗で、足元さえも見えません。
「今日はなんて忙しい日だったのだろう」
 おじいさんは豆がらを燃した残り火を豆の木の枝を束ねたたいまつに移しました。
「今日はとても忙しい日でしたね」
 おばあさんはたいまつの明かりを頼りにしておじいさんの側に寄りました。
「お前は疲れたかい?」
 おじいさんがききました。
 真っ暗な宵闇の中でおばあさんの影が首を横に振りました。
「あなたは疲れましたか?」
 おばあさんがききました。
 真っ暗な宵闇の中でおじいさんの影が首を横に振りました。
 夫婦は手を取り合って、古い石壁の小屋に帰りました。
 次の日の朝になりました。
 古い石の壁の小屋の屋根の上に、元気な男の人が登っておりました。
 男の人はたくさんの板を抱えているというのに、煎り豆が爆ぜるように軽やかな足取りで、屋根の上を飛び回り、屋根板の隙間や割れ目や節穴をあっという間に全部塞いでしまいました。
 通りかかった村の鍛冶屋はその手際の良さにびっくりして言いました。
「あの若い男は誰だろう? 顔つきはこの石壁の小屋のじいさんによく似ているけれど」
 鍛冶屋が知っているおじいさんは、杖を突いてようやく歩けるほどのよぼよぼですから、屋根の上に上れるはずがありません。
 鍛冶屋は小さな声で呟いたのですが、屋根の上の人は大層耳がよいらしく、鍛冶屋の方へ顔を向けました。
「そこにいるのは、鍛冶屋じゃないか。丁度良かった。毛玉牛に引かせる鋤の歯が欠けているのを、大急ぎで直してくれないか? これからすぐに畑をたがやしに行くから」
 鍛冶屋は益々びっくりして、また呟きました。
「この若い男は誰だろう? 声はこの石壁の小屋のじいさんによく似ているけれど」
 鍛冶屋が知っているおじいさんは、耳元で喋らないとなにも聞こえないくらい耳が遠いのですから、屋根の上からこちらの声に気付くはずがありません。
 小首をかしげておりますと、屋根の上の男の人はいきなり屋根からポンと飛び降りました。そうして驚いている鍛冶屋に向かっていったのです。
「わしはこの石壁の小屋のじいさんさ。あんたはわしより二ダースは若いのに、目も耳も遠いらしい」
 確かによく見れば、目も鼻も口もおじいさんそのままですが、目尻にも花の下にも口の脇にも皺一本だってありません。
「じいさん、一体どうしなすった?」
 鍛冶屋は大変驚きました。
「訳を話すと長くなる。そうだ、小屋にお入り。豆のスープをご馳走しよう。食べながらきいておくれ」
 若者のようなおじいさんにうながされ、鍛冶屋が小屋に入りますと、窓の外側に若い娘さんが一人歩いておりました。
 娘さんは大きな瓶に毛玉牛の乳をたっぷり入れた大きな瓶を頭の上にせたまま、煎り豆が爆ぜるように軽やかな足取りで歩いています。
「あの若い娘は誰だろう? 顔つきはこの石壁の小屋のばあさんによく似ているけれど」
 鍛冶屋が知っているおばあさんは、杖を突いてようやく歩けるほどのよぼよぼですから、瓶を頭にのせたまま歩けるはずがありません。
 鍛冶屋は小さな声で呟いたのですが、娘はは大層耳がよいらしく、鍛冶屋の方へ顔を向けました。
「そこにいるのは、鍛冶屋さんじゃないですか。丁度良かった。毛玉牛の毛を刈る鋏の刃が欠けてしまったんです。大急ぎで直してくれませんか? これからすぐに毛糸を紡いで織物をしますから」
 鍛冶屋は益々びっくりして、また呟きました。
「この若い娘は誰だろう? 声はこの石壁の小屋のばあさんによく似ているけれど」
 鍛冶屋が知っているおばあさんは、耳元で喋らないとなにも聞こえないくらい耳が遠いのですから、部屋の外からこちらの声に気付くはずがありません。
 小首をかしげておりますと、外にいるむすめはいきなりまどからひょいと小屋の中に入ってきました。
 そうして驚いている鍛冶屋に向かっていったのです。
「わしはこの石壁の小屋のばあさんですよ。あなたはわしより二ダースは若いのに、目も耳も遠くなったのですか」
 確かによく見れば、目も鼻も口もおばあさんそのままですが、目尻にも花の下にも口の脇にも皺一本だってありません。
「ばあさん、一体どうしなすった?」
 鍛冶屋は大変驚きました。
「訳を話すと長くなる。そうだ、テーブルにお付き。豆のスープをご馳走しますよ。食べながらきいておくれ」
 娘のようなおばあさんにうながされ、鍛冶屋はテーブルに着きました。
 鍛冶屋は空豆がたっぷり入ったスープを飲みながら、若いおじいさんと若いおばあさんから、昨日起きた不思議なことを話を聞きました。
 若者のようなおじいさんと、娘のようなおばあさんは、神殿の合唱団のように節を付けて、声を揃えて話しました。
「よぼよぼのじいさんとよぼよぼの婆さんが、朝一番にでかけた。
 二人揃って杖を突いて、神殿まで歩いていった。
 空っぽのお財布のそっこから、銅貨を一つ捧げた。
 心を込めてお祈りしたら、天から御使いが降りてきて、
 じいさんとばあさんに子供ができると仰った。
 それから煎った豆を植えろと仰った。
 酸っぱい上澄みで育てろと仰った。
 言われたとおりに豆をまき、言われたとおりに上澄みをかけた。
 すると不思議、煎り豆から芽が出た。
 不思議不思議、あっという間に木になった。
 あっという間に花が咲き、あっという間に実がなった。
 それがその豆、たくさんの豆。
 夕べたらふく食べて、今朝たらふく食べてもまだ減らない。
 なんて幸せな煎り豆だろう」
 鍛冶屋はびっくりして訊ねました。
「その豆を食べてじいさんたちは若返ったのかね?」
 おじいさんとおばあさんは首を振りました。
「食べる前から元気が出てね」
「食べる前から若返った気がしたよ」
「なるほどなるほど。それではきっと、じいさんたちが普段から良い人だから、神サマが元気をお恵み下さったんだろう」
 鍛冶屋は合点して、大きくうなずきました。
 すっかり若返って元気になった夫婦の話を聞きながら、豆のスープをたっぷり飲んだ鍛冶屋は、なんだか自分も力が湧いてきた気がしてきました。
 実際、鍛冶屋は元気になっていたのです。
 実は鍛冶屋の家も蓄えが多くないので、今朝は飯を食べずに家を出なければならなかったのです。
 そこへ不思議な豆のスープがおなかにたっぷり入ったので、体の端々まで力がみなぎったのでした。
 鍛冶屋は張り切って鋤を直しました。
 鋤は大きな石ころに当たったとしてもなにもなかったように真っ直ぐ進めるほど、見事に修繕されました。
 若返ったおじいさんはすっかり喜んで、
「ありがとうありがとう、これで明日には畑仕事ができるだろう」
 と、嬉しそうに言いました。
 鍛冶屋不思議に思って、
「すぐに仕事に取りかかったら、今日中にだっておわるだろうよ」
 するとおじいさんは、
「これから神殿にお礼参りに行くからね。畑仕事はそれからさ」
 にこにこと笑いました。
 それから鍛冶屋は張り切って鋏を直しました。
 鋏は脂で固まった毛玉があったとしてもなにもなかったように真っ直ぐ進めるほど、見事に修繕されました。
 若返ったおばあさんはすっかり喜んで、
「ありがとうありがとう、これで明日には畑仕事ができるでしょう」
 と、嬉しそうに言いました。
 鍛冶屋不思議に思って、
「すぐに仕事に取りかかったら、今日中にだっておわるだろうよ」
 するとおばあさんは、
「これから神殿にお礼参りに行きますからね。畑仕事はそれからよ」
 にこにこと笑いました。
 でもすぐに夫婦は困った顔をして、ふたり声を揃えて言いました。
「畑の麦ができて、毛玉牛の毛織物ができるまで、修繕のお金は待ってもらえないだろうか」
 すると鍛冶屋は大きく笑って、
「お金のかわりに煎り豆を少しくれないか。今食べたのがとてもおいしかったから」
 若返った老夫婦は大喜びして、煎り豆を袋に一杯詰め込んで鍛冶屋に渡しました。
 鍛冶屋は老夫婦の石の小屋を出ると、村の真ん中に向かいました。そこには村で一番の金持ち長者の家があるのです。
 村で一番の金持ち長者は、村で一番広い麦畑を持って、村で一番たくさんの毛玉牛を飼っています。
 村で一番大きな家に住んでいて、村で一番立派な服を着ています。
 広い広い麦畑には、畑仕事をする作男が幾人もおりましたが、みなお給料はちょびっとだけでした。
 たくさんの毛玉牛の世話をする牧童がいくにんもおりましたが、みなお給料はちょびっとしかもらっていませんでした。
 広いお屋敷には、お金持ちの家族の世話をする使用人がたくさんおりますが、みなお給料はちょびっとしかもらっていませんでした。
 村で一番の金持ち長者は、農具を作った鍛冶屋にも、家を建てた大工にも、服を作った仕立屋にも、お金は少ししか払いません。
 そのくせ、月に一度は新しい鎌を作らせますし、十日に一度は家の建て増しをさせますし、毎日新しい服を仕立てさせるのです。
 それでも鍛冶屋も大工も仕立屋も、金持ちの家の仕事をしたがりました。少しばかりでも貰えないよりはマシだからです。
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