泉鏡太郎 十萬石
十萬石
泉鏡太郎
こゝに
信州の
六文錢は
世々英勇の
家なること
人の
能く
識る
處なり。はじめ
武田家に
旗下として
武名遠近に
轟きしが、
勝頼滅亡の
後年を
經て
徳川氏に
歸順しつ。
松代十萬石を
世襲して、
松の
間詰の
歴々たり。
寶暦の
頃當城の
主眞田伊豆守幸豐公、
齡わづかに十五ながら、
才敏に、
徳高く、
聰明敏達の
聞え
高かりける。
晝は
終日兵術を
修し、
夜は
燈下に
先哲を
師として、
治亂興廢の
理を
講ずるなど、
頗る
古の
賢主の
風あり。
忠實に
事へたる
何某とかやいへりし
近侍の
武士、
君を
思ふことの
切なるより、
御身の
健康を
憂慮ひて、
一時御前に
罷出で、「
君學問の
道に
寢食を
忘れ
給ふは、
至極結構の
儀にて、とやかく
申上げむ
言もなく
候へども
又た
御心遣の
術も
候はでは、
餘りに
御氣の
詰りて
千金の
御身にさはりとも
相成らむ。
折節は
何をがな
御慰に
遊ばされむこと
願はしく
候」と
申上げたり。
幼君御機嫌美はしく、「よくぞ
心附けたる。
予も
豫てより
思はぬにはあらねど、
別に
然るべき
戲もなくてやみぬ。
汝何なりとも
思附あらば
申して
見よ。」と
打解けて
申さるゝ。「さればにて
候、
別段是と
申して
君に
勸め
奉るほどのものも
候はねど
不圖思附きたるは
飼鳥に
候、
彼を
遊ばして
御覽候へ」といふ。
幼君、「
飼鳥はよきものか」と
問はせ
給へば、「いかにも
御慰になり
申すべし。
第一お
眼覺の
爲に
宜しからむ。いかにと
申せば
彼等早朝に
時を
定めて、ちよ/\と
囀出だすを
機に
御寢室を
出させ
給はむには
自然御眠氣もあらせられず、
御心地宜しかるべし」といふ。
幼君思召に
協ひけん、「
然らば
試みに
飼ふべきなり。
萬事は
汝に
任すあひだ
良きに
計ひ
得させよ」とのたまひぬ。
畏まりて
何某より、
鳥籠の
高さ
七尺、
長さ
二尺、
幅六尺に
造りて、
溜塗になし、
金具を
据ゑ、
立派に
仕上ぐるやう
作事奉行に
申渡せば、
奉行其旨承りて、
早速城下より
細工人の
上手なるを
召出だし、
君御用の
品なれば
費用は
構はず
急ぎ
造りて
參らすべしと
命じてより
七日を
經て
出來しけるを、
御居室の
縁に
舁据ゑたるが、
善美を
盡して、
眼を
驚かすばかりなりけり。
幼君これを
御覽じて、
嬉しげに
見えたまへば、
彼勸めたる
何某面目を
施して、
件の
籠を
左瞻右瞻、「よくこそしたれ」と
賞美して、
御喜悦を
申上ぐる。
幼君其時「これにてよきか」と
彼の
者に
尋ねたまへり。「
天晴此上も
無く
候」と
只管に
賞め
稱へつ。
幼君かさねて、「いかに
汝の
心に
協へるか、」とのたまひける。「おほせまでも
候はず、
江戸表にて
將軍御手飼の
鳥籠たりとも
此上に
何とか
仕らむ、
日本一にて
候。」と
餘念も
無き
體なり。
「
汝の
心に
可しと
思はば
予も
其にて
可し、」と
幼君も
滿足して
見え
給へば、「
然らば
國中の
鳥屋に
申附けあらゆる
小鳥を
才覺いたして
早御慰に
備へ
奉らむ、」と
勇立てば、「
否、
追てのことにせむ、
先づ
其まゝに
差置け、」とて
急がせたまふ
氣色無し。
何某は
不審氣に
跪坐たるに、
幼君、「
予は
汝が
氣に
入りたり。
汝が
可しと
思ふことならば
予は
何にても
可し、
些變りたる
望なるが、
汝思附の
獻立を
仕立てて
一膳予に
試みしめよ」といかにも
變りたる
御望。
彼者迷惑して、「つひに
獻立を
仕りたる
覺えござなく、
其道は
聊も
心得候はねば、
不調法に
候、
此儀は
何卒餘人に
御申下さるべし」と
困じたる
状なりけり。
幼君、「
否、
予は
汝が
氣に
入りたれば、
餘人にては
氣に
入らず、
獻立は
如何樣にても
可し、
凡そ
汝が
心にて
此ならば
可しと
思はば
其にて
可きなり、
自ら
旨しと
存ずるものを
予に
構はず
仕れ」とまた
他事も
無くおほすれば、
不得止「
畏まり
候」と
御請申して
退出ける。
さて
御料理番に
折入つて、とやせむかくやせむと
評議の
上、
一通の
獻立を
書附にして
差上げたり。
幼君たゞちに
御披見ありて、「こは
[#「「こは」は底本では「こは」]一段の
思附、
面白き
取合せなり。
如何に
汝が
心にもこれにて
可しと
思へるか」と
御尋に、はツと
平伏して、「
私不調法にていたし
方ござなく、
其が
精一杯に
候」と
額に
汗して
聞え
上ぐる。
幼君莞爾と
打笑み
給ひて、「
可し、
汝が
心にさへ
可しと
思はば
滿足せり。
此通の
獻立二人前、
明日の
晝食に
拵ふるやう、
料理番に
申置くべし、
何かと
心遣ひいたさせたり、
休息せよ」とて
下げられたりける。
さて
其翌日「
日の
昨の
御獻立出來上り
候、
早めさせ
給ふべきか」と
御膳部方より
伺へば、しばしとありて、
彼の
何某を
御前に
召させられ、「
近きうちに
鳥を
納れむと
思ふなり。
先づ
鳥籠の
戸を
開けて
見せよ」とある。
縁側に
行きて
戸を
開き、「いざ
御覽遊ばさるべし」と
手を
支ふ。「
一寸其中に
入つて
見よ」と
口輕に
申されければ、
彼の
男ハツといひて
何心なく
籠に
入る。
幼君これを
見給ひて、「さても
好き
恰好かな」と
手を
拍ちてのたまへば「なるほど
宜しく
候」と
籠の
中にて
答へたり。
幼君「
心地よくば
其に
居て
煙草なと
吸うて
見せよ。それ/\」と、
坊主をして
煙草盆を
遣はしたまふに、
彼の
男少しく
狼狽へ、「こはそも、
其に
置かせたまへ」と
慌だしく
出でむとすれば、「いや/\
其處にて
煙草を
吸ひ
心長閑に
談せよかし」と
人弱らせの
御慰、
賢くは
見えたまへど
未だ
御幼年にましましけり。
籠の
中なる
何某は
出づるにも
出でられず、
命せに
背かば
御咎めあらむと、まじ/\として
煙草を
吸へば、
幼君左右を
顧み
給ひ、「
今こそ
豫て
申置たる
二人前の
料理持て
參れ」と
命ぜらる。
既に
獻立して
待ちたれば
直ちに
膳部を
御前に
捧げつ。「いま
一膳はいかゞ
仕らむ」と
伺へば、
幼君「さればなり
其膳は
籠の
中に
遣はせ」との
御意、
役人訝しきことかなと
御顏を
瞻りて
猶豫へり。
幼君は
眞顏にて、「
苦しからず、
早遣はせ」と
促し
給ふ。さては
仔細のあることぞと
籠中の
人に
齎らせたり。
彼男太く
困じ、
身の
置處無き
状にて、
冷汗掻きてぞ
畏りたる。
爾時幼君おほせには、「
汝が
獻立せし
料理なれば、
嘸甘からむ、
予も
此處にて
試むべし」とて
御箸を
取らせ
給へば、
恐る/\「
御料理下さる
段、
冥加身に
餘り
候へども、
此中にて
給はる
儀は、
平に
御免下されたし」と
侘しげに
申上ぐれば、
幼君、「
何も
慰なり、
辭退せず、
其中にて
相伴せよ」と
斷つての
仰。
慰にとのたまふにぞ、
苦しき
御伽を
勤むると
思ひつも、
石を
噛み、
砂を
嘗むる
心地して、
珍菜佳肴も
味無く、やう/\に
伴食すれば、
幼君太く
興じ
給ひ、「
何なりとも
氣に
協ひたるを、
飽まで
食すべし」と
強附け/\、
御菓子、
濃茶、
薄茶、などを
籠中所狹きまで
給はりつ。とかくして
食事終れば、
續きてはじまる
四方山の
御物語。
一時餘經ちぬれども
出でよとはのたまはず、はた
出だし
給ふべき
樣子もなし。
彼者堪兼ねて、「
最早御出し
下さるべし、
御慈悲に
候」と
乞ひ
奉る。
幼君きつとならせ
給ひて、「
決して
出づることあひならず
一生其中にて
暮すべし」と
面を
正してのたまふ
氣色、
戲とも
思はれねば、
何某餘のことに
言も
出でず、
顏の
色さへ
蒼ざめたり。
幼君「さて
何にても
食を
好むべし、いふがまゝに
與ふべきぞ、
退屈ならば
其中にて
謠も
舞も
勝手たるべし。たゞ
兩便の
用を
達す
外は
外に
出づることを
許さず」と
言棄てて
座を
立ち
給ひぬ。
御側の
面々鳥籠をぐるりと
取卷き、「
御難澁のほど
察し
入る、さて/\
御氣の
毒のいたり」と
慰むるもあり、また、「これも
御奉公なれば
怠懈無く
御勤あるべし、
上の
御慰にならるゝばかり、
別に
煩雜しき
御用のあるにあらず、
食は
御好次第寢るも
起るも
御心まかせ、さりとは
羨ましき
御境遇に
候」と
戲言を
謂ひて
笑ふもあり、
甚しきに
到りては、「いかに
方々、
御前へ
申し、
何某殿の
御内室をも
一所に
此中へ
入れ
申さむか、
雌雄ならでは
風情なく
候」などと
散々。
籠中の
人聲を
震はし、「お
人の
惡い、
斯る
難儀を
興がりてなぶり
給ふは
何事ぞ。
君の
御心はいかならむ、
實に
心細くなり
候」と
年效もなく
涙を
流す、
御傍の
面々も
笑止に
思ひ、「いや、さまでに
憂慮あるな、
君御戲に
候はむ、
我等おとりなし
申すべし」といふ。「
頼入候」と
手を
合さぬばかりになむ。
それより
一同種々申して
渠を
御前にわびたりければ、
幼君ふたゝび
御出座ありて、
籠中の
人に
向はせられ、「
其方さほどまでに
苦しきか」とあれば、「いかにも
堪難く
候、
飼鳥をお
勸め
申せしは
私一世の
過失、
御宥免ありたし」と
只管にわび
奉りぬ。「
然らば
出でよ。
敢て
汝を
苦めて
慰みにせむ
所存はあらず」と
許し
給ふに、
且つ
喜び、
且つ
恐れ、
籠よりはふはふの
體にてにじり
出でたり。「
近う
來い、
申聞かすことあり、
皆の
者もこれへ
參れ」と
御聲懸に、
御次に
控へし
面々も
殘らず
左右に
相詰むる。
伊豆守幸豐君、
御手を
膝に
置き
給ひ、
頭も
得上げで
平伏せる
彼の
何某をきつと
見て、「よくものを
考へ
見よ、
汝が
常に
住まへる
處、
知らず、
六疊か、
八疊か、
廣さも
十疊に
過ぎざるべし。
其に
較べて
見る
時は、
鳥籠の
中は
狹けれども、
二疊ばかりあるらむを、
汝一人の
寢起にはよも
堪難きことあるまじ。
其上仕事をさするにあらず、
日夜氣まゝに
遊ばせて、
食物は
望次第、
海のもの、
山のもの、
乞ふにまかせて
與へむに、
悲む
理由は
無きはずなり。
然るに
二時と
忍ぶを
得ず、
涙を
流して
窮を
訴へ、
只管籠を
出でむとわぶ、
汝すら
其通りぞ。
況して
鳥類は
廣大無邊の
天地を
家とし、
山を
翔けり、
海を
横ぎり、
自在に
虚空を
往來して、
心のまゝに
食を
啄み、
赴く
處の
塒に
宿る。さるを
捕へて
籠に
封じて
出ださずば、
其窮屈はいかならむ。また
人工の
巧なるも、
造化の
美には
如くべからず、
自然の
佳味は
人造らじ、されば、
鳥籠に
美を
盡し、
心を
盡して
餌を
飼ふとも、いかで
鳥類の
心に
叶ふべき。
今しも
汝が
試みつる、
苦痛を
以て
推して
可なり。
渠等とても
人の
心と
何か
分ちのあるべきぞ。
他を
苦めて
慰まむは
心ある
者のすべきことかは、いかに
合點のゆきたるか」と
御年紀十五の
若君が
御戒の
理に、
一統感歎の
額を
下げ、
高き
咳する
者無く、さしもの
廣室も
蕭條たり。まして
飼鳥を
勸めし
男は、
君の
御前、
人の
思はく、
消えも
入りたき
心地せり。
幼君面を
和らげ
給ひ、「
斯う
謂はば
汝は
太く
面皮を
缺かむが、
忠義のほどは
我知れり。
平生よく
事へくれ、
惡しきこととて
更に
無し、
此度鳥を
勸めしも、
予を
思うての
眞心なるを、
何とてあだに
思ふべき。
實は
嬉しく
思ひしぞよ。さりながら
飼鳥は
良き
遊戲にあらざるを、
汝は
心附かざりけむ、
世に
飼鳥を
好む
者、
皆其不仁なるを
知らざるなるべし、はじめよりしりぞけて
用ゐざらむは
然ることながら、さしては
折角の
志を
無にして
汝の
忠心露れず、
第一予がたしなみにならぬなり。
人の
心の
變り
易き、
今しかく
賢ぶりて、
飼鳥の
非を
謂ひつれど、
明日を
知らず
重ねて
勸むる
者ある
時は、
我また
小鳥を
養ふ
心になるまじきものにあらず、こゝを
思ひしゆゑにこそ
罪無き
汝を
苦しめたり、されば
今日のことを
知れる
者、
誰か
同一き
遊戲を
勸めむ。よし
勸むるものあればとて、
予が
心汝に
恥ぢなば、
得て
飼ふことをせまじきなり。
固より
些細のことながら
萬事は
推して
斯くの
如けむ、
向後我身の
愼みのため、
此上も
無き
記念として、
彼の
鳥籠は
床に
据ゑ、
見て
慰みとなすべきぞ。
斯る
風聞聞えなば、
一家中は
謂ふに
及ばず、
領分内の
百姓まで
皆汝に
鑑みて、
飼鳥の
遊戲自然止むべし。さすれば
無用の
費を
節せむ、
汝一人の
奉公にて
萬人のためになりたるは、
多く
得難き
忠義ぞかし、
罪無き
汝を
辱しめつ、
嘸心外に
思ひつらむが、
予を
見棄てずば
堪忍して、また
此後を
頼むぞよ」
懇にのたまひつも、
目録に
添へて
金子十兩、
其賞として
給ひければ、
一度は
怨めしとも
口惜とも
思へりしが、
今は
只涙にくれて、あはれ
此君のためならば、こゝにて
死なむと
難有がる。
一座の
老職顏見合せ、
年紀恥かしく
思ひしとぞ。
此君にして
此臣あり、
十萬石の
政治を
掌に
握りて
富國強兵の
基を
開きし、
恩田杢は、
幸豐公の
活眼にて、
擢出られし
人にぞありける。
眞田家の
領地信州川中島は、
列國に
稀なる
損場にて、
年々の
損毛大方ならざるに、
歴世武を
好む
家柄とて、
殖産の
道發達せず、
貯藏の
如何を
顧みざりしかば、
當時の
不如意謂はむ
方無かりし。
既に
去る
寛保年中、
一時の
窮を
救はむため、
老職の
輩が
才覺にて、
徳川氏より
金子一萬兩借用ありしほどなれば、
幼君御心を
惱ませ
給ひ、
何とか
家政を
改革して
國の
柱を
建直さむ、あはれ
良匠がなあれかしと、あまたある
臣下等に
絶えず
御眼を
注がれける。
一夜幼君燈火の
下に
典籍を
繙きて、
寂寞としておはしたる、
御耳を
驚かして、「
君、
密に
申上ぐべきことの
候」と
御前に
伺候せしは、
君の
腹心の
何某なり。
幼君すなはち
褥間近く
近づけ
給ひて、「
豫て
申附けたる
儀はいかゞ
計らひしや」「
吉報を
齎し
候」
幼君嬉しげなる
御氣色にて、「そは
何よりなり、
早く
語り
聞せ」「さん
候、
某仰を
承り、
多日病と
稱して
引籠り、
人知れず
諸家に
立入り、
内端の
樣子を
伺ひ
見るに、
御勝手空しく
御手許不如意なるにもかゝはらず、
御家中の
面々、
分けて
老職の
方々はいづれも
存外有福にて、
榮燿に
暮すやに
相見え
候、さるにても
下男下女どもの
主人を
惡ざまに
申し、
蔭言を
申さぬ
家とては
更になく、また
親子夫婦相親み、
上下和睦して
家内に
波風なく、
平和に
目出度きところは
稀に
候、
總じて
主人が
内にある
時と、
外に
出でし
後と、
家内の
有樣は、
大抵天地の
違あるが
家並に
候なり。
然るに
御老職末席なる
恩田杢殿方は
一家内能く
治まり、
妻女は
貞に、
子息は
孝に、
奴婢の
輩皆忠に、
陶然として
無事なること
恰も
元日の
如く
暮され
候。されば
外見には
大分限の
如くなれど、
其實清貧なることを
某觀察仕りぬ。
此人こそ
其身治まりて
能家の
治まれるにこそ
候はめ、
必ず
治績を
擧げ
得べくと
存じ
候」と
説くこと
一番。
幼君手を
拍ちて、「
可し、
汝が
觀る
處予が
心に
合へり、
予も
豫て
杢をこそと
思ひけれ、
今汝が
説く
所によりて、
愈々渠が
人材を
確めたり、
用ゐて
國の
柱とせむか、
時機未だ
到らず、
人には
祕せよ」とぞのたまひける。
斯くて
幸豐君は
杢を
擧げて、
一國の
老職となさむと
思はれけるが、もとより
亂世にあらざれば、
取立ててこれぞといふ
功は
渠に
無きものを、みだりに
重く
用ゐむは、
偏頗あるやうにて
後暗く、はた
杢を
信ずる
者少ければ、
其命令も
行はれじ、
好き
機もがなあれかしと
時機の
到るを
待給ひぬ。
寶暦五年春三月、
伊豆守江戸に
參覲ありて、
多日在府なされし
折から、
御親類一同參會の
事ありき、
幼君其座にて、「
列座の
方々、いづれも
豫て
御存じの
如く、
某勝手不如意にて、
既に
先年公義より
多分の
拜借いたしたれど、なか/\
其にて
取續かず、
此際家政を
改革して
勝手を
整へ
申さでは、
一家も
終に
危く
候。
因りて
倩々案ずるに、
國許に
候恩田杢と
申者、
老職末席にて
年少なれど、きつと
器量ある
者につき、
國家の
政道を
擧げて
任せ
申さむと
存ずるが、
某も
渠も
若年なれば
譜代の
重役をはじめ
家中の
者ども、
決して
心服仕らじ、しかする
時は
杢が
命令行はれで、
背く
者の
出で
來らむには、
却て
國家の
亂とならむこと、
憂慮しく
候。
就ては
近頃御無心ながら、
各位御列席にて
杢に
大權を
御任せ
下されたし、さすれば、
各位の
御威徳に
重きを
置きて、
是非を
謂ふものあるまじければ、
何卒左樣御計らひ
下されたく
候」と
陳べられしに、
一門方幼君の
明智に
感じて、
少時はたゞ
顏を
見合されしが、やがて
御挨拶に、「
御不如意の
儀はいづれも
御同樣に
候が、
別して
豆州(
幸豐をいふ)には
御先代より
將軍家にまでも
知れたる
御勝手、
御難儀の
段察し
入る
處なり。
然るに
御家來に
天晴器量人候とな、
祝着申す。さて
其者を
取立つるに
就きて、
御懸念のほども
至極致せり。
手前等より
役儀申付け
候こと、お
易き
御用に
候、
先づ
何はしかれ
其杢とやらむ
御呼寄せあひなるべし」「
早速の
御承引難有候」と
其日は
館に
歸らせ
給ふ。
其より
御國許へ
飛脚を
飛して、
御用の
儀これあり、
諸役人ども
月番の
者一名宛殘止まり、
其他は
恩田杢同道にて
急々出府仕るべし、と
命じ
給ひければ、こはそも
如何なる
大事の
出來つらむと、
取るものも
取り
敢へず、
夜に
日についで
出府したり。
いづれも
心も
心ならねば、
長途の
勞を
休むる
閑なく、
急ぎ
樣子を
伺ひ
奉るに
何事もおほせ
出だされず、ゆる/\
休息いたせとあるに、
皆々不審に
堪へざりけり。
中二日置きて
一同を
召出ださる。
依つて
御前に
伺候すれば、
其座に
御親類揃はせられ
威儀堂々として
居流れ
給ふ。
一同これはと
恐れ
謹みけるに、
良ありて
幸豐公、
御顏を
斜に
見返り
給ひ、「
杢、
杢」と
召し
給へば、
遙か
末座の
方にて、
阿と
應へつ、
白面の
若武士、
少しく
列よりずり
出でたり。
其時、
就中御歳寄の
君つと
褥を
進め
給ひ、「
御用の
趣餘の
儀にあらず、
其方達も
豫て
存ずる
如く
豆州御勝手許不如意につき、
此度御改革相成る
奉行の
儀、
我等相談の
上にて、
杢汝に
申付くるぞ、
辭退はかまへて
無用なり」と
嚴に
申渡さるれば、
並居る
老職、
諸役人、
耳を
欹て
眼を
れり。
老公重ねて、「これより
後は
汝等一同杢に
從ひ
渠が
言に
背くこと
勿れ、
此儀しかと
心得よ」と
思ひも
寄らぬ
命なれば、いづれも
心中には
不平ながら、
異議を
稱ふる
次第にあらねば、
止むことを
得ずお
請せり。
前刻より
無言にて
平伏したる
恩田杢は
此時はじめて
頭を
擡げ、「ものの
數ならぬ
某に
然る
大役を
命せつけ
下され
候こと、
一世の
面目に
候へども、
暗愚斗の
某、
得て
何事をか
仕出だし
候べき、
直々御訴訟は
恐れ
入り
候が、
此儀は
平に
御免下さるべく
候」と
辭退すれば、
老公、「
謙讓もものにぞよる、
君より
命ぜられたる
重荷をば、
辭して
荷はじとするは
忠にあらず、
豆州が
御勝手不如意なるは、
一朝一夕のことにはあらじを、よしや
目覺しき
改革は
出來ずとも、
誰も
汝の
過失とは
謂はじ、
唯誠をだに
守らば
可なり。とにもかくにも
試みよ」と
寛裕なる
御言の
傍よりまた
幸豐公、「
杢、
辭退すな/\、
俄に
富は
造らずとも、
汝が
心にて
可しと
思ふやうにさへいたせば
可し」と
觀るところを
固く
信じて
人を
疑ひ
給はぬは、
君が
賢明なる
所以なるべし。
此に
於て
杢は
最早辭するに
言無く、「さまでにおほせ
下され
候へば、きつと
畏り
候、
某が
不肖なる、
何を
以て
御言に
報い
奉らむ、たゞ
一命を
捧ぐることをこそ
天地に
誓ひ
候へ」と
思ひ
切つてお
請申せば、
列座の
方々滿足々々とのたまふ
聲ずらりと
行渡る。
但老職諸役人は
不滿足の
色面に
露れたり。
杢逸早くこれを
悟りて、きつと
思案し、
上に
向ひて
手を
支へ、「
某重き
御役目を
蒙り
候上は
一命を
賭物にして
何にても
心のまゝにいたしたく
候。さるからに
御老職、
諸役人いづれも
方某が
言に
背かざるやう
御約束ありたく
候」と
憚る
處も
無く
申上ぐれば、
御年役聞し
召し、「
道理の
言條なり」とてすなはち
一同に
誓文を
徴せらる。
老職の
輩は
謂ふも
更なり、
諸役人等も、
愈出でて、
愈不平なれども、
聰明なる
幼君をはじめ、
御一門の
歴々方、
殘らず
御同意と
謂ひ、
殊に
此席に
於て
何といふべき
言も
出でず、
私ども
儀、
何事に
因らず
改革奉行の
命令に
背き
候まじく、いづれも
杢殿手足となりて、
相働き、
忠勤を
勵み
可申候と、
澁々血判して
差上ぐれば、
御年役一應御覽の
上、
幸豐公に
參らせ
給へば、
讀過一番、
頷き
給ひ、
卷返して
高く
右手に
捧げられ、
左手を
伸べて「
杢、」「は」と
申して
御間近に
進出づれば、
件の
誓文をたまはりつ。
幼君快活なる
御聲にて、「
予が
十萬石勝手にいたせ。」
明治三十年十月
●表記について
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- [#…]は、入力者による注を表す記号です。
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