煎り豆 − 【5】 BACK | INDEX | NEXT 2015/05/20 update |
村で一番の金持ち長者が目を覚ましますと、そこは神殿の中でした。朝なのか夕なのか知れませんが、赤々とした光が礼拝場の中をゆらゆらと照らしております。 神殿の中にはたくさんの人たちがいるのですが、みな自分のお祈りが忙しくて、長者の方を見る者はおりません。 長者は少し腹立たしくなりました。 自分は村で一番の金持ち長者なのです。村長だって頭を下げる村で一番偉い長者です。村の人たちが自分に挨拶しないなんて、とても信じられませんし、とても許せませんでした。 長者は大きな声を出してみようかと、少しだけ思いました。そうすればみんながこちらを向く筈です。 でも、すぐに考え直しました。 なにしろ神殿の神官や僧侶たちときたら、万一神殿の中で無駄に大きく騒ぎ立てる者がいたなら、子供であろうと年寄りであろうと、物乞いであろうと王様の家来であろうと、 「不敬をするものは地獄に堕ちるぞ」 と怖い顔で呪いをかけるのです。 もっとも、呪いはすぐに解いて貰えます。ただし、とても高い贖宥符《しょくゆうふ》のお札を買わなければなりませんけれども。 村一番の金持ち長者は地獄に堕とされる呪いなどはこれっぽっちも怖いと思っていません。でも、余分なお金を出してお札を買わされるのは身震いするほど恐ろしいと思っています。 ですから神官や僧侶たちが怒るようなことは、たとえ思いついたとしても、本当にやったりはしません。 村で一番の金持ち長者は、大声を上げたりしないで、でも大きな騒ぎになる方法をよく知っていました。 長者は急いで浄財箱の前に行きました。そうして銅貨を三枚ほど取り出すと、箱の中に投げ入れました。 村一番の金持ち長者が投げた銅貨は、落ちてゆく途中でぶつかり合って、ちゃりんちりんと大きな音を立てました。 あんまり大きな音なので、礼拝場にいた人たちの半分ほどが、浄財箱の方に顔を向けました。 村で一番の金持ち長者はお金を普通に投げたのではありません。長者だけが知っている、少ないお金で大きな音が鳴る投げ方で投げたのです。 僅かな銅貨で礼拝場全部に響くような音を立てる方法を知っているのは、この村では長者だけです。 他の人には、そんな方法を知る必要がありませんでしたから、当然のことでした。 大きな音に気付いた人たちは浄財箱とその前に立っている長者とをじっと見つめました。 「きっとあの人がたくさんのお金を投げ入れたのだろう」 村一番の金持ち長者にはささやく声が聞こえました。長者はにんまりと笑いました。 長者はもう三枚銅貨を投げました。 投げた銅貨は落ちてゆく途中でぶつかり合ってちゃりんちりん、箱の底に落ちた銅貨が先に入れた銅貨にぶつかってちゃりんじゃりん、とさきほどよりももっと大きな音を立てました。 あんまり大きな音なので、礼拝場にいた人たちのほとんどと、祭壇の前に控えていた若くて耳の良い神官や僧侶たちが浄財箱の方に顔を向けました。 大きな音に気付いたその人たちは浄財箱とその前に立っている長者とをじっと見つめました。 「たくさんお金を投げ入れたあの人は、なんて信心深い人なのだろう」 村一番の金持ち長者にはささやく声が聞こえました。長者はにんまりと笑いました。 長者は最後にもう三枚の硬貨を投げました。 投げたお金は落ちてゆく途中でぶつかり合ってちりんちりん、箱の底に落ちたお金が先に入れた銅貨にぶつかってちゃりんちゃりん、とさきほどよりもずっとちいさな音を立てました。 それでも、礼拝場にいた人たち全員と、祭壇裏に控えていた年寄りで位の高い神官や僧侶たちが浄財箱の方に顔を向けていました。 遠くの人にも近くの人にも金色に光るお金が箱の中に落ちてゆくのが見えたからです。 「金貨をあんなにたくさん寄進するなんて、あの方はなんと立派な人だろう」 村一番の金持ち長者にはささやく声が聞こえました。長者はにんまりと笑いました。 古ぼけた銅貨を古くなった葡萄のお酢で磨き上げて、金貨のようにピカピカ光るお金にする方法を知っているのも、この村では長者だけです。 他の人には、そんな方法を知る必要がありませんでしたから、当然のことでした。 さて、たくさんの人たちの目を自分に向けさせた長者は、襟を正して胸を張って祭壇の前へ行きました。そうして、恭しく頭を下げますと、大きな身振りと大きな声でお祈りを始めました。 神殿はお祈りをする場所ですから、お祈りならば大きな声を出しても怒られません。逆に、神官も僧侶もその他の人たちも、熱心にお祈りをする信心が深い人だと思うことでしょう。 本当に信心深い人ならば、それは本当に良いことなのですけれども、村一番の金持ち長者は本当に信心深い人とは違っておりました。でもどのように違っているのか、誰にも判りませんでした。村一番の金持ち長者自身も違いがちっとも判っていないのですから、仕方がありません。 長者は大きな声でお祈りの文句を叫び、大きな身振りで拝礼をしました。 「なんて熱心なお祈りをする、偉くて立派な人だろう」 村一番の金持ち長者にはささやく声が聞こえました。長者は、顔が上を向いている間は真剣な顔をしていましたが、顔が下に向いた途端ににんまりと笑いました。 地面にひれ伏していた長者は、にんまり顔をきゅっと引き締めてから、とってもゆっくり頭を上げました。 すると、祭壇の上の方から光がすぅっと一筋、降りてきました。 村一番の金持ち長者が目をパチパチしばしばさせますと、祭壇の上に人の姿をした光が立っているのが見えました。 「有り余るものの中から僅かに捧げた巡礼者に、神様のお告げがあります」 人の姿をした光が、威厳ある人のように言うので、長者は驚いてどすんと尻餅をついてしまいました。 人の形をした光が、 「あなたの財産はあなたの片方の掌の中に握っていられる分と同じほどになります」 と言いましたので、村一番の金持ち長者は驚いて今度はポンと飛び起きました。 「私にはたくさんの財産があるのに」 長者が言いました。片方の掌の中に握っていられるだけの財産といったら、どれほど少ないものでしょう。 「これまでの行いと、これからの行いに正しい報いを」 光の人が言いました。 「どんな報いもあるはずがない」 長者が言いました。悪いことなどしていないのだからと言いかけましたが、恐ろしくて口から言葉が出ませんでした。 「神様のお告げを信じないのですか?」 光の人が怒ったような声で言ったからです。 村で一番の金持ち長者が自分の体を抱えて震えていると、光の人は優しい声で 「さあ、目を覚ましてあなたの友人があなたにしてくれたことに感謝をしなさい。神様は例え誰一人として見ておらず知ることのなかったことでさえも、よくご覧になってよく知っておられます。正しいことには正しく報われ、正しくないことには厳しい報いがあるでしょう」 そう言うと、光の人はすぅっと消えてしまいました。 光の人が消えるのと同じに、神殿の中の明かりもすぅっと消えてしまいました。 薄ぼんやりとした赤い闇が、長者の回りに漂っております。形のあるものは何も見えません。それは、まるで光の中で目を閉じているような景色でした。 村で一番の金持ち長者は、急に冷たい夜風が吹き付けているように体が芯から冷えてきたような気がしました。 それでいて、火で炙られたように体中が火照っている気もしました。 その上、鋭いものや硬い物で突かれたり叩かれたりしたように体中が痛む気もいたしました。 長者は慌てて目を開けました。 薄ぼんやりとした赤い闇ばかりで、まるで光の中で目を閉じているような景色だと思えたのは、長者が本当に目を閉じていたからでした。 村で一番の金持ち長者は、凍えて震え、火に炙られて汗みどろになり、痛んで痺れる体を、どうにかこうにか動かしました。 長者は、ゆっくりじっくり時間を掛けて、ようやくくたびれた獣のように両手両足を地面に突いた格好にまで起き上がりました。 でも人のように両足で立ち上がることはできませんでした。体が寒くて熱くて痛くて疲れ果てていたからです。 「ああ寒い。ああ熱い。ああ痛い。ああお腹が空いた」 なんだかとっても情けなく、なんだかとっても寂しくなって、村一番の金持ち長者は涙をひとしずくこぼしました。 涙はほっぺたを伝って顎の先に流れ、ぽろりと落ちました。そうして地面にぴたりとくっついた手の甲にぽとんと落ちました。 すると長者は、涙の滲んだその手の、掌の下に何かあることに気付きました。 肩も肘も手首も指も少しばかりしか動きませんでしたが、肩と肘と手首と指を少しずつ動かしましたら、掌は地面から少し浮き上がりました。 長者は掌と地面の隙間を覗き込みました。 地面は平らで、石ころ一つありませんでした。 「確かに何かあると思ったのに」 村で一番の金持ち長者は頭の中で言いました。口から言葉を出せないほど、寒くて熱くて痛くて疲れていたからです。 長者はもう一度掌と地面の隙間をよく見ました。 確かに地面には何もありません。 ですが、真っ青に凍えて、真っ黒にすすけて、真っ赤に腫れ上がった掌の真ん中のくぼみに、丸い何かが貼り付いておりました。 長者は目を凝らして、丸い物をよくよく見ました。 空豆の粒でした。 外の皮は黒く固く、中の実は白く堅くなっております。 表にも裏にも中にも火のしっかり通った、煎り豆の粒でした。 長者は光の人の言ったことを思い出しました。 『あなたの財産はあなたの片方の掌の中に握っていられる分と同じほどになります』 「ああ、これがわしの財産か」 なんだかとっても悔しくて、なんだかとっても悲しくなって、長者は両手両足四つを地面に付いた格好のまま、ぼろぼろと涙をこぼして泣きました。 泣きながら長者は光の人の言ったことを思い出しました。 『あなたの友人があなたにしてくれたことに感謝をしなさい』 長者は考えました。 「誰に感謝をしろというのだ」 料理人も織工も人足も小作人も使用人も、それからお屋敷に仕事に来る人たちも、全部クビにしてしまいました。今、長者の回りには、一人の人もおりません。 長者は考えました。 「誰が友人だというのか」 料理人も織工も人足も小作人も使用人も、それからお屋敷に仕事に来る人たちも、全部友達ではありません。元より、長者の回りには一人の友人もおりませんでした。 なんだかとっても虚しくて、なんだか自分が哀れになって、長者は両手両足四つを地面に付いた格好のまま、大声を上げて泣きました。 長者の耳にガラガラと物の崩れ落ちる大きな音が聞こえました。 村一番の金持ち長者の立派なお屋敷が炎に焼かれて燃え尽きて、崩れて落ちた音でした。村一番の金持ち長者の大きな己惚れが炎に焼かれて燃え尽きて、崩れて落ちた音でした。 |
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