何年か過ぎた頃。先ほどもちらりと言いましたが、件の神官たちが失敗を取り返そうと、本業の方で頑張ったおかげであったものか、殿様と奥方の間に跡取りが生まれました。
初め殿様は子供は欲しくないと仰せだったようです。二人までも御子に先立たれる悲しみが、そう言わせたものでありましょう。
ところが実際に生まれてみれば、年をとってからの子と言うこともあってでしょうか、その御子を大層お可愛がられました。
殿様は御子には薄荷のお茶を決して飲ませませんでした。馬には決して乗せませんでした。新しい衣服が仕立て上がりますすと、縫い目の奥まで磁石を当てて調べ抜いてから着させました。
……そうですね。殿様も、心の奥底ではご家族の死にご不審を抱いておられたのやも知れません。口に出されるようなことは決してなさいませんでしたが、或いは……。
いいえ、外へも出さぬ箱入りになさったわけではありません。
薄荷のお茶が駄目なのであって、お茶を飲むことそのものをお禁じになったわけではありません。
乗馬は禁じられましたけれど、戦車を御する術の習得はむしろお奨めになりました。
尖った針を使わないもの、例えば組紐や透かし織りの技などは、殿様ご自身も一緒になって習得なさろうとしたほどです。
ですから、殿様は例の三つのほかのことで、悪いこと以外は、一つを除いて全部、御子の願うようにやらせたのです。
奥方も初めての子供を大層おかわいがりになりました。
御子と二人きりのお茶会を催して、薄荷のお茶に慣れさせました。御子と二人きりで散歩に行った先には、必ず背の低い馬がを待たせてありました。御子と二人きりの夜には、リネンに自分の名を縫い取らせました。
奥方は殿様が心の底でおびえていること……つまり、ご先妻やその御子等の死に対する不信感……が真実ではないことを証明したかったのでしょう。
奥方は主上の一族の出ですから、一族の不名誉になるようなことは否定したかったに違いありません。
あるいはご自分の御子には、その「不吉」を乗り越えさせたかったのかも知れません。
まあ、これは私の想像です。奥方の本心が何処にあったのか、奥方ご自身にしか判りません。
奥方は例の三つのほかのことで、悪いこと以外は、一つを除いて全部、御子の思うとおりにやらせました。
お二人が異口同音に禁じたこと……それはあの古く小さな「離宮」へ近寄ることでした。