この物語はフィクションゆえ、寛大な読者のみなさまにおかれては、なにとぞ重箱の角をつつかないようにお願いしたい。
◆上田城修復(再建)の許可は、真田信之公が上田藩主だった間は降りなかった。
藩主は藩主屋形(通称「御屋敷」。現在は跡地に長野県上田高等学校が建つ)に暮らし、政もそこで行われていた。
◆1622年(元和八年)信之公が松代へ移られた後、1626年(寛永三年)に上田へ入城された仙石忠政公の代になってようやく幕府から許可を得、再建を開始。
ところが二年後の1628年(寛永五年)に忠政公は死去。
後を継いだ仙石政俊公、更にその後の仙石政明公の頃は藩政が行き詰まりを見せており、城の再建どころではなかった模様。
本丸の三棟の櫓(南櫓、北櫓、西櫓)ができた辺り(一説に櫓は全部で七つだったも)で再建を断念。
◆仙石家が出石に移封となると、1706年(宝永三年)に松平忠周(忠徳)公が城主となり、以降明治維新まで松平家が城主となる。
しかし松平家の治世でも上田城を「本格的な城」にする普請は行われないまま、廃藩置県にいたる。