天正10年(1582年)春――。
武田家が滅んで、遺臣達が身の置き所を捜している中、真田家は織田に従属する道を選び、関東守護となった滝川一益の配下となった。
一益主催の茶会に招かれた真田家当主・昌幸とその嫡男・源三郎信幸は、その席での振る舞いから滝川家の面々に気に入られる。
特に源三郎を気に入ったのが、前田宗兵衛利貞、通称・慶次郎であった。
昌幸は織田家従属の証人(人質)として次男・源二郎を木曽へ送り、末娘・照を厩橋の一益の元へ置く。そして自身は旧領の砥石城へ、源三郎は信濃と上野の国境にある岩櫃城へと入る。
昌幸は砥石城に座したまま、ノノウ(歩き巫女)の情報網を使って世の趨勢を探っていた。
天正十年の夏。
照姫と一益の嫡孫・一積(かずあつ)との縁談が持ち上がったり、源三郎が慶次郎に厩での酒宴に招かれたりと、平穏な時が流れていた。
しかし「本能寺の変」の発生で、事態は急変する。
織田信長の気に入りであった森長可が、任地松代を「脱出」する途中立ち寄った木曽福島城で一騒動を起こしている間に、源二郎は木曽を脱出。
父昌幸から、上州と信州の国境である北国街道碓氷峠へ向かうように命ぜられた源三郎は、事態が切迫していると判断。
飄乎として忍者を自称する出浦盛清と、配下のノノウ・垂氷(つらら)に、厩橋城に人質として留め置かれている妹・照の救出を託し、自らは乳兄弟の祢津幸直らを引き連れ、農民に偽装して碓氷峠へ向かった。
これは、真田信幸による「慌ただしき十六歳の夏」の回述である。