桑の樹の枝の天蓋の内 − 帰り道 【1】 BACK | INDEX | NEXT 2014/09/20 update |
「ほい、そこの人」 初夏の日差しがまぶしかった。 劉(りゅう)叔郎(しゅくろう)は聞き慣れない声に、目深に被っていた編み笠を、わずかにあげて振り向いた。 薄汚い童子と痩せた山羊を連れた、顔色の悪い食い詰め易者が、胡散臭気な笑みをこちらに向けている。 「俺の事かい?」 「そう、おまえさんの事だよ。……おまえさん、いい相をしているねぇ」 「いくらほめても観料は出ないよ」 叔郎は笠の縁を引き戻して、立ち去ろうとした。 踏み出した一歩目が大地を蹴る前に、易者はぼそりとつぶやいた。 「そうかね。……商売は繁盛したようだが」 そういって彼が指したのは、叔郎が担いでいた天秤棒の先だった。 そこには、売れ残りの草履が二足、申し訳程度に下がっている。 叔郎は、ビタ銭で膨れた懐をさすった。 「こいつらは、もう、行き先が決まってるよ」 銭という奴らはせっかちで、貧乏人の懐で長逗留する余裕を持っていない。 易者は破顔して、 「要らん、要らん。ただ、おまえさんの人相が珍しかったんで、声をかけたまでの事さ」 「見えもしない笠の内の人相が珍しいかどうかを、老師(センセイ)、よく判りなすったね」 叔郎が茶化すと、易者は自分の両耳たぶを引っ張って見せた。 「耳朶(じだ)の長いのは貴相かつ吉相でな。おまえさんのように特段立派なヤツは、『垂肩耳(すいけんじ)』てぇ言って、『九五の尊、身は実に賢し』な相だ。つまり、おまえさんの耳には、おまえさんは頭が切れてとことん出世する、と表れているのさ」 易者に言われるまでもなく、叔郎の耳は、文字通りの『垂肩耳』だった。 外耳全体が大振りな上に、垂れた耳たぶは深編み笠の縁からはみ出す程に長い。 叔郎はこの耳を嫌っている。口さがない悪友共が彼を「兎」などと呼ぶのが、これの所為だからだ。 彼は口をへの字に曲げて、己の耳たぶを摘んだ。 「これが貴相なら、兎は軒並み皇帝だ」 「高祖も光武帝も、耳朶のでかい方だった。また武帝も福耳だったぜ。……ま、拝顔の叶うた訳じゃねぇが」 高祖こと劉邦(りゅうほう)は漢……西漢……を興した人物、その漢帝国が百有余年を経て佞臣に簒奪された時、帝室を復興させた……東漢……のが光武帝・劉秀(りゅうしゅう)である。 易者が最後に名を挙げた武帝は、諱(いみな:本名)を劉徹(りゅうてつ)と言う。 劉邦の曾孫に当たり、西漢の第七代皇帝である彼は、漢の版図を……その諡号しごうが示すように……武力に因って飛躍的に広げた。 『平定』された側にとっては、いい迷惑だが、漢王朝の視点から見るには、英雄的皇帝である。 「肖像画なんて、当てになりゃしない。偉くなった人の顔は、偉く見えるように描くんだから」 叔郎は憮然とした声音を出した。何とも子供じみた口調だったが、言うことは的を射ている。 易者も頷いていた。 「然り、然り。偉い人は偉い顔をしてるってぇのが『易学』の考え方なんでね。だからこそ、何かの拍子に偉くなっちまった凡人は、さも自分が元々偉い人相をしていたかのように振る舞う、てぇ訳さね。つまり、それだけみんな『易』を信用しているってことさ」 「まあ、そういう言い方もできるけれど……」 個人的には承知しかねない。けれども世の中の考え方はこうなのだ。叔郎は渋々易者に賛同して見せた。 易者は更に大きく頷いた。 「だからおまえさんも、この儂の言うことに、少しだけ耳を傾けな」 叔郎が返事に窮していると、易者はひょいと伸び上がって、強引に彼の編み笠を取りあげた。 昼下がりの目映い光に目をしかめたのは、陽に焼けた、つるりとした頬の、整った顔立ちをした少年だった。 彼の広い肩幅と高い上背から、二十歳前後の青年を想像していたらしい易者は、一瞬、目を見張った。 しかし、すぐに出来の良いカブラでも観るかのように、彼の品定めを始めた。 「ふむ、やはり頭骨長く、面体は細長い。眼は切れ長で、眉も長い。上顎前歯も他に比ぶればやや長いか……。耳朶と併せて『六長格(ろくちょうかく)』よな。命数長く大志を達する相だ。それから、両腕長く膝下に達す……」 「いくら何でも、猿じゃあるまいに、そんなに長かぁないよ」 叔郎はむくれて、二つ目の引け目を隠すように、胸の前で腕を組んだ。 易者は少年の心地など意にも止めず、続ける。 「口を挟むでない。両腕が長く膝下に達するのは『領袖格(りょうしゅうかく)』と言ってな、王覇の相なのだぞ。……ほれ、次じゃ。目ン玉だけで横を向いてみぃ。己の耳が見えるか? それは『怙吉(こきつ)』の相だ。この相を持つ者は信頼に足るから、怙(たより)にして吉(よい)と言われておる。……つまるところ、お前さん、自身の好むと好まざるとに関わらず、いろんな連中から慕われるっちゅう相をしとる、という訳じゃ」 しっかりと良く聞き取れる早口でまくし立てた後、易者は、ほう、と嘆息した。そうして、足下に目を転ずると、連れの童子に向かって言った。 「よう見ておけよ。教本の絵図なんぞよりも良い、吉相の見本ぞ」 五・六歳ぐらいに見受けられる、汚れた、しかし利発そうな童子は、易者に言われるままに、叔郎の顔を穴の明くほどに見つめた。 「で、結局、俺はどんな人間なのさ?」 とことん褒めちぎられて、ようやくその気になってきた叔郎が、身を乗り出して尋ねると、易者は眉を引き締めて答えた。 「漢高祖の相」 「それはまた、大仰な」 叔郎の喉から、半分呆れ、半分昂揚した声が漏れた。 すると易者は、 「当たるも八卦、当たらぬも八卦。信じる信じないは、おまえさん次第よな」 と、再び胡散臭い笑みを浮かべた。 「じゃぁ、当たる方の八卦を信じようか」 劉叔郎はふんわりと笑うと、天秤棒の先から草履を取った。 「銭の行く先は決まっているけど、こいつらはまだ『嫁入り前』だ。観料代わりに貰ってくれよ。……老師の沓くつは、ずいぶんくたびれているようだしね」 易者は深々と頭を下げて草履を受け取った。そして 「ああ、いけない。易を立てるってぇのに、おまえさんの生まれも名も、聞いちゃいなかったな」 と苦笑いした。 「延熹四年春の生まれ、名は劉叔郎」 彼は満面の笑みを浮かべて答えると、直後に、 「老師の御名は?」 と、接げた。 「李定(りてい)。……ま、おまえさんが大成した頃に思い出してくれや。それまでは、儂の事など忘れっちまいな」 李定は、二足の草履を肩に振り分けると、童子と山羊を引いて、行った。 |
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