力の元が何であれ、その時御子は立ち上がったのは事実。そして立ち上がった御子は、蛍火虫の小さな光を灯火代わりに、辺りを見回しました。
幽霊屋敷の中は、御子が想像していた……つまり、君が想像しているような……ものとは、大分違っていました。
御子は、腐った床板や、崩れた土壁や、破れた窓、抜けた天板を想像していた。室内は埃やカビの匂いのする、生暖かい空気に満ちていると思いこんでいた。
しかし実際はと言えば、床板は綺麗に並び、壁の漆喰にはヒビもなく、窓は隙間なく閉まり、天井から空やその他の何かが見えるようなこともありませんでした。
空気はひんやりと澄んでいて、埃も、カビの胞子も、一つたりとも舞っていません。
ただ、鼻を利かせると、薪を焚いた後の煤の匂いが僅かに漂っているのが解りました。
誰かが住んでいて、ほんの僅かの間留守にしているだけの、普通の百姓家そのものとしか思えませんでした。
では、その誰かとは、一体何者なのか? 御子は考えました。
幽霊が家を手入れして美しく保ったりするか? 物の怪が室内を埃一つない状態にするために掃除をしているというのか? 悪鬼が暖炉に火をくべたりするのか?
否、否、否。
ここには人間がいる。
人間ならば、生きている者であるならば、何を怖れることがあろうか。
先ほどまで、見えぬ何かにおびえていた幼子は、俄然元気になりました。
生きた人間ほど恐ろしいモノはないと言うことを、この子供はまだ知らなかったのですよ。
盗賊も、暴力主義者も、快楽殺人者も、暴君も、皆「生きた人間」であると言うことをまだ知らない、本当の愚かな子供でした。
ドアの向こうに盗賊がいるかも知れないとも、廊下を曲がった先に乱暴者が潜んでいるかも知れないとも、毒薬を持って屋根裏をはい回る者が居るかも知れないとも、地下に無数の武器が隠されているかも知れないとも、小指の先ほども考えられない子供です。
御子は無謀にも、何の備えも気構えもなく、歩き出しました。
玄関ホールと呼ぶには狭く、廊下と呼ぶには短い空間でしたが、その左右両側と、突き当たりとに扉が一つずつあるのが、闇の中にボンヤリと見て取れました。
御子はまず向かって左の扉に近寄りました。
闇に手を伸ばし、扉に触れました。
古い扉であることは、すぐに解りました。
板には割れもささくれさえなく、滑らかな表面から指先が感じ取ったのは、丁寧に打たれた釘の僅かな凹凸のみでした。
何年もの間、何人もの人間がそれを使い、それによって滑らかになった材木と、大切に修繕された古材の優しい肌触りは、新品の建材のそれとは全く別の物です。
……区別など簡単につく。むしろ、好き嫌いの激しい「子供」だからこそ、違いが解るのでは?
そう思いませんか?
それにこの貧乏殿様の御子様には、新品の尖った滑らかさよりも、使い込まれた中古の品の手にこなれた肌触りの方が好ましかったのです。
君は、織り上がったばかりのコシのある硬い亜麻の夜具よりも、晒して叩いて使い込んだそれの方が、好ましい肌触りだと思わ……ないのですか……。みっしりと繊維の詰んだ、硬い新品がお好み、か……。
残念ですね、どうも君とは趣味が合わないようです。私も、それから件の御子も、大切に使い込まれた古い物の手触りが、大変に好きなのですよ。
御子はその好ましい、古き良い手触りのする扉の磨り減った板の上に指を這わせました。取っ手を捜したのです。
扉ですからね。木か金属か、どちらにせよ、古い扉に相応しい、手にしっくりと吸い付くような突起があるに違